百. 1864年、南禅寺~古高に迫る危機~
予期せぬ展開となった事に、肥後人の血がどんどん失せてゆく。
とんでもない事になった。
(・・・・・・!俊太郎・・・・・・・・・!!)
長い束縛を解かれた忠蔵が起す行動といえば、先ず主人である宮部の身に異変が起きていないかを確めようとするだろう。忠蔵は肥後の武士社会の裏にある同胞天誅の通念を知らず、心身も耗弱している。ていと連れ立って小川亭に戻っていないのであれば、碌な話は出来なかっただろうから宮部が指示を与えた枡屋へ向かう可能性が高い。
古高が危ない。
「・・・ていしゃん・・・・・・あたが無事に帰って来て本な事良かった・・・・・・」
宮部にしても方言を抑える余裕が無い。其でもていの勇気ある義侠に感謝する。尾行られているのは忠蔵だけの筈がない。ていもだ。新選組は一旦獲物を手放す事で、枡屋と小川亭の両方に踏み込む材料を作ったのだ。
・・・そう、危ないのは古高だけではない。
「あの・・・うち、若しかして何か―――」
「・・・んにゃ」
と、言いつつも、気丈に振舞い切る事が出来ずていを不安にさせて仕舞っている宮部を汲んで、中津 彦太郎が続いて言った。
「ていしゃん、ありがとうございました。こっから先は俺達がせにゃあいけん事ですけん、気にせんではいよ」
皆、喉がカラカラである。中津の機転で飲み物を頼み、叉ていも空気を察して少し長い時間座敷を離れた。
「・・・・・・ていしゃんも・・・危ない・・・・・・」
全然無事などではない。只帰って来たというだけの話だ。一刻も早く小川亭を出て、彼女等との繋がりを断たねばならない。場合に依っては其に足りず、店を畳んで避難して貰う必要がある。
「併し」
・・・肥後人達が眼だけで会話する沈黙の中、長州人の桂が口を開いた。
「・・・その“オガタ”さんという人は、ていさんの顔見知りなのだろう?だから、その・・・今回は信用してもいいと思うのだが」
は?と理解のし難い顔で宮部と松田は桂を見る。何を言っているのだと言いたげであった。
「・・・・・・ていしゃんの顔見知りである事と我々に何の関係が?」
・・・・・・っ・・・。桂は此の期に及んでこの心無い質問が出てくる事に哀しくなる。而も、宮部の口から出るとは。筋金入りなのだ。
「・・・・・・新選組とて、元は清河さんの作った組織だ。尊皇攘夷の触れ込みで集まった衆だぞ。局長近藤、副長土方、以下江戸出身の者達は幕府寄りだと聞くが、他はそうとは限らない」
「・・・・・・何の話をしておる」
長州より密偵を新選組に送り込んでいる事を・・・―――密偵の存在を、宮部等は知らない。故に宮部等の反応も致し方無い部分がある。彼等には隊士が同胞だろうと、ていの知る顔だろうと、勤皇思想の持主だろうと関係無い。只仲間を狩られ、晒され、壬生の狼の都合で放されたという事実のみが存在する。
「新選組は入隊すれば脱退できないという話だ。だから敢て新選組に残り、隊内からあなた達に手を貸そうとしているのかも知れない。その人は、あなた達の味方かも知れないのだ。でなければこの様な大胆な事は出来ない」
「・・・だから、計略であると考えた方が現実的・・・」
「仮に忠蔵さんを解放する事が新選組側の計略だったとして、其に従えばていさんをも裏切る事になる。その事が肥後人に出来るとは私には思えない。ならば、新選組の方を欺いていると考える方がまだ自然だ」
・・・宮部は頭を抱えている。その隊士の実像を知らぬから論じられる筈も無い。鯔の詰り、一体何が大事かという天秤の話になっている。
否、其よりも。
(“緒方”・・・・・・・・・)
宮部の頭を離れないのはその名だ。緒方姓など肥後では珍しくない。併し、否故にか、引っ掛る名は其程多くはない筈だ。
(――――・・・・・・まさか・・・・・・・・・)
「・・・幸いな事に、副長土方はともかく局長近藤からは可也篤い信頼を受けている様だ。今後は何とかその人と結託して―――・・・」
宮部と松田はぴくりと身体を震わせた。・・・・・・てめえ。松田は暗い顔で睨んだ。彼等は桂が密偵を忍ばせていた事に気づいた。
