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2.猫に睨まれたうさぎ II




「……あなた、何者なんですか?」

「んー?」


 愛らしい顔に激しく似合わないたばこを、今日もぷかぷかとふかすクロさんに、あたしは語気を強めて尋ねる。


 この若さで徴兵されていない謎。

 そして、先ほどの魔法……

 どう考えても、普通の人じゃない。


 真剣な眼差しを向けるあたしに、しかしクロさんは吐き出した煙を目で追いながら、軽く答える。


「ひみつー」

「……なんでですか」

「その方がおもしろいから」

「おもしろいとか、そういう問題じゃないですよ。さっきの魔法の使い方、あれは……」

「だって、君」


 彼は身を乗り出し、あたしの言葉を遮る。

 それから、ニッと笑って、


「よくわからないものほど、魅力的なものはないと思わないかい?」

「……は?」


 首を(かし)げるあたしを見て、クロさんは同じ方向に首を(かたむ)ける。


「昨日あれだけ嫌な思いしたのに、君は僕の指名を断らなかった。それどころか『何者なんだろう』って、興味を持ってくれている。僕が君にとって不快で、よくわからない存在だからだ。嫌いな相手ほど気になってしまうものでしょう? 人間は『嫌い』という不可解な感情の理由を、追及したくなってしまうからね」


 そう言われて、あたしは……


「…………」


 ……いや、仕事だからだよ! この自惚れ野郎が!!


 と、真っ先に思ったのだが。

 正直に言えば……彼の言う通りな部分も、無きにしも非ずだった。


 なんなの、この人……ますます嫌なやつ! 変に的を射たふうに言っちゃって!


「……そうですね。あたし、あなたのことが嫌いです。はっきり言って、ムカつきます」


 言ってやった。

 こうなったら客もホステスも関係ない。


「見てくださいよ、この目! 昨日、あなたにされたことに腹が立って眠れなかったんですよ?! おかげで、ただでさえ赤い目がさらに真っ赤になっちゃって……!」


 接客モードを忘れ、あたしは完全に素の口調で訴える。

 今さら取り繕ったってもう遅い。これで向こう二ヶ月の指名縛りがフイになるのなら、願ったり叶ったりだ!


 ……などと、思っていたのだが。


「そうなの? どれどれ……あぁ、本当に真っ赤だ。可哀想に」


 あたしの意に反し、彼は心配そうに顔を近付け、あたしの顎を指で持ち上げると……

 真っ直ぐに、両の瞳を覗き込んできた。


 あ……あれ? てっきり逆ギレされると思っていたのに……


「……痛くない? 大丈夫?」

「え……あ……」


 あまりの近さに、思わず硬直していると……


「……もっとよく、見せてごらん?」


 優しく、低い声音で、囁かれる。

 な、なによもう……見た目お子様なくせに……


 ……どっから出てんだその色気! しまえ!!

 ていうか、いちいち近いから!!


 こんな、唇が触れそうな距離で異性と見つめ合ったことなんてなくて、心臓がうるさいくらいに暴れている。


 目の前にある、黒曜石のような瞳……

 少しだけ藍色を帯びたその色は、見れば見るほど吸い込まれてしまいそうで……



 やばい。なんか、あたし……

 ドキドキしすぎて、頭がぼーっとしてきた……



 ……と、霞み始めたあたしの思考を、叩き起こすように。



「──まぁ、謝んないけどね」



 ……クロさんが。

 スパッと、突き放すように言った。


 先ほどまでの優しい囁きから一変。ハッキリと告げられた言葉に、あたしは……目を点にする。


「……は?」

「え。謝んないよ、僕。君が勝手に眠れなくなっただけでしょ?」

「…………」


 ……あたしは、自分を恥じた。

 この変わり者相手に、なにを……なにをぽ〜っとしているのだろう。


 ……いや、ぽ〜っとなんかしていない! 断じてしていないから!!


