表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
10/30

3.ガールズナイトパーティー




「ありがとうございましたー」


 その日、最後のお客さんをお見送りして。

 色酒場【禁断の果実】は、看板の明かりを消した。


 時刻は、午前一時だ。



「……ふぁ」


 あくびを噛み殺す。

 今まで軍隊の中で早寝早起きな生活を送っていたあたしにとって、かなり眠い時間帯だった。


「おつかれさま、レンちゃん。初日、どうだった?」


 店の戸締りをしながらヴァネッサさんが尋ねてくる。

 今日は一日、ヴァネッサさんと一緒にお客さんへの顔見せに回った。

 なので、接客らしいことは何もしていないのだが……


「ちょっと……疲れました」


 正直に言うあたしに、ヴァネッサさんは笑う。


「無理もないわ。今日いきなりだもんねぇ。でもレンちゃん、愛想もいいし気が利くから、すぐに慣れると思うわ」

「……ほんとですか?」

「ほんとよぉ。あなたの笑顔、素敵だもの」


 ヴァネッサさんの言葉に、胸の奥がじーんと温かくなる。

 ヴァネッサさんは、相手を真っ直ぐに褒めることが本当に上手い人だ。

 だからだろうか。なんだかあたしまで、素直に笑顔を返したくなってしまう。


「ありがとうございます。あたし、頑張ります!」

「うふ。あまり無理はしすぎないでね。今日はもうお部屋に戻って休むといいわ。片付けはしておくから。明日もよろしくね」


 その言葉に甘えて、あたしはお礼とおやすみなさいを伝えると、店を出て螺旋階段を上り、二階の自室へと向かった。


 それにしても……ホステスの年齢層もちょっと高めだが、客層もまた変わっていた。

 もちろん男性客ばかりなのだが、ほとんどがおじいちゃんと呼べるくらいの年代の人で、後は軍人さんらしき人がちらほら。

 こんなご時世だから、その理由はなんとなくわかるけど……


 そんなことを考えながら鍵を開け、自分の部屋に入る。

 と言っても、まだ『自分の部屋』という実感はあまりない。


「ふぅ……」


 ばふん、とベッドに飛び乗る。

 嗚呼……ふかふかのベッドなんていつぶりだろう。

 だって……


「…………」


 ……そう。

 昨日までは……というか今朝までは、あの隊にいたんだもの。

 それが、急にこんなことになるなんて……思ってもみなかった。

 だから、未だに自分がここでこうしていることに対する実感がない。


「…………」


 いろいろなことが頭の中を駆け巡り、ぼうっと天井を見つめている──と。



 ──コンコン。



 ドアをノックする音が響いた。

 ヴァネッサさんだろうか? あたしはベッドから起き上がり、ドアの方へと向かう。


「はーい」


 返事をしながら開ける……と、そこにいたのは、


「よっ。おつかれ」

「あ……」


 あの金髪美女の、ローザさんであった。


「急に悪いね。ちょっと付き合ってほしくてさ」

「な、何にですか?」

「じゃーん」


 彼女は背中に隠していたお酒の瓶を嬉しそうに見せつけて、


「こーれ。あんたの入店祝い、しようぜ」


 ニッと、人懐っこい笑みを浮かべた。







「──どう? この仕事」


 酒瓶の栓を抜きながら、ローザさんが尋ねる。

 その慣れた手つきを見つめ、あたしは答える。


「なんか……想像とだいぶ違っていました。色酒場って、もっといやらしいかんじのお店なんだと思っていたので……」

「ははっ。ここは色酒場とは名ばかりの、年寄りの社交場みたいなとこだからな。おさわり禁止、お持ち帰り禁止。ただ飲んで、喋るだけ」


 それを聞き、あたしは内心ほっとする。

 今日働いた印象の通り、かなり健全なお店のようだ。


「んで? あんた、歳はいくつなんだ?」


 お酒をグラスに注ぎながら、ローザさんが聞いてくる。

 そこで、あたしは……ハッとなる。


 今さらだけど、あたしって……年齢的に、こんなところで働いて大丈夫なのか?