「―――以前から、知っていたのか」
新選組隊内に居る肥後人の事を。桂ははっとしたものの、今となっては共有しておかねばならぬ情報である。・・・肯いた。
「―――――・・・・・・」
・・・・・・宮部は溜息を吐くも、理由は解っている。彼等はもう、桂を責めなかった。
「そんな事より宮部さん」
桂は露骨に話を逸らす。とはいえ、こちらも十二分に差し迫った重要な事項であった。
「古高さんは何故急に枡屋に戻ったのか、今のあなたになら分るのではないか。
―――宮部さん、あなたも我々に、何か隠しているのでは?」
今度は宮部が問い質される番であった。宮部だけでなく、大高 又次郎も顔色をサッと変える。枡屋の隣家に潜伏していると先述した武器商人、叉甲冑造りの職人としての性格を持つ男である。
松田 重助と古高 俊太郎、そしてこの大高 又次郎は共同体で考えてよい。出身こそバラバラだが、皆梅田 雲浜で繋がっている。
1855年に脱藩し、肥後藩に追われていた松田をすぐさま匿ったのが梅田 雲浜で、古高は当時既に雲浜の弟子だった。永鳥が予てより雲浜と親しく、松田が援けて貰えるよう根回ししていた。1858年、今度は大高が脱藩し京へ逃げると雲浜は彼も受け入れた。雲浜の紹介で大高は松陰とも知り合う。
安政の大獄で雲浜が逮捕され、一同は各地に散るも、桜田門外の変に依り弾圧が鎮まると、雲浜への恩を返すが如く師を失った古高を支えに集まった。古高を中心に事が進むのは、長州毛利家と有栖川宮家、肥後細川家との所縁の他に斯ういった経緯があるのだ。
「・・・・・・大高さんの方が詳しゅう知っとんなはろう」
・・・斯くも、縁に縛られた人間なだけに一つの縁が拗れると他の縁にも絡みつく。宮部、松田や大高等は自ら張らせた蜘蛛の巣に引っ掛る様に、連なって終局へと落ちて往こうとしていた。
―――武器弾薬と連判状の存在を言えば、来島 又兵衛等と桂の長州人間で線が一本に繋がる為、まだましになる。
・・・・・・稔麿と約束したから、宮部は言わない。
其が故、宮部は事の運びを敢て知らずにいる。時機が訪れれば嫌でも来島より連絡が来るだろう。
併し乍ら此の期に及び、隠し徹すという選択肢は誰にも無かった。此の侭では長州藩そのものも落ちてゆく。
「・・・・・・せえやんな」
・・・大高は肯いた。有りの侭を語り始める。計画の中身、武器弾薬の所在、状況の進度、同志の名前全てを。
『俺達は全員が指名手配犯だ。いつ捕まってもおかしくはないし、いつ殺されてもおかしくない』
溌溂とした若さを残す松田が取り仕切る様に言った。傍には大高 又次郎も居る。
古高は、泣いていた。
『せえやんな』
と、大高は茶化す様に言った。真面目に聴けよ!!と松田が怒って大高をどつく。大高はせーな気張る事かいな、と笑った。
古高は涙が止らなかった。
『この世界では犠牲無しに先へは進めない。多分俺達は、その犠牲に回る側だと思う。今回は宮部先生が動いてくださった事もあって何とか雲浜先生への恩を返せたが、今後は助け合えるとは限らん。そこで、約束だ!』
『約束好っきやのー、おまん。桂さんとも約束しとらんかい』
松田と大高がぎゃんぎゃん喚き合う。古高は涙を指先で払った。其でも猶湧き上がり、まつげに水分を滲ませながら
『―――解っています』
・・・・・・古高は微笑んだ。
『誰かが犠牲となる時に、見捨てる事があったとしても、其は已むを得ない事・・・同志である事に何ら変りは無いと・・・』
・・・・・・。松田と大高は深沈とした面持ちとなり、肯いた。彼等は同志であると共に、友人としても或る確認をしていた。
『・・・ああ。俺は屡、この世界の人間には“割り切り”が足りないと思っている』
『ええ』
大高が暗い顔をした。負の感情が最も豊かでありながら、心の中は古高が最も理性的である。
『勿論、最善を尽すが、其で道づれになっては元も子も無い。善後策に依っては人命より先に紙切れ一つを救出する事もあるだろう。だが、其でも絶望するなという事だ。考え無しに切り捨てる事なんて先ず在り得ない。自分が死ぬ時、自分の命一つ分維新が近づいたと思えばいい。俺は常々、そう思う事にしている』
