第15話 揺れる加護
街道沿いの小さな村を離れてからしばらくの間、街道はゆるやかな丘陵へと続いていた。
朝の空気は冷たく澄んでいる。
空は高く、二つの月はもう薄れて、代わりに白い雲がゆっくり流れている。
道の両脇には背の低い草が揺れ、ところどころに岩場が顔を出していた。
見晴らしは悪くない。奇襲を受ける地形でもない。
だからこそ、私はさっきの違和感を引きずっていた。
勇者の加護。
あれは、やっぱり妙だ。
「京ちゃん、まだ気にしてる?」
肩の上のサトリが、小さく首を傾げた。
「ええ」
私は歩きながら頷く。
「さっきの揺れ方、自然じゃなかった」
後鬼が静かにこちらを見る。
「勇者様の霊波ですか」
「加護のほう」
私は悠真の背中を見る。
いまは普通だ。
少なくとも、見た目には。
歩幅も呼吸も落ち着いているし、無駄に前へ出ようともしていない。
昨日までの彼なら、もっと肩に力が入っていたはずだ。
それ自体は悪くない。
でも、だからこそ気になる。
落ち着いていたのに揺れた。
しかも外からの攻撃じゃない。もっと内側――感情の揺れに引っ張られるみたいに。
「悠真」
私は呼んだ。
前を歩いていた彼が振り返る。
「はい?」
「さっき、宿場を出る時。なにか変な感じはしなかった?」
悠真は少し考えた。
「変な感じ?」
「胸が熱いとか、視界が白くなるとか、急に力が湧くとか」
「あ……」
悠真が足を緩める。
「少しだけ、ありました」
「どれ」
「えっと……」
彼は言葉を選ぶように空を見る。
「変な言い方ですけど、急に“応えなきゃ”って気持ちが強くなって」
私は目を細めた。
「誰に」
「え?」
「誰に応えなきゃって思ったの」
悠真は困ったように笑う。
「その……みんな、見てたから」
やっぱり。
私は小さく息を吐く。
「京ちゃん?」
「加護が感情に引っ張られてる」
リゼがすぐに食いついた。
「感情で出力が変わるってこと?」
「たぶんね」
「それって普通じゃないの?」
「普通なら、もう少し緩やかに出るわ」
私は足を止めた。
全員が止まる。
「休憩」
ガルドが肩を回す。
「お、助かる」
ルークは周囲を一度見渡してから頷いた。
「この辺りなら問題ない」
私は街道脇の平らな岩へ歩き寄り、霊符を一枚取り出した。
「簡易結界を貼るわ」
札がふわりと浮かび、薄い膜のような気配が広がる。
リゼが興味深そうに見ている。
「便利ね、それ」
「雑音が減る」
「結界ってそういう使い方もできるんだ」
「できるわよ」
私は悠真を見る。
「こっちへ」
「はい」
彼は素直に近づいてくる。
悪くない。
昨日までなら、まず「敵ですか?」から入っていた。
「剣を抜いて」
悠真が剣を抜く。
まだ加護は乗せない。
「深呼吸」
「……はい」
「もう一回」
悠真は言われるままに呼吸を整えた。
周囲でリゼが面白そうに見ているし、ガルドは訓練でも始まるのかという顔をしている。
前鬼は退屈そうに欠伸をした。
「まだか?」
「うるさい」
「はいはい」
後鬼は前鬼の頭を軽く小突いて黙らせる。
私は悠真の剣先を見た。
「じゃあ、加護を乗せて」
光が灯る。
剣に、勇者の加護が宿る。
今は安定している。
揺れは小さい。
「次」
私は続けた。
「さっき宿場で見られた時のことを思い出して」
「え?」
「子どもに手を振った時でもいい。期待されてる、って感じた瞬間」
悠真の表情が少し曇る。
「……はい」
剣の光がわずかに強くなる。
でも、それだけじゃない。
出力が増したあと、一瞬だけ脈打つように揺れた。
「やっぱり」
リゼが目を見開く。
「今の、見えた」
「あなたもわかる?」
「魔力の波が急に跳ねた」
私は頷く。
「安定した増幅じゃない。情動に引っ張られてる」
フィーナが不安そうに言う。
「それって……危ないんですか?」
「かなり」
悠真の顔が強張る。
「そんなに?」
「気分が高ぶるたびに出力が跳ねるなら、暴走の一歩手前よ」
ルークが低く唸る。
