第8話 日常の記憶
火事で焼けた教室に変わる予備教室で2年2組の生徒が談笑している様子が見え、途切れてしまった日常の風景が戻りつつあった。
「ねぇーー!ユッキーどこいったのか知らない?あ、幸村一葉ちゃんね!」
賑やかな教室で兎崎香織は一際響く大きな声を発する。彼女の目的は何故か教室から姿を消した幸村一葉の居場所を知ることだ。
火事が起きたとされるあの日から5日後、その日を境に急激によそよそしくなった幸村一葉が兎崎香織から距離を取るようになったというのが、兎崎から見た現状だった。
実際に一葉は休み時間になるたび逃げるように教室を飛び出し、人のいない屋上まで駆け上がっていた。
「……」
「何やってんだお前……」
「ふぁ…!?あ、鬼離山くんか」
なかなかの強風に吹かれる屋上で、体を丸めていた一葉の背後から鬼離山桃太が声を掛けた。
「…その格好は」
「…アルマジロ?」
「アルマジロは丸くならないけどな」
(え、そうなんだ……)
不必要なジョークをいなされながらも一葉は心の底で感心する。
彼女の態度に痺れを切らした鬼離山は話を切り出す。
「シャレはいい、なんでアイツを避けてんだ?」
「……鬼離山くんこそなんで私の記憶を消してないの?モンスターを倒したら私の記憶を消すって話だったのに」
既に兎型のモンスターは退治され、存在の隠蔽さえ済んでいる。しかし幸村一葉は未だに今回の出来事に関する記憶を消されずにいた。
「このまま消しちまったらお前かなり後味を悪いだろ?」
「そ、それだけの理由?」
唖然とするほど短い返答だ。それこそ組織とやらのルールか何かだと考えていた一葉は思わず、理由を聞き返す。
「それだけだよ、それしかないだろ」
(…無表情だけど……本当に良い人なんだね、鬼離山くん)
目の前の青年の善性が、幸村一葉の心を締め付ける。優しくされ嬉しいなどの良い感情でなく、彼の大きな優しさに照らされて、自らの醜さが露見するように思えて辛くなるのだ。
「あんなことあったんだし……居心地悪くなるなは普通なんじゃないかな…」
「補足するとモンスターは人の感情を過剰に実現し、実体化する。兎がやろうとしてたことが主本人の願いって訳じゃないんだぞ」
「分かってるよ……香織が私のこと殺したいくらい憎んでる訳じゃないことは…」
「…じゃあ、なんでだ」
「でも…少なくとも香織にも私を憎いって思う気持ちがあって、いつか積もり積もって…それが過剰じゃなくなるかもって思えて……怖いんだ」
僅かだった悪意も積み重なれば強大になる。鬼離山に語れない過去の記憶が、一葉の頭に警告を発しているのだ。
「……」
幸村一葉は鬼離山と対面して尚過去の記憶を振り返る。
それまで彼女の人生は体質故に様々な不幸に恵まれた。交通事故などの人身事故はもちろん、人間以外の生き物、災害などの突発的な被害、どれも思い出したくもない悲痛な記憶だ。
しかし彼女の人生において最も悲惨な記憶は事故や災害ではない。人と人との──語りたくもない思い出だ。
再びその悪夢訪れるかもしれない。そんな感情が一葉の心を縛り付けている。
「香織がどうとかって話でもないんだ。このままのまま生きてたって…またダメになるんじゃないかって────」
「──めんどくさ……」
「ヴェッ!!?」
重々しい彼女の言葉を遮り、呆れたような声色で鬼離山桃太は口にした。
「生きてれば当然の話だろ。人に恨まれるのだってそうだ、お前がいくら不幸だろうと人が生きてる限り、不運なお前じゃなかろうとそこは変わらない」
「…ぇ、いやそうだけど……そんなにあっさり返されるとは思わなかったな…今にも死にそうな感じで話してたのに」
彼の語りに深刻な様子は見られない。至って自然体で会話を続けるのだから一葉は調子を崩してしまった。
「それに…悪意が積もり積もったところで兎崎がお前を殺すとは思えないけどな」
「え、いやそんなこと……」
(香織が私を……ぁれ?)
一葉は不意に言われて思考を始めても、その光景が思い浮かばなかった。たった今そのことに悩んでいたというのに、自分の頭がおかしくなったのかと疑ってしまうほどにその結果を想像できない。
「なんで…なんだろう」
「今回…お前は兎崎香織の負の面を知った。その事実に間違いなんてない……それでもお前のよく知る兎崎香織も、間違いなんかじゃない。……友達なんだろ?」
(私の…知ってる香織…最初の香織は?)
