レオンの願い
俺が今までにないくらい真面目な口調で話しかけたからか、婆ちゃんは抱きしめていた俺を少し放し、顔をマジマジと見詰めてくると少し離れ威厳に満ちた里長として返事をくれる。
「なんじゃ?レオンハルト。」
「俺も五歳になりました。そろそろ魔力操作だけでなく武器の扱いを覚えて体を鍛えたいのです。どうかその許可をいただけませんか?」
「ふむ… それ自体は別に構わぬが… しかし、お前はまだ五歳じゃ。焦らずともよい。魔力操作もミーティアに教えてもらってるとはいえまだ上手くできぬじゃろう。」
俺の言ったことはそのままならあまり問題はないのであろう。そのままなら…だが。
だから、婆ちゃんは俺の言ったことに対して首を傾げながら「なぜその程度のことに対してお願いするんだ?」と言った表情を浮かべて考え込んでいる。
その婆ちゃんに俺は続けて告げる。
「ありがとうございます。では、俺はこの里から出て東の方で暮らそうと思います。」
「「…は?」」
俺の返事を聞くと婆ちゃんだけでなく、それまで静かに婆ちゃんと俺を睨んでいたミーティアでさえ呆けた声を出した。
だが、俺は二人が正気に戻るのを待つつもりも無い。
「出立の準備を行うので、失礼します。」
俺が軽く頭を下げ、部屋の周辺に置いておいた衣類を用意していた風呂敷に包むとそれを片手に持ち部屋から出ようとした。
そこで我に返ったのか二人とも騒ぎ出す。
チッ、婆ちゃんが正気に戻るのが早すぎる…
いや、五歳児が家出て独立するとか言ったら誰でも焦るか…
「れ、レオン!待つのじゃ!!村を出るなどと言ってはおらなんだであろう!?しかも、東というのは…!」
俺は風呂敷を担ぎながら笑顔で婆ちゃんに答える。
「うん、五年前の地震から魔物や魔獣がよく現われるようになったって言われてるよね?」
暗に「それがどうしたの?」と表すと益々婆ちゃんは慌てだした。
「さっきも言ったように武器の扱いや練習ならこの里ですればよかろう!別にここから出て行く必要は無い!何かあったのか!?」
半ば泣き叫ぶように言う婆ちゃんは『魔将軍』という呼び名で呼ばれる将軍や、帝国内のハイエルフ、エルフ達を束ねる冷静、冷酷な長と同一人物とは思えない。
俺を父から引き受けた当時、婆ちゃんはミントさんや父のことがあるもののヒトの子である俺に対してはまだ触るのも躊躇っている部分があった。
だから俺はできるだけ婆ちゃんには赤子らしい欲求をあまり見せないようにしていたのだが、旅の途中、立ち寄った村の住人がヒトの子である俺を見て襲ってきた。
それを見た四将軍は周囲へ威圧を放ち住人の動きを抑えたのだが、その威圧に負けまいと頑張った住人の一人が俺に石を投げそれが頭に当った。
その瞬間、婆ちゃんはそれまで以上の威圧を放ち、静かな声でその住人に告げたのだ。
「おい、そこの獣人。貴様、レオンに石を当てたな?ワシの友の子に石を当てたということはワシの子に石を投げたのと同じこと… 死して詫びるがよいわ!!」
そう言い終わるのと同時に魔法を放とうとして、ゴラン、ヒューバート、ガンドルフの三人に押さえつけられていた。
その後は他の住人達が威圧から解放され、四人が四将軍だと知らずに「冒険者風情がヒトの子を庇うのか!」と言われつつ村から追い出された。
だから俺はお詫びのつもりで婆ちゃんが心配して俺の傷を魔法で癒してくれているときに婆ちゃんの顔を見て笑いかけたのだ。
すると、婆ちゃんはそれから態度が変わった。
変わったというか、激変だった。
旅の開始当初は俺を他の三将軍に押し付けていたのが、それからは逆に俺を他の三将軍に渡すことさえ拒否して婆ちゃんが俺を抱き続けてくれたのだ。
そして言葉遣いも変わり、親バカ?孫バカ?と俺が心配するくらい過保護になった。
