1、鳴一郎の冒険
恭 鳴一郎
学校卒業時は十五歳。
「本当に卒業式に出なくて良いのか、蒼次郎」
初夏と呼べる時期は通り過ぎ、湿った空気は真夏に向けて暑さを溜め込んでいる。
十五で学校を卒業する今日、大ホールでは大々的にセレモニーが行われていた。それに揃って参加しなかったことを俺は問い掛けたが、学校を囲む塀に鉤縄を引っ掛けることに成功した、俺より二つ年上の十七歳の少年――恭 蒼次郎は「なんだ? お前は参加したかったのか?」と逆に尋ねてきた。
「鳴一郎はあの『くずったれ』の恭 迫三郎が成績最優秀者として表彰されるのを見たかったのか」
「ンな訳無いだろ、誰があのくずったれ野郎を見たいものか」
蒼次郎独特の罵倒表現を使って返してやると「だろ?」と彼がウインクして同感を表すものだから、俺はむず痒くなって自身の眼球の無い左眼を覆う眼帯をカンカンと指で弾く。
その動作に俺の機嫌を察した蒼次郎はニンマリと笑い、背中に担いだ背嚢と折り畳み式の鎌を構え直すと、明るい掛け声を出して鉤縄をあっという間に登り切り、高い塀の上に座り込んだ。
「早くお前も来いよ、鳴一郎」
ニッと笑いながら、二つ年上の従兄である蒼次郎が手を振って誘う。マイペースというには行動が早すぎて、『我が道を行く』の方がずっともっとしっくりくる彼の行動に俺は態とらしく溜め息を吐いた。
「言われなくても、俺はお前についていくさ」
「鳴一郎、お前も随分と男らしくなったね」
更に機嫌が良くなったのか、蒼次郎が軽く口笛を吹き、彼一番の誉め台詞を口にした。
(お前と一緒に旅に出るんだ。俺も口笛を吹きたい気分だぜ、蒼次郎)
心の中で静かに同意を示す。
ギムナジウムを囲う塀は対魔法用のバリアが張られているので、魔法やマジックアイテムを使うと弾くように設計されているが、魔法が掛かっていないアイテムには恐ろしいぐらいに無力だ。蒼二郎が鉤縄を使用したのも其の為で、彼は魔法値が掛からないよう、無力化の手袋を嵌めてまで一からこの鉤縄を作成したのである――俺と共に旅に出るために。
その事実を知っている俺は嬉しくて、隻眼で蒼次郎を見ながら、音がなるぐらいに鉤縄を強く握り込んだのだった。
俺が蒼二郎に出会ったのは今から十二年前の五月一日、俺が三歳、蒼二郎が五歳のときだ。
親戚の叔父に預けられていた蒼二郎が領地内に迷い込んだ俺を保護してくれたらしい。らしい、というのは、俺自身がはっきりと覚えていないからだ。親に捨てられたのか、親元が分からず、自分の名前すら辿々しくすら紡げない三歳児に蒼次郎は『鳴一郎』と名付け、叔父の屋敷に迎え入れてくれた。
当初、俺は蒼次郎専用の付き人になる予定だった。なので、叔父の屋敷に来たときは蒼次郎を『坊っちゃん』と呼び、その坊っちゃんに恥じないよう教育を受けさせられた。この時の蒼次郎は随分と腕白で、ニ歳年下の俺はいつも泣かされていた。当時、グズだった俺は蒼二郎を怒らせてばかりいて、からかわれたり、ものを隠されたり、叩かれたり等、彼から仕打ちをしょっちゅう受けていた。
そして散々泣かされた後は必ず仁王立ちした蒼次郎に
「おい、お前。俺に拾われていなければ、お前はどうなっていた? こんな生活が出来たか? 出来ないどころか、生きてすらいなかっただろう。さぁ、改めて尋ねるがお前の主は誰だ?」
と質問され、そんな彼の前に跪いた俺が
「蒼次郎坊ちゃんです」
と答えて、顎を反らした蒼次郎が満足したように鼻で笑い、部屋から叩き出された後でメイドたちに慰められるまでがお約束であった。
俺が十歳を迎えた頃、蒼次郎の叔父から彼が二年遅れでギムナジウムに入学するから鳴一郎も一緒に入るようにと通達を受けた。
