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謎の美女

劉温「ハロー、劉温ヨ」


劉温「今回は逸話じゃなくて謎を紹介する話アル。それでもいいならご覧あれー」

歴史というのは記録の積み重ねである。誰かが気まぐれで記録したものが後世に伝えられるのである。しかし…。逆を言えば記録されなかった事件や人物はどうあっても後世には伝えられない。それは当時三国を制した国であっても例外ではない。


「母ちゃん大好きっ子こと曹叡そうえいです!」


仁徳者すぎて狩りが出来ない逸話で有名な魏の二代皇帝、曹叡。そんな心優しい彼は生年が分かっていない。歴史書からすれば初代皇帝曹丕の息子なのだが、時系列を考察するとなんともえげつない背景が曹叡にあったりする。


それは「曹叡、実は曹丕の息子じゃない説」である。突拍子の無い話…、と思うかもしれないが待ってほしい。そんな彼の話は母の時代から始まる。



曹叡の母、甄氏しんし。変な名前だが彼女だけ謎なことに名が伝わっていない。そんな彼女は最初は英傑である袁紹の息子、袁煕えんきの妻であった。


「ちょっと冀州きしゅうから幽州まで行ってくる。冀州はそう易々と攻め落とされないしな」


フラグ満載な発言を残して袁煕は甄氏を冀州に置いて行った。そして当然のように曹丕がやってきて当然のように冀州を攻め落とした。結果、袁氏は滅び甄氏は魏に渡り曹丕の妻となっている。


「波乱万丈ですわ…」


甄氏はこう呟いたかもしれないが、世は戦国時代である。仕方がない。察しが良い人はここ辺りで気が付くかもしれない。


それは、曹叡が袁煕の息子であるかもしれない、という説である。ありがたい事に曹叡は享年と没年はきちんと記録されている。ここから逆算すると恐ろしい事に曹丕が冀州を攻め落とした年と曹叡が生まれた年が重なってしまうのである。


この謎は現在に持ちこされ、今も解明されていない。もし、曹丕の息子ではないという事が判明すれば歴史書と教科書が大きく変わる事は確かだろう。

自分で書いててアレですがドロドロしてますねぇ…。


劉温「怖すぎヨ。実は自分の息子じゃないとか当時からすればどんなホラーよりも怖かったと思うアル」


そうですね…。この時代確かめる術無いですからねぇ。


劉温「あったらあったで怖いけどネ」


そうですねw

それではこの辺で。ではー!


劉温「バイバイネ」

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