ユキとの出会い
「できるわけ無いでしょ! 目標を上げる根拠を説明してください!」
早朝の会議室に、バンとテーブルを叩く音と共に、明日香のいら立った声が響いた。
ここは、人材派遣会社ハーケンの会議室。月曜日の朝5時から始まる先週の売り上げと月間の進捗報告会議中。
支店長から、「本間ちゃーん、今月の目標達成ペースを維持しているのは、あなただけなんだもん。支店の売り上げ目標クリアするには、他で落とした数字をカバーして欲しいの! なんとかお願い!」
計画性のある売り上げ会議ではない。情に訴えかける上司からの命令だ。
会議室のプロジェクターに映し出されている、売り上げ目標の進捗を示す表。達成ペースを示しているのは、本間明日香ただ一人だった。
「今月だけじゃないでですよね! 先月も同じセリフ言われた記憶有りますよ!」
「そこを何とか……」
「次回の査定は規定してもいいんですよね?」
「もちろん!」
「来月は目標変更禁止ですよ!」
「さすが本間ちゃーん! 話がわかってくれて良かった」
入社当初、毎週月曜5時から進捗会議がある説明を受け、夕方の5時だと思っていたら、朝の5時だった事実に驚いた。入社する会社を間違えてしまったと思った。しかし、社員全員がおかしいとも思わず朝5時に出社して会議に出ていることに驚き……明日香も慣れてしまった。
業務時間は9時~18時である。前残業など付けてもらえない。土日は休日だが、この会社の休日とは、タイムカードを押さない出勤日であり、自由な時間に出勤し、自由な時間に退社していい日というだけである。
明日香は、求人企業と求職者を結びつける業務自体は、好きな仕事なのだ。お客さんから、求人依頼を受注しとき、明日香が管理している求職者リストから、誰を斡旋するか考えることが楽しかった。
ベストマッチの組み合わせをすると、派遣社員が直雇用に切り替えになることも多い。派遣会社としては求人企業がルール違反をしていることなので、苦情を言うことも出来る。しかし、明日香はあえてしない。ここで恩を売って、次の求人依頼をしっかりと確保する。信頼関係を築くことが、この仕事には欠かせない。
求人と求職者がベストマッチすることは少ない。多くの場合は、数日で派遣社員が派遣先変更を依頼してくる。
仕事内容の理想と現実が離れていたためならまだいい……事務職を斡旋した女性は、「彼氏にしたい、良い男が居ないので、次の会社に変えてください」……深夜営業をしている居酒屋を斡旋した男性は、「派遣社員だけ、賄い料理が付かないことに納得できないので、次の会社に変えてください」……この程度のあきれた理由で変更を希望する求職者も多い。
(求人企業に、「仕事内容が想定していた内容と違いました」などと言い訳をして頭を下げる身になってみろってんだよ!)
過去で一番不尽だと思った派遣先変更理由は、「事務所内の自動販売機に好きなジュースが入っていなかったので、変えてください」だった。
(通勤途中にコンビニに寄って、買ってから出社しろよ!)
突然派遣先の変更を希望する者は、出社すらしなくなる。空いてしまった求人企業の欠員は、次の求職者が決まるまで、明日香が無償にて派遣社員代行を行っていた。通常の業務は、帰社後の残業でカバーをする。もちろん残業代など付けてもらえない。
労働基準法? 何ですかそれは……
ブラック企業? うちの会社のことですか?
明日香は思考を思い出から、現実に戻した。さきほどの進捗報告会議で、今月も目標アップを引き受けてしまった対応をしなければいけない。いざというとき、求人依頼を発注してくれる隠し玉はいくつか持っている。
隠し玉のどれを使って目標達成させようか……戦略を練るとき、明日香は屋上ですることが多かった。閉め切った室内で、電話が鳴って会話の雑音が聞こえる場所より、開放感があり街の雑踏を聞いている方が落ち着く。
明日香は会議室を出るとき、支店長に「少し屋上に行ってから事務所に戻りまーす」と伝えた。
エレベーターの中で、朝食用に買っておいたサンドイッチとコーヒーも持って来ればよかったと思った。そういえば、会議中は邪魔なのでスマホも机に置いてきたままだった。
(事務所に戻るのも面倒だな……このまま屋上に行こう……)
屋上は人工芝が敷いてあり、そこを裸足で歩きながら考えると、いいアイディアが浮かぶことが多かった。
エレベーターを降り、階段をのぼり、屋上へ出る扉を開いたら、いい草の香りがした。
いつも見ている屋上の風景ではなく、草原が広がっていた。
(疲れている? 幻覚?)
足をビルの中から草原に一歩踏み出し、屋上につながる扉から手を放した。バタンという音とがして、扉のしまった感じがしたので、振り返った。
(あれ? 扉がない……)
あるはずの扉が無くなっていて、草原が広がっていた。そして扉があった足元には、バスケットボールほどの大きさをした、楕円状の白い物体が落ちていた。警戒しながら、白い物体に近づくと、中からガリガリと音がしている。
(中に何かいるの?)
しばらく白い物体を眺めていると、ひびが入ってきて……中から白い毛をした犬っぽい生き物が出てきた。足を突っ張るように伸びをしたあと、犬にはついていない翼を大きく広げた。
「犬じゃねぇのかよ!」
明日香の思わずもらした声に、謎の白い毛並みをした生き物は明日香を見た。
「おい、襲ってくるんじゃないぞ! 」と言い警戒をして後ずさりをしたが、謎の白い毛並みをした生き物は明日香についていく。
「もしかして、刷り込みか? わたしは、母親なんかじゃないぞ? まず、見た目が違い過ぎるだろ!」
しかし、謎の白い毛並みをした生き物は明日香を追いかけてついてくる。よちよちした歩きをしながら……
明日香は、謎の白い毛並みをした生き物から逃げようとするのをあきらめ、しゃがんで謎の白い毛並みをした生き物の頭を撫でてみた。
(ふわふわして、触り心地いいな……)
両手で謎の白い毛並みをした生き物を捕まえ持ち上げ……
「お前、メスだな! 女同士よろしくな!」というと、謎の白い毛並みをした生き物は、恥ずかしそうにジタバタ暴れた。どうやら言葉が通じているようだ。
(こんなところで、ひとりぼっちより、変な生き物でも一緒の方がマシだろう)
「まずは、お前の名前決めないとだな。ポチはどうだ?」と提案してみるが、謎の白い毛並みをした生き物は目線をそらす。お気に召していないようだ。
「それなら……タマ……大福……わたあめ……」色々と言ってみるが、目線を合わせてくれない。明日香もネタ切れになった。
白い風貌から連想し、苦し紛れに「パウダースノー」と言った瞬間、謎の白い毛並みをした生き物は明日香の顔に飛びつき、なめまわした。どうやらパウダースノーが気に入ったようだ。
「お前、パウダースノーがいいのか? でも呼びにくいから……普段はユキと呼ぶけどいいか?」さらに喜んだようで、明日香の顔をなめまわした。
「ユキ、よろしくな!」とはいっても、草原の中に一人と一匹。草の香りは良いが、このままというわけにもいかない。遠くに城壁に囲まれた城らしきものが見える。
「ユキ、城壁に囲まれたところに行くよ! ついておいで!」
明日香とユキは歩き出した。