第1話
四年前……
この国には術者が作り上げた「漢字の力」がある。漢字の意味を人間に宿し力にする。「漢字」には人間の姿形を与えられ、人に憑依する事でその本領を発揮する。
だが、漢字と人間にも相性があり、全ての人間が全ての文字を使える訳ではない。それに、術者が作り上げた漢字も全てある漢字の中のほんの一部だ。だから、この小国の中で漢字の力を使える者もほんの一部。漢字の力を使える者は羨望と僻み、そして恐れの眼差しで見られる。
この国では10歳になると漢字の選定試験を受ける事を義務付けられている。
「次の者、前へ」
おどおどとした少女、ユウエンは恐る恐る前に出た。
周りには隔離された漢字の者達、『漢霊』が並んでいる。
ユウエンは選定の場に立った。すると、漢字の文字が浮き立ちユウエンを取り囲んだ。ユウエンがそれに圧倒されていると、一つの文字がユウエンの首の左側にペタリと貼り付いた。その文字は光を放ったかと思うと、隔離されていた一つの文字の結界が解かれた。
その文字は、『戦』。
「おお!遂に『戦』の文字の者が出たか!」
「しかし……あんな者が『戦』で大丈夫なのか……?」
「ううむ……」
周りの者達はユウエンにとやかく言った。
ユウエンは逃げ出したい気分だった。だがここで逃げ出す事は出来ない。
『戦』の文字は結界の解かれた小部屋から出てきてユウエンの前にふわりと降り立った。大柄で赤みがかった黒髪に赤い目をした男だった。
「お前が俺の相棒か。よろしくな」
『戦』が手を差し出して来た。
ユウエンはその手を恐る恐る取った。
「お前には今日からこの宿舎で暮らしてもらう」
そこは兵士達が住む宿舎の一つだった。
「こ、ここでですか……?」
ユウエンは小さな声で聞いた。
「ああ、お前はもう軍に入ってもらうからな」
『そんな……』ユウエンは心の中でそう思ったが、言った所でどうしようも無いだろうと言わなかった。
「ここにいる『漢字持ち』はお前だけじゃない。せいぜい仲良くする事だな」
ユウエンはその言葉に何か皮肉めいたものを感じた。
と、宿舎の門の所に男の子が背中を預けて腕組みをしながらこちらの方を見ていた。ユウエンよりは少し年上だろうか。後ろには妖艶なお姉さんがふわりと浮いていた。
「?」
「あれは『淫』の漢字持ちだ。お前もこれから『世話』になるだろうから挨拶くらいしといてもいいだろう」
「(『イン』……何だろう……印とかの『イン』かなぁ……)」
案内役の男とユウエンは男の子に近付いて行った。二人がこちらに近付いて来たと察すると、男の子はにっこり笑ってひらひらと手を振った。
「こんにちは。今日から新しい「漢字持ち」の子が入って来るって聞いたから待ちきれないで門で待ってたんだ」
男の子はそう言ってユウエンの手を握り、そして……頬に口付けをした。
「ふぇっ!?」
「俺の名前はサナ。これから『よろしく』ね」
「流石は『淫』。淫乱な奴だ」
「あはは。それが俺ですから」
「あの、あの……」
置いてきぼりのユウエンは何が何だかわからない様だ。
「あ、説明しといた方が良い?ってかまあいずれは説明しなきゃいけないしね」
サナはその辺にあった棒切れで地面に字を書いた。
「俺は、『淫』の漢字持ち。この字わかる?」
ユウエンはなんとなく見たことのある様な文字だと思った。
「あのね、さっきそこの人が言ったみたいに、『淫乱』とか『淫ら』とかって意味。人と交わって気力や霊力を回復させるのが俺のお仕事」
「えっ」
ユウエンは驚いて顔を真っ赤にさせた。
「あはは、軽蔑した?でも、俺が回復させるのは戦場に出る兵士、それも漢字持ちが優先。君の漢字は何?」
「『戦』……」
「えっ」
今度はサナが驚く番だった。
「君が?ホントに?」
「本当だ。こいつの首の左を見てみろ」
「わ、本当だ。見事に『戦』だね。それによく見たら漢霊もそんな感じだね」
サナはユウエンの後ろに浮いている『戦』を見た。
「じゃあホントに『よろしく』だね」
「ふえ……」
ユウエンは今にも泣き出しそうだった。戦場に行くのも、兵士達の宿舎に寝泊まりするのも、これから待ち構えているであろう訓練を想像するだけでも怖いのに、更に見知らぬ男の子と交わる?ユウエンの対応能力は限界を超えた。
「うえーん、えーん」
「えっ?え、どうしたの?」
「泣いてもどうにもならんぞ」
案内役の男にそう言われたが、もうどうにもならない。
「えーん、えーん」
「え、えっと、ごめん、ね?」
サナはそう言うとユウエンを抱き締めた。
「ふえ……」
「こうすると、落ち着いて来ない?」
「あの、あのね、君が嫌がるなら無理に抱いたりしないよ。さっきしたみたいに口付けとか、抱き締めたりとか、添い寝したりするだけでもある程度は回復するから。ね、だから泣かないで」
そう言われユウエンはこくりと頷いた。
「もう行くぞ。挨拶は充分だろう」
