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野良怪談百物語

恩人

作者: 木下秋

 十一月の雨は冷たそうに、悲しそうに降る。


 ――外を見ながら、そう思った。



「そういえばね。昔、こんなことがあったよ」



「……どんな?」



 テーブルの向かいの彼女は、そう言って首をかしげた。





     *





 ――僕の住んでいた田舎には、それはもう大きくて、深い森があった。近所の子達は僕含めて、みんなそこで遊んでたんだ。広くって、樹登りに適した広葉樹がたくさん生えていて、木の実だってってた。太い木の棒なんかも、そこら中に落ちてたんだ。




 ……でもね。夕方になって暗くなってくると、みんな一斉に帰り出すんだ。……子供って夜遅く、暗くなっても、いつまでだって遊んでいたいものだろう? ……でも、僕達は辺りが暗くなってくると、ちゃあんと帰るんだ。……なぜって、その森はね。“出る”んだ。……“幽霊”がね。“森女もりおんな”って、みんな呼んでた。



 森女は真っ暗になった夜に出るんじゃないんだ。もう夕方になって、薄暗くなってくるとね。“出る”。樹の根元に立って、隠れるようにして、こっちをジィッ……って見てるんだ。赤黒い、薄汚れた和服を着ててね。髪は黒くってボサボサで、長い。……腰の辺りまであったんじゃないかなぁ……。……えっ? うん。見たよ。僕だけじゃなくって、みんな見た。見なかった奴なんか、いなかったよ。逆にね。……ちょっと離れた樹の辺りに立ってて……どこで遊んでたって、暗くなると現れるんだ。それで、ジィッ、ってこっちを見ててね。「あっ! 森女だ! 帰ろう!」って感じで、帰るんだよ。みんなね。その日の遊び、終わりの合図って感じさ。……夜遅くまで森に残ると、「森女に殺される」なんて物騒な噂もあったからね。




 ――今から二十年前だから……僕は小学校三年生かな。時期的には、ちょうど今くらいの時期だった……。その日、僕はいつものように友達何人かで、森に入った。木登りをしたり、追いかけっこをしたり……。いつも時間を忘れて、遊んでたんだ。そして――夕方。「あっ!」。友達の一人が言った。目線の先に目をやると、“森女”が立っていたのが見えた。……距離でいうと、五十メートルくらい離れたところ、って感じかな。



 「よし。今日は帰ろう」。みんな落ち着いたもんだった。得体の知れない存在ではあったけど、見慣れてたし、向こうから何か仕掛けてくるようなことはそれまで一度だってなかったからね。みんな、一斉に帰り出した。……しばらく森を歩いて、もうすぐ出口、って合図の、ぐねぐねとひん曲がった大きな樹が現れた。……そこでだ。僕は気付いた。……ポケットの中にいっつも入れていた、樹を削るためのナイフが無いことに。



 それは柄の部分に刃をしまえる大きい奴で、父さんにもらった物だったんだ。……当時の僕にとっては、宝物でね。毎日、自分で砥いでたんだ。「大事なものを落としてきた!」ってんで、森に戻ろうと思った。「明日にしろよ!」。友達はそう言った。でも空を見上げると、雲行きが怪しかった。夜には雨が降りそうな天気だったんだ。……雨が降ってしまったら、ナイフが錆びてしまうかもしれない。……僕は一瞬悩んだけど、「すぐ戻る!」って言って、一人で森に戻った。




 ――走り慣れた森の中を、樹の間を縫うようにして走った。……辺りはだんだん暗くなってゆく。「早く見つけて、帰らなくっちゃ」。何より僕を焦らせたのは、やっぱり“森女”の存在だった。……頭の中にあの赤黒い着物姿がチラついて、息はあがるばっかりだった。



 さっきまで遊んでいた、少し広くなっている所に出た。僕らがそこで走り回るもんだから雑草も生えてなくって、落ち葉の間から土が見えている場所だ。……そこらを見回して、ナイフを探した。黒い柄を。……もう、かなり日は落ちていた。そこで、あるものが目に入った。――森女だ。



 ――そんなに近くで“それ”を見たのは、初めてだった。……多分、十メートルもなかったと思う。ボロボロの着物に、バサバサの髪――……一本一本の輪郭が、はっきりと見える距離だった。――その隙間から見える、二つの目が。僕の姿を捉えていた。



 全身にゾワッ、と鳥肌が立って、凍ったみたいに動けなかった。そして――見た。――その森女の手には、僕のナイフが握られてたんだ。



 僕は一瞬、どうしていいのかわからなくなった。ナイフを返してほしい……でも、今すぐここから逃げたい……! 矛盾した気持ちがこんがらがって、その場から動けないでいた。



 ――その時。森女はスッ……と樹の影から現れた……! ……それが動くところは、初めて見たんだ。僕は焦った。――「うわあぁぁぁ!」。叫びながら、その場から走りだした。……恥ずかしい話だけど、逃げ出したんだ。ナイフは大事だったけど、まさか森女が“動く”だなんて。……「これはマズイ」って、咄嗟に思ったんだ。