実は蒼次郎は五歳の時に大病を患い、それからずっと叔父の家に預けられていたらしい。時折、叔父に似た顔付きの男性とその奥方の女性、そして俺と同年代らしきその子供が訪問していたが、彼等が蒼次郎の家族だったようだ。らしい・ようだ、と伝聞推測が多いのは彼等が訪れた時は蒼次郎に「お前は付き人としても人としても半端だから」という理由で俺は納屋に閉じ込められていたからである。
そんな付き人身分で拾われっ子である己が蒼次郎と一緒にギムナジウムに同じ学年で入学。勿論、俺は恐縮したが、その通達は子供がいなかった蒼二郎の叔父が俺を己の養子として登録した後だった。
そして、それが俺の義父となった蒼次郎の叔父の最期の行動となった。義父は、昔は名を馳せた冒険家だったが、モンスターに片足を喰らわれたことで代々伝わる領地で静かに余生を送っていたという。
「おい、天使。死ぬまで――いや、死んでからも蒼次郎に使われ続けろ。それがお前の人生だ、鳴一郎」
それが義父の遺言だった。
理由は今でも分からないが、いつも天使と呼ばれていたので、鳴一郎と義父が呼んだのはそれが初めてだった。
義父亡き後、領地こそは本家(蒼次郎の家)に取られてしまったが、俺は義父の遺言により本家から『恭』の名字が与えられ、ギムナジウムに入学する学費一式も頂くことになった。一度も「お義父さん」と言わぬ間に葬式は淡々と執り行われ、それから数ヶ月もしないうちに俺は本でしか読んだことのないギムナジウムへ、二年遅れの蒼次郎と共に入学することになった。
ギムナジウムは十歳から入学する学校だ。蒼二郎と共に入学した一年生の同じクラスには、蒼次郎の二歳下の弟である迫三郎がいた。この時、俺が迫三郎へ抱いたイメージは
(蒼次郎坊ちゃんに大層似てらっしゃるなぁ、特に瞳の輝きが)
だった。恭家の特徴だろうか、蒼次郎の叔父も迫三郎も蒼次郎自身も瞳にギラギラとした焔を、剣劇で生じた火花のような輝きを持っていて、その目付きの鋭さは、叔父の館に飾られていた黒曜石のナイフの刃先を俺に連想させていた。
(蒼次郎坊ちゃんは二年留年という形で入学するけど、同じクラスに血が繋がった弟がいるのもなんか複雑だな)
俺がそう呑気に思えたのも入学して数日だった。
答えは簡単だ、入学してしばらくもしないうちに、迫三郎一派から蒼次郎諸共に虐められる様になったからである。
このギムナジウムは冒険家になるための学校だ。卒業すると、ギルドに登録し、冒険仲間を組み、珍しい秘境や貴重な魔法道具を見付け、名声や富を得る。迫三郎たちからぼこぼこに殴られた後に蒼次郎から聞いた話だが、恭家は冒険家として名立たる名家であり、一番名声を得た者に家督や領地を継がせるという習わしがあった。鳴一郎の義父(蒼次郎の叔父)は蒼次郎の父親に敗北し、お情けで領地――しかも魔法が一切使えない辺鄙な土地――に置いて貰っていたらしい。
つまり、迫三郎からすると、蒼次郎が怪我して冒険に出られなくなったり、或いは病気になったり、つまり有り体に言えば死んで貰えれば、家督はストレートで継げるという次第だ。更に言えば、蒼二郎と迫三郎の母親は別で、蒼二郎の母親は蒼二郎の兄こと暄一郎が事故死した後に嘆き悲しむあまり病死して、迫三郎の母親はその後妻なので、蒼二郎を邪険に扱うのも宜なるかな、ではある。だが、だからといって入学して十日もしないうちにリンチしなくてもいいだろう。
奴等が去った後、蒼次郎のお付きであるばかりに殴られた俺が頬を擦っていると、蒼二郎は「男の癖に情けねぇ面だなぁ、鳴一郎」と揶揄ってきた。その顔には青タンまで出来ていたのに、蒼次郎はどうということも無いと言いたげにケラケラと嗤って、泣く俺を見下ろしてすらいたのである。これには俺もびっくりした。二つ年下の弟とその一派に一方的にボコられていながら、何でもないと言い切る姿勢と余裕に、当時は「これが恭家の者か! 流石、おぼっちゃま!」と感銘すら覚えたのだった。
