ブルーサイダー。
築三年の小さなアパートの一階、日当たりの良い猫の額ほどの庭が付いている。プランターを並べて季節ごとに花を植えて、狭いなりに色々と工夫して楽しんでいる。
今日もキッチンの流しから引いたホースで水やりをして、虹をつくったりしながらにわかガーデニングに勤しんでいた。
縁側には付き合って二年半の彼女、咲〈サキ〉がいて、薄水色のワンピースをふんわりと纏って裸足の足をぶらぶらとさせながら、夏雲のうかぶ空を眺めて鼻歌をうたっている。
アパートの庭から見える街路樹にたくさんの蝉がいて、今が盛りと大合唱だ。
「あっついね! 喉かわかない?」
咲はそう言って、僕の返事を待つ様子もなく奥に引っ込んだ。
「暑いねえ」
サンダル履きの足に水をかけたら、ひんやりとして気持ちよかった。思わず気分が乗って、ホースを持ったまま体をぐるりと一回転させる。放射状になった水はぱらぱらと広がり、庭に大きな水玉の円を描いた。
「ちょっとー、洗濯物にかけないでよ」
「かかってない、かかってない」
咲はペットボトルのミネラルウォーターを、両手に一本ずつ持っている。片方を僕に差し出して、またさっきと同じように縁側に座って足をぶらぶらとさせ始めた。
ペットボトルの蓋を捻ると、ぷしゅっ、と空気が漏れる音がする。水の底の小さな気泡が、つるつると上がってきて弾けた。
「あ、水止めてくれる?」
「おっけ」
咲は返事をするやいなや立ち上がってキッチンに向かう。きゅっ、きゅっ、と高い音が聞こえて、ホースの先から流れる水は勢いを失って止まった。
「湊〈ミナト〉って本当に花が好きねえ。何の花かわかんないけど、綺麗」
「僕もねえ、何の花だかわかんない」
咲の隣に座って、サンダルを脱いだ。水で湿った足の裏に、ひんやりとした風が貼り付いた。
僕は花の苗を買う時、いっさいその名前を見ない。ただ、その季節ごとに並んでいる苗を、色ごとに手当たり次第買ってくるのだ。そういうのが、いい。
花に名前は必要なのかもしれないけれど、僕に花の名前は必要ない。
「なあにそれ。ま、綺麗だからいっかあ」
「だよねー」
くすくすと笑う咲に、大きな口を開けて笑ってみせる。咲は僕の顔をみて、また笑った。
僕はこんな平和な、幸せな時間が大好きだ。
「ねえ、子どもの頃にね」
「うん」
咲はふいに何かを思い出したようにそう言って、空を見上げる。
「こんなふうに、縁側に座って、風にはためく洗濯物を眺めてたの」
「うん、素敵だね」
「そう、素敵なの」
縁側に座って、風を孕んでぱたぱたと揺れる洗濯物をぼんやりと眺めるちいさな咲。その頃の咲の事は知らないけれど、折れそうなほど細い脚と、今よりずっと小さなワンピースが目に浮かんだ。
「それでね、それは多分おばあちゃんの家だったと思うんだけど」
「へえ、おばあちゃんちって、どこだったの?」
「うーん、よく覚えてないんだけど、鎌倉あたりだった気がするの」
「鎌倉。いいとこだねえ」
「いいとこなのよ」
鎌倉の海が、目の前に広がった気がする。空をうつす狭い入り江と、波音。電車と、緑の山々。いいなあ、と心のなかで呟いた。
「で、おばあちゃんがね、私に、よーく冷えたサイダーをくれたの」
「へえ、サイダー。ラムネじゃないんだ」
「ううん、あれはサイダーよ。だって、ビー玉なかったし」
ビー玉のないラムネもどこかにあるんじゃないかと思ったけれど、黙っていた。こういうとき咲は僕が何と言おうと、自分の主張を押し通す。そして僕はこうやって自分の言葉を飲み込む自分が嫌いじゃない。
「ブルーサイダーっていう名前、書いてたの。こう、和紙みたいなシールでね」
「ブルーサイダー。なんか戦隊ものみたいだね」
「青かったのよ、サイダーが」
