第7話 よくある話
景色は切り替わり、辺りはサラサラとした砂で満ちている。
(…誰もいない、楽でいいな)
「ウヴヴァ……」
移動した先は校庭、すなわちグラウンド。
普段なら部活動生で溢れているその場所だが、既に多くの生徒は帰宅している。障害物らしいものはサッカーゴール程度で、彼にとって実に都合が良い。
「物壊すとあとでめんどうくさいからな」
鬼離山は身に付けていた黒の上着を脱ぎ始めた。
目と鼻の先に怪物がいるとは思えないほど、その様子は余裕に満ちている。
「ヴヴァ…ユユユグッ」
モンスターは特定の人間が抱いた悪意や欲望が実体化し暴走しているもの。感情の対象となる人間への攻撃、欲望の発散となる行動を優先する習性がある。
しかし、それとは別に生物としての知力や感情も備わっている。幾度となく攻撃を浴びせられれば相応の反撃を始めるものなのだ。
舐められている。そんな感覚を覚えた兎は感情の赴くままに加速する。
「…早いな」
モンスターは常人の目には捕らえられないほどの速度で彼の周囲を動き回る。
本来の兎の時速は40km~速いもので80km。2005年までの100m世界記録が9秒77、時速約40kmであると言えばその凄まじさが伝わるだろう。その素早い兎がモンスターとして誕生したのだから、それほどの速度であっても不思議はない。
だが鬼離山も常人ではない。流石に目の前の怪物と同等の速度で動くことはできないが、その動きから目を離さず攻撃に備えることは可能だった。
「こい、はかってやる」
「ヴヴァ…」
加速した兎の攻撃は先程の比ではない。
まともに食らえば致命傷、下手をすれば命を取られることとなるだろう。
だが、彼は動じない。飛び掛かかった兎をかわし背後に滑りこみ手を突き立てる。
「枝・炎魂」
声とともに巨大な炎の塊が現れ、その炎の塊から炎を纏った弾が無数に発射された。
「ヴッ!?、ヴァッ…ヴヴァ!!」
放たれた無数の炎弾はモンスターの方向へ。加速しとてつもない速度で動く兎だったが不意に無数の攻撃を撃たれては回避仕切れない。
モンスターの耳、腕、愛らしさのあるしっぽにさえそれは命中し、身体を包みこむ。
「ヴヴァ…ガラ……ババァ…」
「すり抜ける能力ってのは本当らしいな」
炎弾が放たれた際、当たったように見えた炎のいくつかが、モンスターの身体をすり抜けていたのを彼は視界に捉えた。しかし、そんな能力を持つのであれば全身を透過させ全ての攻撃をかわすこともできたはずだと、その能力を弱点を考察する。
(全身でなく身体の一部ずつしか透過できないか、全身を透過すると消耗が激しいのか、全身を透過させること事態は簡単だが肺や内臓などの機関も透過させてしまってまともに行動できないか、とかそんなところか?)
「いや、どれにしたって問題ない」
「ヴェ…ウゥヴォォ!!」
既に兎のモンスターは全身を焼かれ負傷していて、容姿からもそれは明らかだ。元々真っ白な身体の一部に墨色のラインが刻まれていたわけだが、その黒は今では全身に及んでいて白い体毛の方が少なくなっている。
見た目だけではなく見掛けもそうだ。猛獣らしさのあった鋭い威圧感は薄れ、立ち上がってこそ来たがガクガクと不安定な足取り。
「ォォ…ゥォヴ!?」
素早く懐に潜り込んだ鬼離山は怪物の胸元目掛けて拳を振りかざす。全身を焼かれたダメージが大きく、追撃の打撃が効いたのだろう。不安定だった足を滑らせて兎のモンスターは地に尻をついた。
既に戦いにもならない。
◇
(み、見つかったけど…ボコボコにしてる)
窓から飛び出した鬼離山を追いかけに1分ほどで一葉も校庭に到着し、付近の木陰で戦いの様子を見守っていた。
周りへの影響を無くすなら校庭だろうと素早く推理し、彼女もそれなりに急いで走っていたはずだが、既にモンスターは身体を無残に焼かれていた。
それを見て彼女は驚愕と妙な安心感を覚える。
(ホントのホントに強いんだな。鬼離山くん)
「一応もっと距離とってろお前ェ!」
(うぇッ!?)
