第32話 ありんこの群れ
「うなぁー元気出なイナァー」
「眠そうだね香織?うん、眠そう…」
7月4日休み明けの朝、一葉は兎崎と一緒に通学路を歩いていた。不意に彼女から出たあくびのような叫びにより、短く会話が始まる。
「いやぁーユッキーがおすすめしてくれたビデオ映画……えと、【ワンダフルアームズ】! あれが面白くて寝られなかったんダヨネ……」
「見てくれたんだ!いいよねいいよね!凄い面白いでしょ!」
前日のショッピングの最中に、一葉は自身が幼い頃に見ていた映画の一つを兎崎へ進めていた。その結果好感触だったようで、一葉は早々に気分を高めて、生き生きとした反応を見せた。
「ウン。開始5分で犬がたい焼き食べて巨大ロボットに変形した時はユッキーの感性を疑っちゃったもんだけど、ギャグ的なシーン多いのにちゃんと感動な話に仕上がってて凄いあっという間に見れちゃったよ」
「そうだよね!いいよね!特に感動って言ったら犬の過去話!主人公の家庭環境とか親犬の話とか!色々加味すると凄い感情動かされるっていうか、そこがあって考えると現代で犬がああいう変形をした理由付けにもなってて、最後に出た【ワンダー・ワンド・ワンバースト】って武器もそれまでの集大成みたいな風に思えて凄いよく出来た話なんだよね!!イイよ本当に!すごいよね!!」
「ぬ…普段の3倍くらい喋るねユッキー。相当好きなんだね」
「…ヴェッ!?い、いやぁ…まぁ小さい頃の思い出って印象的だしぃ……?」
図星を突くような言葉にハッと目を逸らす。
説明すると彼女等の話す映画【ワンダフルアームズ】とは、はるか宇宙からやってきた異星人の侵略を塞ぐ為、主人公が自身の愛犬が変形した巨大ロボットに搭乗して戦うSFギャグバトル作品である。
しかしこの作品は高い評価こそあれど、大衆に認知されているほどの知名度はない。指摘されて一葉が目を逸らしたのにはそんな些細な理由があるわけだ。
(…わ、私がちょっと…オタクよりなことはバレないようにしなきゃだよね……)
ヒーロー、獲得者、組織、モンスター、そんな非現実的な言葉に心躍っていた事からも予想出来たことだが、幸村一葉はオタクである。
幼い頃と前置きしていたが彼女が最後にその映画を見たのは僅か1週間前、当然彼女の記憶にも新しい訳だ。
一葉の脳内ではオタクは世間から避けられ、疎まれる存在という認識がある。出来るのなら親しい友にも知られたくのない事実なのだ。
「ンマァー本当に面白かったヨォー。まぁそのおかげですっごく眠いんだけどネー!!」
「ね、寝不足は自己責任だよ!」
「え、ユッキーがそれ言うノ?」
そうして会話に一区切りついた頃には、既に2人の足は校門の前へと辿り着く。
「ヒャー。話してるとすぐ着いちゃったネー」
「うん、というかなんか元気なくなってきたなぁ……今日歴史と数学あるんだもん……」
「ウムウム、やっぱり勉強しようとおバカは治んないよネー。まっ!それでまた鬼離山くんに勉強見て貰う口実にできルカ!!」
「だ、だからそんなんじゃ……いやそんなにニマニマされても困るって………」
鬼離山桃太は強大な力を持った獲得者であり、一葉の命の恩人でもある。しかし彼女が彼に向ける感情は、今のところ純粋な憧れに過ぎない。
「何回も言ったけど恋とかじゃないってば…」
「ぬぬ?だったらなんで鬼離山くんの話するといつも嬉しそうな顔するの?」
(え、そんなに顔に出てるんだ)
思わず顔を両腕で隠してしまう一葉、しかし彼女の中の鬼離山とは、その言葉の通りに乙女心によって惹かれる対象ではない。
一葉にとって彼は、ただ自分を救ってくれた英雄の1人に過ぎないのだ。
「でも……なんていうか…身近にあんなに凄い人がいるって分かったら、自分も頑張れる気がして嬉しくわあってね……顔にでてるってなら、多分そのせい」
「ウムゥ!どっちにしてもなんか甘酸っぱいジャン!いいねいいね。青春に近付いて来てるよユッキー!!」
「もう、喋ってないでそろそろいこ。そんなに時間に余裕ある訳じゃないでしょ?」
「はっハーイ!レツゴーレツゴー!!」
(…言った途端に追い越してくじゃん)
そうして会話は中断され、彼女らの足は昇降口へと向かう。それは至ってありふれた日常風景にしか過ぎなかった。
しかしそんな日常の節々に、異形の存在は隠れながらも覗き、不意に現れる。一葉は未だにその自覚を持たずにいた。
──グチャ…
「うぁぁっ!?」
「エ、ユッキーどうしたの?」
「えいや……なにか踏んじゃったみたいで…」
歩みを進めていた最中に、一葉の靴裏から何かが潰れたような音と奇妙な感触が伝わってきた。それはまるで液状のスライムを踏みつけたような不思議な感覚であり、一葉は思わず叫び声を上げてしまった。
「モー。足元ちゃんと見てあるかなきゃダヨー」
「あはは…でもなんか不思議な感触だよ、何だろ?」
「まぁ大抵大丈夫だヨ!うんちとかでも洗えば大丈夫!」
「嫌なこと言わないでよぉ!?」
一葉は何を縁起でも無いことをと否定しようともしたが、一度言われればもしかしたらという不安も沸いてくる。
(い、いや、大丈夫だよね?臭いとかしなかったもんね?私アンラッキーガールとは言えど大丈夫だよね?)
