第14話 学生の死地
「ぁあ……おわった……」
「く、くそぉぉ……なんでぇ、なんでだよぉ!!」
「オレが……何したってんだよ…」
6月28日──化野川高校では学生たちの悲痛な声が響き渡っていた。
悲痛と聞いて、テラーモンスターが暴れ回っているのかと想像を駆り立てられる者もいるだろう。
しかし、今回の悲鳴の声はモンスターとは全く関係がない。
では何故、彼らはこの世の終わりを迎えた中のように悲鳴を上げているのかと言えば語るまでもないありふれた地獄の季節──
──定期テストだ。
「ぁ、ユッキーも死んデル…」
テスト、それは多くの学生にとっての地獄。
赤点、それは敗者への断罪。逃れられない弱者の窮地だ。
「う、う、ぅぅ……か、香織ぃぃ!!」
2年2組出席番号29番。SEEDに加入した新米構成員にして、不運少女幸村一葉もまた弱者。断罪に近しい敗者予備軍だった。
この学校において期末テストが開始されるのは6月30日、猶予は今日を入れて2日のみ。学力において最下層を駆け走る幸村一葉にとって2日はあまりにも短すぎた。
「他の男子もそうだケド……そんなに取り乱すならちゃんと勉強してれば良かったの二」
「出来るならやってたよぉ!!」
「ェ……」
当然の言葉を掛けた兎崎に、一葉は普段からは想像のつかない声を上げた。
そうして能天気な彼女は思い掛けない言葉の威嚇に喉を詰まらせる。
「分かってるんだよ香織ぃ…でも…気付いたらテレビ見てたり……普段はあんまり読まないのに本とか読んだり、なんでか机の汚れが気になって掃除始めちゃったりぃぃ……」
「わ、スゴイ典型的なやつジャン……」
理屈に合わない一葉の嘆きに、兎崎は憐れむように呟いた。
とはいえ兎崎本人も勉学は得意ではなかったのだから、決して他人を笑えるような状況ではない。もしこのままテストに臨めば、間違いなく赤点を獲得出来ると断言できるほどに。
「それでどうしよっカ…放課後図書室にでも行って勉強スル?」
「静かなくらいで勉強出来たら苦労しないよぉ……」
「もう完全に終わったって顔しちゃっテルネ……」
残り2日、幸村一葉がその間に勉強に勤しめるというのなら、前提としてこんな状況下にはいない。
絶望は既に、彼女らの眼前にいるのだ。
「あっ、頭良い人に教えて貰えばインだよユッキー!」
「…んぇ?…誰…このクラスおバカばっかりだよ?」
自身の事など棚に上げてクラス全体を貶した一葉を、「オイッ」と言うように兎崎は彼女の肩を叩く。
「いや私の言えた事じゃないんだけど実際のところ…」
「そりゃマァ、2組は成績下の方で固められてるらしイシ…仕方がないっテ。イヤ、そうじゃないデショ?最近ユッキーが仲良くしてるあの同級生くんがいるじゃン!!」
「ェ」
「鬼離山く──
「──ムリダヨォッッ!!?」
一葉は否定する。当然の事のように否定する。当たり前のように否定した。
確かに鬼離山桃太は兎崎の言う通り、常に好成績で、定期テストのたびに学年で2位の成績を納める優等生だと評判だった。
組織に加入したことで、彼との連絡を取る手段も持ち合わせている。しかし教えを肥えるほど、一葉と彼は友好的な関係なものではない。
そして彼はその組織においても、より特別で稀有な存在なのだ。
(鬼離山くんがそんなくだらないことに付き合ってくれるわけない……)
「え?なんデダメな──
「──無理なのォォ………」
「わぉぁ…そんなに困難ナノ?…身体柔らかいネ……」
椅子に腰を掛けた状態で、180度垂直に身体を曲げる。とてもではないが常人には不可能な大勢になった一葉に、兎崎は心の底から驚愕した。