そんなばかな。サイダーというのは無色透明なはずじゃなかったか。さすがに思ったことが顔に出ていたらしく、咲は複雑な顔を見せる。えへへ、と笑って見せても、咲は俯いたままだった。
「でね、それが、私にとって、なんていうか、夏の味だったのよ」
「夏の味」
そう言われて脳裏に浮かんだ世界は、水で薄められた青い世界だった。その向こうで真夏の太陽と入道雲がゆらゆらと揺れて、まあるい気泡が下から上へと浮かんでは滑って弾け、ぷちん、ぷちんと音をたてる。
「なんかいいなあ、それ」
「ブルーサイダー。うっわ、今ものすごく、ブルーサイダー飲みたい!」
「今ぁ? どこ売ってんの」
「知らないよぉ」
咲は眉をハの字にして、だだをこねるように足をばたばたとさせる。
「うーん、ネットで見てみる? 見つかったら注文してみようか」
「見てみる! 今すぐ飲みたいんだけど、我慢したほうが美味しいかもね」
「そうそう。我慢がいちばんおいしい調味料だよー」
縁側から畳敷きの和室に入って、小さなちゃぶ台に乗せたノートパソコンをひらく。
「ブルーサイダーって、正確な名前?」
「わかんないわよぅ。こーんな、ちっちゃい頃だもん」
こーんな、と言いながら咲が僕に見せたのは、三センチくらいの指の隙間だった。
「そんな小さいわけないでしょ。あ、立ち上がった。ええと、ブルーサイダー」
検索窓にキイワードを打ち込むと、いちばん上にブルーサイダーの商品紹介が出てきた。
「うわ、あるし!」
「そう! これよ、これ! こんなあっさり見つかると思わなかったあ!」
「ネットってすごいねえ!」
「すごいよねえ!」
咲の言っていた通り、濃い青の瓶に、和紙を模したラベル。手書きに見える書体で『ブルーサイダー』と書かれてあった。
「ポチるよー」
「ポチってー! 十本ね!」
「そんなに? はいポチった! 仰せのとおり、十本!」
冷蔵庫に青い瓶が重なって置いてあるのを想像して、何だかわくわくしてきた。咲の言うことが本当なら、青い液体のサイダー。青い瓶に入った青いサイダーって、なんかすごく悪趣味な気もするけど。
「どのくらいで届くって?」
「えっとね、都内は……一週間かかるんだってさ」
「えええ、一週間! うわあ、はげるかも」
ようやく今年になって耳にかかるようになった長い前髪をかき上げて、咲はおどけてみせる。最近よくふたりで散歩に出かけるから、日に焼けてしまった鼻の頭の皮がすこし剥けて、風にそよそよと揺れた。
一日目は、さすがに何のリアクションもなく過ぎた。
二日目は、ひとこと、楽しみだねえ、と呟いた。
三日目は、ポストを覗いて、見なかったことにした。
四日目は、ポストを開けて閉めてを二度繰り返した。
五日目は、仕事を先に終えて家に帰っていた僕の携帯に、まだ来てないのかと電話があった。
六日目、家に帰るなり咲はふくれっ面で畳の目を数えた。
「一週間ってぇ」
「一週間は七日。全世界、そこは共通だよ」
「わかってるけどお」
「あと一日じゃない。とりあえず、飯食お?」
ぶうぶう言って憚らない咲を引っ張って、ちゃぶ台に並べた夕食を食べた。
今日の料理当番は僕で、献立は咲が考える番だった。朝家を出る時になにが食べたいのか聞いたら、心ここにあらず、といった具合で咲は「なんでもいいよお」と答えた。あんなんで、仕事になったんだろうか。
「どうして素麺じゃないのお」
咲はちゃぶ台の上の豆ごはんを見るなりそう言って顔をしかめる。なんでもいいって言っといて必ず文句を言うのはまあ、癖のようなものだと思っている。
「ごめんね。素麺売り切れてた。豆がおいしそうだったからさ。ね、いい香りでしょ」
「ふうん、素麺って売り切れることあるんだ。うーん、いい匂い。まあいいか」
