第18話 返ってきた干渉
その日は、妙に静かな一日だった。
街道をさらに北へ進んでも、魔物の気配は薄い。
小さな獣の影が草むらを走るくらいで、前鬼が前にでて、戦うような事態にもならなかった。
「平和なのはいいことだろ」
ガルドは歩きながら気楽に言っていたが、私は警戒していた。
不自然に静かすぎる時は、だいたい何かがある。
ルークも似たようなことを感じていたらしく、地図を確認する回数が少し増えていた。
フィーナは何度か悠真の体調を気にしながら、リゼは口数こそ多いものの、いつもみたいな軽さが少しだけ薄い。
後鬼は、相変わらず静かだった。
前鬼だけが、平常運転である。
「なあ、今日もなんか出ねぇのかな?」
「出ないほうがいいに決まってるでしょ」
「でも暇だぞ」
「知るか」
そのどうでもいい会話に、少しだけ空気が緩む。
悠真も笑った。
昨日までよりは、ちゃんと笑えている。
それでも、まだ疲労は残っていた。
疲れは、一晩二晩じゃ抜けない。
しかも相手が相手だ。
加護の影響が雑なぶん、蓄積も妙にしつこい。
私は歩きながら、悠真の背中を見た。
加護の光は今のところ静かだ。
加護の揺れもない。
でも、それは安定しているというより――女神が勇者の様子を見ている感じが近い。
「京ちゃん」
サトリが肩の上で耳をぴくりと動かす。
「今日、変だよ」
「ええ」
「なんか、見られてる感じ」
私は小さく息を吐いた。
見られている。
その感覚は、私にもあった。
正面から敵意を向けられているわけじゃない。
けれど、遠くから監視されているような、そんな感じ。
たぶん、向こうも私達を探っている。
昨日、護眠符が女神の干渉を押し返した。
なら今日は、様子見が来る。
そう考えるのが自然だ。
日が傾き始めたころ、野営地を決めた。
低い岩場に囲まれた、風の通り道から少し外れた場所。
水場も近い。見晴らしも悪くない。
ルークが一通り確認し、頷く。
「ここなら休める」
「今日は静かに済ませたいわね」
私が言うと、ガルドが笑う。
「お前がそう言う日は、だいたい済まねえ気がするけどな」
「失礼ね」
「事実だろ」
否定しにくい。
食事を終え、空が群青に沈んでいく。
二つの月が空に昇り、焚き火の炎が野営地を柔らかく照らした。
私は昨夜と同じように、結界札を周辺に放ち、最後に一枚だけ別の札を手元に残した。
「今日も貼るの?」
リゼが見ている。
「貼る」
「強くする?」
「少しだけ」
「向こうも来ると思ってるんだ」
私は札を指先で弾きながら頷いた。
「たぶんね」
悠真は黙ってそのやり取りを聞いていた。
今は余計なことを言わない。
それが逆に、彼なりに現実を受け止め始めている証拠でもあった。
私は彼の枕元に札を置く。
「護眠符。昨日より少し深める」
「お願いします」
「寝る前に一つだけ」
私は悠真を見た。
「夢で何を言われても、すぐに従おうとしない」
「夢の中で、ですか?」
「夢の中で」
悠真は困ったように笑う。
「それ、結構難しくないですか」
「難しいでしょうね」
「じゃあ無茶言ってません?」
「だから札も使うの」
リゼがくすっと笑う。
「理不尽に見えて、ちゃんと補助はするのね」
「検査だから」
「その言い方、ほんと好き」
「好きじゃなくて事実」
後鬼が静かに口を添える。
「主の理不尽は、だいたい筋が通っています」
「フォローになってる?」
「事実です」
少しだけ笑いが落ちて、空気が和らいだ。
夜は静かに深くなる。
前鬼は例によって早々に眠り、ガルドが見張りに立ち、ルークは剣を膝に置いたまま目を閉じている。
フィーナは毛布にくるまり、リゼは最後まで杖を弄っていたが、やがて諦めたように横になった。
私は岩にもたれ、目を閉じる。
風の音。
火の音。
寝息の音。
見張りの足音。
その音を探る。
悠真の眠りは、昨夜よりずっと深く落ちていた。
護眠符は効いている。
でも、その深さの向こうに、白い気配がある。
神殿のような、霧のような、輪郭のない白。