一葉は記憶から情報を洗い出す。
自分は一体兎崎香織をどんな人間として知っていたのか、一体どんな人間だと思って親しくなったのか、一葉は自らの意識を化野川高校転校初日まで巻き戻して考え始めた。
──ヤハーイ!幸村さん!転校初日だネ、学校の感想教えて教えテー!!て、ちょっと後退らないでヨ
(そうだ、初対面の時は正直あまりにもハイテンションでグイグイくるから距離取ろうとしたんだ)
──へーフムフムフム、幸村さん、好きな男子とかいル?
──ワタシの好きな食べ物はキャロットケーキ!好きな動物はクラゲ!では幸村さんサンやい!貴方もどうゾーー!!
(距離の詰め方激し過ぎてちょっと頭にきてたりもしたんだっけ…?」
思い出すたび一葉は不思議に思えた。どうして根暗で陰険な自分と相反するかのような彼女と親しくなったのかと、しかし思い出すたび、どこか心が安らいでいくことが分かった。
──アイツが幸村か…マジで腕骨折してんじゃん
──しかもあれだけじゃなくて登校中に軽車両に轢かれそうになったとか、カラスのフンを踏んだとかでとんでもねぇ貧乏神らしい…なんか気味悪いよなぁ
(──違う、これは香織の言葉じゃない)
転校当日から一葉の悪評を知るものは多かった。
朝から骨折し包帯に巻かれた腕で登校したのだから当然といえば当然だが、教室の隅で自分を貶す声があったことを一葉も聞き逃さない。
──小沢くんパーーンチ!!
──バッはぁッッ!?何すんだ兎崎!?
──人の陰口なんて良い高校生のやることじゃないじゃン!とはいっても怖いと思うのも分からなくもないからパンチで終了!
──お前の善悪よくわかんない……ごめんな、幸村さん
『……あ、いや、私は別に気にしてな──』
──とういうことでじゃぁっ!!幸村さん好きな男子教えて!
『なんの脈絡のどういうことで…?』
(そうだった…最初はこうだったんだ)
今現在においても一葉は決してクラスに馴染み安心して暮らせているわけではなかったが、転校初日は全くといって良いほど周りから気を置かれていなかった。
しかし、兎崎香織の些細な手助けによって今の生活は形作られた。
(多分香織は疎まれてた私を助けようなんて思ったわけじゃなくて、只々、普通に接してくれたんだ。香織にとっての…最高の普通で…)
一葉の記憶の兎崎香織は、呆れるほど優しい人間だった。初対面、最低最悪な第一印象、既に広まり切った悪評、その全てを跳ね除けて、彼女は幸村一葉の友となった。それがどれだけ一葉を救ったかは分からない。その長さなど考える必要のないことだった。
『優しいんですね兎崎さんは…こんな私を気にかけてくれて』
──やっハーハッーイ!!香織でいいよ幸村さん!私もそのうち名前で呼ばせて貰いたいからサー
『え、いやそんな流石に馴れ馴れしすぎかなって……それに私といると良いことないですよ…』
──そういうこと言わナイ!人同時で壁作ったって仕方ないノ。できるなら徹底的に仲良くしなきゃ!
『でも私は───
──ダイジョーーブ!! 私の隣には福の神が憑いてるのさ!幸村さんなんかに負けないっテ!!
『え、勝ち負けなの?』
──そう!勝ち負け!どんだけ悪いことに遭ったって、良いことの方が多ければ幸せじゃん!!
