女神の願い、聖王の願望
ギルとリディアが謁見の間を出ていった後、閉められた扉をホーライはじっと見ていた。ホーライとしてはほんの数秒物思いに耽っていただけなのだが、実際は長時間少年少女が出ていった扉を眺めていた。
ホーライがはっとして我に返ったのは、兵士達がホーライを心配してざわざわと騒いでいるのが耳に入ったからだ。
流石に大司祭ともあろう人間が、考え事だろうと気を抜いた姿を見せるのは都合が悪い。言い繕うとするが、急に現実に戻されたからか咄嗟に言い訳を思いつくことが出来ずにいた。
チリーン。
だが、聖王の助け舟なのか、鈴が鳴る音が謁見の間に響く。
ホーライは心の中で聖王に感謝すると、兵士達を全員謁見の間から追い出した。扉が閉まるのを確認してから、ホーライは簾の奥にいる聖王に礼を言う。
「助かりました、聖王様」
「ふっ、珍しいな。お前が放心するとはな」
ホーライは英雄でもあり大司祭でもある。それが20も満たない少年と話した後、固まっている姿を晒すのは問題があるのだ。それこそ笑い飛ばすぐらいのことをして然るべきなのだ。
大司祭である時は信者に説教し、英雄である時は兵士を導かなければならない立場。一瞬たりとも気を抜いた姿を目撃されれば、いつこの地位から引きずり落とされるかわからないのだ。
しかし、聖王に気にした様子はない。それがホーライへの信頼の証である。
「あの小僧に何かを感じたということか?」
「わからないのです」
「わからない?ふむ、説教や哲学はいらんぞ?人の道はどうのという話なのか?」
「いいえ、聖王様。わからないというのがあの少年への感想です。それが問題ですが」
聖王はホーライが最後に付け足した言葉に疑問を覚える
「それではわからぬ。余には付け上がった小僧と感じたが……。事細かに説明せよ」
「聖王様にとっては、ただの小僧でしょうとも。……問題は謁見中ずっと私が威圧していたのですが、そよ風を浴びるかのようでした」
ホーライは英雄である。幾度と無く戦場へ赴き、法国の為に闘ってきた。ホーライは純粋な英雄ではないが、それでも常人に比べれば圧倒的な強さの持ち主なのだ。
ともすれば、彼が敵へ放つ威圧は尋常ではない。弱者が浴びれば竦んでしまうだろう。
それなのに、ギルと呼ばれる少年は英雄の威圧がのしかかっていても平常運転だったのだから、ホーライが不思議に感じるのは無理もない。
「強者か、盆暗のどちらかでしょうな」
強者であれば跳ね返すし、弱者よりも取るに足らない存在の盆暗であれば、威圧されていることすら気付かない。
もちろん、感情を隠すことが上手いという可能性もあるが、それはそれで新たな問題が浮上する。
英雄の威圧に屈していてそれを隠せるのは、常時政治に関わる宰相のようなやり手だろう。ならば、新たに作られる魔法都市は、政治の得意な人間がトップに君臨するということになる。
ただ、謁見の間の扉の前で兵士と揉め、その際に使った魔法や魔法学会の報告を鑑みると、導き出される答えは至極単純ではあった。
それでもホーライはギルの評価を保留するのは、ホーライが無能なのではなく有能だからこそなのだが。
「あの少年が私の知らない魔法を使える事と、手元にある情報を繋ぎ合わせれば、なるほど、あの自信も頷けます」
「ならば強者か?」
「おそらく。ただ問題はどの程度かという点です。賢者以上なのか、英雄にどれだけ近づいているのか」
「ふむ、判断材料が足りず、どの程度かの確証が得られんか?」
ホーライは深く頷き肯定を伝える。
「もう少し情報がほしいところです。ですが、その情報を持つ者がもうすぐ―」
そこまで話したところで、タイミングよく謁見の間の扉が叩かれる。外で待機する兵士が声を張り上げ、謁見の間に入りたがっている者の名を叫ぶ。
「聖王様!ディーナ騎士長がお見えになりました!」
折よく待っていた人物が来たと、ホーライは満足気に頷くと『入れろ』と命令を下す。間もなく扉が開き、フードを被ったローブ姿の女が謁見の間に入ってきた。
その女はギルとリディアを案内していた者だった。もちろん、ホーライが手配して見張らせていたのだが、その手際こそホーライが有能だという証明だろう。
ディーナ騎士長と呼ばれる女が着ているローブを脱ぐと、その下から現れた姿は麗しくも凛々しい鎧姿の女性だった。
ショートカットの灰色の髪と、ミスリル製の胸当てが窓から差す光を反射している。