しかしそんな行動も無理はない。彼女にとって、その青年に勉強を頼み込むなどとてもではないが不可能な行為なのだ。
「…ある程度仲良かったとしても私みたいな口下手が男の子に頼み込めるわけないじゃん……」
「自分を低く捉えすぎなんだヨ、ユッキーは。名前知ってテ、言葉を交したことがあるのなら皆友達なのサ!!」
(…その理屈だとアイドルの握手会とかとんでもないことになるけど……)
一葉が自己評価の低い人間である反面、兎崎は自己の評価どころか他人の評価かさえ過大に捉える節があった。
しかしながら引っ込み思案な彼女を突き動かすには、兎崎のような人間性が求められることも事実だ。
「さぁ!隣のクラスなんだしサッとバッと行けば簡単だよっ!!」
「え、イヤ、だから鬼離山くんは──
「──こうしてるウチの1分がおしいんだヨ!いこういこう!!」
「ぎゃらぁぁ!?やめて、手が取れるヨォォ!!?」
感情の赴くまま、白髪の能天気少女は不運な彼女の手を引く。そして有無を言わせず腕を振り回して、教室を飛び出して行くのだった。
◯
─
──
「──急に何言ってんだお前ら……」
「ぁいや…私は絶対無理だろうなって……」
「えー?なんでナノサ、ユッキーと鬼離山くんってただならぬ関係じゃないノ?」
(…この状況恥ずかしい……)
兎崎と鬼離山に挟まれるように見つめられた一葉は、その現状を恥じる。
隣のクラス、2年1組へ移動してすぐ兎崎は対面早々鬼離山へ教えを乞いた。
しかし当然、彼の第一声は困惑の籠った言葉だった。
「いや、ソイツはまだしも…お前に至ってはほとんど初対面だろ兎崎香織。そんな関係で勉強を教えてくれってよく言えるな……」
「失礼しちゃうナ!ちょっと前に保健室で話したばッカじゃないノ!!」
「いやそこ以外ないって話をしてるんだがな…」
何処からくるのか分からない気迫を放つ兎崎に鬼離山は圧倒され、両足を揺らし後退する。
「やめてよぉ…香織ぃ……」
兎崎の奇行に耐え兼ねた一葉は、枯れた植物のように壁に倒れ掛かった。
「…なんか死にかけのサボテンみたいになってるぞ……お前ら仲良いじゃないのか?」
「モチロン!仲良しサ!!」
兎崎の弾けるほどの笑顔の後方には、一葉の怪奇的な顔が見えてくる。それは正に世にも奇妙な光景だ。
「……面倒くさいから細かいことは無視して話すか……お前ら勉強を教えて欲しいって言ったんだよな?」
細かな問題は兎も角とし、彼は本題へ切り替える。それを聞いた一葉も枯れ葉のような形態から元に戻り、鬼離山の言葉を聞き取った。
「ウン!私たち崖っぷちって言うカ、ほとんど終わってるってくらいに勉強出来ないンダ!だから学年2位の鬼離山くんから教えて貰いたいってわけサ」
あっけらかんと語る兎崎を横目に、背後にいた一葉はとある台詞を胸の内に秘めていた。
部活動に勤しみ、能天気な態度の取る兎崎よりも一葉は頭が弱い。一葉は比較的真面目な外見をしていたが人並み以下に頭が弱い。
(香織が私より成績良いの納得いかない……)
世の理不尽とは測れないものだ。
そんな寂しい一葉の思考の最中にも、兎崎と鬼離山は言葉を交わしていた。
「勉強できるって話なら別に俺じゃなくても良いだろ?そうだな…あそこにいる志村でもいいはずだ」
「いやぁ…ユッキー人見知りだから違うクラスの人と勉強会なんて失禁しちゃうよ…」
「なるほど…」
(……納得しないでよ鬼離山くん。……でも思ったてたより)
失禁と失礼極まりない言葉が耳に入ったが、一葉が密かに想像していたほど、会話は困難ではなかった。
「鬼離山くんならユッキー怖がらないみたいダシ。君に頼むってなるのは自然ダヨ!」
