穴
空から落下してくるものには様々の種類がある。
今日はハリネズミ。昨日は焼けたゲーミングチェアが降ってきた。
次はどんなものが降ってくるだろうかと、心待ちにしている自分がいる。
片付けるのは面倒だが、それでもそれを上回るだけの魅力が、空からの落下物にはある。だいたい一日に一回降ってくるそれは、とりたてて変化のない日々の生活の中で唯一と言っていいほどの娯楽だった。
「もうここも手狭になってきたなあ」
私は裏庭の穴の前でそう呟いた。生き物は別として、落ちてきた物は大抵この大穴に投げ入れる。それもいつ頃からのことなのかは分からないが、とにかく今までそうしてきたわけだ。
小さい頃は、底が見えなかった。親からは「落ちると危ないから、絶対に近づくな」と釘を刺されていたものだ。
それにもかかわらず、私はこの穴に近づくのが好きだった。親からあまりにそのことを聞かされていたのが、かえって私の好奇心を高めていたのかもしれない。ともかく最初は控えめに、長ずるにつれて私は大胆に穴に近付くようになっていった。
しかし、私だってそんな穴に落ちたらどんなひどい目にあうかくらいは想像がつく。考えた末、私はその穴を覗くときは決まって腹ばいになるのが常だった。そうしておけば、ともかく落ちる心配は無くなるわけだ。
私は腹に土の冷たさと雑草の感触を感じながら、その穴を覗き込むのが好きだった。目をこらしてみると、底の方にはたしかに今まで放り投げていたものの残骸が見えるような気がした。同時に、そんなものは気のせいで、底などないようにも見えた。穴からはいつもささやかな風が吹いており、私はこの穴がきっとどこか違う所に繋がっているのだと、そう信じて疑わなかった。
「穴がふさがってきた?」
両親がそのような話をしているのを耳にしたのは、私も人並みに思春期と呼ばれるような年にさしかかってきた頃だった。それまで、穴は無尽蔵であるかのように思われていた。しかし、両親の談によると穴は毎日の投棄に堪えられなくなったのか、次第に埋まりゆく底が見えはじめてきたということらしかった。
「穴……」
私はその話を聞いて、一人呟いた。私にとって、その無限の穴が心をとらえていたのは遠い昔の事のように感じられた。私には、生きていくうえで魅力に映るものが様々にあった。そうして私はそれに吸い寄せられた。それは決して不快さなどのない、楽しいもろもろだった。私は穴のことなど、すっかり忘れていたと言ってよかった。
そんなさなかに両親の話を聞き、私はひどく懐かしい友人の名前を聞いた心地がした。
確かに、私と穴は友達だった。私たちはいつでも語り合った。私の幼い心をふるわせたもの、動かしたもの、そして傷つけたものも、全てをこの穴は知っていた。
勿論それはずっと一緒にいるということではなかった。穴の近くにいるのを見られることを恐れた私は、絶対に大丈夫だと確信が持てる時にしかそこには近付かなかった。そうしてそのような時は、いつでも偶然と忍耐、そしていくばくかの幸運を必要としていたので、私が穴の近くで過ごせた時間というものは、全てを合わせたところでさして多くはなかった。
それにもかかわらず、私の心にはいつも穴があった。全てをよしとしてくれる、そうしてその真っ暗な口を開けて何でも飲み込んでくれる穴。それはどれだけ心の支えとなってくれたことだろう。
しかし、その穴も今はもうふさがりつつある。
数年後、大人になった私にも、穴へ空からの物体を投げ入れる役割はまわってきたが、日々穴にものを投げ入れていくたび、私の心は何かが減っていくような気がした。
ある日、私は外をまた何かが落ちてきた音を聞いた。外に出て、落ちてきたものを見る。
それは何か液体の入ったタンクだった。いつもなら内容を確かめもせず穴に放り込むのだが、その日は何の気なしにタンクの栓を取って、中をのぞいてみた。
栓からただよってきた臭いは、一瞬でガソリンのそれと分かるものだった。
あわててタンクの栓を閉め、こんなものはさっさと捨ててしまおうと私は思った。
両手でタンクを持ち、裏の穴まで運ぶ。中身がたっぷり入っているからか、運ぶのに少し苦労をした。
穴の前までくる。もうこの頃には穴はほとんど埋まっており、飛び降りたところで怪我などとてもしない程の高さになっていた。
穴の中を見る。久しく忘れていた昔の思い出を、私は様々に思い出した。
不意に、私はタンクの栓を外した。胸にガソリンの臭いを一杯に吸い込む。
そうしてしばらく目をつむる。
私は、タンクの中の液体を、穴にふりかけ始めた。




