三つ子の魂
かつて滅びた世界の神々は、別の次元に新たな世界を作った。
そして神々はその世界にそれぞれの……人魚、或いは竜などの『こどもたち』を産み落とし、多種多様な種族が住む世界が完成する。
その世界は【方舟】と呼ばれ、神々は二度と滅びないよう、魔法を施した。
【方舟】は『こどもたち』が不自由なく暮らせるよう創られたが、それでも全ての闇を取り払える訳ではない。
【方舟】最大の王国、世界人口の四割が住む『パンゲア』でも、取りきれなかった闇が今日も蠢いている。
その闇の一つであり、復讐者を集めた秘密結社『B』は、普段便利屋として日銭を稼いでいる。
正直秘密結社が便利屋なんてやってて良いのかと疑問はあるが、行く宛のない私は言われたまま仕事をこなすしかない。
「それにほら、何かの拍子で『異能』が開花するかもでしょ?」
これは有翼人のマーナード談だが、私はあまり新たな『異能』を使えるようになるとは思っていない。
それは今現在使える風と炎の『異能』が親友たちの物で、この特別な感情が何かしら作用しているらしいと言うのも理由の一つだが、そもそも『異能』を開花するための条件が謎なのだ。
「それにさ、『異能』の何が特別なの?」
「先ず痕跡が残らない。魔法は長く使われる中で解析の方法がある程度確立されているけど、『異能』の原理には謎が多いのよ。それに、基本『異能』の方が強力ね」
マーナードがそう教えてくれたが、それだと結局開花する条件は謎のままだ。
私の『異能』は、近くで死んだ者の『異能』を取り込む、と言うもの。
浚われ、『異能』の実験体として研究されていた孤島で、親友を殺された私は怒りのままその場の全てを燃やし尽くした。
何人もの『異能』を持つ子供たちがその時私の近くで死んだのは間違いなく、私はそれらの『異能』を扱える可能性がある。
秘密結社『B』のリーダー、羊の獣人であるエリーニュスは自らの復讐の為に探索、捜索に特化した『異能』を探しており、私のその可能性に期待しているらしい。
「とは言っても使えないもんは使えないよ」
「それでは困る。早くしてもらわなければ」
『B』の秘密基地の再奥、エリーニュスの自室と化している円卓のある部屋で、『B』のメンバーは思い思いの夕食をとっている。
私はまた今日も、『まだ新しい『異能』は開花しないのか』と、エリーニュスから問われたところだった。
「思うに、気合いだな。『異能』を開花させてやろうって気概が感じられん!」
サラダを口一杯に頬張っているのが、エリーニュス。
「『異能』は精神性に左右されるし、急いでも仕方ないよ」
フォークとナイフで丁寧にステーキを切って口に運ぶ女性が、マーナード。
「拙者と修行でもしてみるか?」
ポリポリとお手製の丸薬(?)を噛んでいる男性が、鼬族のトナト。
「……」
我関せずと言った様子で魚を丸かじりしている女性は、龍人のガーニール・メークアウト。
「あのねぇ、あんたらの言う修行とか気合いとかなんとか、全部証明されてる訳じゃないんでしょ? そもそも『異能』ってのは開花するもんじゃなくて、生まれときから持ってるのに気づくかどうかって感じじゃないの?」
私はと言うと、適当にハムとスクランブルエッグを挟んだサンドイッチをチマチマ食べている。
毎度思うが、このチームは協調性が無さすぎるのではないか。食事くらい同じ物を食べた方が仲良くなれると思うのだが。
同じ釜の飯を食う。とかいうアレだ。
「しかし、貴様の意見も一つの見解に過ぎない訳だ」
ゴクンとサラダを飲み込んで、エリーニュスがフォークでこちらを指しながら言う。
協調性が無い最大の原因であるこいつは、何も考えて無いように見えて急に鋭い事を口走る。
「時間が無いと言った筈だ。モタモタしていると復讐相手が死んでしまうかもしれない。良いから何でも試してみろ」