果たしてこの季節に山ほどスーパーにストックしているであろう素麺が売り切れることなんてあるのかどうかは謎だけれど、このピンチは切り抜けた。万一咲の嫌いなものを出していたとしたら、どうあがいても食べては貰えない。
「咲の好きな食べ物は、豆ご飯と、素麺と、からあげと、ええと……」
「納豆! あと、煮魚かなあ」
「そう来ると思って、カレイの煮付けをご用意致しましたあ!」
「うわああ! 湊、大好きー!」
良かった、今日はたまたまカレイがタイムセールになっていて安かったんだ。自分じゃ作らないくせに、ひと月にいっぺんは煮魚を作らされる。まあ、僕も嫌いじゃないんだけど。
咲は満面の笑みで、僕に両手を広げてみせる。僕は咲にくっついて、力いっぱい抱きしめた。僕だって咲が大好きだ。
「ごちそうさまでしたー! おいしかったあ! 湊、天才!」
「まじで? 僕、料理研究家になっちゃおうか」
「いいんじゃない? そんでテレビとか出まくっちゃって、きゃあきゃあ言われちゃうの!」
「アイドルじゃないんだから、きゃあきゃあはないよ」
一瞬、ステージの上でぎらぎらの衣装を着て踊りながら料理をする自分の姿が脳裏をよぎったけれど、ありえないシチュエーションすぎてなんだか笑えもしなかった。
「わかってるわよう。言ってみただけでしょ」
咲はそう言って唇を尖らせてみせた。尖ったその先にさりげなく唇を重ねたら、咲は幸せそうに笑った。可愛くて、とろけそうだ。
翌日休日出勤を終えて部屋に帰ると、咲が玄関の小上がりで膝を抱えて眠っていた。なんでこんなところで。
和室に布団を敷いてから、そっと抱きかかえて運んだ。咲は寝言で「サイダー……」と呟いた。
なんでそんなに楽しみにしているんだろう。咲の中で、どれほどそのサイダーが大事だって言うんだろう。
夕方になって目を覚ましてきた咲は、庭先で雑草を取っていた僕に、涙目で訴えた。
「こないの!!」
何ということだ。これは、ご近所の方がきいたら誤解しかねない。僕がモラルのない奴だと思われてしまうじゃないか。いや、別に僕がそう思われたからって痛くも痒くもないといえばないけれど。
「ちょ、咲。こないって、サイダーだろ?」
「サイダーよ! 今日届くはずでしょ! なんでこないのよお!」
咲は半泣きになって、干してあるシーツをぐいぐいと引っ張った。もう乾いてるから取り込もうかと思っていたんだけど手間が省けた。
「咲、はい、シーツこっちもってきてー」
「んもおお! ばかっ!」
「ついでに畳んじゃおうか。はい、そっち持って」
「サイダーあああ!」
日が沈んで、辺りはすっかり闇に包まれてしまった。それでもサイダーはやってくる気配がない。
「今頃どこほっつき歩いてるんだろう」
「家出娘か。宅配便の車の中でしょ、どっちかっていうと」
「夢がないなあ、湊は」
縁側を開け放って、綿毛布に包まる咲。なんで縁側に居るかっていうと、宅配便の車は縁側の方から見える道路に駐車してやってくるからだ。他にスペースはない。
蚊が入ってくるよ、と言ってみても、風邪ひくよ、と言ってみても、聞きゃあしない。
「ねえ、聞いてもいいかな」
「なによう」
どういう経緯か僕の膝を枕にしてふてくされている咲を覗きこむと、咲は綿毛布のなかに顔を埋めて返事をした。くぐもった声は、だいぶ眠そうだ。
「そんなにサイダー飲みたいの?」
「サイダーが飲みたいって言うんじゃなくて」
「うん」
「思い出せないのよ」
「うん?」
咲は毛布に埋もれたまま、少しずつ下がってしまっていた体をぐいぐいと僕の方に押し付けてずり上がる。ずれた毛布をまた頭にかぶせてやったら、すん、と鼻をすする音がした。
「私、おばあちゃんのこと、全然覚えてないの」