俺が言葉を喋られるようになった時、婆ちゃんを見て「アザリー婆ちゃん…」と呼ぶと目を見開き、俺を高い高いしながら自分はぐるぐると回り、俺を降ろしては頬擦りし…としばらく繰り返す姿に周囲のエルフ達が唖然としていたほど喜んでくれた。
(こんな婆ちゃんだから、俺も好きなんだよな…)
思わず以前のことを思い出しながら婆ちゃんを見て笑っていると、婆ちゃんは部屋の入口で先程からひっそりと立っていたミーティアを見た。
その瞬間、ミーティアは蒼褪めた顔で必死に首を横に振る。
そんな二人の様子を俺は笑いながら否定した。
「ミーティアのお陰で魔力量も増えたし…」
と、俺が言うとミーティアが反応した。
「はぁ!?魔力量が増えたって多少増えたところで何を偉そうに!!」
思った通りの反応を示してくるミーティアに対して俺は思わず「クックッ」とくぐもった笑い方をしてしまった。
この世界では魔力量の見方を知っている人達からすれば他の人の魔力量を量ることもできる。
ミーティアが怒ったのは彼女が今の俺の魔力量を量ったからだからだ。
「ああ、ごめんね。勘違いさせてるみたいだけど… 魔力量ってばれないように抑えることもできるんだよ。」
そういうと、俺は自分の操作できる最大量の魔力操作をしてみせる。
「…え?そんな… これは私と同じくらいの魔力量…」
突然増えだした俺の魔力量にすっかり度肝を抜かれたミーティアはまた呆け、
「…レオン。お前、ヒトでありながらこの魔力量は…」
婆ちゃんは他のことで驚いた。
どうやらヒトは今の俺ほど魔力量がないらしい。
(あれ?ってことは、ヒトとしてはちょっと規格外になっちゃった?)
自分がやったことが常識外れだったことに婆ちゃんの反応から悟って内心慌てたが、二人には見せてしまったのでここはこのまま押し通すことにした。
「婆ちゃんも驚いてくれてるくらい魔力量は増えたみたいで俺も少し嬉しいよ。ミーティア、多少スパルタな部分はあったけど、魔力操作及び魔力量を増やすというのは君のやり方で間違ってなかったんだよ。」
俺がミーティアにそう笑いかけると、再びミーティアは怒り出す。
「ま、魔力量が私と同じくらいになったからって里から出るには聖霊様と契約をしないと…」
「その聖霊様と契約を既に済ませてるから里から出るって言ってるんだ。」
そう言うと俺は自分の手の平を翳し、そこに契約した風の聖霊を召喚した。
続けて俺は言う。
「魔力枯渇を繰り返し、生命力枯渇寸前まで繰り返しやらされた俺に同情して聖霊は声を掛けてくれた。度々、風の魔法で全身を切り刻まれ血塗れで半死半生となり寝込む俺を心配して契約をもち掛けてくれた。つまり… ミーティア、君のお陰で俺は聖霊と契約をすることができたよ。心から感謝してる。…皮肉じゃないよ?」
俺がカラカラと笑いながらそうミーティアに言うと、それまで後ろで呆然としていた婆ちゃんから威圧を感じた。
思わず婆ちゃんを見てみると… そこには旅の途中で石を投げた住人を前にした時と同じくらい怒っている婆ちゃんが居た。
「…ミーティア。レオンを初めてこの里に連れて来た時、お前の言動は陛下の通達を無視するようなものが目に付いた。じゃが、ワシはお前も可愛いと思っておったので批判されるのを覚悟の上でレオンの面倒を見るという甘い処罰で済ませた。面倒を見ているうちにレオンに対して愛着が湧き、レオンを通してヒトというものを見直していくとワシは信じておった。お前はその気持ちを無駄にした。」
怒声を放つでもなく、それは静かな静かな心情の吐露。
恐らくミーティアもこんな婆ちゃんを見たことがないのだろう。
全身を戦慄かせながらその場にヘタリと座り込み、蒼褪めた顔で首を横に振っている。
「…ミーティア。お前は… お前は…」
何を言おうとしたのかはわからない。予想もつかない。でも、婆ちゃんがどういうことをミーティアに言おうとしているのか…
なんとなく想像がついた。
俺はそこでやっと正気を取り戻すと背伸びをしてから婆ちゃんの口を手で塞いだ。
