2 クエスチョニング
「会う度に妻とは離婚するから……って、もう聞き飽きたわ……。あの女さえ居なくなれば彼は私のもの……」
二十代半ばの黒髪ロングヘアーの女性が、部屋の電気も点けず地べたに座り、呟いている。足元からは黒いモヤが沸々と発生し、次第に形を作っていく。ニメートルくらいの人間の姿のようだが、腕はカマキリのように鋭く尖っている。禍々しい雰囲気を放つそれは、突如煙のように消えていった。
本日未明、恋煩町の路地裏で斬殺された女性の死体を発見。警察は殺人事件と見て捜査を進めています──
四十インチを超える液晶テレビから流れるニュースを、L字型の大きなソファに寝そべり鼻をほじりながら「なあアライ。これ、悪夢んの仕業じゃねーか?」と真顔で赤井が問う。
「じゃろうな」
「どうして悪夢んの仕業だって思うんですか?」
L字型ソファの端にちょこんと座る、重たい前髪の少年。先日、赤井が悪夢んから助けた少年だ。
「んー……感!」
ニッコリ屈託のない笑顔を向ける赤井。
「現場の映像が流れとるじゃろ。どうも陰湿で禍々しい雰囲気を感じんか?」
「……分からない、です……」
「まだ祐はSOGIESCになったばっかだもんな! その内分かるようになるさ」
立ち上がり、祐の頭をポンと叩く。少年、青戸祐の頬が紅潮する。人に触れられた経験の少ない青戸は、尊敬する赤井に触れられて照れている。
「ま。まずは恋煩町に行ってみねーとな!」
キープアウトの貼紙を無視して、ずんずんと中に入って行く赤井達。青戸は赤井の後ろを金魚のフンのようについて行く。
「こりゃあビンゴだな」
「嬉しそうじゃな大よ」
「あぁ。ゼッテー見つけて俺が始末してやる」
赤井の後ろ姿からでも殺気立っているのが感じ取れる。
赤井は右手を突き出し、力強く拳を握り「成!」と唱える。瞬間、全身真っ赤なタイツに身を包み、背中には大剣を備え付けている。
「この姿で悪夢んと戦うんだ。式典の時にアライに触れられた方の手を突き出して"成"って唱えると変身出来るから、祐もやってみな?」
「え……」
青戸は全身タイツになる事に抵抗はあるものの、赤井の言われた通りに左手を出し、か細い声で「成」と唱える。青戸は全身青色のタイツに変身し、左手にはシャボン玉容器とシャボン玉ストローを持っている。
「ふむ。シャボン玉が武器とは心許ないのぉ……」
「いや、武器は使い方次第だぞアライ。カッコいいじゃんかシャボン玉!」
ニカッと笑う赤井。自身の全身青タイツを見て恥ずかしがる青戸。
「何か……その……スースーして、気持ち悪い……です」
青戸は、小さな子供がトイレを我慢する様に股を押さえている。
「最初のうちは慣れないかもな。でも、段々何も気にならなくなるから、我慢だな」
赤井が青戸の頭をポンと叩く。全身タイツの恥ずかしさからか、尊敬する赤井に触れられたからか、青戸の頬が紅潮する。
少し奥に進む。多少掃除はされているが、血痕がそこら中に飛び散っている。壁や地面は鋭利な何かで深く抉られている。
「こりゃ、ひでぇな……」
赤井が辺りを見回す。青戸も凄惨な状況に怖気付いたのか、赤井の背中にピッタリくっついている。
「む? 来るぞ!」
赤井の肩に乗っているアライが、突然何かを感じ取り警告する。地面の血痕から黒いモヤが沸々と湧き出て、そこから二メートルくらいの巨大なカマキリのような何かが現れる。
「悪夢んだ! 祐、下がってろ!」
震えている青戸を気遣い、赤井が悪夢んに肉迫する。
「はぁああ!」
赤井は大剣を振り翳すが、鎌のような腕に軽々と止められてしまう。悪夢んがギシャアアアと不快な音を立て、赤井を薙ぎ倒す。「ぐあっ」と、赤井が壁に打ち付けられる。青戸は震えが止まらず、赤井をどうにか助けたいが、どうすればいいか分からない。