「ふうん。小さかったからじゃないの?」
「多分そうなんだろうけど、写真もないし、顔も、声も、全然覚えてなくて」
咲の家は、咲が二十歳の時に火事にあって全焼してしまった。
幸い怪我人はなかったそうだけれど、大事にしていた思い出が何もかも灰になってしまった。おばあさんは咲が小さい頃に既に亡くなってしまっていたそうだけど、倉庫の奥深くにやってしまっていたアルバムは、咲がものごごろついた頃から開かれることはなかったそうだ。
「そっか。サイダーが、唯一のおばあちゃんとの思い出なわけだ」
「うん……。あとね、しわしわの手。こう、皮が波打っててね、シミがたくさんあるの」
「うん、うん」
「でもそれだけしか覚えてなくて、私、おばあちゃんのこと好きだったのか嫌いだったのかも、わかんなくて」
「おばあちゃんって、たいていの孫は好きだよね」
僕の祖母は僕が小学校の時に他界した。気風の良い江戸っ子で、粋なことを好んだ。僕はそんなおばあちゃんがかっこいいと思っていたし、大好きだった。
「だからそれを、思い出したいの」
「そっかあ。うん、納得したよ」
「嫌いだったら、黙って飲む」
「え」
「好きだったら、大笑いしながら飲む」
「大笑いって。吹き出しちゃうでしょ」
咲は毛布の中で、すやすやと寝息をたて始めた。僕もいつの間にかそこで眠ってしまって、翌日は朝から体中が蚊に食われて痒かった。
「宅配便でーす」
今日は昼からの出勤だった僕は部屋にいた。咲は後ろ髪を引かれながらしぶしぶ仕事に出て、やっぱりポストを覗きこんでから、出ていった。
昨日の残りの豆ご飯をかきこんでいた僕は、足がもつれそうになりながらハンコを用意して、玄関に走った。
玄関では小振りのダンボールを抱えた宅配業者のお兄さんが待っていた。
「割れ物らしいんで、運ぶ時気をつけてくださいね」
「了解です。ご苦労様です」
ハンコを捺して、ダンボールを恐る恐る受け取った。この中に、咲の思いが詰まっている。
ダンボールをちゃぶ台の上に置いて、そろそろと開ける。濃いブルーの瓶を二本だけ取り出して、冷蔵庫に仕舞った。
咲にメールを送る。サイダー届きました。二本だけ冷やしておきます。
会社についてあれこれと指示を受けた後、喫煙所で携帯を開くと咲からの返事が来ていた。仕事終わったら速攻帰ります。一緒に飲もうね。
僕がようやく仕事を終えて帰ったのは、夜も九時をまわる頃だった。咲が帰ってきたのはそれから更に一時間後で、くたくたになった咲はコンビニ弁当の入った袋を提げていた。
「今日のメインはサイダーだから、ごはんはどうでもいいのよ」
「お疲れ様。メインじゃなくても、デザートっていうカテゴリもなくはないんだよ」
楽しみは後にとっておこう、と、ご飯のあと交代でお風呂に入ってから、縁側でスタンバイした。
ふたりの間には、濃いブルーの瓶が二本、ちんまりと鎮座している。小さな気泡がたくさんくっついては、雨のように上に向かって降ってゆく。ひっきりなしにうまれる泡たちをじっと見ていると、ずんずん瞼が重くなっていくのを感じて必死で目をこじ開けた。
「では、参りましょう」
「はい、いざ」
ふたり同時に瓶を手に取り、まずは咲から栓抜きを使って蓋を開けた。僕も続いて、ぽん、と小気味のいい音を響かせて開けた。
「お、いい音」
「いい音だねえ」
咲はふにゃりと笑って、じゃあいくよ、と、瓶に口をつけた。僕もそれに倣った。果物のような甘い香りが鼻腔を擽って、小さな炭酸の粒がぱちばちと弾けて唇をつつく。
一口飲んだ咲は目を閉じて、口をすぼめた。
「すっぱ!」
「いや、酸っぱいって言うより、痛いねこれ」
よく冷えたブルーサイダーは、炭酸が強かった。喉越しが痛くて、次を口に含むのを躊躇うほどだ。思ったより甘くはない。それより、色だ。
