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もしかしたら俺は賢者かもしれない  作者: 0
八章 神の国 下
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蜘蛛の半魔

 陥没穴の最下層。

 表層では今もなお深々と降り積もっているはずの雪が、あまりの深さのせいか、または最下層に届くまでに風で横壁に当たって消えたのか、いずれにしろその影響はない。

 それと同じく、現在は昼であるにもかかわらず太陽の光も届かない。光魔法を使わなければ、真っ暗というほどではないが薄暗くて視界が悪い。

 だが、今俺は光魔法を使っていない。

 なぜなら、最下層にいる半魔の2階層上に潜んでいるからだ。

 戦うことは確定事項だが、できればこちらから奇襲をしたい。そのためにこの暗さでも最下層の状況が最低限把握できるのと、気配察知されないギリギリの位置である2階層上で潜みながら敵を観察しているというわけだ。


 「情報通り……ですか」


 俺の隣で俺と同じように最下層の状況を確認しているリディアが小声で呟いた。小声でなら半魔に聞こえることはないだろう。俺も小声でリディアに返す。


 「ああ、そのようだな。蜘蛛の魔物、アラクネが合成元の半魔だ」


 半魔達からの情報で最下層にいる最後の半魔の情報は聞いていた。蜘蛛の魔物であるという情報だけだったが、俺はアラクネと目星をつけていた。

 蜘蛛の魔物といえば他にも大蜘蛛や女郎蜘蛛なんかもいるが、ここにいる半魔達の合成元である魔物は殆どがレアな魔物だった。とすれば、アラクネしかないだろう。

 アラクネ、またはアラクネー。ダンテの神曲ではアラーニェ。

 ギリシア神話に登場する女性の名前である。地球では小惑星にも同じ名前をつけているがこのギリシア神話に登場するアラクネーにちなんで命名されている。

 元々ただの女性であるアラクネは優れた織手だった。それこそ機織りを司るアテーナー(アテナ、アテネ)をも凌ぐと豪語するほどに。

 アラクネの傲慢さに怒りを覚えたアテナはアラクネに忠告をするが、アラクネはそれを聞き入れず神々との勝負を望む。結果、アテナとの織物勝負をすることになる。

 アテナは守護神に選ばれた物語をタペストリーに織り込むが、アラクネはアテナの父ゼウスの浮気を主題にその不実さを嘲ったタペストリーを織り上げた。

 アラクネの腕は素晴らしく、非の打ち所がないものだった。アテナでさえアラクネの実力を認める程に。

 しかし、アテナはそのタペストリーの出来栄えに激怒し、最終的にアラクネーの織機とタペストリーを破壊した。最終的にアラクネは己の愚行を認識し、恥ずかしさに押しつぶされ逃げだし自縊死を遂げた。

 アテナはそんな彼女を哀れんだのか、それとも怒りが収まらず呪おうとしたのか、トリカブトの汁を撒いて彼女を蜘蛛に転生させたというのが、ただの女性であるアラクネが魔物になったギリシア神話での経緯ある。

 ダンテの神曲煉獄篇では、煉獄山の第一層にて「傲慢」の大罪を戒める例の一つとして、下半身が蜘蛛に変じているアラクネーを写した姿が山肌に彫刻されている。

 地球のゲームやアニメ、小説でも上半身が女性で下半身が蜘蛛の怪物で登場することが多い。

 だが、実は魔物としてどういった存在だったかはあまり伝承として残っていない。

 ゲームで登場するアラクネは作品で扱いが違う。雑魚敵だったり、ボスだったり、攻撃方法も一貫性がない。

 つまり、謎に包まれているということだ。

 だから、今こうやって隠れながら、できる限りの情報を集めているのだが……。


 「……わかんねぇな」


 「え?」


 つい本音が漏れた呟きを聞いたリディアが、俺に聞き返す。

 リディアとの仲だ。誤魔化すことはないか。


 「こうやって視ててもわかんないな」


 「ギル様でもわかりませんか」


 「……そりゃ、そうよ」


 下半身が蜘蛛で上半身が人間という伝承と同じなのだが、それ以上のことはわかっていなかった。

 というのも、肝心の人間である上半身は俯いていたり、後ろ姿だったりでその姿を全部見れていない。後ろ姿では長く美しい金髪であるということしかわからない。

 しかし、俯いて何をしているんだ?


 「何か、独り言を言っていますか?」


 「ん?」


 アラクネの半魔が独り言を言っているとリディアは話す。

 俺も耳を澄ましてみる。


 『あぁ……、まだかしら。生まれるの、楽しみ』


 わずかな動きとこの言葉から、どうやらアラクネの半魔はお腹を撫でながらこのように独り言を繰り返しているようだった。


 「まさか、子蜘蛛を産もうとしているのですか?」


 「んー?」


 どのゲームや物語でも子供を産むようなことをしていたかなぁ?