一物の不安を沸かせながらも、彼女は感触のあった靴の裏を恐る恐る覗き込んだ。
──そこにあったのは体長5cmほどの、大きなアリの死骸である。
「な、なんだぁ。ただのアリかぁ……」
「へ?ちょっと見せて見せテ、足で潰しちゃうほど大きなアリ?」
一葉は息を吐き出して安堵したが、疑うような口調で兎崎は問い掛けてきた。
「え、何?どうしたの?」
「エだって、アリなんて大体足で踏めるような大きさじゃないじゃナイ?……えと、どれがそのアリ?」
(…お、大きさ……?…ぁ)
大きさ、その言葉で一葉は自身の浅はかさを痛感する。
蟻とはとても小さな生き物だ。当然種類によって体長は異なるが、一般的な働きアリの体長は3mm 、大きさは1cmにも満たない。
世界体長のアリはアフリカに生息するサスライアリの雌だとされているが、それでも大きさは4cm程度である。とても
であれば一葉が踏み潰したこのアリは一体なんなのか、その答えは考察するまでもないだろう。
「もしかしてこれ…」
(……モンスター?)
「…これが……え、だったら私倒しちゃったのかな?」
踏みつけた蟻の死骸を眺めて、その実感の無さを自覚する。
「ウン?なんのことユッキー。とゆーかアリってどれのこと?」
(香織には…やっぱり見えてないんだ)
一葉は隣で首を傾げる兎崎を見て、その蟻の死骸が彼女には視認出来ていないことを確認する。
(見えてないってことはモンスターなんだよね? でも私が踏んだだけで死んじゃうなんて……)
モンスターと仮定するにはいくらなんでも非力すぎる。そう感じる一葉だが、かと言って彼女の知りうる情報ではそれ以上の感想も述べられそうもない。
「…一旦ミカさんに連絡しなきゃだ……」
「──その必要はない幸村。俺がさっき済ませておいた」
「ひゃぁぁぁっ!?」
一葉が連絡の為に手首の機械に触れた瞬間、不意に背後から鬼離山桃太が声を掛けた。余りにも唐突な乱入に彼女は思わず悲鳴を上げ、転ぶように地面に尻をつく。
(び、ビックリするからやめてよぉ…)
「アレ!鬼離山くんじゃん!おはよー」
能天気な挨拶をした空気を読まない兎崎に、鬼離山はコクンッと小さく頭を傾けた。
「ぁあ。兎崎、すまないがコイツと内密な話がある。席を外してくれ」
「えェ!んもォーなんか最近そういうの多いネ。まいいよ、ピンクで乙女なお話するんだろうしネ!」
「ぇいや……まぁいいや、また後でね香織」
「ハーイ!」
ここ数日で接触が多くなっていることもあり、特別不思議がる様子もなく兎崎は笑顔で立ち去っていった。彼女の姿が見えなくなった頃に顔を見合わせた一葉と鬼離山は、現状の確認と説明に移る。
「鬼離山くん、それでこのアリのモンスターについてなんだけど……」
「会話は聞こえていた……結論から言えば、こいつはモンスターじゃない」
「え!?ほ、本当に!?」
「待て、なにもモンスターと関係ないわけじゃない。そうだな……」
鬼離山は一瞬考えるように手を額に添えると、再び彼女への説明を開始する。
「テラーモンスターの中には極稀に、能力を間接的に行使する為の小型のモンスターを生み出せるヤツがいる。遠隔操作の端末みたいなものだ」
「つ、つまり……このアリは本物じゃなくて、量産型の兵隊みたいなものってこと?」
簡単に踏み潰されてしまうほどに脆い身体をしている理由は簡単だ。それは飽くまでも端末であり、それ自体には通常のモンスターに相当する戦闘能力が備わっていない。
したがってモンスターの一部でありながら、モンスターではない存在と言える訳だ。
「えと、じゃあこれ何処かにちゃんとしたモンスターが現れてるの?でもなんかそんな気配ないし……私のブレスにも反応ないよ?」
