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4.逢引きノワール I

『夜、黒猫が目の前を横切ると不吉』なんて言いますが。

果たして彼女の場合は、どうなるのでしょうか。




 ──その後。


 あたしたちは明け方まで語りつくし、結局ローザさんが帰ったのは、朝日が昇る頃だった。

 また夜から仕事があるというのに、タフな人だとつくづく思う。


 当然、あたしが眠れたのも朝方で……

 気付けばそのまま、夕方近くまで眠っていた。



「うぅ……」


 気怠い身体を起こし、瞬きをする。

 寝過ぎた。けど、今日は初めての休日。いくら寝坊してもお店に迷惑をかける心配はない。

 だからこそ気が抜けたのだろうか、なんだか久しぶりにぐっすり眠れた気がした。


 ……そういえば。

 この部屋を借りるようになってから、あの夢を見ていない。


 誰かに全身をくすぐられて、耳元で囁かれる、あの妙な夢……

 あれは一体、何だったのだろう?

 襲撃を受けて死にかけたショックや、軍隊と行動を共にする緊張感によるストレスが原因だった、とか……?

 

 何にせよ、ここに来てからあの夢を見ていないということは、あたしの気持ちもだいぶ落ち着いている証拠だろう。

 それもこれも、ヴァネッサさんやローザさん、お店のみなさんや優しいお客さんたちのおかげだ。


 ……若干一名、ぜんっぜん優しくないお客様もいるけど。


「……って、ダメダメ」


 脳裏に浮かぶあの意地悪な笑みを振り払うように、あたしは首を振る。

 休みの日まであの人に思考を支配されたくない。ただでさえローザさんに「マゾ」だ何だと言われ、変に意識してしまいそうなのだから。


 気持ちを切り替え、あたしはベッドから降りる。

 起きるのがすっかり遅くなってしまったが、せっかくの休日だ。

 気分転換も兼ねて、必要なものの買い出しに行こう。


「……よし」


 あたしは、一つ頷くと……

 パジャマを脱ぎ、着替えを始めた。






 ──そして。


「…………あ」


 あたしがそのことに気がついたのは、その日の夜。二十三時を過ぎた頃だった。

 晩ご飯とお風呂を済ませ、新しく買った雑貨や服を整理していた時のこと。


 昨日、クロさんが言った言葉を……思い出したのだ。


『じゃあね、レンちゃん。また明日~』


 ……しまった。

 今日、あたしが休みだってこと、彼に伝えていない。

 当然、彼はあたしの出勤日がいつかなんて知らないだろう。


 ……どうしよう。

 今日、知らずにお店へ来ちゃった、よね……?


「…………」


 彼は、昨日も一昨日も二十二時に来て、きっかり一時間後に帰って行った。

 彼が本当に高貴な身分なら、お忍びで来ているのかもしれない。

 だから、二十三時を過ぎたこの時間じゃ、もう帰っているに決まっているけど……


 でも……もし、まだいたら?


「…………っ」


 居ても立っても居られず、あたしは部屋を飛び出し、螺旋階段を駆け下りた。


 そうして、一階のお店の横に降り立つ。

 窓から明かりが漏れている。楽しそうな談笑の声も。


 もしかしたら、まだ店内に彼がいるかもしれない。

 そう思って、お店の入口に近づくと………



 ──ふわっ。



 白いものが、視界をかすめた。

 煙だ。それが手招きするようにたなびいて……

 覚えのある匂いで、あたしを(いざな)う。


 すると──



「──やぁ」



 ……そこに。

 店の前にある石造りの段差に、腰掛けて。



「く……クロ、さん……」



 彼は、いた。



「──こんばんは。お店の外で会うのは初めてだね」



 そう言って立ち上がるクロさんの笑顔に、なぜか少し、ドキッとする。

 まるで月夜の晩に、美しい黒猫に出会ってしまったかのような胸の高鳴り。


 急に襲った得体の知れない感覚に戸惑いながらも、あたしは声を絞り出す。


「あ……えと……」

「ひどいじゃないか。僕、『また明日』って言ったのに。休みだなんてさぁ」

「ご、ごめんなさい……その……」

「はぁ。別にいいけどー」


 と、彼は子供のように口を尖らせる。


 あの……これってやっぱり、あれかな。

 あたしのこと……待っていたんだよね?

 こんな時間だもん、いつもなら帰って当然なのに。


 ずぅっとここで、座って待っていたの?

 来るかもわからない、あたしのことを……


「……あ、あのっ」

「ん?」

「ええと、その……」



 ──この時のあたしは、本当に焦っていたんだと思う。

 指名をしてくれたお客さんを落胆させてしまったことに対する、「なんとかしなきゃ」という『焦り』。

 ……いや、『意地』と言ってもいいかもしれない。


 とにかく、待たせてしまった罪滅ぼしをしなくてはと焦ったあたしは……

 ごくっ、と喉を鳴らすと、



「……寒い中、待たせてしまってごめんなさい。お詫びと言ってはあれですが、その……」



 拳を握り、意を決して……

 バッと顔を上げ、言う。



「よ、よかったら、あたしの部屋で温まりませんか? お酒はないけど、コーヒーくらいなら出せるので」

「……えぇ?」



 驚いたように笑いながら、彼が聞き返す。

 言ってから、あたしも自分の言葉に驚く。


 こんな、逢って間もないよくわからない人を部屋に招こうとしてるだなんて……どうかしている。

 でも、咄嗟に思いついたお詫びの仕方が、これしかなかったのだ。


「…………ふふ」


 言葉に詰まっていると、クロさんは不敵な笑みを浮かべ……

 ゆっくりと、あたしに近付いて来る。



「じゃあ、お言葉に甘えて……君の部屋にお邪魔しちゃおうかな。僕も男だし、君みたいな可愛いコと二人きりになったら………何するかわかんないけど」

「───ッ!?」



 今、あたしのこと……『可愛い』って……?!