「待って。君の名前を聞かせて」
「ユウエン……」
「ユウエン……ユウエンね。ユウエン、これからよろしく。またね」
それから二年の月日が流れ、ユウエンの初陣の時がやって来た。
「ユウエン!」
武具の準備をしていると、サナがやって来た。
「ユウエン、無事に帰って来てね……」
サナは心配そうにユウエンの手を握った。
「うん」
ユウエンは愛おしそうにその手を見つめた。
「僕の心配はしてくれないのー?」
「ニシキ……いや君は大丈夫かなーって」
ニシキ……『殺』の漢字を持つ者だ。サナより一つ年下の彼はサナとは腐れ縁だと彼の談。そして……サナと幾度も交わっている。
「つまりユウエンが頼りないってこと~?」
ニシキはケラケラと笑いながらサナ達をからかう。
「ユウエンは女の子だし初陣だろ。男で戦闘を楽しんでるお前とは違うの」
「お前知らないの?ユウエンが漢字に憑依された時、一番戦闘を楽しんでんじゃん」
「知ってるけど、それは『戦』の文字であってユウエンじゃないだろ」
「わかんないよ~?潜在意識の中では楽しんでんのかもよー。なんたって『戦』に選ばれた奴なんだから」
「ニシキ」
サナはニシキを嗜める様に名前を呼ぶ。
「あーあ。お熱な事で。ま、いいや。ユウエン、戦場ではこれからよろしく~」
「よろしく……」
『殺』の漢霊も挨拶をしてきた。ニシキと同じ銀髪で銀色の目をしている10歳くらいの見た目の子だ。
「よ、よろしくお願いします……」
「さ、いざ戦場、って感じ~?ユウエン、どう?怖い?」
ニシキ達は多くの兵士達と共に戦場へと来ていた。
「は、はい……」
ユウエンは身長の倍以上ある薙刀を携えながらそう言った。漢字の力を持つ者は漢字に憑依されずともある程度の力は使える。
「あはは。説得力無い~」
「う……」
「あ、使い魔だ。さーて、殺りますか」
「は、はい!」
「あっはあ!やっと殺れる!!」
『殺』の漢霊は物静かな普段と違っていろんな意味でやる気満々だ。
「さあ……やってやろうぜ……」
『戦』も待ちきれない、という様子だ。
ユウエンの首ととニシキの右掌の漢字が光だした。二人の漢霊達は光の塊になったかと思うと、それぞれの漢字へと吸収されていった。
「さてさて、ここからが面白いんだよね」
ニシキはそう言うとユウエンの方を見た。
ユウエンは普段のおどおどとした顔つきとはうって変わってふてぶてしい顔になっていた。
「あ?なんだ?」
言葉使いも違う。
「君は大いに漢霊の性格に引っ張られる部類。いやー面白いね」
「んな事言ってねぇでさっさと行こうぜ」
「はいはい。君の初陣はどんなものだろうね」
結果としては自軍の勝利。新たにユウエンが入った事で犠牲者も大幅に減った。だが……
「うえぇっ」
ユウエンは胃の中の内容物をびたびたと吐いた。
「戦争ってこんなもんだよ。優しいユウエンちゃんは人が死ぬのが辛い?でも、そんな現実を毎回見なきゃいけないの。それが戦争」
ニシキはあっけらかんと言ってのけた。
「帰ったらサナに『慰めて』もらいなよ。それがあいつの役目なんだから」
「ユウエン!?」
サナは帰って来て顔を真っ青にしたユウエンを見て驚いた。
「こいつ『慰めて』やれ。でないと精神が持たない」
ニシキは肩を貸して歩いていたユウエンをサナの方へつき出した。
「ユウエン……どうしたの……?」
サナはユウエンに優しく話しかけた。
「人が……人がいっぱい死んじゃうの……私もいつかああなるのかな……?」
「ユウエン……」
サナには「そんな事無い」とは言えなかった。いくら漢字持ちが強いと言っても絶対死なないとは保証出来ない。それに、ユウエンは自分以外の者が死ぬ事にも耐えられないのだろう。
サナに出来る事といえば……
「ユウエン、こっち」
「?」
サナはユウエンの手を引っ張った。サナは「仕事場」の方へとユウエンを誘った。仕事場の部屋の扉を開け、ユウエンを入れるとパタリと閉めた。
「ユウエン、嫌かもしれないけどさ、君の事抱くよ」
ユウエンはその言葉に身を強ばらせた。
「このままじゃユウエンが潰れちゃう。俺に出来る事っていったらこれくらいなんだ……ごめんね……」
「駄目……それは駄目っ」
「ユウエン、嫌なのはわかるけど……」
「違うっ!だってそれはサナの本心じゃないでしょう……?」
「っ!」
「サナだって、ホントはこんなことしたく無いんでしょう?」
「……俺に出来るのはこれくらいしかないんだ……。これが俺の使命なんだ。それにそれを言うならユウエンだって戦場になんか立ちたく無いんだろう?俺だけ特別扱い?」
「……」
ユウエンは何も言えなかった。
「ごめんね……」
朝日が昇った。裸のサナはむくりと起き上がった。隣では同じように裸のユウエンがすやすやと寝ている。
しばらくはこれで大丈夫だろう。
サナはユウエンにもう一度言った。
「……ごめんね」