01:幼馴染の婚約と不穏な呼び出し
「はぁぁああぁぁあぁああ!!?」
薔薇乙女騎士団に与えられた隊舎全土に、本日最初の怒号ともいえる大絶叫が響き渡った――。
リデレラント王国には、特別に設けられた女性のみで構成された兵団が二つ存在する。
そのうちの一つ、騎士団所属の男性たちが十人中十人が口を揃えて出くわしたくないと答える“薔薇乙女騎士団”は、国お抱えの女性魔術騎士団である。魔術の才と美貌の持ち主たちは国内のみならず近隣諸国に知れ渡る有名人で、日々その美しさを保つ為に魔術の才を磨いているのだと噂される。
だが男性騎士たちからの評判は悪く『性悪魔女集団』と恐れられている。女性ながらに国を守護する役目、そして妃たちの住まう後宮の警備を専任されている為、彼女たちはそれ相応の誇りと自尊心を持ち合わせている。勿論、野蛮で品位の欠片もない騎士団の男連中と肩を並べるなどもってのほかと考え、顔を合わせるだけで喧嘩が勃発し果てはどちらが武勲をたてるか競い合う始末だ。つい先日もいがみ合った結果、鍛練場の一部が損傷し国王が眩暈を覚えたという。
薔薇乙女騎士団の本拠地である薔薇宮で超弩級の大絶叫で仮眠から目を覚ましたサシャは眠たげに目を擦りながら、わなわなと肩を震わせる同僚をぼうっと眺めた。彼女は気が短い方でよく声を荒げるが、ここまでの大絶叫は久しぶりに聞いた気がすると呑気にも欠伸を噛み殺し、またモニカが問題でも起こしたのかと思案する。
サシャを眠りから覚ました中世的な美貌の持ち主であるクロエは、その濃藍色の瞳をこれでもかというほど吊り上げて、目の前に座るビスクドールのような女を凝視している。その熱い視線を受ける緩やかに波打つプラチナブロンドの美少女、マリアンナは赤みの差した頬を膨らませて視線を泳がせていた。その険悪ともいえる雰囲気さえ除いてしまえば、どんなにクロエが恐ろしい形相をしていようとも美貌は美貌、とんでもなく絵になる光景だ。
しかしサシャは幼少期から付き合いのあるマリアンナが頬を紅潮させて、小鳥のように唇を尖らせる光景に戦慄が走った。氷人形の異名を持つ彼女の、いつもの凍てつくような氷の笑みと高慢で威圧的な態度はどこへいったのやら。失礼な話、こんな年相応の少女らしい一面など、長年幼馴染をやってきたがいままで一度も見たことがない。
そしてクロエの絶叫した相手が薔薇乙女騎士団一の問題児であるモニカではなく、彼女を共に玩具として弄んでいるマリアンナというのがサシャの思考を目覚めさせるのには十分な驚きだった。
「こっ、こここ婚約くらいでクロエったら大袈裟だわっ…!」
普段の女王様の態度とは打って変わって、耳まで紅潮させてしどろもどろに抗議するマリアンナは、さながら恋する乙女と言ったところだ。
え、誰これ知らないんだけど。唖然として彼女を見つめるサシャに、呆気にとられていたクロエが我に返って身を乗り出す。
「ま、待てマリア! どこぞの馬の骨とも知れない得体の知れねぇ奴にお前はやらねぇぞ!!」
「それどこの父親よ…」
混乱しているクロエに思わず口を挟んでしまうサシャだが、彼女自身マリアンナの口から飛び出た『婚約』の一言に一瞬思考回路が停止した。男と無縁とさえ云われる薔薇乙女騎士団の女性陣は、王宮内――特に同じ騎士である男性たちから悉く悪評を貼り付けられているのだ。それを王宮内きっての悪女魔女と名高い騎士団の第四部隊隊長が『婚約』したのだ。これは事件以外の何物でもない、と十人中十人が頷くだろう。サシャはよいしょと重い腰を上げるといきり立つクロエの隣へと移動してその肩へと手を乗せた。
「まあまあ。クロエ落ち着いて」
「これが落ち着いていられるか! マリアが、あのマリアが婚約だぞ…!?」
「うん。天変地異だねびっくりだね」
「サシャ、貴女本人目の前にして失礼よっ!」