それからも呼び出されたり、水着や教科書を隠されたり、実技用の剣をボロいものにすり替えられたり等、散々な目に遭った。教師陣というと、百年に一度の神童と呼ばれ、生まれ持ってのものか高いステータスを持ち、強い武力・高い魔力・膨大な知識を併せ持った成績優秀の迫三郎を贔屓して、とてもじゃないが止め役は期待できなかった。その時の俺はかなりの泣き虫で、迫三郎に虐められる度に泣きそうどころか、泣き出してしまう日々だったが、蒼次郎というと、同じ目に遭っているにも関わらず「男の癖に情けない」と俺を見てゲラゲラ嗤うだけだった。
「どうして蒼次郎おぼっちゃまは余裕なのでしょうか?」
「お前、俺様を誰だと思ってやがる? あんなくずったれにしたり顔させてたまるものかよ」
その時の蒼次郎の顔はまさにしたり顔であった。おとなしく殴られているのも、迫三郎にしたり顔をさせない為らしい。蒼次郎の心の強さに俺はひたすら感嘆した。主人に倣い、自分もそうならなくては! と俺も奮起したのだが、根はそう簡単に変わらず、迫三郎たちにいじられる度に俺は泣き続け、主人である蒼次郎にも怒られ続けたのだった。
そんな俺が変わったのは入学してから二年後、十二歳の時だった。
その日は水泳の授業を控えていて、毎回水着を破られたりして――何故か迫三郎はこの件については必ず否定しており、いつも妨害してくる癖に何を今更、と俺もは思っている――碌に参加したことが無かったので「今年こそは!」とこっそりと水着を隠し持っていた。
そんな訳で俺が他のクラスメイトが去った更衣室で着替えようとしていると、迫三郎たちがやってきた。俺はまだ上すら脱いでいなかったが、からかうオモチャを見付けたときの迫三郎の醜い顔付きといったら! 猿山のボスの下っ端に抑えられ、猿山のボスこと迫三郎に「めいちゃんは大人になったのかなぁ?」とズボンを降ろされそうになった瞬間、蒼次郎が更衣室に飛び込んできた。
「お前! 俺に黙って、なにをやっている!?」
激昂して飛び掛かってきた蒼次郎を、二歳下の迫三郎は高度な呪文だというのに口笛を吹くような感じで呪縛魔法を唱えて動きを封じた。
「じゃあ、代わりにアンタにしてもらおうか。くずったれの蒼次郎お兄様?」
蒼次郎のズボンと下着が呆気なく落とされた。それを見た迫三郎とその一派が爆笑する。なんて侮辱! なんて侮蔑だろうか! 俺は怒りで一気に頬が熱くなった。
「俺が! 俺が代わりにするから蒼次郎おぼっちゃまを放して下さい!」
「このぐずったれ! お前は黙ってろ!」
結局、俺自身は抑えられただけでそれ以上は何もされず、馬鹿にされる蒼次郎を見続けることしか出来なかったのである。
その後、解放された蒼次郎に「俺の代わりになったせいで!」と謝り続けたが、蒼次郎は俺の頬を容赦なく殴り飛ばし、更に俺が倒れるまで叩くと「勘違いするな。お前の為じゃねぇよ、ぐずったれ」と頭を蹴り飛ばして去ったのだった。
(俺は蒼次郎おぼっちゃまの付き人失格だ)
付き人のせいで、その主人が被害を受けた。蒼次郎の怒りも至極当然だ。俺は床に額を打ち付けて、自分のぐずさを嘆いた。そして身代わりになってしまった主人に少しでも報いねば、と決意した。視線を上げると、実戦用の細剣が視界に入った。ゆらゆらと反撃の狼煙のように立ち上がると武器を手に持った。やるべきことは決まっていた。迫三郎に決闘を仕掛けるのだ。
決闘の結果はというと、端的に言うと俺は迫三郎に負けた。