 …………じゃなくて!!

 それって、つまり……つまり……!?



「いや、その! 決してそういう意味でお誘いしたわけでは……!!」

「あぁ、もしかして、こんな見た目の僕になら手を出される心配もないって思った? 心外だなぁ。知ってるでしょ? 僕は歴とした大人の男だ。それも……夜な夜な色酒場に通うような、悪い大人」



 ニヤリ、と妖艶な笑みを浮かべるクロさん。


 ど、どうしよう……

 ……「やっぱり今のなし」!!

 とか、無理だよね……?


 と、あたしが完全にパニックに陥っていると、


「……ていうか」


 彼はたばこの煙をふぅ、と吐き……

 悪魔のように意地悪な目をして、こう言った。



「待たせてしまって、って言うけど……()()()()()()()()()()、なんで君がそこまでしてくれるわけ?」

「…………へ?」



 彼の表情と、意味不明な言葉の内容に……

 ……なんとなく、嫌な予感。


「それとも単純に、ヴァネッサを口実に僕を部屋に誘いたいだけなの? なかなか大胆なんだね、レンちゃんは」

「…………はい?」


 だから、なんでここにヴァネッサさんの名前が出てくるの……?

 …………まさか。


「あのー……クロさんがここにいた理由って……」


 あたしの嫌な予感は……


 ──くすっ。


 という、彼の悪戯な笑みと共に、確信へ変わる。



「僕は、ヴァネッサに用があってここで待っているんだよ。それなのに、君が急に僕を部屋に入れてくれるって言うから……大胆なお誘いだなぁって思ったの」

「…………」



 これは……完全にやってしまった。



「……え? それとも、まさか」



 ぷぷっ……と。

 彼は、吹き出すのを堪えるように口元を押さえ、



「僕が、君のことを待っていたんだと勘違いしたの? あははっ、ないない。君が今日休みなのにはちょっと腹が立ったけど、だからってこんな夜中までわざわざ君を待ったりしないよ」



 や……

 やっぱりぃぃいい!!


 まただ……また彼にハメられ……!

 ……いや、違う。今回は……

 完全に、あたしの自爆だ。


 あぁもう、あたしったら、勢い余ってなんてことを言ってしまったんだろう。


「ぅ……うぁぁぁああっ!!」


 猛烈な恥ずかしさに襲われ、あたしはクロさんに背を向け、頭を抱えた。

 最悪……自意識過剰すぎ。穴があったら入りたい……っ。


 しかし、彼はさらに追い打ちをかけるかのように、あたしのすぐ横で笑い、


「あれあれー? ひょっとして図星だった?」

「いやぁぁああっ! やめてぇぇぇ!!」


 死ぬ! 恥ずかし過ぎて死ぬぅっ!!

 にやにやしながら発せられるクロさんの声に耳を塞ぎ、頭を振る。

 しかしそれでも、彼の笑い声は聞こえてくる。


「はー、おかしい。君って本当に面白いよ。真面目で責任感が強くて、負けず嫌いだからこそ、からかい甲斐があるんだよねぇ」

「う……うるさーいっ!!」

「怒らないでよ、褒めてるんだから。でも……一つだけ、褒められないところがある」


 ……そんな風に言われ。

 背を向けてしゃがんでいたあたしは、ちらりと彼の方を見る。

 と……



「…………君、ちょっと警戒心なさすぎ」



 彼は、あたしのすぐ隣にしゃがみ込み……

 低い声音で、言い聞かせるように、言う。


「君、僕以外の男にあんなこと絶対に言っちゃだめだよ? 深く考えないで言っているんだろうけど」

「え……」

「軽々しく男を部屋に誘うなってこと。君はもっと男に警戒心を持つべきだ。純粋なのと馬鹿なのは違うんだからね」

「…………」


 言っていることはもっともだが……

 この近すぎる距離感がなんだか恥ずかしくて、あたしは黙り込んでしまう。

 すると、彼がむっと口を尖らせる。


「ねぇ、返事は?」

「…………」

「……そう。わからないなら──」

「…………あっ」


 直後、いきなり肩をドンっと押され……

 あたしは、彼がさっきまで座っていた石段に、倒された。


 背中に、ひんやりとした石の感触。

 そして……


 たばこをぽいっと放り投げ、クロさんが、あたしの上に跨る。

 そのまま、眼鏡越しの漆黒の瞳に、顔を覗き込まれた。



 な…………

 なに、この急展開!!


 あたし、人生で初めて……

 男の人に、押し倒されてる!?



 ど……どうなっちゃうの……?!




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