079、楽しいことを楽しんで
シレノワが人心地がついたという表情をした頃には俺は視覚だけで満腹感を感じ始めていた。
「……いいお客さん、だね」
ニコの声にも若干の敬意か畏怖の様なものが含まれているように思う。俺の感情も大凡それに近しいのでなんとも言い難いが。
結局、彼女は年中組の前腕にも等しいくらいのパンで6つ。ソーセージと中の具とともに平らげたのだ。それでいて、満腹した様子も見せないというのは、すごいといえばすごいが燃費悪そうなのに加えて貞淑やらなんやらを装わなくていいのだろうか、という、呆れたような平々凡々とした感想しか出てこなかった。
ちなみに、多く食べるだけですごいというのをもっとも素直に表したのは年中組の子どもたちでシレノワの周りで彼女を讃えて騒いでいる。
(ちょうどいいか)
ということで、休憩に入ったマルを呼んで年長組で打ち合わせをすることにした。
「ええと、私も参加ということでしょうか、これは」
その言葉を放ったのは坊と呼ばれていた丁稚で小僧なゼセウスの遣いだが、
「女の子……?」
ニコの質問に、小僧……いや、彼女は眉をピクリと動かす。
「はい。まぁ、なんといいますか、私の年で女となればそれだけで割を食う場面もありますので」
席につくときに帽子を脱いで髪を解いたからようやくそれとしれたのだ。元から、非常に整った顔立ちをしているとは思っていたが、なるほど、肩ほどにまで伸びた髪を揺らし、困っているとも怒っているとも言い難いその表情を浮かべる彼女は、着飾り汚れを落とせば作り物めいてすらいるかもしれない。
だが、潰れた元酒場にいて、商会の遣いであるためにある程度整いつつも作業の汚れも残した今の彼女は……まぁ、これはこれで路地裏辺りでいらないトラブルに巻き込まれそうな感じもする。
「――違和感があるのなら、着帽で席につかせていただきますが」
「いや、ジロジロ見て悪かった」
謝罪は素直に受け止めてくれたらしい。彼女は重く熱そうな吐息を一つついてからだが、打ち合わせに向かう姿勢を取った。
「それじゃあ、手応えを聞いて、それから数字の話でもしようか」
一部がげんなりした表情を見せるが、必要なことである。
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「マル、いいか?」
「んお。――あー、なるほど、作業に戻れるようにあたしの分を先にすますと言うわけだな、了解したぞ」
自分の分さえ終わればいつでも作業に戻れるように、と、その意図が全く無いわけでもなかったが、こう宣言されると作業に戻るのを引き止め難くなる。
これを狙ってやってるのか、あるいは天然で口にしているのかを判別しにくいところがマルの良いところでもあり、把握しにくいところでもある。
「頼む」
「頼まれたぞ。ということで、手応えの話だぞ」
マルは両手を上げて笑みを浮かべる。
「とりあえず、楽しい! これはおっきいぞ」
「楽しい、か」
「おう。いろんな人が自分の屋台にやって来て対価を払って料理を持っていく。街の騒ぎの中に、自分の調理の音が響いて、美味しいとかそんな声が聞こえて、笑い声が聞こえて、街のリズムがあって。その中で肉を焼く! 楽しくないわけがないぞ」
本当に楽しげに語る彼女の姿は微笑ましく、そして、眩しくもある。
彼女は自分の能力が以下に人に喜びを与えるかを感じているのだ。
行いの手応えとして街の空気を、喜びの空気を吸って、それを心地いいと感じ――自分がそれを作れるのだ、と自覚すること。
たしかに、それが楽しくない訳がない。
「そしたら、もっといっぱい工夫したくなるし! もっといっぱい作りたくなるし! もっといっぱい美味しくしたくなる!」
「……えっと、今、それを全部やるつもり?」
「私の楽しいが、街の楽しいになって、それをもっとおっきくできる……でも」
マルの表情は笑みのままで、しかし、一旦、テンションを止めた、様に見える。
「でも、やっぱり皆も一緒じゃないと嫌だからちょっと待つ」
「皆って……孤児院の皆?」
「んー、そうだな。そうだぞ。それと、これからあたしが一緒にいたいと思う皆だぞ!」
いい子だ。マルがいい子であることは疑いようもないが、少し引っかかる部分も無いではない。
「待つのか?」
「待つ……んー、言葉が正しいかはわからない。でも、そんな感じ。あたしは走ると楽しいし、走って楽しんでくれるともっと走りたい、と思う。でも、あたしは立ち止まったり、見渡したり、振り返ったりも走る楽しさのうちだと思うぞ」
んー、と彼女は唸る。言葉が適切に当てはまらない、とすっきりと言い表せない、という不満げな表情。
しかし、二拍ほどおいて彼女は表情をきらめかせた。
「うん。うんうんうん!」
「……大丈夫か?」
オーリが確認するように声を掛けると、マルはオーリの方を見て、それから彼の手を取って大きく降るようにしながら言う、
「あたしは走るのが好きだけど、一緒に走ってくれる人と一緒に走るのがもっと好きだ!」
自己完結したらしい。
「えっと。……やっぱり、皆で頑張るのが楽しい、ってことかな?」
リノがおずおずと発言すると、マルは何度も頷いてそれに応えた。
「うん! で、あたしの手応えの話は終わり!」