02:朗報 or 悲報
蒼の騎士団の拠点である菫青宮は、他の騎士団とは違って煌びやかで無駄に凝っている装飾が印象的だが、決して悪目立ちすることのない品のある空間を作り出している。そういった趣向へ隊舎内を変えた相手とこれから対面するのだと思うと、サシャの口から出るのは溜め息ばかりだ。
すれ違う男性たちから向けられる視線は嫌悪と好奇の二つ。評判の悪い薔薇乙女騎士団の団員が王宮騎士団の敷地に入ればいつもこうなる。だがいつものことだからといっても、サシャたちにとっては気分が良いものではない。じっと睨めつけてきた相手に睨み返した彼女はやっとの思いで辿りついた執務室の前で一呼吸し、少し力のこもった拳を二度扉へぶつけた。
「薔薇乙女騎士団より参りました。サシャ・ヴァルチェピーナです」
「入れ」
久しぶりに聞いた声は相変わらず凛としており、それでいて自然と背筋が伸びるような緊張感がある。サシャは失礼します、と断りを入れて扉を開けた。
「遅い」
入室直後の一言がそれか、と顔を顰めたくなるのを堪えながらサシャは無言のまま彼の座るソファの対面へと移動する。そして遠慮なくそこへ腰かけてようやく閉ざしていた口を開いた。
「ひとの仮眠邪魔しておいて、遅いはないでしょう。そもそも貴方から呼び出されるようなことをした覚えがありませんが、いったいどういったご用件でしょうか?」
さっさと済ませろと言わんばかりの応戦に、青年はくっと笑って眺めていた書類を卓上へと置くと「悪かったな」とサシャへと謝罪と視線をくれた。
直視不可と囁かれる美貌の持ち主を前にして、サシャは「ほんっとむかつくけど顔だけはいいんだよなぁ、この人」としみじみ思う。少し癖のある金髪に吊り目の碧眼、一種の美術品のような素晴らしい顔面偏差値だ。御令嬢方だけではなく女官や庶民にまで爆発的な人気を誇る蒼の騎士団第一部隊隊長、エドゥアルド・ウィンザー・ストラスクライド。その当人を目前にして平然でいられるサシャの感性は決して鈍っていない、ただ単に彼女は興味を示さないだけである。
「時間がとれることなら非番の時にでも訪問すればいいんだろうが、生憎それが叶いそうにもなくてな。私事ではあるが呼び出すしかなかったんだ」
「公的な話ではないんですね…。それは少し安心しました」
「俺が仕事でおまえを呼び出すことなんてまずないだろ」
一安心だと息をつくサシャに、エドゥアルドは苦笑にも似た笑みを見せる。滅多に笑うことのないと評判の相手だが、彼女の前では表情豊かなのだから不思議なものだ。
「でも私事となりましても、そんなに急を要することですか?」
「そこまででもないとは思うが、ヴァルチェピーナ伯にとっては重要なんじゃないか。娘の婚約話がくるだなんて思わないだろう」
「………こんやく?」
つい先ほど聞いたような単語を耳に、サシャは小首を傾げる。ヴァルチェピーナ伯、つまりサシャの父親だが、その娘といえば彼女とその妹であるメリッサだ。二人とも結婚適齢期であるため、申し込みがくることは決しておかしい話ではない。
「我が家伝いに、是非にと申し込まれてな。このチャンスを逃してはならないと母から伯爵に連絡がいったそうで、伯爵は泣いて喜んだそうだぞ」
彼の母であるストラスクライド公爵夫人と、ヴァルチェピーナ伯爵夫人は密かな学友であった。密かな、というのは二人の身分差が大きかった為だ。当時は今と違い政治面が強く学園生活にも影響を及ぼし、家格による格差社会であったがゆえ上位の者による下位の者への嫌がらせが絶えず行われていた。そんな中で培われた二人の友情は嫁いだ後も交流が断たれることはなく、子が生まれてからもそれは変わらずにいる。
一年に一度はどちらかの邸宅に赴いて家族交流も行われるので、サシャからしてみれば幼少期から付き合いのあるエドゥアルドに対して淡い思いを抱くこともなく、親族のような親しみを覚えている。
「えっと…エドゥアルド様。ひとつ聞いても?」
「なんだ」
「それ、メリッサにきたお話ですよね?」
姉妹どちらかにきた縁談なのか口にしないエドゥアルドに、サシャは待ちきれずに希望を込めて訊ねる。メリッサは姉とは違い、活発ではあるものの器量がよく社交的で友人も多い。姉の目から見ても多少お転婆ではあるが可愛らしいといえる。
「何のためにこの俺が、おまえを呼び出したと思っているんだ。サシャ、おまえ宛てだ」
自身の名前を告げられた瞬間、サシャは一拍置いて深い溜め息をついた。
「…これが夢ならどんなに喜んだか」
「残念ながら現実だな」
「……それで、お相手はいったいどちら様ですか?」
こんな自分に婚約を申し込む相手の気が知りたい。むしろ素性からだ。いったいどういう考えに至ったら『性悪魔女集団』の隊長格であるサシャを選択する、ということができるのだろうか。考えるほどに相手に対して不信感しか抱けなくなった彼女に、エドゥアルドは優雅な仕草で紅茶に口付けると凛々しい声色で告げた。
「シャルトラン・セルベル。黒の騎士団の第二部隊隊長を務める男だ」
「セルベル………、あのセルベル家ですか?」
「そうだ。おまえも妙な相手に目をつけられたな」
「父は家名を聞いても特段なにも?」
「言っただろう、泣いて喜んでいたと。竜騎士に見初められるとはこの上なく誉れなことであるとな。夫人もようやく娘の魅力が分かる方が現れたと、両名とも今回の話には快諾しているようだ」