「こいつはだいたい時速300kmくらいで動けるらしい。その距離でも安全とは言えない」
叫び声を上げ指摘する鬼離山だが、一葉はそれよりもその感覚の鋭さに腰を抜かす。
彼女はグラウンドで戦いが起こっていると気付いてすぐ息を殺しながら見守っていた。木陰から彼の立つ地点まで最低でも100m、常人ならまず気付きようがない。
(ホントに超人…てかなんで見て分かるのさ時速)
「まぁいいか、どのみちすぐ終わる」
「ヴヴァ…ルユユグゥッ」
彼は既に瀕死寸前の兎に向けて手をかざし、先程と同様の炎の塊を出現させる。
「ヴ…ヴ……ヴァヴヴァッ!」
「させないっての」
焦げた身体を引きずりながらも逃走を図るモンスターの背中に、無数の炎弾が撃ち出された。もちろん、体力を奪われたモンスターにその連弾を避けることなどできない。
放たれた弾の全てが獣の身を焼き焦がす。
モンスターは既に声も上げられなくなり前のめりに倒れこむ。
「すっかり真っ黒だな」
(……う、痛そう…)
炎により外傷であるため遠目で見守る一葉からすれば色が変わっただけのように見えるが、その変化がよりいっそ悲痛な光景を想像させる。
立場こそモンスターを退治するヒーローのようであるが、その一方的な戦いは心をズキズキと痛ませる。
「あと一発くらいか」
「え、ま、まだ攻撃するの?」
「当たり前だ…モンスターは死ぬときは光の粒になって消滅する。見た目が悲惨でも形が残ってる限りは生きている。とどめを刺さない理由がないだろう」
言い終えた彼はこれまでで最も大きな炎を出現させ、力を集中させ始める。
彼が見積もった通り、この怪物はもう一度炎に包まれれば間違いなく絶命する、一葉から見てもそれは明らかだった。
これで終わる、侵食されていた彼女の日常は再構築され、変わらない毎日を送ることができる。
そのはずだった。
(──ダメな気がする……)
突如、一葉は不思議な感覚に襲われた。
何故だか分からないが、(このモンスターを倒してはいけない)と脳が信号を飛ばしている。そんな感覚に襲われた。
何を不思議に思うのか、何を否定しようと言うのか、すぐさま答えは出なかった。
決して、モンスターが一方的にやられている様子を見て哀れに思ったなどと言う訳ではない。正確には哀れんでいたが、状況から考えて仕方のないことだと理解できている。ただ、このままでは何かが欠けたままに、靄が晴れること無く終わってしまうような、そんな気がしてならない。
数秒間考えた彼女は一つの疑念に思い至る。
「鬼離山くん、少し待てっ!」
「……なんだ?」
倒れこむ怪物から目を離さずに鬼離山が応答する。
「──モンスターの主が誰か分かったの?」
「……」
問い掛けに鬼離山は黙りこみ、彼女の顔から目を反らしたまま聞き返した。
「…何故そんなことを?言っただろう、目的はモンスターを倒すこと。生み出した本人をどうこうする必要なんてないんだぞ」
「その言い方…分かってるんだよね?その兎の子がどこの誰から生まれたのか」
「訳が分からないな、どうせお前の記憶は消される。何を知ろうと何にも繋がらない、なんの意味もない」
「──え、ちょっとッ」
静止する言葉に耳を傾けずに、少年はトドメを刺そうと拳を振りかぶる。不意に動き始めたものだから一葉は反応などできない、そのまま拳は兎の脳天にめり込んで、獣の叫びが響き渡る。
「いやだから!?待ってってっでバァぁァー!!」
慌てて一葉は彼の肩を掴み静止させる。慌てるあまりおかしな語彙になってしまったが致し方ないのだ。問題は怪物の安否、兎にも角にもその怪物を死なせるわけにはいかない。
「…疑問なら後で話せばいいだろ?わざわざコレを生しておく意味はない、何がしたいんだお前は……」
最もな意見だ。一葉が知る限りでもその怪物がどれほど危険であるかは容易に理解できる。怪物は彼女の知らない世界の存在、眼前の鬼離山はがその世界の住民である以上、彼女に分からない多くの事実を知っているに違いなかった。
しかし、だからこそ──
「…多分、鬼離山くんはこれまでも色んなモンスターを倒して…色んな人を助けてきたんだよね……」
「……あぁ、そうだな」
深く知らずとも、そこに間違いはない。
「…だから鬼離山くんは多分すごい優しい人なんだと思ったんだよ……噂はちょっと怖い感じだったけど…」
「それと今この状況……なんの関係がある?」
(保健室で起き上がった時とか、体育館で座ってる時とか、心のどこかで色々考えてた……鬼離山君って意外に怖くないんだなぁとか……)
(先生たち火事の後始末大変だろうなぁとか)
(今日不幸なこと起きすぎてるなぁとか)
(告白の件で他の子に色々詰め寄られたら嫌だなぁとか)
いろいろ、イロイロ、色々……
色々だ。つい先ほど、この怪物に組み伏せられた時も考えていた。
「……このモンスターの主って香織…兎崎香織さんなんだよね…?」