確かに、復讐者としてそれは不本意極まり無いだろう。私としても協力すると言った手前、エリーニュスの期待に答える為に全力を尽くさねばなるまい。
だが出来ないものは出来ない。親友の『異能』は使えて、それ以外は発動すらしないその差は何か。
それが分からなければ一向に先には進めないのではないか。
「何にしてもバーさんのお使いとかやってる内は『異能』は開花しないでしょ」
ここ数日は『B』の資金……もとい日銭を稼ぐために、落とし物を探したり、掃除を手伝ったりとおおよそ『異能』が開花するとは思えない作業しかしていない。
「刺激か。なるほど……では"あれ"をやらせてみるか! マーナードもガーニールも向いていないと一蹴されたからな!」
「は? トナトとあんたは?」
「俺たちは論外だ。食事が終わったら早速向かうとしよう」
バリバリとキャベツを噛みちぎって、エリーニュスはニヤリと笑う。
「行くって、どこに?」
ろくでもない予感を感じながら、私は尋ねる。
「偉大なる王国『パンゲア』、その裏側への入り口……魔女の神【リリス】が治める『歓楽街』だ」
『パンゲア』における『歓楽街』と言うのは、色街である。
つまりホストやキャバクラ、もう少し踏み込めば過激な風俗店や違法ギリギリのカジノが蔓延っている『パンゲア』の汚点とも言える無法地帯だ。
かつては人気の屋台が集まり連日客が集まる賑やかな大通りだったのだが、夜の来客が多い事に目を付けた【リリス】が介入。
結果一年と経たず、素敵な大通りは子供が決して入ってはいけない場所へと成り果てた。
「つまりだな、とある風俗店でストーカー行為にあってるが風俗嬢がいると言う話なのだ!」
その『歓楽街』を、エリーニュスは我が物顔で歩いている。
誰かがストーカー行為にあってる等、そんなに大きな声で言うものではないと思うのだが……。
「ねー、私ここに来ても良かったの?」
「別に問題ない! ここら辺はまだ健全だ。ちょくちょくぼったくりも見られるが……もう少し奥に行けばお前程の娘が身売りしている事もある」
「うげー。借金とかってこと?」
「その通りだ! だが、『パンゲア』で大の大人が職業難に陥る事はそうそうない。つまりそう言った娘は親が怠け者か、親戚もいない天涯孤独かの二択だと思った方が良い!」
マジか。と私は苦々しく心の中で呟く。
「ちなみに、基本的にはそう言った娘は店で人気な嬢を『姉』とし、その下に着いて『妹』となり、『姉』の手伝いをしている」
そうやって金を稼いでいるのだ。と、エリーニュスは言う。
ここまで話を聞いて、私は今回の仕事内容に大体の察しがついた。
「ねぇ、まさかとは思うけど……」
「そう! 貴様には『妹』として店に潜入し、その依頼人の護衛をしてもらう!」
「私にキャバ嬢になれってか!?」
「正確には風俗嬢だ。キャバクラのエリアはもう通り過ぎたぞ」
「どっちにしろ嫌だよ!」
「まぁ、聞け。そのストーカーと言うのが元軍人で中々強いらしい。しかもここ最近は強行な手段を取ることも増えてきたと言う。そいつと戦えれば『異能』を開花するかもしれんだろう?」
「なるほどね……」
そして潜入するにはまだ少女である私が好都合と言うわけだ。
男であるエリーニュスやトナトは論外だし、ガーニールとマーナードは以前断られたと言っていた。
「どうだ? お前にピッタリだろう?」
「チッ、分かった。やれば良いんでしょ? やれば」
「そう言ってくれると思っていた! さて、そうと決まればお前が働く『リリスの館』、その支配人兼『歓楽街』の支配者に挨拶をする必要があるな」
「支配者……?」
その支配者と言うのは魔女の神【リリス】だろう、今の『歓楽街』は【リリス】によって作り上げられている。
神々はこの【方舟】を作った創造主たちだ。そして【リリス】は魔女と言う種族を造った、その王とも言える存在なのだ。
