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1.暗転




 いつの間にか、家の前に辿り着いていた。

 どうやってここまで来たのか、覚えていない。

 放心状態のまま、無心で駆けて来たから。



「…………」


 こんな気持ちは、初めてだ。

 胸の奥が、抉られたように痛い。

 自分がものすごく惨めで、無価値な存在へと沈んでいくような……

 そんな、絶望的な感覚。


 まだ営業時間なので、【禁断の果実】の窓からは光が漏れていた。

 ヴァネッサさんもローザさんも、店の中にいるだろう。


 ローザさん……

 いつだったか、彼女が言ってくれた言葉が、ふと脳裏をよぎる。



『あたしらはホステスで、向こうは客! この関係をくれぐれも忘れんじゃねぇぞ!』



 ……本当に、その通りだった。

 彼にとって、これは単なる遊びで……

 金持ちおぼっちゃまの、ただの暇つぶしだった。

 それなのにあたしは、ローザさんの忠告も聞かずに、本気になってしまった。


 ……馬鹿だな、本当に。

 ごめんなさい、ローザさん。 

 もらったお小遣いで買ったこのワンピース、見てもらいたかったけど……

 今日はちょっと、笑顔で見せられそうにありません。



 ──それから

 お店の入り口の石段を見て、あたしは、あの夜のことを思い出す。

 クロさんが……ここで、待っていた時のことを。



「…………っ」



 思えばあの時から、彼に恋をしていた。


 彼に会えるだけで、毎日が意味もなく楽しくて。

 キラキラしていて、ドキドキしていて。

 今までの辛かったことも忘れて。


 彼に、夢中になった。


 ……でも。

 それは全て、偽りの時間だった。

 彼にとっては、期限付きのゲームだったのだから。


「…………」


 煌めく思い出と決別するように。

 あたしは店の前を去り、自室へ向かう螺旋階段を上ろうとした……その時。



「れ……レンちゃん!!」



 後ろから、誰かに呼ばれた。

 振り返ると、そこには……


「え……ジェイド、さん……?」


 クロさんが来る前までお得意さんだった、あのジェイドさんがいた。

 そういえば、クロさんに魔法で追い出されて以来、見かけていなかった。


 そんな久しぶりに会うその人が、ひどく焦った表情であたしに近付き、言う。


「た、大変なんだよ!」

「どうしたんですか? そんなに慌てて……」

「それが……」


 ごくり、と彼は唾を飲み込むと、



「……国境を越えて、いきなりロガンス軍が攻めてきたんだ。もう街の近くまで来ている。今は俺らみたいな脱走兵が集まって対処してるが、いつまでもつか……」

「え……」



 ロガンス軍が……攻めてきた……?

 そんな、まさか……



「た……確かなんですか? それは」

「あぁ、間違いねぇ。ロガンス帝国の紋章が付いた旗をでかでかと掲げて、押し寄せて来たんだからな」


 ……そんなはずがない。

 ルイス隊長たちの所属するあの国が、そんなことをするはずがない。

 だって、自らの危険を承知の上で、敵国の民を救おうとしていたような人たちなのだ。


 だからきっと、なにかの間違いだ。

 仮に本当だとしても、なにか誤解が生じているに違いない。

 話せばきっと、わかってくれる。


「俺は一旦前線から外れて、避難するようみんなに知らせに来たんだが、早く戻って食い止めないと……」

「あたしも行きます」


 ジェイドさんの言葉を遮り、あたしは言う。


「あたしも一緒に、前線へ行きます」

「で、でもレンちゃん、相手はロガンス軍だぜ? 心配なのはわかるが、危険すぎる!」

「いいえ、大丈夫です。あたしが……説得してみせます」


 だって、今のあたし、怖いものなんて何もないんだもの。

 失恋、しましたから。


 あたしはどうなってもいい。けど……

 この街の人たちや、ルイス隊長たちが危険な目に遭うのだけは、絶対に嫌だ。


「連れて行ってください。みんな、どこで戦っているんですか?」


 決死の覚悟で頼み込むと、ジェイドさんは迷いを見せつつも、


「……そこまで言うんなら、しかたない。場所を教えよう。さぁ、こっちだ」


 そう言って走り出すので、あたしはその後に続いた。





 ジェイドさんは、あたしが隊長の部隊を離脱した日、兵士Aに見送られた森の中へと入った。


 まだ、魔法で戦う音などは聞こえてこない。

 それどころか、夜の森は、恐ろしいほどに静かだった。


「しかし、正直助かったよ。レンちゃんがいれば、みんなの傷を治してもらえるからな」


 前を走るジェイドさんがこちらに振り返りながらそう言ってくる。

 それにあたしは、笑顔で答える。


「はい。あたし、ちゃんとみんなを助けますから」


 そうだ。こんなあたしにもできることがある。

 それは、この魔法で人を救うこと。

 ローザさんやヴァネッサさんや、お店のみんな。

 この街の人全員と、もちろん、ロガンス軍の人たちも。


 見ていなさいよ、クロさん。

 あんたが遊ぶだけ遊んで捨てた女が、今から戦争を止めるんだからね!


 と、未だ痛む心の中で、そんな風に意気込んでみる……が。



 ……ふと。

 あたしの脳裏に、ある疑問が浮かぶ。

 それは……



「でも……どうしてジェイドさんが、あたしの魔法のことを知っているんですか?」



 よく考えたら、ジェイドさんの前でこの魔法を使ったことはなかったはずだ。

 クロさんに「使っちゃだめだよ」と言われていたから。

 なのに……どうして彼は、知っているのだろう?


「…………」


 あたしの問いに、ジェイドさんは答えない。

 そして……


 突然、その姿を消した。


 たった今まで目の前を走っていたはずなのに、いきなり消えてしまったのだ。


「え……ジェイド、さん……?」


 足を止め、辺りを見回す……と。




 ──ガッ!!




 突然、強烈な痛みが後頭部を襲った。

 そして、



「……少しの間、おとなしくしていてもらうぞ」



 背後から、そんな声が聞こえて……



「ぅ……」



 あたしの意識は、そこで途絶えた。




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