一石何鳥?
「問題はそのストーカーも母親もどこに居るのか分かんない事なんだよね」
護衛の様子見件、定期報告に来ていた『B』のメンバーである龍人のガーニール・メークアウトに、私は愚痴を漏らす。
ガーニールとは風俗店の裏で落ち合ったのだが、人の目が届かないところとあってゴミがかなり散乱していた。
まぁ、『歓楽街』の治安など、こんなものだろう。
現在は明け方、護衛対象である風俗嬢のジーンは部屋に戻り、鍵をかけて寝てしまった。
魔女を産み出した神、【リリス】の御殿でもあるその風俗店は、下手なセキュリティや護衛よりよっぽど安全だ。
私もジーンの部屋の横に小さな部屋を一つ与えられていて、そこで寝ることになっている。
護衛の仕事が終わるまで昼間の『B』の活動に参加しなくても良いのだが、ストーカーの動向を探るため、夜通しならぬ昼通し、動き回っていた。
「ちゃんと寝ろ」
当初は寡黙だったこの龍人も、ある程度は打ち解けてくれたのかそこそこの会話をしてくれるようになった。
「ありがと。でも実はジーンの仕事中の半分は寝てるんだよね。ジーンが男の相手してる間は暇だからさ」
「そうか……大丈夫か?」
「良いよ気にしなくて」
『B』はその活動の為に何でも屋として日銭を稼いでいる。
【リリス】からの依頼と言うこともあって、報酬が良かったこの仕事をガーニールもやろうとしていたのだが、『擦れているな。もっと純真そうなのを連れてこんか』と、追い返されてしまったそうなのだ。
それに多少なりとも負い目を感じているのだろう。
「それよりメーちゃんに頼みたい事があるんだけど」
「私に出来ることなら」
最近はこのメーちゃん呼びにも動揺しなくなってきた。実に詰まらない。
まぁ、仲良くなった証だと受け取っておこう。
「黒い狼の獣人がストーカーの容姿らしいから、夜の間そんな奴が風俗店を出入りしてるか見てて欲しい」
「出入り? ストーカーは入れないのでは?」
「それが昨日、似たような奴が客として来ててさ。まぁ、取り敢えずその獣人が風俗店の周りに居ないか監視しててよ」
「承った」
ガーニールは静かに頷いて、人混みに紛れていった。
エリーニュス曰く、彼女は『B』随一の戦闘力を誇るらしい。
もしストーカーに遭遇しても返り討ちに出来るだろう。
「さて、そろそろ寝とこうかな……」
風俗嬢は想像以上に体力を消耗する、少しでも寝ておいた方が良いだろう。
あくびをしながらガランとした廊下を歩いていると、ふと風を感じて振り替える。
「……窓が開いてる?」
この店の窓は基本閉めきっている。
それはセキュリティーの観点からもそうなのだが、外からの侵入者に『入れるかも』と思わせない為だ。
ここは【リリス】の御殿、侵入者はもれなく消し炭にされてしまう。
いくら不届き者とは言え、無駄に人死にが出るのは【リリス】も本意ではないのだろう。
「誰が開けたんだろ。無用心な」
窓を閉めようと近づくと、外に見知った顔があるのに気がついた。
両の目は閉じながら、額に第三の目を持つ三つ目族のトリエントだ。
長い杖をつき、青いローブを羽織っているその姿は、正に魔法使いといった出で立ちである。
「トリエントさん! 何してるの?」
トリエントはこちらを見上げると、少し驚いたように額の目を見開く。
「おや、ディーではないか。いやなに、探偵としての仕事だよ」
「探偵? よっと」
詳しく話を聞こうと、ディーは窓から飛び降り、『異能』の風でフワリと着地する。
「探偵やってたんだ。【12議席】は?」
「そちらは副業だ。魔法使い兼探偵として、それなりに名を知られている」
「副業ね……」
【12議席】という重要な役職を副業と言ってしまうトリエントとは、価値観の隔絶を感じずにはいられない。
とは言え、長命の種族や神々はどれもこんなものなのかもしれない。
「それじゃ、風俗嬢の誰かに依頼されて来たの?」
「いや? 調査のために風俗嬢に聞き取りをしに来たのだ。昼なら仕事も無く暇だろうからな……。しかし、【リリス】様がドアを開けてくれないのだよ」
「あぁ、さすがに不用意に侵入は出来ない感じ?」
聞いたところでは、トリエントは高名な魔法使いであり、その功績により【12議席】に選ばれているという。
神である【リリス】と比べるものでは無いだろうが、店の防御システムを掻い潜る位なら出来そうだが……。
「ディー……良いことを教えてやろう。【リリス】とは極力関わるな。死ぬより酷い目に会う。俺も、仕事で無ければ来ていない」
