桜花の契り 第二部「おじいさんの小説」(マンガ原作シナリオより)
1.謙吉の書斎
こずえ、謙吉の机の上を見ている。
こずえ(N)「おじいさんの書斎で小説らしきものを発見しました。傍には、長年の日記が積み重ねられていました。そこには、桜の精にまつわる不思議な話が、縷々、綴られていました」
こずえ「(原稿を手に取る)明治三十三年の春、茅ヶ崎の結核療養所『南湖院』の一室で、橘百合子は、花瓶の山桜を写生していた。傍には見舞に来た高木謙一がいた。筆を動かしながら百合子が・・・・・・」
2.湘南のサナトリウム・病室
窓の外に桜並木。橘百合子(24)が、矢立から筆を出して、花瓶の山桜を写生している。
百合子「私ね、上村松園のような絵師になりたかったの。でも、もう駄目ね、この体じゃ」
高木謙一(28)「よくなるさ」
百合子「生まれ変われるなら、来世できっと絵師になるわ・・・・・・来世でまた逢いましょう・・・・・・私が絵師で、貴方が文士として・・・・・・ね、約束よ」
N「桜が散る頃、女は結核との闘いに敗れ、二十四年の短い人生に幕を下ろした」
3.桜が散っている病棟の表(暮れ方)
樹下で泣いている謙一。
謙一「百合子・・・・・・」
日も暮れ、暗くなりかけた時。
謎の少女が、謙一の前に現れる。
「どうなさったのですか、泣いたりして・・・・・・。
この種をあげます。後生大事に育てれば、
きっとあなたの望みが叶いますよ」
4.謙一の家の前
テロップ『明治三十七年十月』
庭に四年生の桜の木。
出征前の謙一(32)を見送る家族。
謙作(57)桃子(50)謙二(23)。
謙一「(弟・謙二に)この桜をオレの身代わりだと思って、
大切に育ててくれ、頼んだぞ」
謙二「ああ、分かった。兄さん」
5.旅順(午後一時)
テロップ『十一月二十六日旅順総攻撃』
白ダスキ隊、強く吹く風、松樹山突撃。大勢の兵士が前面の傾斜を攀じ登る。
敵の弾丸が落ちる。濃い煙が立ち上がる。死体の山。その中に髙木謙一。
謙一「ああ、これでオレの一生は終わりなのか。なんてつまらない人生だ。
結局、夢一つ叶わず犬死するのか。ああ、百合子、君の夢は絵師になることだった。
だが君は結核に冒され、志半ばで鬼籍に入った。
そして、オレも今、この旅順の地で死のうとしている。
二人で生きていく夢も、文士になる夢も叶わず、
今生に別れを告げなければならないなんて・・・・・・ああ、桜の精よ、
もし、来世があるのなら、どうか後生で望みを叶えてくれ」
実家の桜のアップ。
6.武蔵野の農家(朝)
テロップ『昭和四年十一月十日』
7.謙吉の夢(旅順の戦場)
死んだ兵士たち、その中に謙一。
8.謙吉の部屋(元・謙一の部屋)(早朝)
本だらけの暗い部屋。障子に朝日が射している。目覚める謙吉少年(10)。
謙吉「また、あの夢だ」
9.畑(朝)
桜に藁囲いする謙作(82)。
それを手伝う謙吉。
謙吉「ねえ、じいちゃん。オレ、また、戦で死ぬ夢見たよ」
謙作「そう何度も見るんじゃ、もしかすると前世の夢かもしれん」
謙吉「前世の夢?」
謙作「戦で死んだと言えば、ほれ、この桜の木は、
お前の伯父さんが日露の戦に行く時、身代わりにと、
お前の父さんに託した木だ。
もしかすると、お前は、死んだ謙一の生まれ変わりかもしれんな」
10.尋常小学校教室(朝)
授業前、謙吉の後の席の二人が話をしている。
質屋の息子「高木んちの親父さ、借金返せなくて、
結局うちで預かってる品物ながして、出稼ぎに出たまま、
行方をくらましちまったんだぜ。(地主の息子、鏑木清作を見て)