 いや、伝承もゲームも、俺の知らないだけかもしれない。知識を集めることが趣味である俺としては悔しい限りだが、ここは俺も知らない異世界だ。そして、アラクネも異世界版だし、わからないことだってあるはずだ。

 ここは新たな知識を得ることが出来ると喜ぶことにするか。

 ただ、蜘蛛の部分である下半身についてはわかっていることもある。

 それは、糸を出すことだ。

 1階層下には、アラクネの半魔が設置したと思われる蜘蛛の糸が何本も張られている。アラクネの半魔が巨体だからか、指ほどもある太さの糸で、侵入者防止のためか、もしくは餌を捕まえるためか、いずれにしろ間違って触れてしまえば取り除くのに時間がかかるだろう。

 しかし、上半身である人間の性格なのか、設置の仕方は見るからに雑だった。ここから飛び降りてもまず触れないだろう。


 「あ、動き出しましたよ」


 俺がどうやって奇襲しようか考えていると、アラクネの半魔は何かをしようとしていた。

 器用に後ろ足で何かを引っ掛けてそれを上半身まで運ぶ。


 「蜘蛛の糸の塊?」


 「そのようです。なんでしょう?」


 糸の塊の中に上半身の手を突っ込み何かを取り出した。


 「……腕、だな」


 何かは人間の腕だった。

 それを口元に持っていくと、貪るように食べ始めた。


 『この栄養で、大きくなるのよ?』


 子を産むための食事か。

 それが済むとまた俯き腹の辺りを撫ではじめた。


 「端に何個かある糸の塊には食料が入っているのか」


 「主にヒト、でしょうか?」


 「さあな、どっちにしろもう生きていないだろう。アレは気にするなよ?」


 「はい」


 さて、おそらくこれ以上眺めていても、今の行動を繰り返すだけだろう。攻撃を開始したほうが良さそうだ。


 「予定通り、飛び降りて奇襲をするのがいいな」


 「そうですね。あの糸の配置ならば当たることはないでしょうし」


 リディアも同意見だ。

 予定通りと言ったように、既に攻撃方法は決めていた。妥当だったし、半魔が真下にいて丁度良かったからだ。


 「そろそろやるか?」


 「はい」


 リディアの返事を聞くと、俺は上層に向かってハンドサインを送る。

 クロスボウで援護するために上層にいるエルへ攻撃する合図を送ったのだ。

 すると、ほんの一瞬淡い光が一度だけ点滅。光量を調節したから半魔には気づかれないだろう。

 よし、エルの返事をもらった。

 そろそろ、行くか。

 俺はリディアに見えるように指を3本立て、2本、1本と減らしていく。カウントダウンだ。

 そして、0と同じ意味の拳にすると崖へ飛び出した。

 糸に当たらないように落ちていく。降下中に刀を抜き、半魔に突き立てるために刃を下に向ける。

 目だけで隣を見れば、リディアも俺と同じようにしていた。これならば、刀が刺さる直前に半魔が動いてしまったとしても、どちらかが必ず当たるだろう。

 段々と半魔に近づいていく。

 そして、もう目前。

 もらった!

 が、刃が半魔に刺さる寸前、目の前から消えた。


 「なに?!」


 「え?!」


 俺とリディアはあり得ない動きに心の底から驚いた。しかし、驚いたからといって、着地ミスや刀を地面に突き立てることはしない。上手く刀を引き無事に着地すると、半魔を急いで探す。

 半魔は俺達から10メートルほど離れた位置にいた。後ろ姿のまま。

 一瞬であそこまで?すげぇ速さだ。いや、それよりもどうして奇襲がバレた?


 『あぁ、私の可愛い子供達。餌が届いたわ』


 そう言いながら、美しくも長い金髪をなびかせながら俺達の方へと振り返る。

 今まで見えなかった上半身の全容が明らかになる。

 細くも鍛え抜かれた腕。引き締まった腰と脂肪のない腹筋。

 浮き出た胸筋。整った顔立ち。

 そして、顎に蓄えた濃い髭。


 「男かよ!!」


 『女よ!』


 は?何言って、あ、そういう?