「…本当にこれ夢じゃないんですよね?」
「頬をつねってやってもいいぞ?」
未だ現実を受け止めきれないサシャに、呆れ顔で腕を組んで見せたエドゥアルドは「諦めるんだな」と目を眇めた。
「なに、悪い話じゃあない。双方にとっても良い縁になるだろう。セルベルもおまえも隊長を担う身だ、この婚約で薔薇乙女騎士団の印象を回復させることにもなる。そうなればおまえたちの活躍も少しは増えて評価もあがる。一石二鳥じゃないか」
「それ私でなくとも、既にマリアとヒュランダル副隊長の婚約で成り立つことでは?」
「あの二人の婚約は確かに王宮内の話題となっている。それに畳みかける形でおまえの婚約が続けば魔女に誑かされたという者も減るだろう」
「それは、そうかもしれませんが…」
悪評に耐性はあるし言われ慣れたとしても、傷つかないわけではない。騎士団の印象が良い方向へ変化してくれるのは、望ましく喜ばしいことだ。しかしエドゥアルドの言葉のまま、顔を合わせたこともまだない相手との婚約を現時点で軽々しく決定していいことではない。
「…見合いの席は、既に手配済みなのでしょうか」
「ああ。仲介人も兼ねている我が家で行うことになった。日取りだが、向こうの要望は一週間後でどうだろうかと。休みはとれるか」
「とらなければいけないのでしょう。だったら休暇申請を本日にでも提出します」
「すまないな」
「エド様に謝って頂くようなことではありませんよ。相手が竜騎士である以上、ご多忙なのは同じ騎士として存じております。私が日程を合わせることが最善でしょうから」
そうでしょう、と同意を促すように微笑んで見せれば、エドゥアルドは再度謝罪を口にする。そして気遣わしげな眼差しを向けてきたので、サシャはこてんと首を傾げる。
「エド様、どうかなさいましたか?」
「俺からの話は以上だが……。待たせたなマダム、入ってきていいぞ」
エドゥアルドが隣室へそう声を掛けたことにサシャは思わず扉へと視線を向けてしまう。かちゃり、と音がして開いた扉の先から姿を現したのは三十歳前後と見受けられる女性を筆頭とした複数人の女性たちだった。皆一様に髪を結いあげてまとめており、服装もお仕着せのワンピースに近いが、緻密に施された刺繍が華やかさを加えているようだった。
一番前に立つ新緑を思わせるような瞳の持ち主は、二人の傍までやってくると淑女の礼をとった。
「サシャ、こちらはマダム・フーリエ。我が公爵家の専属仕立て屋であるメゾン・ド・アンダストラのオーナーだ。マダム、こちらが今回依頼したいサシャ・ヴァルチェピーナ隊長だ」
「お初にお目にかかりますわ。イネス・フーリエと申します。お嬢様のお話は常々エドゥアルド様よりお伺いしておりました。今回ドレスを作らせていただけるなんてとても光栄ですわ!」
「…サシャ・ヴァルチェピーナです。あの、エド様……これは、どういうことでしょうか?」
困惑気味にマダムとエドゥアルドを交互に見やるサシャの顔はやや引き攣っている。それもそうなって当然といえること。メゾン・ド・アンダストラといえば王都の一等地にアトリエを構える高級仕立て店であり、ストラスクライド公爵家をはじめとするごく一部の顧客とだけ取引をしていることで有名だ。オーナーである彼女が顧客として気に入ってくれなければ、例え紹介があったとしてもオートクチュールを手に入れることはできないのだ。
そんな仕立て店のオーナーの気合いの入りようにどことなく察しはつくが、それでも訊ねずにはいられない。サシャの言葉にエドゥアルドは満面の笑みを浮かべたのだから、おそらく予想は的中してしまっている。
「お見合いの用のドレスを新調するために決まっているだろう」
「…いえ、公爵家専属の仕立て屋ですよね?」
「母上のお節介だ。サシャは娘みたいなものだから、と是非うちの仕立て屋で気合の入ったドレスを作らせましょうと伯爵に詰め寄ったらしい。で、マダムも快諾してくれたからこの場に呼んでいる」
はい、と返事をしてマダムは目を輝かせる。
「失礼を承知で言わせていただければ、ストラスクライドのお屋敷は男系であられますから…。女性もののドレスといえば奥方様に限られますゆえ、婚前のお嬢様のドレスを作らせて頂くことなど滅多にない機会でございます! お話を伺ったときから既にデザインは幾つも練り上げておりますし、生地や装飾品も各地から一級品を取り寄せましたの。久しぶりに腕がなると職人たちも意気込んでおりますわ~!!」
嬉々として語るマダムの瞳には、サシャが獲物として映っていることだろう。これって着実に逃げ道を塞がれているのでは、と思案しかけたサシャの手をマダムががっちりと両手で掴んだことにより一気に現実へと引き戻される。
「それではさっそく採寸をはじめさせて頂きますね?」
「ハ、ハイ…」
有無を言わさぬ強い意志を宿した瞳に見つめられたサシャの口からは、小さな返事をすることしかできなかった。そして周囲を取り囲んだ職人たちによって隣室へと連れ去られていくサシャの後ろ姿を、エドゥアルドは緩めた口元を覆い隠すこともなく見送ると何事もなかったかのように再び書類と向き合った。
三十分後に扉を蹴破り開けて脱兎の如く執務室から出ていったサシャの姿と、間を置かずに階下に響くほどの大笑いをするエドゥアルドを団員たちが目撃したことにより、翌日には氷月の君と呼ばれる隊長に笑い薬を盛った魔女、として不本意にもサシャの名と存在が広まることとなった。