当然というべきか、騎士だからといって脱いだローブを乱雑に脱ぎ捨てるわけではなく、丁寧に折りたたみ腕にかけるとホーライの下へと近づいてきた。
ディーナ騎士長と呼ばれる女は、踵を鳴らし直立不動の姿勢をしてからようやく口を開く。
「騎士ディーナ、与えられた任務を遂行して参りました」
なんとも堅苦しいとホーライは苦笑いしつつも『ご苦労』と労い、早速とばかりにディーナに聞きたいことを質問する。
「ディーナ、あの少年はどうだったかね?」
「怪物です」
「ほう?」
ホーライは表情にも声にも出していないが驚愕していた。自分は英雄であるが、それはこのディーナがホーライの前で戦ってこそ英雄でいることができる。
つまり、二人で英雄なのだ。他国の目もあってディーナを英雄にすることは出来ないが、それに近い力量の持ち主だ。
その彼女が怪物と言うのだから、理由が気にもなる。
「私が案内をしている最中、奴はずっと足裏に魔法陣を待機させていました。不用意に近づけば、何らかの魔法を発動されていたことでしょう」
「魔法陣?ふむ」
そう言えば心当たりがあると、ホーライは頷く。謁見の最中もずっと魔力の流れが乱れていたことだ。緊張や感情の変化で魔力を乱していると勘違いしていたが、ホーライと話している間も魔法を準備していたのかもしれないと思い至った。
「だとすれば、この城に滞在していた殆ど、魔法陣に魔力を流し続けていたということだな。それは確かに怪物だ」
魔法の発動には魔法陣へ魔力を流す必要がある。魔法を発動させる一歩手前で待機させるには、魔法陣にギリギリまで魔力を満たした状態で魔力を維持する必要がある。
ただ、その状態では魔力は少しずつ放散していってしまう。維持するとは、魔力を流し続けていることに他ならない。
それをこの城にいる間ずっと。
ディーナは小さく頷くと、『それに』と続けた。
「奴の護衛も手練です。目立たないように上手く隠していましたが、いつでも剣を抜けるような体勢でした。私が男を襲おうと思えば即座に立ちはだかったことでしょう」
「護衛もやり手か。うーむ、わかった。ディーナご苦労だったな」
ディーナは小さく黙礼をすると、謁見の間から退出していった。扉が閉じるのを確認すると再び聖王とホーライは会話をする。
「聖王様、どうやら強者のようです」
「ふむ、そのようだな。よもや、不浄穴から生きて戻るか?」
「その心配は必要ないかと思いますが、その場合は……」
非常に厄介な事になりますという言葉は飲み込んだ。
「ふん、その場合はお前がなんとかするのだろう?」
「もちろんです」
「ならばよい、今考えても詮無きことよ。あの小僧だけを気にしてはおれん。考えなければならないことは、腐るほどあるのだからな」
「その通りです。では、謁見の続きを―」
カラーン、カラーン、カラーン。
謁見を望む者はまだまだいる。今日中に謁見できる人数は限られているが、早く終わらせるに越したことはない。早速とばかりに再開しようとしたところで、城中に鐘の音が響き渡った。
「女神様が呼んでおられる……。いつぶりでしょうか?」
「さてな、前に話した内容も思い出せんよ。ふん、何の話があるんだかな」
「では、今日の謁見は中止になさいますか?」
「……いや、どうせ会話は成り立たん。女神が余に指示するだけなのだから、すぐに終わる。それからにしよう」
聖王が答えると、ホーライは恭しく礼をし『そのように』と呟いた。
聖王は謁見の間を後にすると、城に4つある塔のうちのひとつに来ていた。
灯りが全く無い長い長い階段をランタンもつけずに上がって行く。
どうしてこんな作りにしたのかと、聖王は思いつつも自分が生まれる前からある城だし、今更言っても仕方ないとうんざりしながらも黙々と上っていく。
この長い階段や窓のない作りは、容易に侵入されないようにするためで、もし侵入されたとしても簡単に出られないようになっている。つまりは侵入者対策なのだ。
もちろん聖王も理解しているが、それでもこれは無意味だと考えていた。何故ならこの塔だけは謁見の間の聖王がいつもいる簾の奥を通らなければならないからだ。ここまで来る侵入者は、迷路のような城内を謁見の間まで誰にも気づかれずに来ることが前提で、更には常に見張りが立っている謁見の間を通らなくてはならないのだ。
やはり、この作りは厳重過ぎなのではないか?