まるで見てきたかのように、トリエントは閉じた両目の眉を潜めた。
つまり、面倒事は避けたいと言うことだろう。
「へぇ……でも私、今【リリス】の依頼で動いてるんだよね」
「なんとまぁ……」
呆れる様な、同情するような視線が私に向けられる。
「ちなみに依頼の内容は?」
「ジーンって風俗嬢の護衛。ストーカーに狙われてるんだって」
「ジーン?」
「知ってるの?」
「知っているとも、ストーカーの件もな。あれは【リリス】様に随分可愛がられていた。それに……」
トリエントは急に言葉を切ると、ふむ……。と呟いた。
「なるほどな。ディー、ジーンの母親の居場所を知りたくないか?」
「なんだって?」
思わず聞き返してしまった。
それは正に私が欲していた情報だ。しかも、トリエントは何かを察したように唐突に提供しようとしてきた。
今までの会話で、何が分かったというのだろうか。
「知りたいけど……何で急にそんなこと。て言うか知ってるの?」
「あぁ。少し前に、彼女はその家で何者かの手によって殺害されていたのだよ」
「え? 殺害? ジーンの母親が?」
一体どういうことだろうか。
昨夜、彼女は母親にお金を送り続けていると言っていた。ジーンが自分の母親の訃報を知らないわけはあるまい。
「発見されたのはつい昨日の事だ。母親との繋がりを絶たれているジーンは知らない筈だが……」
言いながら、トリエントは住所が書かれた紙を差し出してきた。ジーンの母親の住所だった物だろう。
「なるほどね、それでジーンを訪ねてきたってわけ。その様子だと、ジーンが母親を恨んでるってのも知ってる?」
「もちろんだ。何か変わった様子は無かったかな?」
そんなことを言われても、私は違いに気付けるほどジーンと接していない。
しかし、断言出来る事はある。
「母親が嫌いって言ってたけど……殺した後には見えなかったかな」
「ふむ、お前が言うなら間違いないな」
それは研究所で大量虐殺を行った私への当て付けか?一応言っておくが、あれは不本意だ。
私は殺戮を楽しむ殺人鬼ではない。
ムッとする私を、トリエントは鼻で笑う。
「そう怒るな。だがまぁ……最初からジーンの仕業とは思っていない。犯人の心当たりを聞きたかっただけだからな」
そう言うと、トリエントはマントを翻して館の扉に背を向ける。
「もう行くの?」
「無駄足だったからな。警察にはなんて報告するか……」
「一応会っていけば良いのに」
「先程も言っただろう? 【リリス】様とは極力関わりたくない。犯人が分かった今、ジーンと会う意味も無いのだ」
「犯人が分かった?」
全く何も見えてこない。
一体、この探偵の三つ目には何が見えているのだろうか。
「そうだ、ディー。もう一つ忠告しておこう」
「……何?」
「"ジェーン・ドゥ"に気を付けろ。勿論、【リリス】様にもな」
「ジェーン・ドゥ? 誰?」
聞き慣れない単語だ、人の名前っぽくはあるが。
「【リリス】様にでも聞いてみろ」
それだけ言うと、トリエントは歩いて行ってしまう。
「うーん、母親がもういないならストーカーだけでも……でもなぁ」
何とも消化不良な気分に悩まされながら店に戻ると、シーツを運んでくれた先輩の風俗嬢と玄関先でバッタリと出会う。
「あ、ディーちゃ~ん。起きてたの? 寝なきゃ夜動けないよ~?」
先輩は朗らかに笑うと、スキップでもしそうな足取りで近づいてくる。
「どうにも寝れなくて……」
先輩こそこんなところで何をしているのかと聞きたいが、ちょうど良い、少し尋ねてみよう。
「あの、ジェーン・ドゥって知ってます?」
「んー? 知ってるわよ? 魔女の間では有名だもの」
先輩は私の身長に合わせてしゃがむと、口に手を添え声を潜める。
「ジェーン・ドゥは【リリス】様の娘なの」
「娘!?」
シー!シー!と先輩は慌てたように私の口を塞ぐ。
「【リリス】様はあまりその事を話したがらないし、私たちも噂程度にしか知らないの……。ジェーン・ドゥともう一人、娘が居るらしいんだけど……」
トリエントめ、それを分かってて『【リリス】様に聞いてみろ』等と宣ったのか。
危うく神である【リリス】の機嫌を損ねるところだった。しかし、それはそれとして【リリス】の娘に気を付けろとはどういう事だろうか。
「ジェーン・ドゥって危険な人だったりする?」
「え? あー……実はね、ジェーン・ドゥは昔色々やって世界的に指名手配されてるの」
「世界的に指名手配……」
めちゃくちゃやばいやつではないか。
そんなやつが一体どう関わってくるんだ?