 あたしはクロさんからバッと離れ、動揺を隠すようにキツく睨み付ける。


「あ、あなたのせいですよ! あなたがあたしにあんなこと言ったから、眠れなかったんじゃないですか!!」

「ふーん。じゃあ昨日は一晩中、僕のことを考えていてくれたんだ」

「そっ、そういう言い方しないでくれます?!」

「嬉しいなぁ。そんなに僕のこと想っていてくれただなんて」

「だぁから、そういう意味じゃなくて!!」


 ここがお店であることも忘れ、声を張り上げる。嗚呼、顔が熱い。

 そんなあたしを見て、彼はますます笑う。

 それから、


「……いいじゃん、それ」


 吸っていたたばこを灰皿に押し付けると、すぐにもう一本を取り出し、口に咥え……

 昨日と同じように、銀色のライターをあたしに差し出して、火を点けろと、無言で催促してきた。


「…………」


 本当に……どこまでもマイペースな人だな、まったく。

 黙って火を点けてやると、彼は満足そうにゆっくり吸い込み……

 ふぅ……と、天井に向かって、煙を吐いた。


 そして、あたしの頬に手を当て、そっと撫でると……


 ふわっと、笑って。




「──可愛いよ、赤い目。うさぎさんみたいで」




 その瞬間。



 ──ずきゅーん。



 ……と。

 胸に、何かが刺さったような気がした。



 ……なに今の、「ずきゅーん」て。


 ……いや、ないない。

 気のせい。絶対に、気のせいだ。



 気を取り直し、あたしは声を荒らげる。


「そ、そんなこと言って機嫌を取ろうったって、そうはいきませんから!」

「ご機嫌取りねぇ。ま、そう思いたければ思えば?」

「ぐぅっ……」


 なんなのもう……完全にこの人のペースじゃないか。

 ……弱いのだ。コンプレックスである赤い髪や眼の色を褒められると、つい嬉しくなってしまう。


「……なんで」

「ん?」


 ぼそっと呟くあたしを、クロさんは不思議そうに見てくる。


「……なんで、あたしなんですか? なんであたしに、構うんですか?」


 ずっと抱いていた疑問が、苛立ちと共に溢れ出る。


 こんなこと、指名してもらう立場のホステスが言うことじゃない。それはわかっている。

 けど、もう限界だった。

 平手打ちまで食らったのに、どうしてまたあたしのところへ来るのだろう?

 わざとイライラさせるようなことばかりして……嫌がらせとしか思えない。


 睨み付けるあたしに、しかしクロさんは楽しげに笑い、


「だから、言ったじゃない」


 ふぅ……と、たばこの煙を吐き出して。


「最初はなんとなく指名しただけだったけど……君、おもしろいんだもん。気に入っちゃったの。こんな理由じゃ、だめ?」


 そう、真っ直ぐに言う。

 お、おもしろいって……やっぱ完全に馬鹿にされてる!?


「意味がわかんないです! あなた、あたしにほっぺたを叩かれたんですよ? そんな女を、なんで二ヶ月も先約指名するんですか?!」

「はぁ。じゃあ、教えてあげよっか?」


 クロさんは、一つため息をつくと……

 距離を取っていたあたしに、ジリジリと(にじ)り寄り、



「僕が君に構うのはねぇ……」



 つぅっ……と、左の頬を、指で撫でながら……

 囁くように、こう言った。



「君に、十倍返しするため」



「…………え」

「女の子に殴られるのなんて初めてだったよ。あーあ、けっこう痛かったなぁ」

「…………」

「暴力はいけないよねー、暴力は。短絡的で、非合理的だ。相手を黙らせたければ、もっと上手くやらないと。例えば……」



 ずいっ、と。

 また、あたしの瞳を覗き込んでくるその目は……

 氷のように、冷たくて。



「僕なら、精神的に追い込むね。周りから徐々に固めて、身動きを封じて……逃げ場がなくなったところを、じわじわと嬲っていく」



 は……はわ……

 平手打ちしたこと、本当はかなり怒っていたんだ。……!

 それで、徹底的に仕返しするために、あたしのところへ……!?



 彼の低い声に、鋭い瞳に、あたしは身体を固くする。

 まるで、ヘビに睨まれたカエルだ。怖すぎて、動くことができない。



「君の場合は……この店での居場所と、立場かな? 働けなくなったら困るでしょ? ヴァネッサに迷惑、かけられないよね? 僕はヴァネッサと長い付き合いがあるから……いくらでもやりようがあるよ」

「っ…………」

「言っておいた方がいいんじゃないかなぁ? 僕に……」



 ──ニタッ。

 と、可愛らしい顔で、悪魔のように笑って。



「……『ごめんなさい』、って。

 ねぇ、レンちゃん……?」



 そう、囁いた。


 あたしは、ガチガチに固まった身体を震わせる。


 そうじゃん、あたし、ここを追い出されたら行くところないし……

 何より、せっかくルイス隊長が手を回して受け入れてくれたヴァネッサさんに、迷惑をかけることになるんだ……!


 ……やばい。

 敵に回してはいけない人に噛み付いてしまった。

 これはもう……もう…………っ!!