「……来る」
サトリが小さく呟いた。
次の瞬間だった。
枕元の札が、かすかに震えた。
白い気配が一筋、眠りの表面へ触れる。
昨夜より慎重だ。
押し入るというより、探る感じ。
護眠符が淡く光る。
すぐには弾かない。
まず受け止めて、それから静かに押し返す。
その一瞬。
私は見た。
白い空間の向こうで、何かが立ち止まった気配を。
「――」
言葉にはならない。
でも、視線だった。
こちらを探る、冷たい視線。
そして次の瞬間、悠真の口が動いた。
「……誰」
私は目を開いた。
昨日までの夢の呟きとは違う。
これは、悠真の声を借りた別の問いだ。
護眠符が強く光る。
白い気配が一歩だけ踏み込んでくる。
でも、それ以上は入れない。
「……そこに、いるのは……誰ですか」
眠ったままの声。
でも問いかけの相手は、悠真自身じゃない。
私だ。
女神が、初めて“こちら”を見た。
サトリが肩の上で身を縮める。
「京ちゃん」
「ええ」
私は短く答える。
後鬼もすでに起きていた。
静かに目を細めている。
「返ってきましたね」
「予想より早いけど」
「どうします?」
私は少し考えた。
ここで答えるのは、まだ早い。
向こうに情報を渡すだけになる。
だから、何もしない。
護眠符の流れだけを整えて、押し返す。
札がもう一度淡く光る。
白い気配が、ゆっくり遠ざかる。
最後にほんの少しだけ、名残のような冷たさが残った。
それで終わりだった。
悠真の呼吸は深く戻り、額の汗も引いていく。
私は小さく息を吐いた。
「今の、完全にわかったね」
サトリの声がかすれる。
「ええ」
「女神だ」
「少なくとも、向こう側の意思」
後鬼が静かに続ける。
「しかも、観測対象を勇者様だけとは見ていない」
「こっちも入った」
私は札の端を指でなぞる。
ほんの少しだけ焦げていた。
押し返せた。
でも、隠し切れたわけじゃない。
向こうは認識した。
勇者の夢に、別の手が入っていると。
つまりこれで、一方通行だけのやりとりは終わった。
向こうもこちらを意識し始める。
翌朝。
悠真は昨日より、さらに妙な顔で起きた。
「どう?」
私が聞くと、彼は寝起きのまま首を傾げた。
「変な夢でした」
「いつもと違った?」
「はい。白い場所で、いつもの声がして」
そこで言葉を切る。
「でも、途中で止まったんです」
全員の視線が集まる。
「止まった?」
リゼが身を乗り出した。
悠真は頷く。
「急げって言われたあと、急に静かになって……それから」
少しだけ、ためらう。
「“誰ですか”って」
フィーナが小さく息を呑んだ。
「誰って……」
「たぶん、僕じゃなくて」
悠真は私を見る。
「誰か別のものに言ってました」
「正解」
私は頷いた。
「向こうも気づいた」
ルークが低く問う。
「こちらの介入に、か」
「ええ」
ガルドが腕を組む。
「つまり、ただ守るだけで済まなくなったってことだな」
「そういうこと」
リゼが難しい顔をする。
「でも、それって逆に言えば、こっちの対策は効いてるってことよね」
「効いてる。だから見に来た」
後鬼が静かに笑う。
「検査の手応えが返ってきた、というわけですね」
「嫌な手応えだけど」
前鬼だけがよくわかっていない顔で欠伸をする。
「で、殴るのか?」
「まだ殴らない」
「まだ、ってことはそのうち殴るのか?」
「必要なら」
前鬼が少し嬉しそうな顔をした。
雑な喜び方だ。
私は荷をまとめる。
空は青く、風は弱い。
いつも通りの朝に見える。
でも、もう昨日までとは違う。
勇者の夢に手を入れた。
向こうもそれに気づいた。
視線は、返ってきた。
なら、次はもう少し慎重に行く必要がある。
急がずに。
でも止まらずに。
私は街道の先を見る。
北にはまだ戦場がある。
魔王軍もいる。
勇者も疲労している。
そのうえ、女神までこちらを見始めた。
面倒だ。
でも、ここからが本番かもしれない。
この世界は――
進捗確認の仕方まで、雑すぎる。