(香織……)
一葉は丸めていた体を伸ばして立ち上がる。思考の末、彼女はあの少女がどんな人間なのか理解する。いや、どんな人間だったのかを思い出した
「…ありがとう鬼離山くん。もう大丈夫」
「…そうか」
「うん。私行ってくる!香織のところに」
「次の授業まで時間に余裕ないから急げよ」
「うん!」
一葉は屋上を下り、兎崎香織のいる教室へ走りだす。
彼女にとって人に恨まれることはこの世で最も耐えがたい不幸だ、苦しいことには変わらない。
一葉が善人だと評する兎崎香織だって人を恨まないわけではない。人である限り人は人を嫌い、貶し疎む。
それでも一葉は、この世に不幸の他の、幸福があることを知っている。たとえ100度の不幸を味わったとしても、人は幸せになることをやめない。
たとえ兎崎香織が1つの悪意を持っていたとしても、彼女は一葉にとって100の善意を振り撒く存在。無邪気で優しく、笑顔で明るい──
──かけがいのない親友なのだ。
◇
『桃太ァ!茶番は終わったかーー!』
「嫌な言い方をするな鬼鎧」
放課後、幸村一葉の記憶消去が終わり、帰路に立っていた鬼離山桃太の元に、彼のモンスターである鬼鎧という赤鬼が現れた。
帰りの道の住宅街を進みながら、茶番という言葉を否定する鬼離山、彼らの些細な日常の風景だ。
『だって茶番だろあんなの、最初教室で襲われてたところで即記憶消せばいいもんなのをよぉ、記憶消すまで5日は長すぎだろ。ミカちゃん怒ってたぜぇ?』
「必要なことだ、そもそもできるなら記憶消去はしない方がいい状況だった……ミカには後で謝る」
『ヘェー、んなこと言って長いこと一緒になったからあの幸村って娘に愛着湧いちゃったんじゃねぇの?』
「そんなに長い時間じゃないだろ…」
彼らの属する組織では基本的に関係者でないものがモンスターの存在を記憶することはない。中には非能力者が所属し、モンスターの存在を知る場合もあるが、そうでない者の記憶所持は情報拡散の危険があるので許されない。
にも関わらず、特別な理由もなく記憶消去を先送りにすることは組織内では違反行為とされている。
『きまりごとには従順な方だったろおまえ、なんで今回に限ってそうなんだよ」
「別にただの気まぐれだ…深い意味なんてない」
『…記憶消さねぇ割に幸村本人にはとことん嘘つきまくってヨォ、ホントのこと言ってりゃやりようもあっただろうに」
「言わないでも問題ない、そう判断した。」
『結果的に1体取りこぼしたじゃねぇか」
ホントのことという言葉の通り、鬼離山桃太は幸村一葉の会話の中でとある嘘を織り交ぜて話をしていた。彼はモンスターの発生を確認して数分で幸村一葉にその嘘を悟らせないようにと行動していたが、結果として彼の嘘の半分は彼女に看破され、半分を悟られず突き通すことになった。
『あの1日で4体同時、いや最初の入れたら5体だもんな。流石にめんどくさかったぜェ』
あの日、幸村一葉を襲おうと生まれたモンスターは2体ではない。最初退治された狸型、兎崎香織から生み出された兎型、彼女の前に現れたその2体以外にも3体ものモンスターが生み出されていた。
その事を彼は隠し、幸村一葉に悟られぬようモンスター鬼鎧に指示を出し、彼女の視覚外で退治しようとしていたのだ
「お前が下手をしなければ兎だって簡単に仕留められただろ」
『いや4体同時は捌ききれねェって……』
ポリポリと引っ掻きながら、その戦いでおった傷跡を鬼鎧は見せつける。そこには鉛筆で描いたようなザラザラとした跡がついていた。
「そんな落書きで騙せると思うな…てか3日前の傷が残ってるわけないだろ」
『モンスター差別やめてくれヨォッ!』
(めんどくさいなコイツ)
呆れるようなやり取りを続けていたが、あっと思い出したように鬼鎧は話題を巻き戻す。
『あぁー違う違うふざけてぇんじゃなかったんだわ。なんで幸村ちゃんをあんなに優しくしてたンダヨォ。柄にもない事してヨォ』
「別に特別扱いしたわけじゃない…少しでも不安にさせずに解決しただけだ」
『いや、流石に無理あるだろぉ…」
「……無理も何も本当だ」
『──もしかして昔のこと気にしてんのかァ?」
不意に鬼鎧が発した言葉で、閑散とした住宅街により静かな時間が訪れる。それまでに木々を揺らしていたそよかぜさえ収まって、一人の青年の怒りに包まれていた。
「俺の記憶を覗き見るようなことはするなって言ったよな?」
『そりゃ無茶な話だろォ? オレァお前から生まれたんだ。知らないでいるなんざ無理だろって!」
「……だからお前らモンスターは嫌いなんだよ」
『オレァそれなりに会話のできる方だけどナァ?』
その言葉を最後に彼らの会話は終わりを告げた。
影ながら怪物を倒し人を助ける組織、そこに所属する戦士とモンスターは友好的な関係で死線を共にしているわけではない。少なくとも鬼離山桃太と鬼鎧はそうなのだ。
幸村一葉はヒーローと評したが、彼らの実態は絵物語の主人公のように華やかではなく、卑屈とも語り難い歪さに満ちている。
それでも彼らは数え切れないほどの人間を救ってきた。助けてきた。守ってきた。
幸村一葉の日常は、語り難く卑屈で陰湿な人間といい加減でお調子者な赤鬼に…そんな歪な彼らによって救われたのだ。
兎崎香織 誕生日10月10日 O型
化野川高校 2年2組 出席番号2番
所属部:陸上部 将来の夢:栄養士
好きな食べ物:キャロットケーキ 好きな言葉:国士無双
特徴:一葉の親友
思いの外話がまとめられなかったので、そのうち前話と合わせて書き直すと思います。




