第16話 夢に反応する加護
その日の夜は、街道を外れた低い丘のふもとで野営することになった。
北へ進むほど、人の気配はまばらになる。
代わりに、風の音がよく聞こえた。
草が揺れる。
焚き火の炎がぱちぱちと音を立てる。
見張りの足音が、一定の間隔で地面を踏む。
野営地としては悪くない。
見晴らしがよく、奇襲にも対処しやすい。
ルークとガルドが周囲を警戒し、フィーナが食事の支度を手伝い、リゼは火のそばで杖の先をいじっている。
前鬼は焚き火の近くで大の字に寝転がり、後鬼は少し離れた場所で静かに座っていた。
私は結界札を三枚、野営地の外周へ打つ。
「簡易結界。警戒用」
札が夜気に溶けるように消え、薄い膜が周囲を包んだ。
サトリが肩の上で耳を揺らす。
「今日も寝ないの?」
「寝るわよ。寝る前に見るだけ」
見たいものがある。
悠真の加護だ。
昼間の揺れは、ただの偶発ではない。
感情に反応していた。
期待や焦り、役割意識に引っ張られると、出力が跳ねた。
なら――起きている時だけとは限らない。
食事を終え、焚き火の炎が小さくなっていく。
見張りの順も決まり、みんながそれぞれ毛布や外套に身を包み始めた。
悠真も剣を傍らに置いて横になる。
少し疲れた顔をしていたが、昨日までのような張り詰め方はしていない。
それでも、胸の奥の緊張だけは抜けていない。
「京ちゃん、まだ見るの?」
サトリが小声で聞いた。
「ええ」
私は頷き、袖から小さな霊符を取り出す。
「夢見符」
札を指先で弾く。
淡い光がひらりと舞い、悠真の近くへ落ちた。
気配を拾うためだけの簡易符。
干渉はしない。
観るだけ。
それで十分だと思った。
夜は更ける。
火の赤が弱まり、代わりに月明かりが地面を白く照らしていた。
私は少し離れた岩に腰を下ろし、目を閉じる。
結界。風。火。見張りの足音。みんなの寝息。
その中から一つだけ、意識を集中して拾い上げる。
悠真の様子を。
最初は静かだった。
呼吸も深い。
眠りは浅くない。
でも――
「……っ」
小さく、喉が鳴った。
私は目を開ける。
悠真の身体がわずかに強張っている。
額に汗が滲み、指先が毛布を掴む。
その瞬間だった。
胸のあたりから、淡い光が脈打った。
「来た」
サトリが小さく息を呑む。
昼間と同じだ。
でも、もっと露骨。
加護が、夢に反応している。
光は強くはない。
けれど安定もしていない。
小さく膨らみ、細く揺れ、また脈を打つ。
「……急が、ないと……」
悠真が、眠ったまま呟いた。
私は眉を寄せる。
夢の中で、まだ急かされている。
後鬼が静かに近づいてくる。
足音がない。
「ミツネ様」
「ええ、見えてる」
「加護が睡眠時にも反応していますね」
「夢の内容に引っ張られてる」
後鬼は悠真を見下ろし、声を落とした。
「女神の干渉でしょうか」
「たぶん」
その時、また悠真の口が動いた。
「すぐに助けに行かないと……被害が……」
断片的な言葉。
でも十分だ。
これはただの悪夢じゃない。
罪悪感を刺激して、前へ進ませる夢だ。
私は立ち上がった。
「起こす?」
サトリが聞く。
「今はまだいい」
起こしたところで、夢の内容に囚われて眠れなくなる。
それじゃ余計に悪い。
私はもう一枚、霊符を取り出した。
「鎮めるだけ」
札を悠真の枕元へ落とす。
淡い光が揺れ、息苦しそうだった呼吸が少しだけ落ち着いた。
加護の揺れも、ゆっくり弱まっていく。
完全には消えない。
でも、眠りを壊さない程度には沈んだ。
「便利」
サトリが感心したように言う。
「応急処置よ」
「でも、効いてる」
私は札の残光を見ながら、小さく息を吐いた。
やっぱり、雑だ。
起きている間だけ急かすならまだしも、眠っている間まで使って使命を強制する。
それで人が壊れないと思っているなら、運用が甘すぎる。
「京ちゃん」
「なに」
「怒ってる?」
私は少し考えた。
「……呆れてる」
怒るには、まだ証拠が足りない。
でも、嫌悪は十分だった。
朝が来る前、悠真は一度だけ大きく息を吐いて、それきり静かになった。
夜明け。
薄い光が地平線に差し始めたころ、みんなが順に目を覚ます。
悠真も起き上がったが、顔色は悪い。
「おはよう」
私が言うと、彼は少し驚いたようにこちらを見た。
「おはようございます……」
「眠れた?」
悠真は苦笑する。
「それが、あまり」
「夢?」
その一言で、彼の表情が固まった。
「……なんでわかったんですか」
「顔」
「そんなにひどいですか」
「ひどいわね」
リゼが横から口を挟む。
「勇者、朝から死にそうな顔してるわよ」
「やめてください」
フィーナが慌てて水筒を差し出した。
「大丈夫ですか?」
「大丈夫です」
その“大丈夫”は信用できない。
私は悠真に向き直る。
「どんな夢を見たの」
悠真は少し迷ったあと、観念したように答えた。
「……白い場所です」
「白い?」
「神殿みたいな、なにもないみたいな、よくわからない場所で」
彼は自分の言葉を探すように眉を寄せる。
「声がするんです」
全員が静かになった。
「女神様の?」
フィーナが小さく聞く。
悠真は頷いた。
「急げって。止まるなって。お前が遅れたら被害が増えるって」
私は目を細めた。
やっぱり。
「毎晩?」
「……最近は、だいたい」
後鬼が静かに私を見る。
私は頷き返した。
確定だ。
女神は加護だけじゃない。
夢にも触っている。
「それ、疲れるでしょ」
リゼが珍しく真面目な声で言った。
悠真は苦笑した。
「慣れました」
「慣れるのが一番まずい」
私は言い切る。
「それ、休息の形をした追加労働よ」
ガルドが眉を上げる。
「言い方ひどいな」
「事実でしょ」
ルークが腕を組む。
「対処はできるのか」
「一時的には」
私は昨夜の札を思い出す。
「眠りを深くする。干渉を和らげる。そういう応急処置はできる」
「根本は?」
「女神側の出力を止めないと無理」
フィーナが不安そうに悠真を見る。
「じゃあ、勇者様って……」
「かなり雑に使われてる」
沈黙が落ちた。
でも、もう曖昧にはできない。
ここまで見えたら、見なかったことにはできない。
私は結界札を回収し、荷をまとめる。
「出るわよ」
みんなが動き出す。
悠真も剣を手に取ったが、表情は昨日までより少しだけ重かった。
それでいい。
軽く見積もる方が危ない。
街道の先には、まだ戦場がある。
魔王軍もいる。
勇者の役割も消えない。
でも、このままじゃ壊れる。
加護。
夢。
期待。
全部が繋がって、勇者を前に押し出している。
私は空を見上げた。
女神。
あなた、思っていたよりずっと雑ね。
この世界は――
眠らせ方まで、雑すぎる。