「婆ちゃん!その先は言ったらダメ!!我が子に言ったら絶対ダメなんだよ!!」
思わず必死な顔付きになってしまっている自分が恥ずかしい…
でも、この先の台詞は絶対言わせてはいけないのだ。
子供が受ける心の傷がどういうものか俺は知ってるから、悪夢からわかってるから、だから絶対に大好きなこの優しいハイエルフの婆ちゃんに言わせたくない。
「お願い、言わないで…」
気持ちが素直に体に現われたのか、自分でも気が付かない内に俺の目から涙が流れ溢れてきていた。
そして、俺が召喚した聖霊は俺の感情が揺れているのを感じ、俺を案じてくれたようで俺の回りに優しい風を起こしている。
そんな時間が数秒経ち、最初に動いたのは婆ちゃんだった。
婆ちゃんは無表情から優しい顔付きに戻り威圧を解くと、口を塞いでいた俺の手をゆっくり、静かに、優しくどけて俺の頭を撫でてくれた。
優しく俺に対して頷いた婆ちゃんはミーティアの顔を見て言った。
「ミーティア。こっちに来るのじゃ…」
その声は普段と同じく、快活で優しい元気な婆ちゃんの声。
先程までの声と違った。
だからだろう。ミーティアはすごすごと近寄ってきた。
そんなミーティアに婆ちゃんは言う。
「娘のお前の気持ちも理解せず、怒り飛ばそうとしたことはワシが悪い。じゃが、ワシも里長としての役割がある… わかるな?」
「うん…」
(叱り飛ばそうじゃなく、怒り飛ばそうとするところが婆ちゃんの怖いところだけど…)
「レオン。」
「え?俺?」
「ワシがここまでミーティアを怒ったのは初めてじゃ。」
「そうなの?」
「うむ。じゃから、恐らくじゃがミーティアがお前に対して同じことはもうせぬじゃろう。ミーティア、どうじゃ?」
婆ちゃんがミーティアを見てそう聞くと、ミーティアはこれでもかというほど首を縦に振る。
「し、しない!もう絶対しない!」
すると婆ちゃんは眉間に皺を寄せ少し表情を歪めると溜息を吐いた。
「…ここまで怒らんとワシの言うことを聞かん子じゃと気付かなんだ…」
「ご、ごめんなさい…」
「いや、責めているのではない。ワシが母親として育て方が悪かったのじゃろうのぅ…」
婆ちゃんが落ち込むとミーティアは涙を流しながら婆ちゃんに抱きついた。
「ううん、私が悪かったの。母上の言うことを聞こうともしなかったんだから!」
婆ちゃん達は自分が悪い、と言い合いとうとう二人共泣き出し、婆ちゃんは俺の頭から手を退かすとミーティアと抱きしめあった。
そんな二人を見て俺はなんとなくだが羨ましいと思ってしまう。
俺にはもう実母はいないので同じ事をしようと思ってもできないからだ。
(母が生きていて、俺が同じような状況になっていたら同じように抱きしめ合ってお互いに許しあっていたのだろうか…?)
思わず家の天井を見上げ虚空を見ながらそんなことをしばらく想像し考えたが答えはでなかった。
俺は答えが出せない気持ち自体を悲しみつつ、そんな気持ちを抑えたいので、しばらく二人をそのままにして落ち着くのを待った。
どのくらい時間が経過したのか、婆ちゃんがミーティアから俺へと視線を向けると問いかけてきた。
「レオン、すまんな。こんな姿を見せて。」
「ううん、婆ちゃんとミーティアが仲直りできてよかったよ。」
「お前は優しい子じゃのぅ… あぁ、話が途中じゃったな。それで、ミーティアはもう同じことは二度とせん。里の外側に行くというのか?」
「うん。行くつもりだよ。」
「なぜじゃ?虐められるのが嫌で出るのではないのか?」
婆ちゃんが疑問を真っ直ぐぶつけてきたので俺は婆ちゃんの目を見て答える。
「さっき言ってたように、東は魔獣や魔物が増えてるから退治するんだ。」
「それは本心か?」
「うん、勿論。」
それは紛れも無く俺の本心。それだけじゃないけれどそれも本心だ。
「お前は今まで何一つ我侭も希望も言ったことがなかったのぅ… 初めてのお願いごとがこんなこととは…」