「僕コップ持ってくる」
「そうだった、色」
ちゃぶ台の上に置きっぱなしだった僕のコップの中身を庭に捨てて、サイダーを注いだ。
「きれいな、透明だねえ」
「あっれー、おっかしいなあ。絶対青だと思ってたのに!」
「記憶って面白いよねえ。望んだ形に近づいて残るんだよ」
「ファンタジーだわ」
「ファンタジーだねえ」
ブルーサイダーは青でなく、綺麗な透明の液体だった。僕の中の「夏の色」は瞬く間に更新されて、透明な色に上書きされてゆく。真夏の太陽は容赦なく照りつけて、僕も咲も真っ黒に日焼けしてしまう。
「で、わかった? おばあちゃんのこと」
「うーん、まだわかんないなあ。あと二・三本飲んだらわかるかも」
「そんなもんかなあ」
「うーん、どんなもんかなあ」
翌日また同じように縁側でサイダーで晩酌をしていたら、咲はなにを思ったか、コップに注いだサイダーにコーヒーのシロップを足していた。
「虫歯になるよ」
「ああ、いや、だってね、おばあちゃん、多分こうやってたの」
「思い出したの?」
「なんかね、ほら、昔の人って甘いものが貴重だったじゃない?」
「うん、聞いたことある」
「だからおばあちゃんもこうやって、貴重な甘みを足して、くれてたの」
そう言って咲は、コップの中の甘くなったであろうサイダーを一口飲んで、顔をしかめた。
「甘すぎるんじゃないの」
「思い出した、これだ」
「え」
飲んでみて、と差し出されて、一口飲むと敵のように甘かった。何だこれは。アリでも集める気か。
「ものっすごく、甘かったのよ。ばかみたいに。だから私、おばあちゃんに、これいらないって言っちゃったんだ」
咲は目に涙をためて、甘い甘いサイダーをすする。
一生懸命甘くしてくれていたのに、こんなものいらない、飲めない、って突き返してしまった。おばあちゃんは寂しそうに笑って、しょうがないねえ、と、テーブルの上に置いた。後悔して、あとで残ったそれを飲んだら、炭酸は抜けて更に甘くなって、あまりにもまずかったけれど我慢して飲んだ。そう言って、咲は笑った。
「大好きだったんだあ、おばあちゃんのこと。こんなくそまずいもん、飲めるくらい」
「昔からいい子だったんだねえ、咲は。えらい、えらい」
「違うよお、ただおばあちゃんが好きだったんだよお」
咲は笑いながら泣いて、甘い甘いブルーサイダーを飲み干した。
「おばあちゃんは咲のこと大好きだったんだね」
「うん。私、愛されてた自信ある。なにしても怒られなかったもん」
「なにしても、って。なにしたの」
「いやあねえ湊は。悪いことした訳じゃないよお」
空には満天の星空はないけれど、きれいな月がぽっかりと浮かんでいた。
「次の週末、ブルーサイダーとシロップ持っておばあちゃんのお墓参り行こうか」
「え? 湊が?」
「うん、僕と咲とふたりで。咲を、僕に任せてください、って」
鎌倉の海が見渡せる丘でおばあちゃんとブルーサイダーで乾杯して、夕暮れの海でプロポーズなんてのもいいかもしれない。そんで江ノ電乗って、たこせんべい食べて、そのまま咲の実家に寄ってお義父さんに挨拶しよう。
「湊、本気?」
「僕はずっと前から本気だけど、咲は?」
「そりゃ、湊がいいなら……やべ、泣けてきたわ」
「さっきから泣いてるし」
鎌倉の海はブルーサイダーみたいに透明なんだろうか。それとも、咲の夢のサイダーみたいに、青かったらいいのに。
「あとで改めて言うけど、僕と結婚してください」
「……じゃああとで改めて返事するけど、喜んで」
ふたり同時に濃いブルーの瓶を持って、かちん、と合わせた。
中にのこった小さな気泡が、ぱちぱちと拍手をするように弾けて飛んだ。
終