(ぼくは、赤井さんみたいになりたくて、SOGIESCになったのに……。悪夢んが怖くて、動けない……。自分が情けない……)
青戸が気が付いた時には悪夢んが目の前に迫っていて、大きな鎌は青戸に降り掛かろうとしていた。ギュッと目を瞑った青戸。束の間の静寂。
ゆっくりと目を開けると、血塗れの赤井が立っていた。
「祐、大丈夫か?」
赤井は口元から血を垂らしながら笑っている。背中には鎌が刺さっていた。絶望、怒り、悲しみ、悔しさ、恐怖。色んな感情が入り混じり、青戸は我武者羅に叫んだ。
「水滴石穿!!」
シャボン玉を吹き付け、無数の小さなシャボン玉が悪夢んに襲い掛かる。悪夢んが後退するが、狭い路地裏に逃げ道は無く、悪夢んに触れたシャボン玉は爆薬のように破裂しダメージを与える。シャアアアアと苦痛の音を出し、悪夢んは逃げるように姿を消した。黒いモヤは晴れ、辺りは静けさに包まれた。
「ごめんなさい。ぼくが……ぼくのせいで赤井さんが……」
「祐のせいなんかじゃないさ。大事な仲間を守る事が出来て、俺は幸せだぜ……?」
「祐よ。お主の武器なら大の傷を治せるかも知れんぞ」と、アライが祐の肩に飛び移った。
「え? シャボン玉で?」
「そうじゃ。悪夢んに攻撃した時のように、今度は大の傷を治したいと、強く念じてみるのじゃ」
(赤井さんは、ぼくのせいじゃないって言ってくれてるけど……。赤井さんの傷を、ぼくが癒したい……!)
「和泥合水」
ゆっくりと息を吹き掛け、大きなシャボン玉を作る。ニュートンリングが輝く。その大きなシャボン玉は、赤井の傷口に触れ優しく弾ける。刹那、赤井の傷は消え、痛みも消えた赤井が驚く。
「すげーな! 祐!! 一瞬で治ったぞ! ありがとな」
ニカッと笑う赤井。釣られて笑う青戸。目元は前髪に隠れているが口元を見るだけで笑っている事が伝わる。
「祐、初めて笑ったな! 良い顔で笑うじゃんか」
赤井と青戸が知り合ってから、初めて見せた笑顔。青戸は、自身が笑ったのはいつぶりだろうかと考える。
久しく笑う事など無かった。両親は、青戸が物心付く前に離婚。母親に育てられるが、昼も夜も働き詰めで、子供に構っている余裕など無く、軽いネグレクトの状態だった。それでも、懸命に働く母の姿を見て、母親に甘えないよう、自分の事は何でもやるようにして来た。
中学一年生の時、周りの男子達が「A子さんが可愛い」「B子さんは、C太郎と付き合っている」「好きな人は居るのか?」という会話で盛り上がっていた。数少ない青戸の友達からも「祐くんは、好きな子居ないの?」と聞かれ、その時思ったのだ。何故男は、女の子について話したがるのか。どうして女の子を好きになるのか。確かに、青戸自身の体は男で、青戸も自身の体の性が男であるという事は理解している。しかし、何か違うというか違和感がある。でも、女性として生きたいという気持ちも無い。
青戸は、自分の性別が分からないのだ。
青戸は疎外感に苛まれ、友達との会話に上手く馴染めなかった。
段々と学校に行くのが嫌になって、引きこもるようになった。母親は、青戸が学校に行ってない事は、気付いてないのか、どうでもいいようだった。何もかもが嫌になり…青戸の中から悪夢んが生まれた。それを救ってくれたのが赤井だった。
(赤井さんが居なかったら、ぼくはどうなっていたんだろう……)
「キャ────!」
遠くで女性の悲鳴が聞こえる。
「悪夢んじゃ!」
青戸の耳元で、大声でアライが言ったため、青戸は耳を押さえた。
「ヤバイな!急がないと!祐、行けるか?」
「はい」
青戸の肩に乗るアライが微笑んだ。