義を通さずして何が臣下か
劉温「ニーハオ、劉温ヨ」
劉温「今回はなんてことはない忠臣のお話ネ」
袁譚。彼は、中原の覇者にして曹操のライバル、袁紹の息子である。そんな袁紹は官渡にて曹操におおきな敗北を喫した後、没した。そんな袁紹の死を嘆いた曹操だった。その逸話は第21話『友よ…』を見るべし。だが、息子の袁譚にも忠義を貫き通し、死を嘆いた人物が居た。
「我々は、一人の英雄を失った。これは、敗北を意味するのか…?否!断じて否である!」
そう高らかに叫ぶのは、袁紹の置き土産であり最後の希望である、袁譚と袁尚の二人だった。彼ら兄弟は、父である袁紹の意思を継ぎ、仇である曹操を討たんと奮起していた。
しかし…。
袁尚は曹操との戦いの最中、連携が途絶えてしまった。
「こちら袁譚。状況を報告しろ。…どうした?応答しろ袁尚!」
連携の途切れた袁譚は、曹操の猛攻にさらされる。この時代、貴族に近かった袁の一族が数の暴力にさらされるとは何とも皮肉な話である。
「クソッタレが!」
こうして袁譚は袁の誇りを守り散っていった。袁尚?知らん。
曹操は袁譚と袁尚を討伐した後、とあるお触れを出した。
「袁紹、袁譚、袁尚の臣下、また領地の民は、袁紹、袁譚、袁尚の喪に服してはならない」
というあまりにも残酷な物だった。領地の民は、袁の一族にこそ未来ありと付いてきた。臣下はこの人になら命を捧げる事ができると思い頭を下げた。にもかかわらず主の死を悔やむ事すらできないとは…。
そんな中、一人の忠臣が行動に出る。その名は王修。彼は、袁譚の首級が送られてきた時、喪服でもってこれを迎え大声で泣き悲しんだ。
そして当然曹操に捕らえられ、事情聴取的な事をされた。この時、王修は胸を張りこう答えた。
「袁譚様が存命されていた時、私を拾っていただきました。そのような恩義に答えられないようでは臣下ではありませぬ。規約違反なのは承知しております。さぁ、首をお斬りください」
この行動は、袁に関係した全ての者の思いだった。そして、このような行動を取った人も多々いたらしい。
その光景から曹操をこう言わしめた。
「袁の一族には忠臣がたくさんいる。私の考えが間違っていたようだ」
こうして曹操は王修を許し、上等の葬式をあげさせた。
やる事はやった!さぁ首を斬れっていう心意気がカッコいいですね。
劉温「いろんな英雄に埋もれて目立たない袁一族はもっと報われてもいいヨ」
残念。そんな人はどこの歴史でも同じです…。王修、あんたよくやったよ…。
劉温「とは言っても袁一族の中には皇帝名乗った痛い子が居るアル」
それを言ったら孫権さん、曹操さん、劉備さんだって同じですよ。
劉温「その時は漢王朝の皇帝が禅譲したから大丈夫ネ」
ま、まぁね…。因みに禅譲とはなんでしょうか?
劉温「皇帝が血縁者以外に皇帝の座を譲る事アル」
へぇ…。
それではこの辺で。では!
劉温「バイバイネ」