お前んとこも、あいつんちに金貸してんだろ」
清作「色々と大変なんでしょ。
新聞に、今は不況で失業者が増えているって書いてあったよ。
特に小作農は大変らしいよ。うちは地主だから、多少はましだけど」
質屋の息子「お前んとこの親父もお人好しだからな。
でも、借りたもんは返すのが、道理だろ」
苦りきった顔の謙吉。横の離れた席に居るさゆりの視線が気になる。
11.帰り道(夕)
泣き顔で歩く謙吉。
12.家の裏の畑
桜の木の幹に、もたれかかる謙吉。
何時の間にか眠る。(F.O)
13.(F.I)謙吉の夢-同・畑(夜)
気がつくと、そこに白い服の少女が立っていた。
少女「どうしたの、泣いたりして」
謙吉「・・・・・・」
少女「これをあげる。大切に育ててね。きっとあなたの夢が叶うから」
14.(F.I)畑(夜)
梅子(45)の声「・・・きち・・・謙吉!」
目覚める謙吉。
梅子「こんな所で寝てたら風邪ひくよ」
謙吉、ふと手を見ると袋を握っている。中には桜の種が入っている。驚く謙吉。
15.学校・教室(翌朝)
謙吉、級友に昨日のことを話している。
謙吉「本当だよ。あれはきっと桜の精だよ」
級友A「お前、頭おかしくなったんじゃねえか。
そんなもんで望みが叶うわけねえじゃねえか。
お前、からかわれたんだよ」
級友B「寝ぼけて夢でも見たんだろ」
さゆりが話しかけてくる。
さゆり「ねえ、その種欲しいんだけど、くれない?」
(意外な顔のAとB)
謙吉「え? ああ、いいよ。なんか願い事あるの?」
さゆり「うん、恋愛成就のね(清作の方を見る)」
16.謙吉の家の畑
テロップ 『昭和十一年五月』
謙吉(17)、自分の育てた桜の苗木を見ている。ふと気付くと、
目の前に少女(椎野桜子【15】)が立っている。(同人誌『櫻桃』を手に持って)
桜子「あの、高木謙吉さんですか?」
謙吉「そうですけど、なにか・・・・・・」
桜子「はい、私、高女一年の椎野桜子といいます。
この本に書かれているあなたの作品に感銘を受けまして、
私、詩を書いているんですが、よろしければ是非、
同人に加えて頂きたいと思いまして・・・・・・」
謙吉「そう、君、どんな作家が好きなの?」
桜子「はい、宮沢賢治です」
謙吉「賢治か・・・・・・いいね、俺も好きだよ」
桜子「あの、小説の案はどこから発想されたんですか?」
謙吉「その本に書いたやつはね、子供の頃よく見た夢が元になってるんだ」
桜子「夢?」
謙吉「そう」
桜子「あの・・・・・・」
謙吉「ん?」
桜子「もしよろしければ、お友達になっていただけませんか?」
謙吉「え・・・・・・(赤くなる)」
17.アトリエ
清作が、さゆりの肖像画を描いている。
清作「俺、ゴッホのような画家になりたいんだ。
芸術家の末路は悲惨かも知れないけど、
好きな事の為に一生を懸けるって決めたんだ」
さゆり「私、どこまでも、ついていきます」
18.井の頭公園駅
テロップ『昭和十四年四月』
N「謙吉は、東京帝国大学文学部国文科に入学した。
清作は画家を目指し、東京美術学校へ進学した」
帝都電鉄に乗り込む謙吉。
見送る梅子、謙作、桃子、後に桜子。
19.写真
N「この年、清作の父、清が支那の地で戦死した」
万歳で、出征を祝される清。
20.軍需工場
働く桜子。
N「昭和十八年九月、桜子に白紙(令状)がきて、
女子挺身隊員として軍需工場へ動員された」
21.輸送船内
戦地へ向かう兵隊の中の謙吉。
N「謙吉と清作にも赤紙がきた。謙吉は訓練を受けた後フィリピンへ」
22.描きかけのさゆりの肖像画
絵を眺めるさゆり。
