東京まぎれびとの日常
異世界――それはひとつではないのかもしれない
世間には、『普通の人間に見えて、明らかに違う原理で生きている者』が紛れ込んでいる。神の気まぐれか、あるいは進化の悪戯か。
秋葉原の裏通りにある、閉店後の薄暗いコンセプトカフェ。
夜の十時。店内には、鋭い眼光を持つ男と、異様に耳の尖った美青年が、小さな丸テーブルを挟んで向かい合っていた。
「俺の正体に、いつ気づいた?」
男――吸血鬼の神城が、氷の溶けかかったアイスコーヒーのグラスを見つめたまま、低い声で言った。スーツの中から覗く彼の肌は、照明の光を反射するほどに白い。
「最初からですよ。神城さん」
もう一人の男――エルフの長峰が、短く答えた。彼はサラサラの金髪を揺らし、オーバーサイズのパーカーを着ている。人間の基準を遙かに超えた美貌だが、その耳の形は、どう見てもファンタジー世界から飛び出してきたそれだった。
「まさか、数年前に飛ばされた異世界人が俺以外にもいたとは。お互い、身分を隠して生きるのには苦労するな」
神城の言葉には、どこか冷めた重みがあった。
「慣れましたけどね」
長峰はため息を吐いて続けた。
「飛ばされてすぐの頃は、ローブを着たまま街を歩くとよく警察やスカウトマンに話しかけられたものです。それからは、バイト以外の昼間は常に魔法で耳を人間に化かしています。これ、けっこう疲れるんですよ」
「贅沢な悩みだ。俺の食事の苦労に比べれば、人間に話しかけられるなんて些細な問題だろう」
神城は自嘲気味に笑った。彼の口許から覗く犬歯は、人間のそれよりも長く、鋭い。
「食事……そう言えば、最近この辺りで、若い女性の『重度の貧血事件』が頻発しているとか。警察はストーカーの犯行だと推理しているようですが、僕には分かっています。真犯人が誰か」
「事件、か……」
神城はため息を吐いて続けた。
「誤解しないでほしい。俺は法を犯したくないし、誰も殺していない。ただ、どうしても『乾き』に耐えられなくなる夜がある。マッチングアプリで同意を得た相手から、ほんの少し分けてもらっているだけだ」
長峰の瞳が、一瞬だけ緑色に深く輝いた。
「食事が大変なのは分かりました。しかし、あなたのその『夜のハント』のせいで、僕の生活が脅かされるようなら話は別です。この前、あなたがナンパした女の子、僕がバイトしている『魔法使いのコンセプトカフェ』……つまりここの常連客なんですよ。彼女が貧血で倒れたら、僕の売上に響くんです。だから今日、あなたをここへ呼び出しました」
神城はグラスを置き、長峰の瞳をまっすぐに見つめた。
「なるほど。決闘、というわけか。エルフの魔法は俺たちがいた世界でも脅威だからな。受けて立とう」
「決闘なんて野蛮なことしませんよ。僕、運動きらいだし」
長峰は真顔で言い放つと、背もたれにかかったリュックの前ポケットのファスナーを開けた。しなやかな指が一本の細い小瓶を取り出す。中には、透き通った琥珀色の液体が入っている。
「それは?」
「ハーブティ……を、僕が改良して作った『人間の血に含まれる成分を再現した』イチゴ味の特製ドリンクです。あなたにあげます」
神城は目を見張った。彼は瓶を手に取り、照明に照らして信じられないというように眺めた。
「なぜ、俺にこれを? イチゴ味……?」
「あなたが本当に取り返しのつかない事件を起こして、この街に警察が介入してきたら、僕のコスプレ生活……あ、違った、エルフ生活は脅かされます。あなたの喉の渇きをこれで強制的に癒やすことは、巡り巡って僕の生活と売上を守ることになるんですよ」
神城の口許に、微かな笑みが浮かんだ。それは、何百年もの孤独から、ほんの一瞬だけ解放された男の表情と似ていた。
「なるほど……で、これ、本当にイチゴの味がするのか?」
「しますよ。甘さは控えめにしてありますが、毎週この時間に来てくれれば必ず提供します。代金はそうだな……あなたがいた世界の歴史でも教えてください」
「それだけか?」
「自分がいた世界の歴史なんて、僕からしたら殆ど実体験ですからね。それにこのドリンク、けっこう簡単に作れるんですよ」
「いいだろう。俺がいた世界は――」
話が一区切りつく頃には、時計の針は日付が変わる寸前を指していた。
神城は小瓶をスーツの胸ポケットにしまい、席を立った。
「来週も同じ時間に来る」
「遅刻しないでくださいね」
神城は小さく手を振り、夜の街へ消えていった。
レジが置かれたカウンターを、長峰は見つめた。尖った耳が、嬉しそうにピクリと揺れる。彼は小さく呟いた。
「今月の売上は安泰だな」
東京という巨大な闇の中。
異世界人なる二人の男たちは、こうして互いの秘密を共有し、今日もまた絶妙に世間に馴染みがら生き続けていく。
【東京まぎれびとの日常】
最後まで読んでくださり、ありがとうございました
【補足】
■長峰
魔法都市が存在する異世界から東京へ飛ばされたエルフの青年 見た目は20代前半
魔法使いのコンセプトカフェで働く本物の魔法使い
売上第一の絶世の美青年 趣味は魔法薬の開発・読書
■神城
要塞国家が存在する異世界から東京へ飛ばされた吸血鬼の青年 見た目は30代前半
都内のIT企業で働くエリートだが掃除はできない 趣味は夜の散歩・寝る
社畜だが人間よりも体力があるた疲労はない 長峰と出会うまでは血に飢えていた