「まぁ、あんまりジェーン・ドゥの話はしないようにね! 【リリス】様に怒られちゃうから」
頭を撫でられたかと思うと、先輩はそのままの流れで何故か私を抱きかかえる。
「ちょ、何するんですか」
「ディーちゃん、寝れないんでしょ? 私の部屋でお茶しない?」
「いや、あの……」
ストーカーの動向を見張るためにも、あまりジーンの側から離れたくはないのだが……。
「良い? ディーちゃん。女の子は暇な時にはお茶を嗜むものなんだよ」
「違うと思います」
私は世間一般からずれている自覚があるが、それはハッキリと分かる。
「本当よ! 本にも書いてあったんだから!」
「もしかしてマンガってやつですか?」
私も村にいた頃、似たようなものを読んだ覚えがある。
大陸の端にある私の村には、時折龍族の商人が『パンゲア』の商品を運んできていた。
その中には『パンゲア』の作家が書いた本もあったのだ。
「そうそう! 私《四葉の旦那様》って本が好きで……知ってる!?」
「いえ、知らないです……」
「とある令嬢の主人公と結婚するために三人の男の子が……えっと、主人公と仲良くなる度に魔法で葉っぱが増えていってね! それで……!」
「あ、あの……分かりました。取り敢えず部屋に行きませんか?」
「あ、ごめんね~。今度貸したげるから」
「は、はい……」
先輩のあまりの熱量にやや引いてしまった。
ジーンから、ここに住んでいる風俗嬢たちは外出できないと聞いた。もしかしたら彼女たちにとって、本は貴重な娯楽なのかもしれない。
「お茶か~。ディーちゃんは何が好き? ダージリン? キーモン?」
「いや、お茶はそんなには知らないです……あ、そう言えば先輩の名前って……?」
「あれ、言ってなかったっけ。私はマモだよ、よろしくね」
朗らかに笑って、マモは私を抱えたまま部屋に向かっていく。
別に私は小柄でもないのだが、よく抱えられるものだ。大方魔法でも使っているのだろうが。
「何で抱えるんです?」
「可愛いじゃん」
「……」
マモには理屈が通じないらしい。
「じゃーん、ここが私の部屋でーす!」
案内された部屋には、可愛らしいぬいぐるみが散乱していた。
少なくとも、可愛い物に目がないのは確かのようだ。
「じゃーあー……ディーちゃんには飲みやすい紅茶を淹れてあげよう」
マモはぬいぐるみをどかし、私を椅子に座らせると、テキパキとした動きで紅茶を淹れ始める。
「ディーちゃんはさー、クッキーとか食べれるー?」
「はい。特に好き嫌いとかは……アレルギーも無いです」
「良いねー健康的だねー。うーん……このクッキー出しちゃうか」
ガサゴソと棚を漁っていたマモは、やがて紅茶と豪華な箱に入ったクッキーを持って戻ってきた。
「アールグレイでございます~。こちらはお客さんにもらった高級クッキー、一枚2000ジュエル」
「2000……」
それは少し豪華な食事位の値段ではないだろうか。
値段に気圧されながら、恐る恐るクッキーを手に取り、端っこを齧る。
サクッ。とクッキーが歯形にくりぬかれ、途端に口の中にバターと砂糖の絶妙な風味が広がった。
「美味しい……」
「そう? 良かった」
マモもマモで、ニコニコしながらクッキーをヒョイヒョイとつまみ上げ、口に入れては、ん~!と唸っている。
「良いんですか? こんな高級な物……」
「良いの、良いの。どうせ残してても食べないしね~。それに、私そろそろここから出るんだ」
「……えっ!?」
一瞬、意味が分からなかった。
彼女たちは一応ここで働いている筈で、見たところまだ若いマモがここを出ていく……つまり無職になるとは想像もしていなかったのだ。
「それはどういう……?」
「ん~? もうちょっとで借金返し終わるからさ、そしたら晴れて自由の身! パパーン。ってこと」
「なるほど、おめでとうございます」
「ふふ、ありがと~」
にこやかに笑いながら、マモは空になった私のカップにティーポットの紅茶を注いでくれる。
「借金……まぁ、私じゃなくて私の父方の叔父さんのなんだけどねー」