魔女は『魔法』の扱いに長けた種族で、女性しか産まれない。その特殊な性質から、混血しか居ないのも最大の特徴と言えるだろう。
そんな魔女たちの頂点に立つ【リリス】は、この【方舟】で唯一の純血の魔女である。そのせいか、魔女たちは【リリス】をかなり神聖視している。
純血であり神である【リリス】に血が近ければ近い程その力も増すと言うのも理由の一つだが、彼女らにとって、【リリス】は紛がうことなき始祖なのだ。
『歓楽街』の最奥。そこに鎮座する巨大な城、『リリスの館』の最上階に【リリス】は居る。
どぎついピンクの壁に灰色のガラス窓がはめ込まれており、いかにも"そう言うもの"という雰囲気を醸し出している。
城の中はほんのり薄暗く、唯一の光源である桃色の蝋燭が一定の間隔で壁に吊るされていた。
「何で蝋燭?」
「この御殿全体が巨大な『魔法』の儀式場なのだ。蝋燭には触れるなよ? 消し炭にされるぞ」
「防御システムってわけね……」
不埒な輩は侵入した瞬間に殺されるのだろう。
魔女の神が作った巨大なセキュリティハウス、それがこの『リリスの館』の正体か。
「魔女の神の店なのに、魔女が居ないんだね?」
「今の時間帯は皆寝ている。夜になったら出てくるだろう」
「あー、そう言う……」
ここには夜の街で働く魔女たちが住むのだ。言われてみれば当たり前だった。
そうしてエリーニュスに連れられてたどり着いたのは、私の2倍はある巨大な両開きの扉。
扉の中央によく分からない紋様がデカデカと描かれており、扉全体が緑色にチカチカと点滅している。
「さぁ、この扉の先に【リリス】が居る。失礼の無いようにな」
「分かってるって……」
正直言うと、かなり緊張している。神に会うのは初めてだ。
ドキドキしながら扉を開くと、直ぐに甘ったるい匂いが鼻に入ってきた。白いカーテンの向こう側に、妖艶な横になったシルエットが見える。あれが【リリス】だろう。
カーテンの奥から飛んでくるピンク色の煙……これはお香か。これが甘い匂いの正体らしい。
思わず鼻を塞ぐと、クスクスと言う笑い声が聞こえてきた。
「この匂いは苦手かえ?」
カーテンの奥のシルエットが僅かに身動ぎした。
「苦手だね」
「敬語」
「……。苦手です、はい」
隣に立つエリーニュスから囁かれ、言い直す。
「良い良い、敬語など使うな。今度はそこの少女を働かせたいのか?」
「えぇ、条件にも合っているでしょう?」
「仕方なの無い奴じゃのう……ガーニールやマーナードはかなり擦れていたが。ふむ……年の頃は11~13かの。貴様、処女か?」
「……分かんない」
顔が赤くなるのを感じる。
というか、その質問のどこに必要性があるのだろうか。
「分からない事は無いだろう! 男と交わったかどうかと聞いているのだぞ!」
「大きい声で言わないでよノンデリカシー野郎! 分かんないもんは分かんないよ!」
エリーニュスは言い返されたのに驚いたのか、少しムッとする。
ふむ?と【リリス】が静かに首を傾げた。
「意味を知らぬ、と言う反応でもないな。どういう訳だ?」
「さ、最近まで人体実験されてたから……私にも私の体の事は分かんない……から」
「……なるほど。相変わらず不思議な者を集めておるな、エリーニュス」
はぁ……。と【リリス】の深いため息が聞こえてくる。
「こちらに来い、ディー」
「は?」
「カーテンを超えて来いと言っておる」
「……何する気?」
サッ。と反射的に身を引いてしまう。
「わっちが直接確認してやる」
「嫌だけど!? て言うか何で確認する必要があるの!」
「仕事の方法が変わるからだ。処女を執拗に狙う輩は多い。護衛に来たのに護衛される側に回るのは嫌じゃろ?」
「いや……」
結局少女と言うだけで一定数からは狙われるのではないだろうか。