「精神状態で乱れる加護、か……」
「しかも本人が気づいてない」
私は悠真を見る。
「これが一番厄介」
彼は剣を見下ろした。
光はもう落ち着いている。
でも、あの揺れは確かにあった。
「俺、今までずっとこれで……」
「戦ってきた」
私が言葉を継ぐと、悠真は黙った。
その沈黙が答えだ。
「女神に急かされて、期待されて、前に出ろと言われて、本人は“勇者だから”って飲み込んでる」
私は肩をすくめる。
「雑な運用ね」
リゼが苦笑する。
「ほんとにそれ好きね、その言い方」
「事実だから」
その時だった。
サトリの耳がぴんと立つ。
「来る」
直後、結界の外で草が揺れた。
小型の魔物が三体。
犬に似た体に骨のような棘を生やし、低く唸りながらこちらを窺っている。
「ちょうどいい」
私は悠真を見る。
「実地でやる」
「え?」
「今度は逆。期待も焦りもなしで倒す」
ガルドが笑った。
「訓練相手にはいいな」
「ルーク、前に出ない」
「了解」
「リゼ、援護なし」
「ええ?」
「フィーナ、回復待機」
「は、はい」
そして悠真に視線を向ける。
「一人でやる。ただし、急がない」
悠真は息を吐いて剣を構えた。
魔物が飛びかかる。
昨日までなら、ここで正面から全力で切り込んでいた。
でも今日は違った。
一歩引く。
横へ流す。
体勢を見てから切り返す。
光の剣が、最小限の動きで一体を斬る。
「いい」
私は短く言った。
二体目が唸る。
悠真は追わない。
待って、踏み込みを見て、斬る。
三体目は後ろへ回ろうとしたが、彼は振り返りざまに剣を払った。
短い戦闘だった。
魔物は三体とも倒れ、加護の光も今度は大きく揺れなかった。
悠真が肩で息をしながら、こちらを見る。
「……今のは」
「安定してた」
私は頷く。
「少なくとも、さっきよりはずっといい」
彼は少しだけ目を見開いた。
「ほんとに?」
「嘘ついてどうするの」
悠真は剣を見下ろし、それから小さく笑った。
ほんの少しだが、肩の力も抜けている。
「……なんか、変ですね」
「なにが」
「今までずっと、前に出て、強く光らせる方が正しいと思ってました」
「勇者らしいから?」
「はい」
「その認識が雑」
きっぱり言うと、リゼが吹き出した。
「そこはぶれないわね」
「ぶらしたら困るでしょ」
後鬼が静かに口を開く。
「勇者様」
「はい」
「あなたの加護は、力そのものより“役割”に反応しているのかもしれません」
悠真が首を傾げる。
「役割?」
「勇者として期待される。勇者として応えねばならない。そう思った時に、加護が過剰に出力を上げる」
「……うわ」
リゼが顔をしかめた。
「それ、便利そうで最悪ね」
「ええ」
私は頷く。
「制御できるなら強い。でも今のままだと、感情を餌にしてる」
フィーナが小さく呟く。
「じゃあ、疲れるのも……」
「当然」
私は立ち上がる。
「出力だけ上げて、本体の消耗を無視してる」
悠真は何か言いかけて、やめた。
たぶん思い当たることが多すぎるんだろう。
「休憩終わり」
私は霊符を回収した。
「歩きながら考える」
前鬼が大きく伸びをする。
「やっと終わったか」
「あなたは何もしてないでしょう」
「見守ってたんだよ」
「雑な見守りですね」
後鬼の返しに、ガルドが笑う。
空気は少し軽くなった。
でも、問題が軽くなったわけじゃない。
むしろ輪郭がはっきりした。
勇者の加護は、思っていた以上に危うい。
戦場の負荷だけじゃない。
期待、責任、役割意識――そういう目に見えないものまで出力に変えている。
私は街道の先を見た。
北へ行けば、もっと強い敵が出る。
もっと大きい期待もかかる。
その時、この加護がどう揺れるのか。
「京ちゃん」
サトリが肩で小さく囁く。
「たぶん、まだあるよね」
「ええ」
私は答える。
「これ、加護だけの問題じゃない」
女神。
勇者召喚。
運用の雑さ。
その全部が繋がっている。
だから、調べる。
この世界は――
加護の仕組みまで、雑すぎる。