「叔父さん? 何で叔父さんの借金を……」
「連帯保証人ってやつ? よくある話よ。私のお父さんは叔父さんの連帯保証人だったの。でも、叔父さんは借金を返せず、膨らんだ利子はそのままお父さんにのし掛かった」
少し悲しそうな目をしながら、マモは紅茶を口に含む。
「お父さんは私の春を売るか、自分の体を切り刻むしかなかった。私は割りと乗り気だったんだけど、猛反対されてね~」
当然だろう。いくら借金があろうと、自分が死のうと、自分の娘を売るなど、まともな親に耐えられるものではない。
「だからこっそり家を抜け出てここに来たの。それから【リリス】様が私を買って、働かせてくれて……お父さんからは手紙でとっても怒られたけどね」
「それはそうでしょう……」
「でもそれもそろそろおしまい。もう10年位経ったかな、お父さんも寂しがってるし、帰ろうと思って」
「10年……」
それは彼女とその父親にとって、どれ程長く感じられただろうか。もしかしたら、二倍や三倍ではすまないかもしれない。
「でさ、もう一週間位したらお父さんに新しい手紙を送って、帰るよって……言おうと思ってて」
少し言葉に詰まりながら、マモは紅茶を飲み干した。
「お父さん、喜んでくれるかな……?」
「喜ばない訳ないですよ!」
思わず語気を強めてしまう。
娘との再開を喜ばない親がどこにいるだろうか。
「ふふ、ディーちゃんは優しいね。ありがとう」
「あ、いや。すいません……」
少し恥ずかしくなってしまう。顔が赤くなっていないだろうか。
そう言えば、私の親は何をしているのだろう?研究所に拉致されて以来数年は会っていないが、探してくれていたりするのだろうか?
「ねぇ、ディーちゃん。私ここを出たらお店を開こうと思ってるんだ。可愛いぬいぐるみとか小物を売ってる小さなお店……」
夢を語りながら、マモは空になったティーポットを少し寂しそうに持ち上げた。
「その時はぜひ来てね」
「え? まぁ……。でも直ぐには……」
「来れるでしょ? ディーちゃんは」
「うっ……」
私は思わず唸ってしまう。
私が仕事で潜入していたのがバレていたのか。それが終わったら直ぐにここを出ていく事も……。
「いつからですか?」
「貴女みたいに目が死んでる子は何人も見たけど、それにしては元気だったからさ。酷い子は直ぐに辞めちゃうから」
愉快そうに笑って、マモは優しく目を細める。
「羨ましいな~、ディーちゃんは自由で」
「ですかね……」
マモは10年をこの【リリス】の館で過ごしてきた。確かに、自由は少なかっただろう。
しかし、もうすぐ自由になろうかという彼女の言葉としては、いささかズレている気もしてしまう。
その言葉にある真意は、今の私には一向に分からなかった。
マモとのお茶に興じている間に、日が傾き始めていた。思ったより長いこと話し込んでいたらしい。
「ディーちゃん、寝てないの? 大丈夫?」
「まぁ、はい」
オロオロするジーンに心配されながら、私は与えられた業務を淡々とこなす。
相変わらず客やこの場所自体に言いたい事が多々あるが、今は深く考えないのが懸命だろう。どうせストーカーを捕まえるまでだ。
「あ、そうだ。ねぇジーン、昨日いた黒毛の狼の獣人だけど……」
昨日ジーンが相手をしていたその男は、正にジーンのストーカーと同じ容姿だった。まさか同一人物ではあるまいが、仕事の合間に一応尋ねてみる。
「あ、そっか。見てたんだっけ……でも大丈夫。あれは良いの」
それだけ言うと、ジーンはさっさと仕事に戻ってしまう。あまり触れて欲しい話題ではないようだった。
まぁ、仮にあれがまともな客だったとしても、自分のストーカーと同じ見た目では、それについて話したくないのも当然かもしれない。
ちなみに、ジーンが行為のために部屋に籠っている間、私は部屋の外の廊下で掃除や部屋のセッティングの準備をしている。
かなり長い間暇になるわけで、諸々の準備を終えた『妹』たちが廊下でうつらうつらしているのが見られる。