 ヴァネッサさんには何も聞かれなかったけど……いくつに見られてるいるのだろう?


 実年齢を言ったら、まずいかな?

 ……でも、


「……十六、です」


 後からバレる方が面倒だと思い、本当の年齢を伝えることにした。

 それを聞くと、ローザさんは傾けていた酒瓶をドンっと置いて、


「じゅうろくぅ?! 若っ! しっかりしてるから同い年くらいだと思ってたよ。じゃあ、これはダメだな。撤収撤収」


 ローザさんはお酒の注がれたグラスを引っ込めると、「お子様はこっち」とオレンジジュースを差し出してきた。

 あたしが未成年、もしくは下戸だった時のために用意してくれていたのだろうか? だとしたら相当に気の利く人だが……

 ……いや、単純にお酒を割るために持って来たのか?


「えっと……ローザさんは、おいくつなんですか?」


 と、同じ質問をこちらも聞き返してみる。

 すると彼女は、にんまりと笑って、一言。


「ハタチ。……ということにしておいて」

「…………」


 それは、上と下、どちらに見られるための詐称なのか……?

 しかし、もし同じ十代なのだとしたら、この色気と貫録は恐ろしい……


 と、ローザさんをまじまじ見つめていると、ぽんと肩を叩かれる。


「ま、とりあえず若者同士ってことで。仲良くしよーぜ」

「は、はい」

「だから、んな堅っ苦しいカンジはよせって。タメ口でいいよ、タメ口で」

「はい……じゃなかった。うん」


 あはは、と綺麗な顔で笑ってから……

 彼女は急に、神妙な面持ちになる。


「……おばさんばっかりだろ?」

「え?」

「この店のスタッフ。どうしてだか、わかるか?」


 ……なんとなくわかってはいたが、あえて首を横に振る。

 ローザさんはグラスの中のお酒に目を落とし、静かな声で言う。


「……みんな死んじまったんだ、あの人たちの旦那。この戦争で」


 やっぱり……と、あたしは痛む胸の内で呟いた。

 ローザさんが続ける。


「もう、この街には女子供と年寄りしかいない。働き盛りの男たちは皆、戦争に駆り出されて、帰ってこなかった。客もそうだったろ? じーさんばっかり。たまに脱走兵らしき若い男も来るけどな」

「……あたしのいた街も、そうだった」

「あんたのとこも?」

「うん。権力のある者以外はみんな兵として駆り出されたから、突然の襲撃に対応できず……あの街で生き残ったのは、あたしだけだった」

「……そっか」


 そう呟いて、彼女は沈黙した。


 これで確信した。この街の現状を。

 目には見えないけれど、あんなおばちゃんたちが酒場で働いているくらいだ。経済的にもかなり厳しいのだろう。


 ……あれ? それじゃあ……


「……なんでヴァネッサさんは、ここに残っているんだろう……?」


 ぱっと浮かんだ疑問を、あたしはそのまま口にする。


 心はさておき、ヴァネッサさんも身体は男性である。しかも健康そうな、かなりいい体格をお持ちだ。兵として駆り出されたっておかしくない。

 なのに何故、ここで酒場を経営できているのだろう?


 あたしの疑問に、ローザさんが軽い口調で答える。


「あぁ、オーナー? あれは、ああ見えてここいらじゃ有名な良家のおぼっちゃんだったんだよ。だから徴兵を免れた」

「へっ?」

「その一家も、この戦争で滅んじまったけどな。それで莫大な財産があの人に残された。それを街の人たちのために使おうと、この店を作ったってわけ。ここ以外にもいくつか店をやっているんだよ、あの人」