「ああ、問題はそこだな」
「俺はついさっき、通学路を歩いていた時から、コイツと同じやつが何体もそこらを歩いているのを見つけた。すぐに周囲を散策して本体を確認しようとしたが、それらしいモノは見つけられなかったよ」
「……このアリってそんなにあちこちにいるの?」
「……見てみろ。流石にアリだけあって目立たないが、すぐそこに何十体も隠れている」
「え……あわっ、本当だ………」
彼が指を差し向けた先を見ると確かにアリの姿は確認出来た。通常よりも大きいとは言え、その大きさは目立って視認できるものではない。姿形はただの蟻、風景に同化して存在を理解するのも遅れてしまう訳だ。
「この調子だ。注意深く見なければとても判断出来ない。既に鬼鎧に探させているが、本体の姿形も分からない以上相当な苦行になるだろうな」
「…確かモンスターは人から生まれたなにかの欲求の為に行動してるんだよね?…アリをあちこちに放って、それが何の欲求が満たされるんだろ……?」
姿は虫であっても、そこには明確な意思が宿っている。辺りを漂う蟻の群れにも、何かしらの意図がなければ成り立たない。
「さぁな…あのアリ自体にどんな能力が備わっているかも、本体が見えない以上ブレスを使って能力を計測する事も出来ない。何をするにもまずはモンスターの本体を探すしかない。それもなるべく早くだ」
本体でない以上、端末である蟻の群れを仕留めた所で解決はしない。しかしアリ自体にどんな危険があるか分からない以上悠長にもしていられないのだ。
「じゃあ、探すって…組織のセンサー機能ってのを使うの?」
「…あれはモンスター発生時のエネルギーの波を受信する装置だ。つまり発生時から数十分の間しか受信できない。そもそもあれが反応してなかったということは装置の受信範囲外にいたか……なんらかの理由でそれから逃れたってことになるな」
(…ちょっと新情報多いなぁ)
「とにかく、なるべく早く本体を発見する必要がある………はぁ、つまり人手がいるってことだよ」
不意に深くため息を吐く彼の表情からは、それまで見たことないほどの苦痛と不満が浮かんでいる。何事だと、一葉も問わずには居られないだろう。
「…ど、どうしたの?」
「…なんでもない。お前は一旦学校へ戻って、終わったらミカにでも連絡してくれ」
「え、そんな呑気にしてていいの?」
「お前に出来ることは正直ない。それに大軍こそ放っているみたいだが、おそらくこのモンスターはまだphase1の力しか持っていない。大軍蟻になんの異変も見られないのがその証拠だ」
敵の位置も能力も、なにも分からないながらにも彼は考えている。それまで幾度とない戦闘を重ねてきた彼の頭には、既に今回の敵への対抗策が導き出されている。
「俺はこのまま、周囲のアリの観察を続ける」
「…ん、モンスターを探すんじゃ…?」
矛盾する言葉を指摘したが、不満気な彼は冷めた口調で言葉を返す。
「……今回に至っては、やみくもに探してもどうにもならない。ひとまずはモンスター捜索の専門を呼び付けるしかなさそうだ」
「…捜索のプロ?」
「ああ…この町にいる……もう1人の獲得者をな」
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割とどうでも良い補足設定
◇ ワンダフルアームズ
1991年に放映されたSFギャグバトル映画。
ギャグでポップな設定が特徴な本作だが、それとは掛け離れたハードな描写の目立つ物語が、映画好きの中で話題を呼んだ。
放映当時も現在でも、有名と言えるほどの知名度の獲得にはいたっていないが、一部界隈で根強いファンが生まれている。