歯に衣着せることなくさらりと本音を口にしたサシャに、マリアンナが真っ赤な顔で抗議の声をあげる。だがそんな彼女の抗議の声はサシャから見れば子猫の威嚇程度のものだ。いつもの迫力があるならば別だっただろうが…。
サシャはどうどうと双方を宥めると落ち着いて腰掛けるように促した。そして自身も席に着くと不満を募らせているマリアンナに尋ねる。
「お相手はどちら様なの?」
「……ヴィクセル」
「………は?」
ぽつり呟くように発せられたその名前に、サシャもクロエも彼女が一体何を言ったのか理解できなかった。いや、理解しようとしなかった。マリアンナはクロエに聞き返されて、柄にも似合わず声を荒げて主張する。
「…だからっ、ヴィクセルよ! 貴女たちも良く知っているでしょう!?」
ヴィクセル。サシャは確認するように口の中でその名を繰り返すと、恐る恐る右隣に腰かける同僚の顔を盗み見た。瞬間、これでもかというくらいに真っ青な顔のクロエが唇を震わせていた。
あ、これダメなやつだ。サシャが片手で顔を覆うと同時に本日二度目の絶叫が響き渡った。
「ヴィクセルだとぉおおおお!!!??」
ヴィクセル・ヒュランダル。ヒュランダル子爵家次男である彼は、クロエとは腐れ縁である。
彼は王国騎士団に所属し、磨き上げた剣の腕で出世街道を駆け登っており、現在は騎士団の一つ、蒼の騎士団第一部隊副隊長を務めている。サシャやマリアンナはクロエを通じて騎士学校時代から彼と面識がある為、人柄は十分にわかっている。そんな冷徹真面目で人を小馬鹿にしたような態度の男と婚約したと知ったクロエの心中は計り知れない。ましてや建国当時から続く名門中の名門侯爵家令嬢と武勇に優れた将を輩出する子爵家次男、身分差が有り過ぎる二人がどんな紆余曲折を経て婚約に至ったのかサシャは気になった。だが今は悲嘆にくれる同僚をどうにかしなくてはと策を巡らせる。
「まー…ヴィクセルだったから、良かったんじゃない? 見ず知らずの男よりも素性が知れているし」
「全っ然よくない!! ヴィクセル? あの高慢不遜、冷徹無慈悲のクソ野郎だと? あ・り・え・な・い!!!」
ダンッと握った拳を机に思い切り叩きつけるクロエに、サシャは頬を引き攣らせてマリアンナに視線をやればその蜂蜜色の瞳がキッとクロエを睨みつけた。この時点でサシャは和解は無理だろうと諦め、身を引くことを決意した。
「ヴィクセルは貴女が思っているよりもずっと思慮深くて紳士的なんだから!!」
「騙されるなマリア! あいつは血も涙もないような男だ!! あたしの目が黒いうちは婚約なんて絶対に認めない!!」
「貴女はいったいあいつの何を見てきたの!? あんな良い男が側にいて気づかないなんて勿体なくってよ!! それにっ、クロエに認められずともわたしはヴィクセルと、その、けっ結婚するわ…!」
段々とヴィクセルの性格云々についての口論から互いの貶し合いに変わっていく様に耐えきれなくなったサシャは早々に退場を試みた。クロエとマリアンナが口喧嘩をするなど滅多にないが、一度起こってしまえば暫くは停戦しそうにない。酷ければ武器を取り合うので、責任を被る前にとんずらするのが賢いのだ。もう、勝手にしてくれ。ぎゃあぎゃあと喧しい声を背に、サシャはもう一眠りしようと第三部隊の執務室へと向かうことにする。
「…マリアが婚約、か……」
クロエはきっと男性を尻に敷いてきたマリアンナが、よりにもよって自身の幼馴染的存在――いや、結局誰であろうと――婚約することに納得がいかないのだろう。彼女にとってマリアンナは妹のような存在だから、家族を奪われたような気分なのだろうとサシャは思案する。しかしサシャもヴィクセルがなんの相談もせずに婚約、そのまま婚姻への道を辿ろうとしているのだから内心では不満を抱き憤っていた。だが特定の恋人すら持たずに男を侍らせてきたマリアンナが、女としての幸せを掴んだのだからどこかほっと安堵しているし羨ましくも思う。
