第一話 旅立ち
――五年後、クロト国。
クロト国の西側、城壁に近い所に位置する森の中。
そこに一軒のシンプルな木造の家があった。
家の屋根から突き出した一本の煙突からは煙が立ち上り、人が居ることを示していた。
家のドアが開き、中から背の高い女性が現れた。
濃い緑色の背中まである長い髪に、薄いエメラルドグリーンの瞳。
黄緑色のシックなドレスを着ている。
「そろそろかしら……」
落ち着いたトーンの声。
女性は辺りの森に何かを捜すように目をやった。
すると、正面から強く地面を蹴って走る音が聞こえてきた。
しばらく見ていると、黒いローブを着た紫色の髪の少年が見えた。
女性の前で止まると息を整えて顔をあげた。
額に汗をかいているが全体的には整った顔立ち。
首筋まである綺麗に梳かれた紫の髪に大きな藍色の瞳。
「お帰り、ジェイド」
ジェイドと呼ばれた少年は懐から巾着と封筒を取り出し女性に渡した。
「これ、王城から」
女性はジェイドの頭をすぱんと平手で叩いた。
ジェイドは首を竦めて上目使いに見た。
「……痛い」
「お帰りと言ったら、返事をする!あんたもう十五でしょ?」
「年は関係無いと思うけど。十五ってのも多分だし」
女性は自分の胸辺りの高さにある頭にゲンコツを落とした。
今度はかなり痛かったらしく、ジェイドはその場にしゃがみ込み頭を押さえた。
ジェイドがしゃがみ込む寸前に女性は巾着と封筒を彼の手から抜き取った。
「痛いって」
「口ごたえばかりしてると、いつまでたっても半人前のままだから」
小言を言いながら女性は封筒の封を破き中身を取り出す。
封筒には重々しい字で『シオナ・ラスティアラ殿』と綴られている。
封筒の中には三つ折りにされた手紙が二枚。
一枚目にざっと目を通して二枚目を見る。
二枚目には『定住継続届および弟子の近況』と記されていた。
「あー……弟子の近況か。ジェイド、どうしてほしい?一人前になって旅に出ましたか、未だ半人前で修行を継続中か」
「シオナ師匠、前者でお願いします」
しゃがみ込んだまま頭の上で両手で拝んでいる。
シオナと呼ばれた女性は手紙を封筒に仕舞い込み拝んでいるジェイドの手に挟んだ。
「どうしようか。……まあ、五年経っても師匠のもとに居るってのはあたしらの常識では遅いね」
「魔法使いの常識なんか教えられてないけど」
シオナは巾着の中身を確認しジェイドを無視して家の中に入っていった。
家の中には大きな木製の丸テーブルと椅子が四つ。
テーブルには湯気の立つポットとカップが二つ、かごに入った林檎、そして銀の砂が入った砂時計。
小さくないキッチンがあり、色とりどりの液体が入った小瓶が置かれている。
一つしかない窓には藍色のカーテン、模様である小さな星屑はそれが揺れる度に煌びやかに飛び回る。
部屋の奥にはドアがあり、今は閉じられている。
暖炉には仄かに火が灯り、小さな鍋が置かれていた。
シオナは椅子に腰を下ろしカップに紅茶を注いでいった。
ジェイドはキッチンから小さな白い容器を持ってくる。
「師匠、魔法使いって言っても俺何の魔法も教わってない」
椅子に座り、持ってきた容器から角砂糖をつまみカップに入れながら尋ねる。
「まだ誰もお前を魔法使いだとは言ってないけれど。……まあ、確かに教えてないね」
シオナは優雅に紅茶を飲み、のんびりと答える。
「……さっきは五年も半人前は非常識だって言ったじゃないか」
「非常識だなんて言ってないよ。お前には過去がないから、教えられないのさ。……何年か前、あたしの書庫に侵入して勝手に書物を漁ったろう?あの時、お前は何一つ覚えられなかったはずだよ」
ジェイドは身を竦めて後ろめたそうに俯いた。