「ほら、来い。安心しろ、直ぐに終わる」
「ちょっとまって……って何これ!?」
躊躇う私の腕を、見えない何かが掴んでカーテンの方へと引っ張っていく。
そうだ、ここは【リリス】の御殿。どんな『魔法』が仕込んであって不思議ではない。
「くっ! このっ……! や、止めろーーー!」
抵抗虚しく、私はカーテンの向こう側に引きずり込まれた。
数分後、ペッ。と私はカーテンから吐き出される。
「処女では無かったぞい」
「はいはい……」
意外でも何でもない結果を聞きながら、私は太ももをさする。見えない物に這われた感覚が残っていて、何とも気持ち悪い。
二度とあんなものはごめんだ。
「純潔でないなら直接『妹』として働いてもらおうか。今『姉』を呼ぶ、少々待っておれ」
カーテンの向こうの影が消えて、甘いお香の匂いも薄らいでいく。
【リリス】の気配が消えると、エリーニュスが意外そうにこちらを見つめてきた。
「なんだ、結局処女ではなかったか。いつからだ?」
「知らないよ……研究所で、薬品で寝てる間にやられてたんじゃない?」
あくまでも、私の記憶には無いだけだ。私の記憶に残らないように行為に及ぶ方法など、いくらでもある。
しかもあの科学者たちだ。やっていてもおかしくない。
「ま、全員焼いちゃったけどね」
今さら純潔など何とも思わない。私の復讐は完了しているし、科学者たちは特に苦しむよう焼き殺した。
あの中にそいつが居たと思えば、寧ろ清々とした気持ちが沸いてくるというものだ。
「羨ましい限りだ」
「あ?」
「俺はまだ復讐を終えていない。速く、この胸にある熱い炎を吐き出してしまいたいものだ」
そうか、彼はまだあの熱いマグマの様な感情に突き動かされているのだ。
「まぁ、出来るだけ手伝うよ」
「感謝する」
何を思っているのか、エリーニュスはじっとカーテンを見つめて固まっている。
やがてカーテンの向こうにシルエットが戻り、【リリス】は少し疲れたように枕に身を預けた。
「連れてきたぞ。ディー、お前の『姉』となるジェー……あー、ジー? なんじゃったか」
「ジ、ジーンです。【リリス】様……」
おずおずとドアを開きながら、一人の魔女が入ってきた。
金髪のボブカットに全体的に丸みを帯びた体。
露出の多いドレスを恥ずかしそうに纏いながら、ジーンは少し赤い顔で私に手を振ってきた。
「よろしくね、ディーちゃん」
「どうも、よろしく……」
求められた握手を返すと、また顔が赤くなった。
どこまで恥ずかしがり屋なのだこの人は。こんなので風俗店で働けるのだろうか?
しかもストーカーにあっているということは、それ程客に入れ込まれてるということだ。
いまのところ、そこまでの魅力がこの人から感じられない。
「それでは【リリス】様、失礼します。さ、ディーちゃんは私と一緒に」
ジーンに言われるままに手を引かれていくと、『更衣室』と書かれた魔方陣を通って何やら慌ただしい場所にたどり着く。
ここが風俗店のロッカールームか。誰も彼も忙しなく動き回っていて、不思議な熱気で満ちていた。
「ディーちゃんの服はこれで……えっと、特に覚える事は無いけど……お客様の機嫌を損ねないようにね?」
「分かった」
とは言ったものの、渡された服はやけに薄いし隙間から肌が見えるし、正直着たくない。
だが文句を言ってもいられない。渋々渡された服に着替えると、早速受付から呼び出しがあり、客の待つ部屋に案内された。
「無口なフリをしてたら良いよ。『妹』はそっちの方が客受けが良いから」
道中、さらりとそんなことを言われる。まぁ、風俗店に来たのに、活発な子供に話しかけられたなんて事になったら萎えるのも当然か。
と言うかこの人……急に赤面しなくなった。公私での切り替えが激しいタイプなのだろう。
「じゃ、私が呼ぶまで待機ね」