サシャは根っからの男嫌いだが、結婚願望はあるし普通の女の子と同じように幸せな家庭を築きたいという気持ちだって持ち合わせている。でもやっとの思いで上り詰めたこの地位を、女の幸せのために投げ捨てたくはない。ここまでどれだけ血と汗を流し、壁にぶつかるたびに幾度と人知れず泣いてきたことか。類い稀なる才能の持ち主で『天才』と謳われるクロエや元より素質があり技量が良いマリアンナに比べれば、努力して手に入れたこの地位に対しての執着は根強かった。
「あっ、サシャ!」
「モニカ」
元気よくサシャを呼び止めた明るく澄んだ声の持ち主は、猪にも劣らぬ猛進で自身へと駆けてくる。サシャは目の前で急停止したモニカを今日も元気だなと呆れながら、幾分か背の高い彼女を見上げた。
「巡回帰り?」
「うんっ! もお、ほんと今日は参っちゃったよねー! 肉屋のおじさんと牛肉について揉めてたらさぁ、武器屋のおっちゃんのところでひと悶着あったみたいで勝手に武器持ち逃げしてた奴がコッチまできちゃってさー。ちゃちゃっと捕まえたから問題なかったんだけど、それ追っかけてきた黒の騎士団の奴らが俺らの手柄とりやがってみたいにごねてきてもうそっから先は喧嘩よー喧嘩」
「……あー、そう。大変だったねー」
ぺちゃくちゃとマシンガントークのモニカは本日も通常運転だ。その可愛らしい顔立ちと人柄から市井の人々と親しみがあり、クロエとは別の意で老若男女に愛されている。ただ、その頭の弱さ(彼女たちの言葉を借りれば馬鹿さ加減)は尋常でなく、そのためにクロエにこき使われている。サシャは一人一方的に喋り続けるモニカに「めんどくせぇ」と思いながらも、にこりと万人用の笑みを貼り付けた。
「モニカ、いま中庭に行くと面白いものが見られるから行ってごらんよ?」
「えっなになに!? 気になる行ってくる!!」
びゅーんと風のように瞬く間に中庭へと消えていったモニカの後ろ姿を見送り、サシャはにやりと口角を吊り上げた。今頃中庭は大戦争もいいところだろう、争いごとは積極的に参戦するモニカのことだからきっと飛び入るに決まっている。サシャは過ぎ去っていった嵐を心配することもなく執務室へと急ごうとする。
「ヴァルチェピーナ隊長」
またか、と舌打ちしたいのを堪えて行く手を阻んだ相手の方へとサシャは体を向ける。相手の身につける髪飾りが明るいピンク色の薔薇、第五部隊所属だと示していた。薔薇乙女騎士団内では薔薇の色で各々の所属隊を表しており、青は第一、黄は第二、白は第三、オレンジは第四、ピンクは第五だ。ちなみに騎士団長及び各隊長は紅薔薇のコサージュを着けることで役職持ちであることを示している。
「どうした?」
「蒼の騎士団よりお呼びがかかっております」
呼び出しを食らうことなどまずもってないサシャは眉根を寄せる。そもそも男嫌いである彼女が王宮騎士団と積極的に関わりを持つことはない為、知り合いは騎士学校時代に付き合いのある者に限られる。そして王宮騎士団から呼び出されるのはクロエかモニカのどちらかがお決まりなので、今まで指名を受けたことのないサシャにしてみれば訝しむのは当然ともいえる。
「私個人に? 相手は?」
「はい。ストラスクライド隊長です」
その名前が出た瞬間にサシャの表情が消え、死んだ魚のような目をして嘆息する。蒼の騎士団にいる知り合いは思いつく限り二人だけだった。先ほど話題に上がったばかりのヴィクセルと、そしてできるだけ関わりたくない相手。その後者からの呼び出しってどういうことなの?
サシャの代わり様に相手も困ったような呆れたような顔になる。
「いったい何をしでかせば、あのストラスクライド隊長に呼び出されるようなことになるんです?」
「身に覚えがない」
マリアンナの婚約というどことない喪失感を覚えた案件は、仮眠時間を奪われたことによる憤りによって掻き消された。サシャは「最悪」と小さく毒づいて蒼の騎士団の隊舎へ足早に向かう。その途中でモニカの悲鳴が聞こえたのは余談である。