N「清作は出征を前にさゆりと結婚、描きかけの絵を残したまま沖縄へ」
23.野戦病院
マラリアで苦しむ謙吉。
謙吉「こんな所で死んでたまるか、生きて俺は、小説を書くんだ」
24.鹿屋基地・校庭
テロップ『昭和二十年四月』
出撃前の神雷部隊と、桜花を抱いた一式陸攻。万朶の八重桜。
桜の花を受け取る特攻隊員たち。さゆりのことを思い出す清作。
清作(M)「どうして俺はここにいるのだ。死にたくない。
俺にはやるべきことが、沢山あるのだ」
清作、他七人が、首にマスコットを下げ、一式陸攻に乗り込む。
菅善治二飛曹が、鏑木中尉をエスコートして、
真下に吊られた桜花への乗り組みを助けた。
中尉(清作)は操縦桿を握って前方を凝視している。
米空母「エセックス」が眼下に見える。
三村機長が、投下ボタンを押す。エセックスに桜花が体当たり、爆発。
一式陸攻、F6Fヘルキャットに撃墜される。
N「そして、清作は、沖縄の海で散華した」
25.広島(キノコ雲)
テロップ『昭和二十年八月』
「六日、米軍のエノラ・ゲイは、広島に、リトル・ボーイを投下」
26.広島(原爆投下後)
27.長崎(原爆投下後)
「九日、長崎にファット・マン投下」
「日本政府、ポツダム宣言受諾」
28.皇居前広場
テロップ『八月十五日、終戦』
涙にむせぶ桜子、その他の女子挺身隊員たち。
29.武蔵野の謙吉の実家
テロップ『昭和二十一年』
N「戦後の農地改革により、土地を得た謙吉は、桜子と結婚し、
昼は野良仕事、夜は小説を書くという生活を始めた」
野良仕事をしている謙吉と桜子。
30.謙吉の家
テロップ『昭和二十四年・夏』
床で息を引き取った、桜子。桜子の肩を抱き泣き崩れる謙吉(30)。
その傍で泣き咽ぶ梅子。梅子に抱かれている赤ん坊・幹夫は何もわからずに、
きょとんとした顔をしている。
N「桜子は、長男・幹夫を出産した。しかし、その数日後、
戦時中からの疲労がたたって、二十八歳で夭折した。
その顔は、不思議なほど安らかであった。二人が邂逅したあの畑では、
二十年前から実生で育てた桜が、花を咲かせていた。
畑の桜。
31.畑
テロップ『昭和二十五年四月』
桜の木をスケッチするさゆり。
畑仕事をする謙吉。見つめ会う二人。
32.さゆりの部屋
描きかけの絵が飾ってある。
それを一瞥する謙吉。
謙吉「これは清作の絵ですね」
さゆり「ええ、祥月命日にだけ、こうしてながめているんです」
謙吉「今でも清作のことを愛しているんですね」
さゆり「ええ」
謙吉「あいつは、いいやつでしたからね」
さゆり「・・・・・・」
謙吉「僕のことなど愛せないでしょう」
さゆり「愛ってそんな狭隘なものかしら」
謙吉「はっ?」
さゆり「貴方だって桜子さんのこと、忘れた訳じゃないでしょう」
謙吉「それは、まあ・・・・・・」
さゆり、悲しげな表情。
謙吉「自由恋愛主義ってことですか」
さゆり「そんなんじゃなくて、もっと精神的に清廉な・・・・・・」
謙吉「あ、つまり愛とは、もっと寛大なものだと・・・・・・」
さゆり「・・・・・・」
謙吉「兎に角、僕と結婚してくれるんですね」
さゆり「・・・はい」
謙吉「ありがとう」
さゆり「・・・・・・(赤くなる)」
33.謙吉とさゆりの結婚写真
N「昭和二十六年、謙吉とさゆりは結婚した。
そして地元紙に連載していた謙吉の小説が新人賞を受賞した」
34.幹夫の大学卒業記念写真
N「昭和四十七年、長男の幹夫は大学卒業後、シナリオライターの職に就く。
仕事柄、女優の葉子と知り合い結婚。
昭和五十九年、幹夫と葉子の間に長女・こずえが生まれた。(幹夫と葉子とこずえの家族写真)」