「そうだったんだ……遺産を街の人のために使うなんてすごい。お金持ちはみんな利己的で自己中だと思ってた」


 と、あたしは自分が仕えていた領主の姿を思い出す。

 それに、ローザさんは苦笑いを浮かべて、


「あんなカンジだから、一族から腫れもの扱いされていたらしいよ。それで本人も貴族の暮らしが嫌いになったみたい。平民みたいな生活のほうが、好き勝手やれるからね」


 なるほど。

 それにしたって【禁断の果実】というネーミングセンスはどうかと思うが……


「あんなナリだけど、面倒見のいい人だよ。あたしも戦争で親兄弟亡くしてさ、身寄りがなくて隣町からここに来たばかりの時、この部屋を借りていたんだ」

「この部屋を……?」

「そ。あたしだけじゃない。いろんな人を匿っては、自立するまで面倒見ているんだ」


 お酒を一口飲み、ローザさんは息を吐く。


「あんたもいろいろ苦労してきたみたいだけど、ここにいるとけっこう毎日楽しいぞ? 少なくとも、あたしはな」


 それから、よいしょと立ち上がって、


「ま、若いもん同士がんばっていこーや。なにか困ったことがあったら、すぐに言うんだぞ?」

「う、うん。ありがとう……ローザさん」


 彼女は微笑むと、軽く手を上げて


「それじゃ、おやすみー」


 と、部屋を出て行った──






 それからの一週間は、本当にあっという間だった。

 お酒の種類に、常連客の顔と名前など、覚えることは山のようにあるし……


 ……なにより、


「違う! 首の角度はこう!!」

「こ、こう?」


 お得意さんを作るためのキラースマイルなるものの習得に、あたしは苦戦していた。


「そう! そのまま目を細めて! 口角上げて!!」

「うぅ……」


 鬼コーチのような形相で指導するのは、ローザさんだ。

 あの二人きりの入店祝い以来、ローザさんはなにかとあたしを気にかけてくれていた。

 ……ちょっと厳しめだけど。


「ちょっとローザぁ。レンの良さは初々しくて愛嬌のあるところなんだから、そんな無理に教えなくたっていいんじゃないのぉ?」


 腕を組みながら、ヴァネッサさんが言う。

 閉店後に行なわれるローザさんの特訓が行き過ぎないよう、いつも横で見ていてくれるのだ。

 そんなヴァネッサさんの言葉に、ローザさんは目尻を吊り上げ反論する。


「なに言ってんだ! 女は必殺技の一つや二つ持ってなきゃ生きていけねんだよ! さぁレン、そのままの姿勢で、例のセリフを!!」

「お……」


 あたしは、小首を傾げ、目を柔らかく細め、口角を上げたまま……

 言う。


「お客様みたいな素敵な人に出会えるなんて……今日はいい夢が見られそうです」

「「おおぉっ!」」


 あたしが言うなり、声を上げるお二人。


「レン、おまえ……いいよ。これで落とせない客はいないぞ!」

「思わずキュンとしてしまったわ……どんどん綺麗になっていくのね、レン」


 鼻息を荒げるローザさんと、なぜか涙を拭うヴァネッサさん。

 嬉しいような……いや、やっぱりものすごく恥ずかしい。


 ──でも。

 この賑やかで温かな雰囲気が、楽しくて仕方がなかった。


 この二人だけじゃない。他のホステスさんたちもみんな優しい。

 居心地の良さに、あたしは……ルイス隊長率いる、あの部隊を思い出してしまう。



 隊長……あたし、お荷物だったから切り離されたわけじゃないよね。

 きっとあたしのこと、考えてくれていたよね。


 隊長の知り合いだというヴァネッサさんに聞けば、あたしがここに預けられた経緯がわかるのかも知れないが……怖くて、聞けずにいる。


 だから、信じることしかできないけれど。

 こんな素敵な場所を用意してくれた隊長には、心の底から感謝していた。

 



 そうして、楽しくも騒がしい日々は過ぎてゆき……


 それが起こったのは、【禁断の果実】で働き始めて二週間が経った──


 ある、満月の夜のことだった。




評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