「……理屈はそうだな…その通りだと思うよ」
コロコラと表情を変える兎崎に対しても、鬼離山は表情が動かず、無愛想な対応ではある。しかし彼は本質的には仄かな優しさを持った青年だ。
例え初対面とほとんど変わりがない兎崎であっても、決して害することなく接することは至極当然の事だった。
それから僅かな会話の後、鬼離山は一葉の方へ目を向けた。
「…少し幸村と話をする。兎崎は会話が聞こえないくらいに離れてろ」
「え!?内緒話?なんでヨ。よそよそしくしないでヨ」
(いやだから香織はほとんど初対面でしょ…」
「プライバシーを守れ兎崎。それくらい重要な話なんだよ」
「プライバ…重要……あ!そゆこと!!」
兎崎は何処かニヤニヤとした笑顔で、一葉へ目配せを送る。未だ一月と経たない関係の一葉だが、彼女が何を考えているのかは理解できた。
「また色恋の話だと思ってるんだろうなぁ…」
「色恋?」
「…大丈夫鬼離山くん、気にしないで…」
そして兎崎がその場を離れてすぐ、鬼離山と一葉は会話を再開した。
「勉強を教えるってのは別に問題ない」
「え、そうなの!?」
以外にもあっさりとした言葉に一葉は驚く。
彼は日本に5人しかいないAランク獲得者。それだけ多忙で、張り詰めた生活をしているものだと一葉は考えていた。
「…俺にはAランクなんて肩書きこそついてるが、モンスターの発生頻度は完全なランダムだ。働く時間自体は他の獲得者となんら変わらない」
「そ、そうなんだ……」
「勉強会ってのの最中にモンスターが出れば抜け出して対応に向かう…それで良いよな?」
「…もちろんだよ。こっちが頼んでるんだし」
そのまま何事もないまま、彼と彼女の会話は終わりを告げた。一葉の想像どころか、たどり着くまでの過程に見合わないほどあっさりとした幕引きだ。
(なんか…なんでなんだろ)
不思議に思えるまでに鬼離山は兎崎と一葉の頼みを受け入れた。
通常であれば気にする方がおかしな違和感だが、一葉は思わず問い掛ける。
「なんでそんなに簡単に受け入れてくれたの?鬼離山くん」
「…ん、どういう意味だよ」
「自分でも不思議なんだけど…なんか納得いかないって言うか…」
「…ミカが気持ち悪がるわけだな……」
(え、罵り?)
ポツリと呟いた鬼離山は一葉の瞳を覗き込み、神妙な面持ちで口にした。
「お前の言う通りだな…普段の俺はこんな頼み。金を出されたって受けいれない。今回受け入れたのは……ちょっとした気まぐれだ」
「気まぐれ…?」
「お前とは関係のない…本当に大したことのないことだよ…それでお前らの頼みを受け入れる気になった」
(つまり…どういうことなの?)
「そんだけだ…もう次の授業のチャイムがなるぞ
淡く半端な語り方に、一葉はより疑問を強める。しかし彼の方はと言えば、もう話は終わりだと言うように一葉を促した。
そのまま、彼の言葉の通りに授業の始まりを告げるチャイムは鳴り響く。
抱いた疑念を問えないまま、一葉は自らの教室へ戻ることになったのだった。
◯化野川高校について
広島県、化野辛市にある私立高等学校。
生徒数は全学年合わせて240人と少なく、年々減少傾向にある。
高校内の部活動の中では兎崎香織の所属する陸上部の名声が高く、全国大会に名を連ねている。
しかし全国的に見て田舎であるため実績ほどの知名度はなく、学校自体の評判も決して良いものではない。
化野辛市はもちろん架空の市名です。
2005年を舞台としていますが、時代に関係なく現代日本には存在しない地名やニュースが登場するのでよろしくお願いします。