そう言うとジーンは部屋に入っていった。
『魔法』で完全な防音が施されているのか、部屋の外からは何の音も聞こえてこない。
しかし時折腕を絡めて歩いていく様々な種族の男女を見るのは非常に辛かった。
こういう時は心を殺して座っておくに限る。
孤島で研究を受けていた時に比べればなんてことない。
「ディーちゃん、ディーちゃん」
「ん? 何?」
思案に耽っていると、ドアを半開きにしたジーンが手招きして私を呼ぶ。
「中に入ってくれる? 椅子に座ってれば良いから」
「……何で? 片付けの手伝いならまだしも、椅子に座るだけだなんて……」
「お客様が……み、視られたいって言ってて……」
カァ……。とジーンの頬が赤く染まる。
なるほど、これは普通の要求ではないと見た。ジーンは慣れている仕事には淡々と打ち込めるが、トラブルが起こると赤面してしまうのだろう。
そして客側もそれを分かっていて、ジーンの赤面を喜んでいる。だから私を呼んだのだ。
「分かった」
どうせ私に断る権利はないので、中に入って、チョコンと椅子に座る。
客として来ていたのは黒毛の狼の獣人。ジーンの赤い顔を見て満足そうな笑みを浮かべ、意気揚々と行為を再開した。
正直見ていて吐きそうだった。
私にとって、その余りにも酷い光景は刺激が強すぎる。これがお互い愛し合っているのならまだ違ったのかもしれないが、明らかに一方的だ。
好意の天秤が釣り合っていない。
「終わったよ」
男が部屋を出ていき、ジーンから声をかけられてようやく、はぁ。とため息をつく。
ようやく終わった様だ。どのくらい時間が経ったのか定かではないが、体感では二時間程経っている気がする。
「片付け、手伝うよ」
「あ、ありがとう。平気? 触れる?」
「まぁ……」
死体に比べればなんて事は無い。とは口に出さず、淡々と汚れたシーツを丸めて抱える。
運んでもらうのに慣れてないのか、ジーンは申し訳なさそうにしていた。
「これはどこに運べば良いの?」
「え? あ、右奥の魔方陣に投げ込めば良いよ。その横に新しいシーツがあるから取ってきてね」
「分かった」
私が部屋を出ると、ちょうど横を通った魔女の風俗嬢が、あら?と声を挙げた。
「あの子、いつの間に『妹』なんて付けたのかしら。可愛い『妹』ね~。なんて名前?」
「……ディー」
「ディーちゃんかぁ。早くお客さん取れるようになったら良いね」
先輩は並列して歩きながら、気さくに話しかけてくる。それどころか重いでしょ?と、私が抱えていたシーツを持ってくれた。
別に親切にされようが、無下に扱われようが構いはしないのだが、護衛が終わったらここを去る身としては、今は彼女の親切が少し後ろめたい。
「にしてもジーンちゃん、人気になったわよね」
「昔は人気じゃなかったの?」
「そうよ~。前はもっとお客も少なかったのよ? あの子は臆病だし、【リリス】様がお客を選んで当てて何とか食べていけるって感じだったの」
「へぇ……」
確かにあの恥ずかしがり様では、この仕事はまともに出来ないだろう。
「それが少し前からかしら……『あのジーンが同性とやったらしい』って噂が流れたかと思ったら、客を選ばず何でも受けるようになったのよね。その内【リリス】様の手からも離れて、あっという間に人気になったの」
「同性と……?」
何故わざわざ同性とやるのだろうか。
「あ、ごめんなさい。分かんないわよね。とにかく、私は安心してるの。あの子おどおどしてて常連さんにも見捨てられそうだったんだから……でもねぇ、最近人気になったせいかストーカーされてるって聞くし、心配よねぇ」
ストーカー、私がここに来た本題だ。
ここに来てようやく、その影が見えてきた。
「そのストーカーってどんなヒトなの?」
「え? 狼の獣人よ、黒い奴」
「……ん?」
黒毛の狼……それはさっきの客ではないか?