しかし、トリエントの言葉が気になった私はどうにも眠れず、ジッ。と扉とにらめっこしながら思考を巡らせていた。
ストーカーや母親の件もそうだが、何より気になるのはジェーン・ドゥ。
ジーンの母親が殺されたのは単なる偶然、そう片付ける事も出来るだろう。
しかし、【リリス】との接触を避けたいというトリエントがわざわざ【リリス】の娘であるジェーン・ドゥの名前を出した。それも忠告という形で。
トリエントとの付き合いは短いが、嘘をついたり人を騙すような人間ではない。
「とは言っても何がなんだか……」
トリエントは恐らく答えにたどり着いている。
だが今のところジェーン・ドゥがやばいと言うことしか分からない。
「駄目だ、分かんないや」
はぁ……。と私が重いため息をつくと、外から甲高い悲鳴が聞こえてきた。
ビクッ!と肩を震わせ窓の外を覗き込むと、館の前でガーニールが暴れているのが見えた。
「ガーニール? 一体誰と……」
ガーニールの視線の先に居たのは、黒毛の狼の獣人。正に聞かされていたジーンのストーカーそのものだ。
「あいつ……!」
見張りを頼んでいたガーニールがストーカーと遭遇、そのまま戦闘へと発展したのだろう。
ガーニールは腕の鱗を剣に変化させ、勢いよくストーカーへと振り下ろす。
しかし腐っても元軍人。相手はそれをヒラリと躱し、嘲る様に口の端を上げていた。
それに眉を潜めたガーニールがさらに激しく刀を振り回し、辺りはさらにパニックになっていく。
「メーちゃんやり過ぎ……!」
このままではストーカーを捕まえる前にガーニールが捕まってしまうだろう。
慌てて止めに入ろうと窓から飛び降りると、ストーカーが、んん?とこちらを睨み付けてくる。
「何だ、遊女まで出てきたか……いや、待て。見ない顔だな? 誰だ?」
「私はジーンの『妹』だ」
負けじと睨み返すと、ストーカーは、んん?と首を傾げた。
「そんな話は聞いていないが……いや、そうか。なるほどな。同情するぞ、名も知らぬ少女」
「はぁ? 何言ってんの。やっぱりストーカーの言うことは意味不明だね」
「ストーカー? 何を言う。私はジーンの後援をしているんだぞ」
「いや、妄言もそのくらいに……」
メキッ。と、私の言葉を遮るようにストーカーの腕が折れた。
「いっ!?」
あまりの痛々しい光景に思わず顔をしかめると、折れた腕がぐるんぐるんと周り始める。
絶対にあり得ない動きをしているにも関わらず、当のストーカーは涼しい顔で回る自分の腕を眺めていた。
「ど、どう言うこと?」
「いやいや、すまない。この姿が何か誤解を産んでしまっていたようだ」
腕がピタリと元の位置で止まったかと思うと、その腕を覆っていた黒い毛がどんどん白へと変化する。
頭に生えていた狼の耳はクルンと巻かれた羊の角へ、顔周りの毛が金色に光ると共にライオンのタテガミに変化し、その顔も狼からライオンへと変わっていく。
最後に蛇の尻尾が生え、そこでようやく、私は彼の正体を悟った。
「獣人の神……【キメラ】様ですね?」
「その通り、さすが聡明なお嬢さん」
【キメラ】は獣人を産み出した神であり、その姿を自由に変化させることが出来る。
また神の中でも特に奔放で、世界最大の都市であるこの『パンゲア』以外の場所でもよく目撃されているようだ。
彼の奇妙な容姿は有名だ。私も【キメラ】が故郷の村付近に現れたと取り上げられた新聞で、その姿を見たことがある。
その【キメラ】は鋭い歯を見せて笑い、硬直しているガーニールを手招きする。
ガーニールは逡巡したが、恐る恐る私たちの方へと歩いてきた。
「その、すみませんでした」
「構わないよ、事情があったようだからね。だから……」
ゴチンッ!と、ガーニールの頭に拳が振り下ろされた。
「いっっ!?」
龍の鱗の守りすら貫通してダメージを与えられたらしく、いつもはポーカーフェイスなガーニールが痛みで悶絶している。
「この一発でおじゃんにしてあげよう。こちらも面子があるから」
【キメラ】は飄々と笑い、私を抱え上げて【リリス】の館へと入っていく。
