第19話 予定外の干渉
白い空間。
床も壁も天井もない。
ただ、果てのない白だけが広がっている。
その中心に、女神アルシェリアは静かに立っていた。
足元には幾重もの光の輪。
その周囲を、細い糸のような光が無数に巡っている。
祈り。
加護。
契約。
召喚。
リーフグラッセを維持するために結ばれた、目に見えない世界の理。
そのうちの一本が、かすかに揺れていた。
勇者、神谷悠真。
人の世の均衡が崩れかけた時、異界より招かれた魂。
本来ならば、女神の導きに従い、もっと素直に前へ進むはずの駒。
だが近頃、その進行にわずかな乱れが生じていた。
遅延というほどではない。
けれど、確かに鈍い。
アルシェリアは指先を伸ばし、勇者の加護の糸へ触れた。
勇者の眠り。
意識の底。
夢と加護が重なる浅い層。
そこへ手を加えようとした、その時。
ぴし、と小さな音がした。
弾かれた。
正確には、拒絶ではない。
薄く、柔らかく、だが明確な別系統の守りが差し込まれていた。
「……これは」
アルシェリアは目を細める。
昨夜、確かに見た。
勇者の夢の中に、予想していなかった反応があった。
勇者へ届くはずの言葉が、一瞬だけ途切れた。
その近くに、別の気配があった。
もう一度、慎重に探る。
白い夢の層。
揺れる光。
その向こうに、何かがいる。
人の気配ではある。
だが、この世界の法則だけでは輪郭が定まらない。
像がぶれる。
名が結ばれない。
ただ、静かで、硬く、外から来たものの気配だけが残る。
「異物……?」
アルシェリアは低く呟いた。
リーフグラッセの内側にあって、リーフグラッセの理に従っていないもの。
勇者の夢へ触れ、干渉を妨げ、影響を鈍らせる手。
敵意は薄い。
少なくとも、混沌そのものを目的としているわけではない。
だが、予定外だった。
勇者の進行は、世界の均衡維持に直結している。
そこに別の手が入るのは看過できない。
白い空間の奥で、鈴のような音が鳴る。
別の接続が明滅していた。
国境の結界。
魔王軍の侵攻線。
人の祈り。
疲弊。
損耗。
ずれ続ける均衡。
アルシェリアは一瞬だけ目を閉じた。
止めるわけにはいかない。
勇者が立ち止まれば、被害は広がる。
それは事実だ。
だが、自らの導きに別の意志が差し込んできた以上、これまで通りにもいかない。
再び、勇者の光へ触れる。
今度は深く入らない。
ただ表面をなぞるだけ。
その向こうから、微かに返ってきた。
冷たいわけではない。
けれど従順でもない。
黙って、こちらをうかがうような感覚。
世界の外側から、世界そのものを見るような視線。
アルシェリアはわずかに眉を寄せた。
この感触を、彼女は知らない。
信徒でもない。
敵対神でもない。
魔族でもない。
もっと別の。
名を結ぶ前にほどけてしまう何か。
「誰ですか」
その問いは、昨夜すでに夢へ落とした。
だが答えはなかった。
答えないのではない。
答えを許さないように、周囲の層だけが静かに閉じていた。
慎重な手だ。
荒くない。
けれど、確実に邪魔をしている。
アルシェリアは、勇者の光から指を離した。
「……確認が必要ですね」
白の空間に、その声だけが淡く落ちる。
すぐに排除するほどの異常ではない。
だが、放置もできない。
勇者の夢に触れた異物。
眠りを守る手。
この世界の理に属さない干渉者。
ならば、見るしかない。
もう少し近く。
もう少し慎重に。
進行を乱す意志が何者なのか。
勇者を奪うためのものか。
それとも、別の目的で差し込まれた手なのか。
アルシェリアは白い空間の中で静かに目を開く。
無数の光が、再び足元を巡っていた。
その一本だけが、まだわずかに不安定だ。
神谷悠真。
勇者。
進行対象。
そして、その近くにいる誰か。
名も知らぬ干渉者へ向けて、アルシェリアは小さく息を吐いた。
「予定外です」
返事はない。
それでも、見られている感覚だけは残っていた。