35.阪神大震災の写真
N「平成八年、阪神大震災の翌年、幹夫の書いたテレビドラマ『七人の聖者』が
障害者蔑視とマスコミに叩かれ、業界を追われた。
その後、雑誌記者として出版社に就職したのだが・・・・・・」
36.出版社・編集室
テロップ『平成九年九月』
編集長「君、編集方針に従えないなら、やめてもらうよ。
こんな批判記事載せたら、うちに広告載せてる会社からクレームがくるだろう」
幹夫「事実をありのまま、読者に伝えるのが、
我々ジャーナリストの使命ではないでしょうか」
編集長「なんだ、私に説教する気か。もっと世故に長けた奴だと思っていたが、
意外に、世間知らずだな」
幹夫「私は間違っているとは思いません」
編集長「いいかい、問題は正しいとか間違っているとか、そういうことじゃないんだ。
企業間の信頼関係を損なうような記事を書くなと言っているんだ」
幹夫「納得できません」
編集長「きみなあ・・・・・・」
37.髙木家・茶の間
幹夫と葉子が口論している。
こずえ、謙吉、さゆり、同席。
葉子「くびになったって・・・・・・」
幹夫「 "リストラの一環として貴君を馘首する" だとさ」
葉子「あなた、これからどうするつもりなの?」
幹夫「そうだな、フリーランスで作家でもやろうかな」
葉子「そんな・・・・・・ちゃんとした仕事見つけなきゃ私達生活できないじゃない」
幹夫「いざとなりゃ、土地でも売るさ」
葉子「あなたも少しは大人になって、会社のいうことをきいていればいいのに」
幹夫「俺は信念を曲げてまで上司に諂うような事大主義者じゃないんだよ」
こずえ「あ~あ、私エンコーでもしようかしら」
葉子、驚く。
謙吉「こらこずえ、滅多なことをいうもんじゃない」
葉子「そうね、私も前に所属していた事務所の社長に写真集出さないかって
言われてるんだけど、受けちゃおうかな」
幹夫「馬鹿! 誰がお前の体なんか見たがるものか」
葉子「あら、忘れたの? 私、脱いだらすごいのよ」
幹夫「違った意味でな」
謙吉「こんな深刻な時になに馬鹿なこといってるんだ!」
葉子「ああもう! あまりのショックで頭がどうにかなっちゃいそうよ・・・・・・
こずえに高校と大学行かせなきゃいけないし、家のローンだってまだ残っているし」
幹夫「だから、あの桜が植えてある土地売っぱらって、商売でも始めりゃいいんだよ」
謙吉「駄目だ! あれだけは譲れん。桜の精と約束した土地だ。
約束を反故にする訳にはいかん! だいいち、自然保護を訴えている者が
そんな事を言うのは撞着しているじゃないか」
幹夫M「親父のアニミズム信仰にも困ったもんだ。桜の精と約束しただって?」
N「その後幹夫は、職探しに出たまま、失踪してしまった」
38.謙吉の書斎
テロップ『平成十年』
机に向かって何かを書いている謙吉。
さゆり「あら、何を書いてるんですか?」
謙吉「俺ももう長くないから、人生最後の小説を書こうと思ってね」
さゆり「まあ、どんな小説?」
謙吉「自叙伝のようなものだが・・・・・・まあ、出来てからのお楽しみだ」
さゆり「それは待ち遠しい。早く完成させて、いの一番に私に読ませて下さいね」
謙吉「ああ」
さゆり「私の方はもうすぐ完成よ」
謙吉「あの絵か、それは楽しみだな。お互い頑張ろう」
N「しかし、さゆりは、この小説の完成を待たずして、平成十年十二月九日、
急性心不全で、一枚の絵を残し、この世を去った」
(桜の下で男女が見つめ合っている絵)
こずえN「ここで小説は途切れています。桜の精は本当にいるのでしょうか。
私にはそれを確かめる術がありません」 (完)