「あの、何故抱えるんです?」
「おや? 君はジーンの『妹』なのだろう? 案内したまえ」
「は、はい……」
この神様は一体何を考えているのか、私を抱えたまま館の中を我が物顔で練り歩いている。
仮にも【リリス】の根城な訳だが、緊張感とかそう言う物はないのだろうか。
道行く魔女たちが【キメラ】に抱えられる新人という絵面を見て、蜘蛛の子を散らすように逃げていく。
当然だ。私だってこんな状況関わりたくない。
「あの、歩いてご案内しますよ? それにこの道……」
「ジーンの部屋とは逆方向。だろう? 構わない、少し話そうじゃないか。小娘の自室から遠ざかるほど、彼女の影響は薄れるのだ」
「こ、小娘? 【リリス】様の事ですか?」
「その通り。彼女は特殊な事例で……いや、それより君、名前は何と?」
「ディーですけど……」
「【嘘だな】」
ビクッ。と驚愕で体が震える。
別に偽名だと看破された事に驚いたのではない。
余りにも食い気味に【キメラ】が言葉を重ねてきたからだ。
「すまない、驚かせてしまったか。なまじ私は姿を自在に変化出来るのでな。名前には拘りがあるのだよ。まぁ、君の本当の名を聞きはしないが……君は知っておくべきだ。ジェーン・ドゥと言う名前について」
「ジェーン・ドゥ……」
またこの名前だ。先日からずっと私の頭を悩ませている【リリス】の娘。
「『ジェーン・ドゥ』とは、旧世界において『身元不明の女性』を意味する。自由奔放で中々姿を見せない彼女にはぴったりな名だと言えるだろう。しかし、彼女の真の名前は『ジェーン・ドゥ』ではない」
「え?」
旧世界というのは【方舟】が出来る前の世界の話か。いや、それよりもジェーン・ドゥは本当の名前じゃない?
「『ジェーン・ドゥ』は彼女の能力を見た者たちが後から付けた呼び名なのだ。本人がそれを大層気に入ってその名を名乗り始めたが、本来の名は別にある」
「えっと、話が見えないんですが」
「あぁ、すまない。彼女が『ジェーン・ドゥ』と呼ばれる様になった由来なのだが、彼女は私と同じように姿を自在に変えることが出来るのだ」
「そ、それは……」
『ジェーン・ドゥに気を付けろ』トリエントの言葉が頭の中で反復される。
やっと合点が言った。あれは【リリス】の娘であるジェーン・ドゥが、この館に潜んでいると言うことだったのだ。
トリエントがわざわざ警告してきたのは、私との会話の中でそれに気付いたからだろう。
だが、一体どこで?
「さて、聡いディーならもう気付いたろうが、この館にはジェーン・ドゥが潜んでいる。しかし、自由奔放なジェーン・ドゥがこの娼館でじっとしていると思うかね?」
「いや……」
話に聞く通りの人物なら、じっとはしていないだろう。
「つまり、ジェーン・ドゥがここに潜む手助けをしている者がいる。それが出来るのは一体誰だと思う?」
「この館で【リリス】の目を掻い潜りながらジェーン・ドゥを忍び込ませる事の出来る魔女?」
そんなの……一人しかいない。
「【リリス】本人」
「見事、正解だ」
ふと、【キメラ】が足を止める。
気付けば【キメラ】と私は館の端まで歩いていたようで、目の前には突き当たりの壁が迫っていた。
【リリス】の自室から離れるほど彼女の影響が薄れると言うのなら、正にこの場所は一番の安全地帯と言える。
「さて、もう一つ質問だ。そんな黒幕【リリス】のお膝元であるこの場所で、君は真実にたどり着けるかな?」
「無理……ですね」
何かしようとしても、妨害を受けるのは目に見えている。
実際、今まで私は行き詰まっていた。この館の中に真実に迫れる"何か"は何一つないのだろう。
【キメラ】は私の答えに満足げに頷きながら私を地面に降ろす。
「そんなディーに相談だ」
そして懐から大量の札束を取り出すと、とんでもない事を言い出した。
「私に買われてみないかい?」
お読み頂きありがとうございます。
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