「ストーカーって入れるの? ここ」
「入れるわけないじゃない。嬢が殺される事もあるんだから……」
「そうだよね……」
ではあれは別人と言うことか。
しかし、あの不釣り合いな愛も相手がストーカーなら説明とつく。可能性は考慮しておくべきだろう。
「見た目って魔法で変えれたりする?」
「え? うーん……飾りとして耳やしっぽを生やしたりする位なら……体格や体毛、性器みたいな身体構造は変えられないわ。なに? そう言うの興味あったりする?」
「いや、別に……」
「隠さなくて良いのに~。ちなみに私は組伏せられるのが好きよ」
誰も先輩の趣味趣向など聞いてない
「先輩もストーカーとかに追われたりするの?」
「昔あったわ。ま、直ぐに警察に捕まったけどね。『パンゲア』の警察は優秀よ、ディーちゃんは悪いことしたらダメよ? 特にヤバいクスリとか」
「気を付ける」
そう言えばと、研究所でクスリ漬けにされた子供がいた事を思い出す。あれを見た後ではそのクスリを使おう等とは思えない。
先輩と話してる間に廊下の突き当たりにたどり着いた。壁に浮かぶ魔方陣にシーツを投げ込み、その横に積んである綺麗なシーツを新たに抱える。
また先輩は、重いから。と私の分のシーツも持ってくれた。
「良いの?」
「いーの、いーの。私も私の先輩にこうやって運んでもらったから。ディーちゃんが後輩に返してあげてね」
「は、はい……」
ジーンのストーカーが捕まったら直ぐに辞めます。等とは絶対に言えない。この人は優しすぎる。
優しい……か。ジーンも優しいからこそストーカーに粘着されているのかもしれない。
この仕事はある程度ドライでなければ苦労するだろう。
「……ジーン、『姉』はどれくらいの期間ストーカーに追われてるんですか?」
「一ヶ月位? 結構長いわよね。ジーンの証言もあって身元も姿も殆ど分かってるのに、やっぱり元軍人だから手強いのかしら」
本当にそうだろうか?ストーカーをする程ジーンに執着している相手が、一ヶ月もただジーンを追いかけるだけに留まる訳がない。
先ほどのジーンの相手と言い、ジーンが【リリス】に目をかけられていた事と言い、何か裏がある筈だ。
「もしかしてディーちゃん、何とかしようとしてる? ダメよ? 危ないし、まだ子供なんだから」
「分かってる」
勿論、嘘である。
「なら、よし! さぁ、着いたよ。ジーンちゃんにシーツを持っていってあげてね」
先輩に運んでもらったシーツを持って部屋に入ると、ジーンはベッドの上で窓の外を見ながら歌を歌っていた。
「『お眠りなさい子供たち
月が向こうに沈むまで
太陽がドアを叩くまで
お眠りなさい子供たち
母の大きな腕の中で』」
これは子守唄か。ジーンの優しげな声が弾んで窓の外へと飛んでいく。
「良い歌だね。作ったの?」
「ううん。これはよくお母さんが歌ってくれた歌。すごく優しい人なんだよ? まぁ、しばらく会ってないけど……」
ジーンはそう言うと儚げに笑う。
「お母さんはどこにいるの?」
「『パンゲア』には居るよ。仕送りと一緒に手紙も送ってる。けど、返ってきた事は無いんだ」
「そんな奴に仕送りあげる必要ないよ……」
「前に送り忘れたら激昂したお母さんがお店に乗り込んできてさ……」
あはは……。と困ったようにジーンは目を伏せる。
「でもここは【リリス】の店でしょ? 入ってはこれないよ」
神の庇護にある店に突撃してくる母親とは、ジーンは思ったより無茶苦茶な家庭で育ったようだ。
「そうだけど、皆に迷惑はかけたくないから」
身を縮こませ、ジーンは肩をギュッと抱く。
「母親の事嫌い?」
「大嫌いよ」
意外にも即答された。
微妙な笑顔で『好きよ』とでも言われると思っていたのだが……。
「でも、お母さんなの」
どこを見るでもないジーンの目に涙が浮かんでいた。
「私のお母さんなの」
母親とはそこまで特別な物なのだろうか。
そんなに嫌ならいっそのこと……
そこまで考えて、ハッとした。
人を殺すことに対する抵抗が薄くなっている。
それはそうだ。研究所で数え切れない程の人を殺した私に、まともな感性があるわけがない。
「大丈夫だよ、私が何とかする」
そうだ、私は復讐者だ。どこまで行っても人殺しなのだ。
決意した途端、自分の口角が上がるのが分かった。
エリーニュスを手伝うだの何だのも、結局は方便だったのかもしれない。私は人殺しとして誰かに認めてもらいたかったのだ。
「ありがとう、でも気持ちだけ受け取っておくね」
弱々しく笑うジーンを見て、決意を強くする。
ストーカーも、母親も、私が殺そう。
私は、復讐者なのだから。
ここまでお読みいただきありがとうございます。
※更新は不定期です。