そもそも、この世界の全ての理を知っているかのような豊富な知識を持ち、高ステータスで成績優秀の迫三郎に俺が勝てるわけがないのだ。それが分かっていて、迫三郎は俺との決闘を受理したのだ。そして、お互いに実戦用の細剣で戦っていたため、俺は左目を失った。相手に一矢報いたいために、迫三郎が威嚇で突き付けた剣先を無視して特攻したせいである。迫三郎は首元に擦り傷を、俺は左目を失う大怪我により、学校非公認の決闘は表沙汰にされ、叱りを受けたらしいのだが、俺は左目があった虚から血を飛ばしながら興奮で高ぶったまま医務室に収監されていたから微塵も覚えていない。
最初は決闘による高ぶりで「あの迫三郎に擦り傷とはいえ、傷を負わせてやった!」と俺は歓喜していたが、次第に左目喪失の痛みに苦しむことになった。苦しんでいる間、主人である蒼次郎が見舞いに来ることは無かった。当然だろう、主人に命令された訳でも無く決闘して、しかも負けたのだから。今頃、いつものように「男の癖に情けない」とゲラゲラ笑っているはずだ。だが、もしも迫三郎に強襲されて来れないとしたら? 蒼次郎の付き人の俺の行動に迫三郎が本気でキレて、蒼次郎をリンチしているとしたら? その想像に俺は自分の軽率さを後悔した。主人の為に決闘したというのに、その主人が自分のせいで暴力を受けているとしたら……? 狭まった視界や左目喪失の痛みよりもその恐怖で鳴一郎の体はガタガタ震えた。
(どうか、蒼次郎おぼっちゃまご無事で……っ!)
窓から覗く二つの月を見ながら俺は深く祈った。
「お前、男の癖して随分と情けない顔になったもんだな」
蒼次郎が病室に来たのは俺が収監されてから五日目の昼過ぎだった。蒼次郎はいつも通りニヤニヤしていて、今回に至っては自身の腹を抑えて笑いを耐えてすらいた。だが、俺にとって、そんなことはどうでも良かった。蒼次郎が自身のように顔を怪我せずに五体満足である、というその事実に心の底から安堵し、俺はほろほろと涙を零した。
「また泣き虫発動か。うざってぇ奴。左目を失くしてまで攻撃して擦り傷しか負わせられないなんて、本当にお前は――」
「蒼次郎おぼっちゃまが無事で何よりです」
「はぁ? 何だってぇ?」
「蒼次郎おぼっちゃまがご無事で何よりでございます。俺の無謀な行動のせいでおぼっちゃまがリンチされていたら、と思うと気が気でなりませんでした」
震える声でそう言い切ると、俺は鼻を啜った。啜ると眼球のない左目が強く痛んだが、俺は気にも留めなかった。主人が無事なら、もう俺の心臓が止まろうが、右手や両足が失おうとも、後はもう本当にどうだって構わなかった。蒼二郎が無事だったことに対して、それぐらい安心したのだった。
蒼次郎は医務室の扉に凭れ掛かったまま、は、と短く息を吐いた。はっ、ではなく、は、だった。蒼二郎は今までにない位に目を見開いていて、黒曜石のナイフの切っ先にも似たぎらつきは次第に無くなっていき、まるで凶器にもなり得るそれを静かな湖面に投げ捨てたかのようだった。
俺はそのまま蒼次郎が自分を嘲笑うと思っていたものだから、彼の変化に恐怖を覚えた。もしかして自分の早合点なだけで蒼次郎は怪我をしていたかもしれない。もう一度「おぼっちゃま」と呼ぼうとした時だった。
「鳴一郎」
足を縺れるようにしながら蒼次郎は近付くと、ベッドから上半身を起こしていた俺を思いっ切り抱き締めた。意図が読めない蒼二郎の行動に俺が目を白黒させていると、彼がこう口にした。
「すまなかった、鳴一郎」
突然の力強い抱擁以上に、蒼次郎からの謝罪の言葉に俺は正直仰天した。蒼次郎は気位の高い男だ。誰かに謝ったことも無ければ、他者に優しく接した様子も無かった。その蒼次郎が一従者の俺に謝り、抱き締めてさえいる。抱き締められているが故に俺からは蒼次郎の顔が見えなくて「本当に此の方は蒼次郎おぼっちゃまだろうか?」と一瞬疑ってしまいそうになるぐらいには混乱した。とにかく、これは主従関係の距離でも行動でもはない。すぐにやめさせなければ。
「蒼次郎おぼっちゃま! 格上の貴方が俺みたいな格下にこのような真似はいけませ――」
