召喚の悲劇
とある世界の、とある国で、いままさに、〈勇者召喚〉が行われようとしていた。
荘厳な空気に満ちた城の礼拝堂。
物々しい数の衛兵と召喚を行う魔導師が、緊張の面持ちで臨もうとしていた。
―この国の命運がかかっているのだ。無理もない。
聖水で場を清め、魔法陣を描く。
魔導師はひとつ、息を吸うと、呪文の詠唱を始めた。
魔法陣が光り出す。周囲がどよめく。―これで国が助かる…!
しかし。魔法陣の上に現れた〈勇者〉ともうひとりの姿を見て、人々は固まった。
「な、なんだよ!」
男が叫ぶ。
その下―即ち、組みしだかれていた女が、キャー!と叫んだ。
二人ともすっぽんぽんだ。
そう、タイミングが悪かった。
召喚を行った、まさにその時。
恋人と愛し合うべく、〈勇者〉はベッドにいたのだ…。
あられもない姿の二人。
唖然となる人々。いち早く気が付いた一人が毛布を持ってきて、二人に掛けた。
事情を説明した。ひとまず、服を着てもらった。
「はぁ…〈勇者〉?」男はどうにか呑み込んだようだが、問題は女の方である。彼女はいわば〈巻き込まれた〉形なのだ。
「私、嫌よ。関係ないでしょ?帰して!」
魔導師は困惑した―実は…
「〈召喚〉の儀を行うには、特殊な条件が必要で…それと対の〈返還〉…はもっと複雑で…」
言い淀む。
女が苛立ったように「それで?」と問うた。
魔導師は泣きたい気持ちになった。
「前例がないのです。それと行うにしても、時間が必要です。次に条件が揃うのは…」言葉を切る。
女が「早く!」と叫ぶ。
「…三十年後です」
それを聞いた女は目をパチクリさせた。それから、へなへなと崩れ落ちた。
「そんな…」その瞳から涙がこぼれ出す。「おばあちゃんになっちゃうじゃない!嫌!早く帰して!!」
取り乱し、魔導師に掴みかからんばかりの女を衛兵が押さえた。
そのまま、医務室に連れて行った…。
鎮静剤を打たれた女は、しばし眠りについた…。
魔導師は深々と〈勇者〉に頭を下げた。「此度の失敗…謝罪する言葉もありません…」
早急に手立てを探します。と続けた。
〈勇者〉はいやいや、と鷹揚に手を振った。
声を潜めて言う「助かったよ、礼を言うよ」
「はっ?」
〈勇者〉が語るには…二人の仲は〈別れ〉がチラついていたそうだ。
主に女の方が、どうも、別に好きな男が出来たようで…。
だが〈勇者〉は女が好きだった。ので。「手立て、探さないでくれ」と宣った。「上手くいけば、この世界で結婚出来る!」
魔導師は何とも言えない気分になった。「はぁ…」
―こんなので…この世界、大丈夫かな? 一抹の不安が胸に過ぎる。
※※※※
それから十五年後。あの時の〈勇者〉は、仲間たちと共に、見事、魔王を討ち取った。
女は王宮での贅沢三昧な暮らしを満喫しながら、帰還を待っていた。
そうして。とある春の佳日。
〈勇者〉と女の結婚式が行われた。
〈勇者〉は英雄として、年金が支払われる。今後働かなくてもいい額だ。更に、家や家具や、衣類などなど…ありとあらゆる物が国から支給された。
二人は幸せに暮らしている。
今度、子供が産まれるそうだ。また払う額が増える。
長年に渡る魔王との戦いで、国全体が弱っているが、まさか英雄に貧しい思いをさせる訳にはいかない。
王族たちですら、贅沢をやめていた。
世界は確かに救われた…だが…
「財政の危機だ…」
呟く国王と臣下たち。そうしてあの時の魔導師。会議の場だ。
「あの二人…〈返還〉出来ない?」
魔導師が小さくなった。
「まず、条件が揃うまで、あと十五年ほどかかります」それから、と続ける「〈勇者〉から〈返還〉に関しては調べるな、とキツく言い渡されておりまして…」
国王たちは一斉にため息をついた。
―これなら、魔王たちと交戦していた頃の方が、まだ均衡がとれていた…。
後悔先に立たず。
「参ったなぁ…」国王の声だけが、虚しく会議場に響いた。
そんな事はつゆ知らず、〈勇者〉と女は平和に暮らしていた…。