 走り慣れてる森の中を走ってる……つもりだった。……けど、夜の森は昼間に見る森とは、全く違って見えた。何箇所か目印にしていたものがあったんだけど、夜になると本当になんにも見えないんだ。……田舎だったし、街灯なんてない。辺りに光源になるものは、何もなかった。――月すら隠れてたんだ。……日が完全に落ちきった森の中を、必死で走った。……けど、いくら走っても森を出ることはできなかった。



 もうこれ以上走れない、ってくらいに疲れて、目の前の樹に手を突いて、「ハァッ、ハァッ」って息を整えてた。……もう、だいぶ走った。きっと、森女は振り切った。そう思って、振り返った。




 ――森女が立っていた。




 ……そこで、僕は気を失ったんだ。





 ――目を覚ますと、そこはどこか室内だった。目が慣れてくると、辺りの様子がわかってくる。……そこはどうやら、どこかの廃屋だったみたいなんだ。僕が寝ていたのは、畳の上だった。



 外からは、風の唸る音がした。――雨が降る音がした。奥の出入り口の所には、森女が立っていた。



 ……気を失う前、「殺される」とばかり思っていたんだけど……それはどうやら違うみたいだ、と感じた。ここまで連れてきてくれたのは、彼女だったんだと思った。――森女は立ったまま、空を見上げているようだった。



 僕はそこから少し動いて、森女を凝視した。……すると、空を見上げることで、顔があらわになっていた。――見ると、あまりに普通に、“人”だった。……妙齢の、肌の白い女性だった。――少し悲しげな、物憂げな表情だった……。




 僕はすっかり「怖い」という気持ちを忘れて、森女に近付いた。……母さんに近いものをなんだか感じて、手に触れた。



 ……とても冷たかった。まるで、雪解け水に触れたみたいだった。……彼女の表情は、変わらなかった。僕に触れられたことに、気が付かなかったみたいに。……僕はサッ、と手を引っ込めると、元の場所に戻って、しばらく彼女を見つめていた。




 ――その内に眠ってしまっていたみたいで、再び目を覚ますと辺りはぼんやり明るくなっていた。……深い霧が出ていたんだ。



 見ると、出入口の所にいた森女がいない。……家の外に出ると、霧で見えなくなる境のような距離の場所に、彼女はいた。僕が近付くと、彼女はその分動いた。――歩いたりはせず、滑るように動いたんだ。僕が走って、森女に近付く。――その距離分離れる。……それはまるで、道案内してくれてるみたいだった。



 しばらく歩くと、森の出口の目印。ぐねぐね曲がった大きな樹が現れた。僕がその樹を越えて向こう側に出ると――森女はいなくなった。振り返ると、霧の中に消えてゆく、彼女の後ろ姿が見えた。



 僕はその時になって、ポケットの中の異物感に気付いた。出すと――





     *





「――それは、僕の大事にしてた、ナイフだった」



 外では、雨足が少し弱まったようだった。窓の方に目をやると、それが目に見えてわかる。



「……不思議な話ね」



 彼女は続けた。「でも、信じるわ。あの森、なんだか異様だもの。まるで、違う世界に繋がってるみたい」



「……その後は大変でね。両親にこっぴどく叱られたよ。みんな、村じゅうの人で探し回ってくれてたみたいで……」



 彼女はフフッ、と笑うと「お茶、淹れるわ」と言って立ち上がった。……確かに、部屋には冷気が満ちていた。……あの廃屋の夜の空気を、思い出していた――。




「…………きっと、その森女さん、いい人なんだわ」



「えっ?」



 キッチンからは、薬缶が沸く音がする。



「森女さんが夕方に現れるのは、怖がらせて子どもを無事に帰すためなのよ。暗くなっちゃうと、あなたみたいに迷っちゃうでしょう?」



 ……確かに、そう言われてみればそうとも思えるが……。


 幽霊を、“いい人”か。――彼女らしいなと思って、僕は少し笑ってしまう。



「その日、あなたを助けたのだってそうだわ」



 盆にティーカップを二つ乗せた彼女が、キッチンから出ながら言う。



「可哀想な目にあってる子どもをみたら、誰だって“助けなきゃ”って思う。……そうでしょう?」



 彼女は僕に、ティーカップを差し出した。



「……例えそれが、“幽霊”であっても」



 ――揺らめく湯気と、ダージリンの香りが、目の前で踊った。



「今度あなたの実家に帰ったら森に行って、お礼を言わなきゃ。……森女さんがいてくれなかったら、あなたその森で迷って……今そうして生きてないかもしれないのよ?」



「……うん。それはそうだけど……森女は大人になると、見えなくなっちゃうんだ……」



「見えなくってもいいわ。私、花を供えに行く」



「…………うん。わかった。僕も行くよ」



 僕は紅茶を、一口飲む。――そして、両の掌で、カップを包み込むようにして持った。



「ありがとう」



 この暖かみは、目の前の彼女と、森にいた――あの冷たかった彼女がくれた暖かみなんだと――。思った。

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― 新着の感想 ―
[一言] 読ませていただきました。森女、いい人じゃありませんか。なのになんで怖い感じで出てきちゃうんでしょうね。ナイフも持ってなかったら主人公も恐ろしい思いしなくてすんだのに。そうだ、名前を「森ガール…
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