天下にはただ一人
どうも、トランぺッターです。今劉温さんは江戸で旅を楽しんでおります。今回は私が解説しますね。
曹操の旗揚げメンバーである曹洪の忠臣らしい逸話です。ではご覧あれ~。
酒池肉林を体現する暴君。こんな暴君はいつの時代も存在する。足利義教しかり、武烈天皇しかりである。しかし、そんな暴君は必ず包囲網を敷かれるのである。
圧政を敷く董卓に呼応するがごとく袁紹は、反董卓連合を組織した。これは当時、力を持つ豪族達を袁紹がまとめあげ、一つにしたのだ。その中にあの「曹操」も含まれていた。
「天下に背く逆賊討つべし!皆の者!この私に続け!」
どっと沸いた曹操陣営は、董卓陣営に勇猛果敢に深く斬りこんだ。しかし…。
「その姿、曹操とお見受けする!いざ覚悟!」
「な…!」
曹操は深く切り込みすぎたためにその首を敵兵に狙われたのである。さすがの曹操でも不意を突かれればさばききれるか怪しいものがある。しかし…。
「受けよ、忠義の嵐!いざ参らん!」
その刃を曹操の旧臣、曹洪が受け止めたのだ。彼は夏候惇と同じく曹操の旗揚げ時のメンバーの一人だった。
敵の刃を防いだ曹洪だったが、まだまだ曹操の首は狙われていた。そこで曹洪は行動に出る。
「曹操様、私の馬でお逃げください。今ならまだ…」
「そんなことをしてしまったら曹洪…、お前が…」
「お言葉ですが曹操様。この曹洪がこの世界に居なくても世界は回るでしょうが、曹操様。あなた様は居なくてはならないのですよ…」
そういって曹洪の護衛を受けながら曹操は無事に逃げおおせた。因みに勘違いしないでもらいたいのが、この時、同時に曹洪も無事に逃げおおせられたことを。
はぁ、一人だとどうにも調子が出ませんね…。とりあえず解説をしましょうか。
演義では董卓は暴君として描かれていますが、実はいい人だったという説があったりします。暗君だった皇帝の息子を廃した、腐りきった宦官を根絶やしにするため遷都を行った、という話があったりします。
当時の漢王朝は漢民族によるものだったので、涼州出身の董卓には厳しいものがあったのかもしれません。まぁ、あくまでも「異民族だったかもしれない」という話ですが…。
こんな本気の解説は初めてですねー(笑)
ではではー。