彼女が思いついた答えは単純、語るまでもない明白な答えだ。
幸村一葉を襲い、今現在でも敵意を向けてくる兎の怪物が、彼女の親友、兎崎香織の悪意から生まれたものであるという考察。決して意外でない想像の範疇の答えだった。
「……なんだ、思ったより仲悪かったんだな…お前ら」
彼は振り返らない。振り返らないまま意外にあっさりと一葉の言葉を肯定した。
「気絶したお前を見舞いに来てたから、それなりに親しい関係だと思っていたんだが……」
「いや…親しいよ」
「じゃあなんでそいつを疑ったんだ?親しい相手なら疑う理由がないんじゃないのか?…いや……疑おうとしないんじゃないのか?」
(そうだよね…)
言葉を返さず一葉は口を閉じる。
「まぁ、親しいにしても意外と言う訳じゃない。友人として接していた相手から男女の関係を通して恨みを買う、言葉にしてみるとありきたりだよ、絵に描いたようによく聞く話だ、珍しいことじゃない。」
(実際に香織がそうなんじゃないかって、あの時顔を合わせてすぐに思った。でもかんがえてすぐに──)
「そんな訳ない、とか思ったんじゃないのか?」
問いかけられた彼女は言葉にこそしなかったが、その通りだと肯定するように顔を傾ける。
「香織とはほんの2週間の付き合いだけど、今までにいなかったって言い切れるくらい良い友達なんだ…でも──」
だとしても、決して
「香織だって別に、どんな時でも優しいなんて特別な子じゃないって分かってたから…」
「…特別、大層な語り方をするんだな……予想通りこの兎は兎崎香織の嫉妬心から生まれたモンスター、しかし感情論だけで察するとは、意外に勘の良いんだな」
「香織かもって思った最大の理由は鬼離山くんの反応だよ」
「…俺の反応?」
「保健室で起きた時、鬼離山くんは私にいろいろ質問してきたけど、モンスターの主を探すって時に私の交友関係とかについて何も追求してこなかったよね? 香織は保健室に鬼離山くんと会ったように話してたのに、香織について何も聞かないのはどうしてなんだろうって思ってたんだ…」
「やっぱり勘がいいな。あぁ、兎崎香織が保健室へ来た時あいつとも色々話をしたんだよ。もちろんモンスターについては伏せてだ」
「その時点でお前の交流関係は概ね知っていた」
(やっぱりそうなんだ)
その会話の中で彼は兎崎香織がモンスターの主の1人だと理解していた。幸村一葉と話をするよりまえから既に彼は彼女の交流関係を把握し、結論を導き出していたのだ。
「…俺がお前に隠してた情報はこれで出し終わった、で結局このモンスターの始末を邪魔した理由はなんだ?今の確認のためだけなら、そうする理由はないと思うが…」
「いや、あるよ…」
「…?何があるんだ」
「鬼離山くんが優しいからだよ」
その言葉に鬼離山は右手を顎に当て首を傾げる。
「一応…初対面だったよな俺とお前、本当にどういう信用なんだそれ」
「…自分でもよくわかんない。でも多分鬼離山くん、兎倒し終わったら私の質問に答えないまま有耶無耶にしてたと思うんだよね」
「……本当によくわかんないやつだなお前」
ボソリと呟くのと同時に鬼離山はくたびれた兎の首を右手で掴み、左手に炎の塊を出現させる。
モンスターへの攻撃を再開しようというのだろう。
「わざわざモンスターを生かす危険を犯して、そんなこと聞いてきたヤツは初めてだよ…友の本音が知りたいってのか、ケジメかなにかなにかは知らないが、噂通り尋常じゃないな」
(う、噂?)
彼の噂という言葉が少しばかり気になったが、これ以上余分な話を続けることもないだろうと一葉は口を閉じる。
「話は終わった、トドメをさしていいな?」
「…うん」
(鬼離山くんはケジメかなにかなんて言ってくれたけど、そんな大した話じゃないよね……」
幸村一葉は臆病者だ。不運な出来事に遭うことは彼女にとって珍しいものではない。
しかし、今回の騒動で彼女は誰かからの明確な悪意を向けられる目に遭った。それが誰からの悪意かも分からず、その悪意の度量も測れない。そんな緊迫状態が只々不安で仕方がなかったのだ。
それは決して人の悪意を受け止める善性ではない。言うなればただの自己満足、ただそれだけの保身的思考に過ぎない。優しさなんてものじゃない、自分の身を案じる行動。
「ヴェ…ゥゥ……ユギィ」
炎によって焼き殺される兎の怪物の叫びを聞きながら、彼女は自身の浅ましい心を呪った。
幸村一葉の転校
中学生頃から後天的な不運体質となり、親しかった友人から縁を切られるなどして苦い生活を送っていた。その後、見兼ねた母親から転校を勧められて50を超える数の学校を転々とすることになる。
高校進学後、2年生になりようやく兎崎香織という友人を獲得し、化野川高校にて登校を続けていた。
あと序盤の戦闘シーンは基本的に鬼離山がクソ強なのであっさり決着がつくって場合が多くなると思います。