「…………ご」

「ご?」



 言いかけた言葉の続きを探るように、クロさんが小首を傾げる。

 あたしは、悔しさと恐怖に、涙を浮かべながら。



「ご……ごめんな……さ……」



 震える唇で、謝罪の言葉を……


 …………言い切る前に。



「……ぷっ」



 目の前の悪魔が、急に吹き出したかと思うと……

 声を上げて、笑い出した。


「あっはは! 君って本当にいい反応してくれるよね。おかしくってとうとう笑っちゃったよ」


 なっ……

 この人、あたしを……


 からかっていたのか……っ!!



「僕に謝らせるどころか、結局自分が謝っちゃってんじゃん。今の顔、最高だったよ。あーおかしい」

「ぅ……わ、笑うなぁぁああっ!!」


 ぐぎぃぃいいっ、悔しい!!

 ほんと最低! 鬼! 悪魔!!


 歯軋りをしながら悔しがるあたしを見て、クロさんはさらに笑う。


「あははは。まぁ、でも……」


 ぽん、と。

 あたしの頭に、手を置いたかと思うと、



「昨日のは、叩いて正解だよ。僕が君を怒らせるようなこと言ったんだから」



 なんて、優しい声で言ってくる。



「あんな言い方されて、怒らないほうが心配だ。逆に安心したよ。笑顔は振りまいても、プライドまでは安売りすべきじゃないからね」



 な……

 じゃあ、あの言葉も、わざと……?


 ……わからない。


 どれが、本当のこの人?

 突き離したり、優しくしたり。

 怖い顔したかと思えば、少年のように笑って……


 ……でも。


 この人も、こんな風に笑うのだと……

 声を出し、屈託のない笑顔を浮かべて、明るく笑うのだと、正直驚いた。


 ……もしかすると彼も、戦争で辛い経験をしてきたのかな。

 なにか、複雑な生い立ちがあるのかもしれない。

 だから、こんな歪んだ性格になってしまった、とか?

 彼が語ってくれない以上、本当のところはわからないけれど……


 こうして、微笑みながらあたしを見つめるその姿は……

 悔しいけど、完全な悪人には見えなくて。



「……わかりました、クロさん」


 あらたまって言うあたしに、彼は少し驚いた様子でこちらを見る。


 ……この人が何者なのかはわからない。

 ましてや、どんな過去があるのかも知らない。


 けど、あたしは思ってしまったのだ。

 指名されたホステスとして、この人が楽しそうに笑っている顔をもっと見てみたい……と。


 だから、



「──あなたの言う通り、他の人の指名は受けません。あたしは」



 この人を笑顔にする力があるのなら、あたしは……



「この二ヶ月間、あなただけのものになります」



 あなたの要求に、あえて乗ってやる。


 ルイス隊長が、あの隊のみんなが、あたしを変えてくれたように。

 今度は、あたしが……この人に、本当の笑顔をあげたい。

 それが、今のあたしに与えられた仕事だから。



 あたしの言葉を聞くなり、クロさんはニヤリと笑う。


「……どういう風の吹き回し? あんなに僕のこと、嫌っていたじゃない」

「嫌いですよ。だからこそ、あなたのその屈折した性格を直してやろうと思いまして」

「ふぅーん、君がねぇ」

「ただし、クロさんの占有権は毎日二十二時からの一時間だけです。その時間だけは、あなたのために予約を空けておきます」

「えぇー」


 当たり前だろう。いつ来るかわかりもしない人のために、一日中体を空けておくわけにはいかない。

 あたしの提示した条件に、彼は肩をすくめて答える。


「……まぁいいや、それで。じゃあ、こうしよう」


 そう言って妖しげに微笑みながら、また顔をぐっと近付けて、


「お互いが望む色へ、相手を染められるか勝負。期限は二ヶ月間。それまでに……レン。君をもっと、従順なコに変えてあげる」

「そっ……そんなことにはなりません! あたしがあなたを矯正するんです!!」

「えぇ~? でも、さっき顔を近付けた時、うっとりした顔してたじゃん」

「なっ! ……なにを言っているんですか、気のせいですよ」

「されると思ったんでしょ?」

「……何を?」

「キス」

「ちっ……違います!!」

「違くないよ。なんなら──」


 彼は再び、あたしの顎に手をかけると……



「──試してみる? 嫌なら……逃げてもいいよ」

「…………っ」



 再び目の前に現れる、あの黒い瞳。


 それはやはり、吸い込まれそうなほどに魅力的で……


 見ているだけで、頭がぼぅっとしてきて……



「…………ぅ……」



 あと少し。

 あと少しで、唇が……

 触れ合ってしまいそうで…………



「……………………っ」

「……ぷっ。はい、君の負けー。じゃあね、レンちゃん。また明日~」



 あたしが、きゅっと瞼を閉じてしまった途端。

 彼は、ぱっとあたしから離れ……


 軽い足取りで、店を出て行った。




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