Future is dead
某掲示板でお題「書き始め「なんで俺は死ぬことが出来ない」(少し変えても可)」で書いたものです。
「なんで私は死ぬことが出来ない」
と、言いながら死んでみた。
ら、案外死なないんじゃないかと思ってたのだけど、やっぱり死んだ。そういう融通は効かないらしい、この世界。
というわけで、天国。あるいは地獄だろうか。
「死後の世界、か。ふむ、ある意味では確かに私は、死ぬことが出来なかったと言えるのかもしれない」
そんな風に一人で納得していたところに人の気配があった。隠れる場所も思いつかなかったし気力も湧かなかったので寝たふりをする。
薄目を開けて気付かれぬように観察すると、それは女性だった。この世のものとは思えぬほど美しい、天使、白衣を着た天使だった。
天使はなにやらごそごそと作業した後、そそくさと消えた。一体なんだったのだろうか。
私はあたりを窺い誰も居ないことを確認すると起き上がる。どこもかしこも白い、白い部屋だ。どうやら何らかの建物の中らしい。外に出るにはどうすればよいのだろう? そう思いながら窓の外の景色を眺める。
まず目を引いたのは大きく広がった青空。周囲に建物が少なく、また低いため青空がよく見えるのだ。木々があちこちに見受けられ自然豊か。古臭い建物ばかりだがこれはこれで風情がある。なるほど、やはりいいものだな死後の世界というのは。
目に入る建物、人々の衣服など何もかもが映像でしか見たことがないような大昔の代物だったが、流石にこんなところにも車はあるようで、のろのろと遅いスピードでこれまたかなり旧式の車ばかりが走っていた。
ふむ、死後の世界は幾分大昔風味の世界らしい。まぁ私の趣味には合致しないでもない。満足だ。
部屋を出てしばらく歩いていると、もう人目は気にならなくなった。誰も私に注意を向けなどしない。ここはやけに老人が多いようだが、まぁ死後の世界なのだから当然か。
それにしても、死んでもなお建物などという狭っ苦しい檻に閉じ込められているのは気に食わない。息がつまりそうだ。一刻も早くこの建物から出たい。建物から出たい欲求が異常なほど私を責め立てる。これは死者特有の本能かなにかだろうか?
しかしそうは言っても勝手知らぬ異郷の地である。構造もなんだか入り組んでいて今自分が出口に近付いているのか遠ざかっているのかさえよく分からなかった。私はひたすらでたらめに扉をくぐったり曲がったり昇ったり降りたりを繰り返した。
途中で、なんとも忌まわしい感じのする扉に出会った。そこだけ何故か、窓を隔てた部屋部屋に老人ではなく赤ん坊ばかりが置かれていた。酷く不気味な感じを受けたので私もその時だけはすごすごと引き返した。
それからまたしばらく歩き、ある扉をくぐると急に人の密度が増えだした。私は更なる圧迫感にうんざりするが、しかしこれは良い傾向かもしれない。大抵の場合出入り口近くというのは人通りが多くなるものだ、という文章をどこかで見た気がする。
至るところに人が列を作っている。「次の方〜」と女性の声に呼ばれては一人また一人とそれぞれの列の行きつく扉の向こうに消えてゆく。さてはあのそれぞれの扉の向こうに噂に名高い閻魔大王がいるのだろう。閻魔大王が複数人いるという話は聞いたことが無かったが、確かにこれだけの人数の死者を一人で処理するというのは無理がある。死後の世界の意外な現実性、合理主義に少しばかりの親しみを覚えた。
さて、そんなことはともかく私は出なければならないぞ。私が地獄行きか天国行きか興味が無いわけではないが、こんな息の詰まる建物であんなに長いこと順番待ちするのは御免だ。私は一刻も早く外へ出なければならない。
ふと、聴きなれない音を聞いた。よく聞くとそれは不規則ながら何度も何度も聞こえた。ようやく音の発生源を突き止めそちらを見ると果たして、人が出入りする扉があった。透明な扉で、その先にはどうやら外の世界が良くは見えないが広がっている。私は意気揚々と扉へと近付いた。
しかしそこで問題があった。扉が開かないのだ。他の人間が近付くと扉は自動的に開くのに、私にはなぜか反応しない。一体どういうことだ。あ、まさか――。
まさか閻魔大王の審判を受けたものにしか反応を示してくれない扉なのか。確かに、そうかもしれない。閻魔大王の審判を受ける前に外に出たがる慌て者など私くらいだろう。なるほど、どことなく古めかしくはあってもそこは閻魔大王の居城、セキュリティは万全というわけだ。
となると、どうしようか。大人しく閻魔大王の判決を聞きに行くべきだろうか? いや、しかし、いくつかある待合場所の一体どこで待てばよいのか私には分からないぞ。それにいざ聞くとなると判決自体もちょっとだけ怖く感じ始めてきた。そしてなにより、やはり私は早く出たい。
そういうわけで、私は自動ドアの傍にじっと佇んだ。依然ドアは反応してくれないが、なあに心配はご無用だ。今度出入りする人間があったらすかさず一緒に通ってやる。子供が笑いながら走って自動ドアに近付いてきた。開くドア。それっ今だ。私は開いたドアへ駈け出した。
ところが、ドアの近くまで来たところで私の身体は動かなくなった。まるで、身体がこの建物から出ることを嫌がっているかのようだった。もはや霊体でしかない私のそれを身体と呼ぶのも変な話ではあるが。とはいえ自らの意思に反する自分を身体以外の何と呼べばよいのだろうか?
そして事態はそれだけにとどまらなかった。つまり、止まってしまった身体は再び動き出した、ドアから遠ざかる方向に。
私はこんなにもこの建物から出たがっているのに、私の身体はといえばどんどん建物の深淵へ潜って行く。一体これは何がどうしたのだろうと、そういう正常な疑問を持てたのさえ最初の方だけだった。ゆっくりゆっくり、眠気のような不穏な香り漂う気配に私の精神はふわふわと惑わされ始め、意志に反して動く身体に徐々に納得させられていった。
納得させられた今では、この身体が、私の意志がどこへ向かっているのか分かる。あの扉だ。あの扉だ。
赤ん坊に囲まれたあの忌まわしげな扉が再び私の眼前に現れた。もはや幾ばくも猶予は無い、私の身体は一切立ち止まったりせずに実に滑らかにドアをくぐった。
更にいくつかの扉をくぐり、辿り着いた先は阿鼻叫喚の部屋だった。
足を広げた女が大声を上げている。その顔は痛みに酷く歪み、脂汗を拭く余裕さえなさそうだ。周囲には目以外の全てを白い衣服で覆い隠した男や女が女の身体を弄ったり女に声を掛けたりしている。目を覆いたくなるような阿鼻叫喚の情景だったが、そこには不思議な神秘性、美しさがあり、泣き叫ぶ女やそれを囲む男女には奇妙な、団結とさえ呼べる一体感があった。
そうしている間にも私は泣き叫ぶ女へと刻一刻と近づく。もうすこしも身体の自由は効かない。はじめからこの世には身体の自由など無く、私のこの視点は身体という不随意の乗り物にただ乗せられているだけの観客という感じさえした。
女に更に近づき、その広げられた股から子宮へ吸い込まれる瞬間、この見慣れぬ建物が「病院」というものだったということを思い出した。幼いころ――100年以上前だ――私が赤ん坊だったその時代には医療やその他の技術の未発達ゆえに、確かにそういう施設が存在したのだ。
私は母親の子宮で蹲るように丸まりながら思った。
「ああ、私は死ぬことが出来ないのだな」
と。