097、流れるように開店
屋台の開く瞬間というものを見たことはなかったが、それは儀式的なものでも劇的なものでもなかった。
単純に屋台に入っている炭が温まってきて、肉汁とタレが混ざったエキスが炭に落ちて、香りとして立ち上ると街道のトロ場に匂いが満ちて……、いつの間にか先程まで野次馬として取り巻いていた見物人が屋台に並ぶ行列と化したところが、なんとなく、スタートとなった。
列に並ぶ、主に男たちに対して、先程の飲み物売りの男が売り込みに回る。そのさまは忙しそうであるが、しばらくすれば、彼の店の丁稚が来るらしい。
屋台付きの飲み物屋は忙しさが大きく、時間が短いということらしい、これは設けに対してという話であるが、要するに、短期間体力が持てば良い商売だ、ということになる、と。
ただ、二人で店に立ったりすると楽にはなるが採算的に微妙ということで基本は一人、たまに手を入れて、男の手が空くようにするというゆるい運用だ。
多分、トイレだとか、この男にしか処理できない案件だとかが、たまに出てくるのだろう。
さて、こちらの列を見ていると忙しそうな筆頭は、やはり、マルだ。調理はタイミングが大事ということなのだろう、せわしなく動いている。だが、よくよく見れば、その動きはきちんと制御されたものであり、無駄に動いているという印象はない。
つまり、彼女は自分の仕事を把握していて制御しているということだ。客からの注文によって、たまに動きを組み立て直す必要はあるけれど基本的に淀みはなくなすべきをなしているという感じ。
それは二つのことを示している。一つには彼女が他の助力をいらず、自分の仕事を自分で制御しており、一番動いているが一番無理をしていないという一見矛盾した状態にあるということだ。
馴れないはずの屋台でそういう状態にあるというのは、他の成員の練度が高くないというのももちろんあるだろうが、それ以上に彼女の覚悟と天性が合致しているということだろう、と思う。
さて、そして、もう一つであるが……そちらは、今すぐどうというわけではないがそれなりに深刻な話である。
マルは、自分の才覚を持って屋台を切り回すことができているが、周りがついていってない。現時点で、それはむしろ正常で、マルのほうが以上と言えるのだから、それ自体は問題ではない。しかし、そのうち周りの成員も馴れてくるだろう。
そうなれば単純作業と物量でカバーできるところはどうにかなる代わりに厨房がネックになる。
もちろん、先程のできたものを先に包んでおくというアイディアのように、労力を他に割り振ることができるところが無いわけではない。
しかし、根本的なところでは、彼女と同等……とは言わない、しかし、同じでなくとも匹敵するような技能の持ち主でないといい結果にはなり難いだろう。
つまり、厨房補助を探すのは難航する。今の屋台の今のやり方なら問題ない。
なんとか、厨房の処理能力が釣り合っている。
(んー)
手元の看板をどうしようか、と迷う。
先にも言ったとおり、一番動きが多いのはマルだが、その次は接客だ。というか、ニコは淡々とこなしていて、現状全然余裕そうだ。
これは、入る初日だから簡単なところにつけたのかもしれないし、あるいは、ニコが、淡々と金勘定をするのにも向いているということかもしれない。
(もうちょっと笑えば看板娘になれるのに)
とそんなふうに、身内びいきめいた何かの情動を感じながら、忙しそうな接客を見る。これは主にマルの身長、というか、手の長さというか、そういうものが足りないために起きている事態だが、マルがいて、炭焼きの調理台があって、お客さんがその向かいにいる。
屋台は、大人の調理者が想定されているのでまず高さが足りなかったらしい。
それについては、初日のしごとが始まる前に台を用意して解決したようだが、もう一つの問題は解消しきれなかったと言っていた。
つまりは商品の受け渡し、である。焼き上がった肉串を普通の屋台であれば焼き上げた店主が手渡すわけだが、それを使用とすると、ちょっとばかりマルの手は短い。
全く届かないというわけではないが、伸ばした手は炭の熱であぶられる網の上になるのだ。それで、受け渡しに手間取れば熱のダメージは入るし、調理のタイミングはずれるし散々だそうだ。
そこでうちでは焼き上げた串をシノリが受け渡すことになっている。まぁ、幼い少女から手渡されるのが、綺麗な女の子から手渡されるのに変わったからと言って文句を言ってくるやつはいない……、いないよね。
ちなみに、シノリが忙しい時や、奥様方のときはオーリが応対することもあるようだ。こちらも意外と文句は少ない。キビキビと働く少年に悪感情を持つものが少ないと言うことだろう。いい街である……、そういうことでいいんだよね。
ともあれ、調理場と行列側を行き来しつつ、たまに、作り置き分から出してきつつ、列に並んでいる人からの質問に答える、とそこまでをこなすというのは大変そうだ。
人手でカバーできる仕事であり、二人いるというのは……しかし、結構最低限でもある。
他の人手は、というと、クヌートとシレノワが、年下組のほとんどを連れて街を巡っている。これはこれで必要なことであるが、いかにも、惜しいと思わざるを得ないところもある。遊びたいざかりの引率は体力を使うし、そういう意味ではシレノワが協力してくれている現状はありがたい。
屋台周りに人がいすぎるのも問題だが、引率は複数名というのも外し難い。消去法的に今の状態であるが、それでも屋台周りには三人ほどの年中組がいる。
屋台に興味があるということで、そうなっているが、彼女らも、周囲の屋台を冷やかしたりしているので、遊び足りないということは無いだろう。
彼女らはどちらかというとおとなしい方のたちであるようだが、
「あ、坊」
ちょうど通りかかった彼女に声を掛ける、開店から一時間に近付こうというあたりで、彼女らは交代で少しずつ休んでいるようだ。今、坊は飲み物やから買ってきた果汁で唇を濡らしているところのようだったが、かけた声に素直に向き直ってきた。
「なんでしょう?」
は、あ、と息を吐いた彼女はその息に疲労を滲ませている。
熱い息というのは、シチュエーションによっては様々な意味合いがあるだろうが、肉体労働のあとの少女のそれとあっては清々しさを感じるのみだ。
こちらを向いて、口を聞いたことで、わずかにりんごの香りがする。
「いや、あ、とりあえず、座ってくれ」
ふむ、と言いながら、用意していた椅子に座ってくれる。
「調理場……は仕方ないとして、接客が忙しそうなんで緩和するためにこんなのを用意してみたが使えるか?」
「ほう」
彼女に差し出したのは、木の板だ。屋台に積まれていた端材で。多分、屋台を置く場所によっての細々な調整――つまりは、調理台を水平にするとか、地面に敷くとかだ――に使うためのものらしい。
そこに書いたのは、オーリやシノリが受けていた質問のざっくりとした回答だ。
つまり、今焼いている肉は何の肉なのか、とか、串一本の値段だ、とかそういう情報だ。ただし、労働者やこのあたりの道を利用する人の全部が全部、文字を読めるわけではないので、ある程度は絵と数字だ。
数字であれば、ほとんどのものがわかるし、よしんばわからないにしろ、忙しそうな店員に聞くよりも近くの手近な客に聞くようになるだろう、と思ったのだ。
「悪くないです。あの二人の手はちょっと楽になるかもしれませんね」
「その分、調理場に負担がかかったりしないか?」
「……それは増えるでしょう、効率を良くして、仕事を詰めるというのはそういう意味でもありますし」
まぁ、その程度は今のマルタンには問題ないと思いますが、と坊は言う。
その言い方からすると、別に問題があるようだ。




