8 トロッコ問題
桃野を抱えているのは、全身黒色のタイツに、黒く輝く日本刀を持ち、前下がりのボブヘアーに右耳に十字架のピアスをしている女性、黒木紬。黒木の右肩には黒色のアライも乗っている。嘴は虹色だ。
「ありがとう……。あなたは?」
「私もSOGIESCだけど、今は自己紹介をしてる場合じゃないわ」
黒木は、悪夢んに対向し戦闘態勢になる。続けて桃野も構える。
「あの悪夢んに対して、SOGIESCはたったこれだけ。しかも負傷者ばかり。勝ち目は無いわ、紬。隙を作って逃げるべきね」
「分かってるわ、アライ」
黒木は、日本刀を天に掲げた。
「暗黒時代」
日本刀が霞のように消え、辺りを漆黒が包む。
静寂。暗闇から解放された後には、悪夢んの姿は消えていた。
「ちょっとぉ。え? 何がどうなったの??」
桃野が食い気味に質問するが、黒木は冷静に答える。
「悪夢んに対して目眩しをしただけ。アイツなら、私の技を破壊する事も容易く出来たはずだけど、消えてくれたみたい。運が良かったわね。それより────」
黒木が赤井の前に立ちはだかる。
「彼、悪夢んに飲み込まれかかってる。始末するわ」
「グググググ……」
赤井の全身を薄っすらと黒いモヤが包み、威嚇する様に歯を剥き出しにし、涎を垂らしている。
黒木が日本刀を構える。
「待つのじゃ! 大も今、自分と戦っておる。大なら、きっと戻って来られる……」
赤井の肩に乗るアライが必死で訴える。
「あなた、同じアライなのに分からないの? この人は、もう手遅れよ。時期に悪夢んが産まれるわ。あなたも瘴気にやられる前に、その人から離れるべきよ」
黒木の肩に乗る黒色のアライが呆れた口調で諭す。
「グアアアア」
赤井が吠える。黒木が動こうとした、その時。青戸が赤井の後ろからギュッと抱きつき、「赤井さん……戻って来て……」と大粒の涙を浮かべて願った。赤井の目にスッと光が戻り、黒いモヤも見る見る消えていった。
「あれ……俺は……。って、祐! どうしたんだ? 抱きついて」
赤井は状況が理解できないでいるようだ。青戸は、赤井に泣き顔を見せないよう、小さく首を横に振った。
その様子を見ていた黒木は後ろを向き、帰ろうとする。
「ちょっとぉ、待ちなさいよ!」
「何?」
黒木が振り向く。
「何、じゃないわよ! アンタ……さっきは赤井を殺すつもりだったんじゃないの? どういうつもりよ!!」
桃野が黒木に詰め寄り、睨み付けている。黒木は無表情のまま答える。
「まず。ヴァンパイアの悪夢ん。アレは人間と悪夢んが融合した状態。悪夢んは本来人間の言葉なんて喋れないし、ただ人間を襲うだけで頭脳は無いの。けど、人間と融合した状態なら会話も出来るし、しかも、ベースは人間の意志で動いているから厄介。ただの悪夢んと、人間と融合した悪夢んでは強さも全然違う。そして、赤色の彼。彼はSOGIESCでありながら、自身の弱さによって悪夢んを産み出そうとしていた。私も経験は無いけれど、SOGIESCが産み出す悪夢んが、どれだけ強いのか想像も出来ない。しかも、SOGIESCと悪夢んが融合したら……。そのリスクより、目の前の彼を殺す方がいいと考えただけよ」
「そんなのって、あんまりじゃない! アンタは、そんな考えで人間を殺せるの?」
「合理的な考えをしたまで。知らない? トロッコ問題。彼が悪夢んを産み出して犠牲になる人間の数を考えた時、彼一人が死ぬ方がいいと私は考えただけよ」
「そんなの、もし赤井が悪夢んを産み出したとしたら、アタシ達で悪夢んを倒すだけ! 死んでいい人間なんていないわよ!」
「ヴァンパイアの悪夢んに手も足も出なかったあなた達で、果たしてSOGIESCが産み出す悪夢んに勝てるのかしら」
桃野は何も言い返せず、ただ握り拳を振るわせている。
「悪夢んやSOGIESCについて、あまり知らないようだけど、あなた達の側にいるアライは、何も教えてくれないのかしら? もっと賢いアライと行動を共にするべきね」
黒色のアライは桃野に告げ、白色のアライを小馬鹿にした。
そして、黒木と黒色のアライは、霞のようにその場から消えていった。