「なら、鳴一郎、今日から対等な友人になろう」
いよいよ蒼次郎がおかしくなったのではないか、とその時の俺は思った。それほどまでに有り得ない行動、有り得ない発言ばかりだった。何一つ、蒼次郎らしくなかった。無論、俺は「なりませぬ」と強く反論した。しかし、蒼次郎は諦める様子を一つも見せなかった。最終的には「分かった、蒼次郎」と敬語抜きの、しかも呼び捨てで言うまで、蒼次郎は二歳下の友人を放さなかった。
あれから蒼次郎は目を疑う程に変わった。片目になって上手く歩けなくなった俺の歩行訓練に手を貸してくれたし、休んだ授業の分まで教えてくれ、ようやく日常生活に戻ってからも蒼次郎は俺の側に居続けた。
実戦用の剣を使った決闘は、この学校始まって以来の神童と讃えられた迫三郎であってもカバーできるものでもなく、お咎めを受けたのか、彼ら一派はおとなしくなっていた。それでも、彼らは懲りもせずに蒼次郎を――暴力では無い、学園側にバレないよう陰湿なやり方で――いじめようとしていたが、今まで甘んじて受けていたのが嘘のように蒼次郎も言い返すようになっていた。当然、俺も加わるが、やはり多勢に無勢で負けてしまう方が多かった。しかし、そんな騒ぎの後、蒼次郎は「よくあそこまで啖呵を切れるようになったな」と鳴一郎を褒めるので、俺も次第に「蒼次郎も男らしかったぞ」と言い返せるぐらいにはなっていた。
気付けば、主従関係が嘘のように俺は蒼次郎と打ち解けるようになっていった。俺たち二人は喧嘩も言い争いもしたが、些細な諍いは友情を強くする、というように絆は更に深まっていった。クラスカースト最上位の迫三郎たちに目を付けられたが故に、最下位の二人組である俺たちに構うクラスメイトも教師もいなかった事実が拍車をかけたのだろう、と今なら思う。蒼次郎とつるんだことで俺の口癖はどんどん悪くなっていったが、蒼次郎は「お前も男らしくなったね」と彼なりの最上級の賛辞を送っただけだった。
本当はもう一度、俺は迫三郎に決闘してやろうと思っていた時期があった。それが蒼二郎にバレたとき、俺は
「まだ片目があるから、ワンチャンある」
と言い返した。すると蒼二郎はかなり激昂して、俺も言い返したが、最終的には蒼二郎から
「お前が傷付く様はもう見たくない」
と言われ、諦めることとなった。
「けど、あのくずったれを見てるとイライラする」
「じゃあ卒業したら、卒業式なんて抜け出して二人で旅に出ようぜ。そんで、あのくずったれのこと忘れるぐらい二人で冒険を楽しもうや」
笑ってそう誘う蒼次郎に、俺が二つ返事で乗ったのも当然のことであった。
塀を登り切ると、蒼次郎関係では嫌な思い出ばかり残る校舎が見えた。あの学び舎ともこれでお別れだと思うと、精々する一方で感傷も蘇るから不思議なものだ。早く降りて来いよ、と先に降りていた蒼次郎に呼ばれて、俺は飛び降りようとしたが、踏ん切りが悪かったらしく、思いっきり変な降り方ならぬ、落ち方をしてしまった――蒼次郎の上へ。
蒼次郎がクッションになったおかげで俺自身は無事だったが、俺の膝が股間に当たってしまった蒼次郎は苦悶の表情を浮かべている。
「蒼次郎、すまなかった! 痛いところ擦ろうか?」
「擦った方が、まずいって、の!」
「なぁ、其処ってかなり痛いのか?」
「見て分から、んのか、馬鹿!」
「す、すまん! 俺には『無い』から分からなくて」
どうにかこうにか蒼次郎が回復したので、ようやく出発できるようになった。だが、俺は気になって蒼次郎の股間をちらちら見てしまう。
「鳴一郎。もう大丈夫だから、こっち見んな」
「あ、ああ分かった。……ところで、蒼次郎、俺にはいつ生えてくるんだ?」
至極真面目に尋ねる俺に、蒼次郎はこう答えたのだった。
「……三年後。お前が十八歳になったらな」
第一章 おわり