天才の幻
お久しぶりです。最近少し暇が出来たので短いですが執筆してみました。
超有名人のお話ですが、まぁ見ていってください。
三国時代における天下人、曹操。この人物は常に人を疑い、懐にいる人物以外全員敵であると考えていたと様々な行動で示されている。しかしそんな彼がある軍師に全幅の信頼を置き重用したことをご存じだろうか。それは当時天才と呼ばれていた郭嘉その人である。しかしこの三国時代は残酷なもので…。
「いやー、さすがに流行病には勝てないっすわ」
とまぁ、こんな具合に病に伏して38前後の年齢で天に旅立ってしまった。この時代は戦いの中でうっかりするか、病であっという間に、という死に方が多かった。天才も例外に漏れることは無かった。だが、その天才の死を曹操晩年まで悔いていた。それは荀彧に当てた手紙に残されている。
『郭嘉は俺より年下で息子のような年齢だった。そして死ぬまでの11年間、クソみたいな敗戦処理もしたし飛び切り美味い勝利の酒を飲んだりもした。アイツは俺より若かったのに先の事が良く見えていた。だからこそ天下を獲ったら全部ヤツに任せようとも考えていたんだ…。私は郭嘉の子を厚遇しているが、そんなことで私の追憶の念は消えないのだ』
こんな手紙を残すほど曹操は郭嘉を厚遇していた。「あの」曹操が親族以外に後事を任せる、という発言を引き出させる郭嘉はそれほど有能な人物だったと言える。そして曹操の懺悔はまだまだ続く。
『そもそも郭嘉はな、人間卒業してるんだわ…。軍事とか諸々の判断が神がかりに上手くてなぁ。しかも病が流行ってる南方に行くとか言い出したんだ。他の軍師はビビって行かんのにだぞ?今思えば功績を打ち立てんがために寿命なんて捨てていたのかもなぁ…。そんな人物は忘れる訳には行かんよ…』
郭嘉は死してなお曹操にここまで言わしめたのである。天才と呼ばれた郭嘉がもし数年でも長生きしていたのであれば、歴史が確実に変わったと曹操自身が言っていた。そんな郭嘉は、人間離れした曹操を「人間」にとどめてくれた恩人なのかもしれない。
劉温「…」
……。何かごめんなさい。
劉温「まぁ更新しただけ許してやるヨ」
暇なときに少しずつ執筆していくのでご勘弁を…。
ではでは、また会いましょう。
劉温「再見ネ」
P.S.
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