『ええ』
古高は肯いた。古高の出自は勤皇の道しか知らぬという松田の比にもならない。生れた時より勤皇にどっぷり浸かっている。
『・・・私も、そう想っています』
けれども涙が止らない。嬉しかったのだ、自分を見つけてくれた事が。松田が本音を言ってくれる事が。大高が斯う言ってくれる事が。
『・・・ええ子ちゃんやのー。重ちゃんも俊ちゃんものぅ』
真赤になって怒る松田を尻目に、大高は古高の肩を組んだ。大高は妻子ともども京に移り住んでおり、池田屋事変に連座し家族は逮捕される事となる。逮捕前、新選組が大高の家を家宅捜索した際は自害した妻の躯が転がっていたと云う。
『おまんはの、もう一寸助けてくれ言うてええんじゃ。言うてくれたらもう一寸早うおまんを見つけきいた。具足が欲しい時はおまん俺に言うやろが。そない感じでもっと主張せえ。重助が言うんはほんま究極の選択の刻や』
―――そう言った大高の言葉が忘れられない。
『ほうなる前に助けられるよう俺が隣に住むんさかい』
八月十八日の政変の後、松田は長州へ逃れたが、その間も大高は京の西川 耕蔵、枡屋本家・細川家の血縁である湯浅 五郎兵衛等と一緒に古高の活動を支え続けていた。西川は生れこそ京であるが、父が古高の父と同じ近江の者で、雲浜の弟子の生き残りという古高の数少ない同郷・同門の同志である。
彼等が助けてくれたから、ここ迄遣って来られた。
ふ・・・
・・・・・・古高は倒れ込む忠蔵を抱えながら、ふと、自分が枡屋 喜右衛門となった日の事を想い返していた。
―――新選組が来る。
ぎゅ、と忠蔵を隠す様に胸を彼に近づけた。古高の確信通り、扉の向うには新選組監察方の山崎 烝が町人の変装をして佇んでいる。
(・・・・・・忠蔵さんを如何にか避難させなければ)
枡屋は静かながらも慌しかった。番頭や手代、女中等に命じ、荷物を纏めて里方に帰るよう準備をさせていたのである。無論、之は枡屋が踏み込まれた時に備えてであり、その為に彼は逸早く小川亭から帰って来た。
使用人は枡屋の本姓である湯浅、即ち肥後細川の繋がりで雇った者達で、志士古高のものではない。枡屋より引っ立てられたのが古高一人であったのは、古高自身のこの機転に由る。
幸いな事に、この京には非常口の風習が出来上がっている。
江戸もそうであるが、木造家屋が犇き合う上に火事が頻発するこの町では、隣家と任意の上で非常口で両家を繋ぐ事が出来た。現代社会で謂うベランダの仕切りみたいなものだ。
大高の家とは予てよりその非常口で繋いでおり、どちらが新選組に拠る手入れを受けても相互に逃げられる様になっていた。不幸中の幸いで、大高に関して新選組は完全にノー‐マークであった。
使用人達を大高の家の裏口より逃し、忠蔵をその非常口に隠して休ませる。決して良い環境ではないものの、体力が戻ればすぐ逃げられる。・・・古高はまるで御供えの様に食べ物を忠蔵の側に置き
「・・・・・・どうか御無事で」
と、囁いた。
・・・・・・武器弾薬ばかりは如何にもならない。
古高は武器弾薬と心中する心積りでいた。勿論、その考えは甘い。新選組は既に、絶望のみを永遠に与え続ける画期的な方法を発明している。
運命の日が訪れた。
元治元年6月5日早朝、古高 俊太郎が新選組に捕えられる。
古高拷問の内容については沢山の作品で描かれている為、本作では敢て触れない。只、この凄惨な拷問を行なう為に沖田 総司・永倉 新八・原田 左之助といった主力が可也の数割かれたので、京の町全体としては警備が手薄になった。
―――そんな中。
・・・桂が動く。宮部が動く。松田が動く。大高が動く。
彼等の声で対馬が動き、長州が動き、土佐が動き、京そのものが動き出す。
明治維新を約一年は遅れさせ、新選組が全国に勇名を馳せる存在となった切っ掛けの事件―――・・・
本作はその引き立て役となった、志士側からみた物語である。




