060、器で形が変わり、人を飲み込む(水でなく)
なんとなく言いたいことは分からないでもないが、ニコもあまり理解できていないようだしここは一つ、
「説明できるか?」
ニコの方にちらりと視線をやりつつ言うと、クヌートは一瞬はっとした表情になったが、すぐに平静を取り戻したような顔に戻った。
「まぁ、最初の話から。噂というのはそのうち消えますがそれまでに広がることがあって、時に伝わった先で意味を持つこともあります」
「意味を持つ?」
疑問の言葉を出したのは、ニコだ。
噂というものは、人の多いところで、しかも、行き来の激しいところの方が『それらしいもの』が出来上がる。この孤児院の様に人間関係が内向きに閉じているのが基本の場合そこで暮らす人間には理解しにくいかもしれない。
何しろ、ここの子供たちは互いに仲がいい。噂が拡散するのは多分、わからない部分があるからこそだ。知りたいと思い問いかけることで疑問として広がるのだと、俺は思う。
さて、ここでの、クヌートのいう意味は、
「答えを当てはめる、というのがそれらしい言葉になるでしょうか」
「当てはめる……」
「噂というのは解答の保証されていない疑問のような物です。だから、人によってその答えとしてみる物は違う。けれど、その上である範囲の人々には共通の答えが見えることがあります」
「むむぅ?」
わからないということを素直に表情で表したニコに対して、クヌートは概念の話を止めることにしたらしい。
「例えば『山の中で魔物の猪を倒した人間がいるらしい』という噂があったとしましょう」
「――?」
ニコはこちらに振り向く。クヌートは笑みを浮かべた。
「その噂があれば、私たちはフツさんを想像する、というか、思い浮かべるわけです。エピソードも知っていますし、それが真実だとも知っていますので、これは噂というよりも情報という方がいいのかもしれませんが」
「……まぁ、そう」
少女は頷く。それに対して、クヌートは言葉を足していく、
「もしも、その情報に『弓や罠を使う狩人を近くで見かけた』という情報が加わるとどうなるか」
「オーリ?」
「そうですね、オーリを想定した情報です。同じ地域でそういう情報が発生すれば、時にそれらが混ざり合うことが考えられます。つまり、『弓や罠を使う狩人が魔物の猪を仕留めたらしい』とかですね。そうなると、これは正しい情報ではなく、噂というべきものでしょう」
「でも、二人分の話、それぞれ」
「はい、もともとは二人分の話ですし、私たちならそれを分離することができます。ただそれはあくまで私たちがもとになる情報を持っているからに過ぎません」
クヌートは……説明の時には丁寧語になるのだろうか。
それらしいような感じもするが……。
「では、先ほどの懸念を今と同じように示してみましょう。情報の加算で真実が見えなくなるという例ですね、『金の問題で街を追われた男』が『神殿の手が入っていない孤児院』で『経営に手を出している』と」
「それは――!」
気色ばむ大きな声。しかし、その反応を予期していたのだろう。クヌートは慌てることはなく、手のひらを突き出しニコの声を制止する。
「落ち着いて、ニコ。だから、情報共有は早い方がいいと言っているだけです。あなたが今憤ったように、真実を――いえ、フツさんの事情を知っていると知らないとで噂の取り方が変わる事例です」
「――む」
「少し、落ち着いた?」
肩を揺らすニコの隣に立つ。顔は俯いていて見えないが胸が浅く上下するのは分かった。多少の呼吸の乱れは残っている、だが、そこには強い勢いのような物は感じられない。
「さっき羅列した情報だっていろいろな風に解釈できます。勿論、下衆い方に想像が進むことが多いというのは醜聞を好む人間が多い以上仕方ないですが、それでももっと情報を集めれば事実にたどり着ける蓋然は高まります」
「……でも、クヌは何かを危惧してる」
ニコはじっとクヌートを見る。クヌートは一つため息を吐いて。
「そうです。情報があればそれをつなぎ合わせて物語を作ろうとするのは、ありきたりの、通常の反応です。その時に、情報を精査できるとは限りません」
「それって、つまり……意図的に嘘の情報を混ぜることで噂の方向を」
「まぁ、そこまで複雑にやる必要もないでしょう。事実を羅列した後に、『俺が思うに……』として、付け加えればいいだけです。それで、十分だと思います」
として、クヌートは一度言葉を切って、ニコに質問が無いか、と聞くような視線を向けている。しかし、ニコからはなさそうだったので、俺が声を上げて、
「実際そういう手段を取られると思うか?」
そう聞くと。
「それはあなたが何を敵に回したか次第でしょう」
端的な結論が返ってきた。
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さて、俺の敵とは何なのだろうか。
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