 『失礼しちゃう。けど、いいの。どうせあなた達は私の可愛い子の栄養分になるんだか―』


 「生まれるわけねぇだろ」


 即答してやった。食い気味に。

 半魔は目を見開いて俺を見る。そして、肩をわなわな震わせると叫びだした。


 『キーッ!なんて失礼な!何を言い出すの?わけがわからないわ!』


 「いや、わかるだろ。お前、おっさんじゃねーか」


 半魔は震わせていた肩をピタリと止めると、濃密な殺気を出し始めた。

 しまった。奇襲を避けられた混乱で心にあるものを隠しもせず出しちまった。普段の俺だったら油断をさせるためにもこんなことは言わない。しかし、しかしだ。あまりにも驚きすぎた。

 アラクネと聞いていたから女性だと勝手に思い込んでいた俺が悪いのだが、まさかのおっさんだったのだ。それは誰でも驚くだろう。

 確かに声が低いなぁとは思っていたけれど、魔物に変わった影響かなと……。

 いやいや、そんなことはどうでもいい。この殺気だ。すぐに攻撃してくるはずだ。

 そんなことは許さない。先制攻撃は俺達だ。

 俺は手を挙げるとすぐさま振り下ろす。

 半魔が攻撃してくる前にエルに機先を制してもらうのだ。

 風を切る音が一瞬だけした。エルが撃ったボルトだろう。

 ボルトが突き刺さり、半魔が痛みで叫ぶ。そう思っていた。

 しかし、ボルトは半魔に刺さらず、地面に突き刺さっていた。

 ばっ?!

 半魔は消えていた。避けたのだ。

 だが、なぜ?!どうして撃ってくるのがわかった?!いや、それよりも半魔は何処に行った?!

 周りを見るが半魔の姿は何処にもない。


 「ギル様!上です!」


 「は?!」


 急いで見上げると半魔が遥か上空に存在していた。エルの射撃を飛び上がって避けたのだ。

 だが、半魔は避けただけではなかった。

 空中で向きを変えると、エルが伏せている位置に尻を向け何かを飛ばした。

 糸か!

 おそらく、エルは糸を浴び横壁に張り付いてしまっただろう。だが、どうやってエルの詳しい位置まで知ったのだ。俺とリディアは会話をしていたから、それがバレて位置を把握されてしまったというのはわかるが、エルは何もしていないぞ。俺ですら、エルが光で返事をしてくれていなければ詳しい位置までわからなかったのだ。

 光で位置がバレた?いや、エルも訓練している。光で合図した後、すぐに移動したはずだ。

 なら、どうして。

 考えている暇はない。もうすぐ、半魔が落ちてくる。

 そして、轟音とともに半魔が着地をした。


 『怖いわぁ。まさか、もう一匹餌がいたなんて。狩りは好きだけれど、気をつけなければ逆に噛みつかれてしまいますものねぇ?』


 エルのことだ。なんとか抜け出してくれるはずだ。

 しかし、俺もリディアも動揺しすぎている。落ち着くためにも会話するか。


 「やるじゃないか。まさか、伏兵の位置が露見していたなんて思わなかったぞ」


 『あらあら、顔に似合わず頭が悪いのね?』


 なにをぅ?!

 いや、まてまてギル。お前が頭に血を上らせてどうすんだ。落ち着け。落ち着いて考えろ。

 半魔は俯いていた。蜘蛛の視界は種にもよるがそれほど広いというわけではない。ただ、奥行き知覚で対象物の空間的位置がわかる。正確な対象物との距離を把握するが、だからといって隠れているエルの位置が分かることはないだろう。

 なにより、見る限り奴の目は2つしかない。

 後、考えられるとすれば糸か。

 俺とリディアは飛び降りる時に糸の間を通るようにして奇襲しようとした。その時、衣服やもしかしたら風圧が奴に知らせてしまったのかもしれない。

 ……だが、エルは糸に触れるような行動すらしていない。糸じゃないのか?

 ……いや、待て。俺は勘違いしてたんじゃないのか?

 俺は上を見上げる。

 あぁ、やっぱりそういうことか。


 「糸だな。糸で位置がわかったな?」


 『あら、ご明答~。おバカさんじゃなかったわね』


 やられた。

 指ほどの太さがある糸。これは罠だ。

 実際は目に見えない、そう、それこそ小さな蜘蛛が出すほどの細い糸がそこら中に貼りめぐされていたのだ。

 見上げた時、遥か上空にある表層への出口の明かりが糸に反射していた。

 エルの位置がバレたのも、エルが撃ったボルトがその細い糸に触れてしまった、もしくは、切ってしまったのだろう。

 半魔はそこから位置を割り出したのだ。

 俺達はまんまと太い糸という目眩ましに騙されたのだ。


 『さぁ、種明かしも済んだことだし、そろそろ栄養分になってくださいまし』


 半魔は身を沈め攻撃態勢に移る。

 ちくしょう。自分の性別を勘違いした口調のおかしいおっさんかと思ったが、こいつ頭が良いぞ。

 こいつは苦戦するかもしれんな。

 しかし、こっちも種がわかったからか動揺は既にない。

 戦える。


 「簡単にはさせません」


 リディアも大丈夫そうだ。


 「そういうことだ」


 俺はニヤリと笑うと、刀を鞘に収め腕を組むのだった。

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