その顔は反省しているというより、何か別の事に悲しんでいるようだった。
「お前には“少女との約束”以外の記憶が無いのだろう?それもおかしな話だがね。魔法は記憶という過去の積み立てが無ければ操れないのだよ。魔法使いならば、誕生の瞬間から魔法を感じ、それがどのようなものなのかを自身の身体で知る。その過程なくして魔法を使えば必ず暴走する」
シオナは椅子に座ったまま右手で中空に軽く弧を描いた。
するとシオナのカップから紅茶がふわりと浮かびあがってきた。
シオナは人差指で楽しそうに小さな円を描き続けている。
その動きに合わせて、中に浮く紅茶は怠慢に動く。
「まあ、お前の髪と瞳の色は魔法使いしかあり得ないからお前が魔法使いであるという事は確かだろう。こっちの世界じゃ目立ってしょうがない」
シオナは人差指をゆっくりカップに向けていく。
紅茶はそれに合わせてゆっくりカップへ戻った。
その人差指を今度はジェイドの右目へ向け、バツ印を描いた。
すると、ジェイドの右目は藍色から紅へ変化した。
「オッド・アイ……。魔力が高い証だが、どうしてお前は魔法が使えないんだろうね?」
「師匠の教え方じゃないですか。この前ちょろまかした書物の魔法は使えたし」
シオナは平手でジェイドの頭を引っ叩いた。
「いって……」
「あたしの教えが悪いって?全く、敬語使えば許してもらえるとでも思ってるのか。で、何の魔法?」
「……色を変えるのと、移動魔法」
シオナはジェイドを、実演してみろと言いたげな顔で見た。
ジェイドは少し強張った表情で左手を自分の右目に翳した。
ゆっくりと斜めに動く手に連動して、ジェイドの右目は紅から藍色へ変わっていく。
「へえ、自分でできるようになったのか。長時間は無理みたいだが……うん、いいよ」
シオナはジェイドがかけた魔法の上にさらに補強として自身の魔法をかけた。
ジェイドは何がいいのかわからず首を捻っている。
「何だ、理解力不足だな。お前は旅がしたいんだろう?まだまだ不安だから、とりあえず隣国までなら許してあげるよ。いつまでもこの国にいたんじゃ、情報も集められないだろうしね」
シオナはにこっと微笑み、ジェイドの髪を撫でた。
「本当に?……隣国までじゃ旅とは言えないけど」
「確かに旅とは言えないね。でも未熟なまま遠くに行かれたら困る。もし、他の国へ行かなければいけなくなったら、ここへおいで」
ジェイドは嬉しそうに大きく頷いた。
それを満足そうに見つめて、シオナは右手の人差指で色々な物を指差していく。
奥のドアが勢いよく開き、お金が入っているのだろう巾着や数冊の薄い魔法書などが次々と飛んできて、いつの間にかテーブルの上に置かれていた小さな荷袋に入っていく。
途中、巾着だけは荷袋に入る前にシオナが止めた。
最後に一丁の小銃が入った黒いガンベルトがテーブルの上にごとんと落ちた。
「攻撃魔法を使えないからね、これは護身用だよ。本気でやばいと思ったら抜くんだ。それから、あたしのラストネーム、ラスティアラをお前に贈ろう」
ジェイドは慎重に手にとってローブで隠れる様に腰に装着した。
椅子から立ち上がり、荷袋を肩に担いで外へ出た。
シオナも一緒に外へ出る。
「ジェイド!」
シオナは外で待っていたジェイドにそれを放った。
ジェイドが両手で受け取ったのは彼の身長より幾分長い、円形の先端の間に翡翠の玉がついた銀色の杖。
「持って行きなさい。お前の魔法を補助してくれる」
ジェイドは杖を左手で持って嬉しそうに先端を見上げる。
「ありがとう!行って来る!」
緊張した声でそう言って、森へ駆けて行った。
シオナは微笑ましげにその姿を見つめていた。
長くなってしまいました……。
遅い更新ですが、これから見守って下さると嬉しいです。