そこまで考えたところでようやく階段を上りきる。
目の前には分厚い鉄扉。代々の聖王だけが受け継ぐ鍵を取り出し、鍵穴に差し込んで鍵を外すと鉄扉を開く。
階段と同様に中も薄暗い。室内はそれなりの広さが確保されていて、細い穴から光が差し込んでいる。そして、一番目立つのは光で鈍く輝く鉄格子だ。
一部分しか光が当たっていないからか、鉄格子に張り付いている人物に気づくのが遅れる。
「……まさか、張り付いて待っているとはな。それ程、大事な内容なのだろうな、女神よ」
自分達が女神と信仰を捧げている人物に、この言いようは誰が聞いても正しい言葉とは思えないだろう。
当の女神はその言葉に何も感じた様子は無く沈黙したままだ。
「またか、話したくないのはわかるが、余を呼んだのだ。早く―」
「会いたい」
聖王が急かそうとした瞬間に、短い言葉で用件を話す。その声は女神というだけあって、やはり女性の声だ。
『久しぶりに聞いた』と言おうとしたが、どうせその言葉には何も反応しないだろうと、聖王も大事なことだけを聞くことにした。
「誰にだ?」
「少年と少女。二人」
直前までその話をしていたからか、聖王もすぐに思い当たる。
「なぜ、いや、この質問には答えんのだろう?」
やはりというべきか、女神は沈黙したままだ。聖王は嘆息しつつ、どうするか考える。といっても、事実を話すしかない。
「会わせたいが、恐らく戻って来ないだろう。余の子達に始末してもらうために、不浄穴へ送り込んだからな」
用件は伝えたとばかりに、女神は何も言わない。
聖王は女神の態度で用件に対する答えだけを聞きたいのだろうと理解した。だが法国としての都合もある。
あの小僧は危険な人物だ。何より重要なのはまだ少年だということ。まだまだ成長するのだと考えたところで、不浄穴へ送り込むという自分の判断は間違いではなかったと確証したところだった。今はまだ取るに足らない存在だろうとも、いずれはこの聖王を、この法国に害をなす存在へと成長する可能性は捨てきれないのだから。
だが、断ったことでまた数十年女神の鐘が鳴らないのも困る。今回の鐘も約20年ぶりなのだから、今度機嫌を損ねたら次の世代まで鐘は鳴らなくなるかもしれない。
断るか、承諾するか。さて、どうするか。
長考の末、聖王は無難に答えることにした。
「良かろう。あの小僧が無事に帰ってこられたら会わせてやる。だが、余が助けることはないぞ」
不浄穴へ兵士を送り、ギルを手助けすることはないが、それでも戻ってくることが出来るなら会わせてやると、女神に約束したのだ。
その答えを聞くと、女神はもう話すことはないと言わんばかりに、鉄格子から離れて行った。この部屋から出て行けと言っているのだ。
聖王は小さく悪態をつくと、女神の部屋を後にした。
また長い階段を降りていく中で聖王は考える。
女神を閉じ込めているというのは建国以来の機密だ。それを配下でもない者に見せるのは避けたい。だが、女神が会いたいという以上、会わせなくてはならない。
しかし、戻ってくることが出来るならばという条件をつけることが出来たのは、運が良かった。
あの穴から生還は英雄ですら絶望的なのだから。
だが、確実でもない。もう一手、何か仕向けるか?いや、それこそ奇跡的に生還した時に、あの小僧に何を言われるかわかったものではない。
ふむ、儘ならないものだな。
そこまで考え、最後には思考から願望へと変わっていた。
聖王はどうか無事に死んでくれと願いながら、真っ暗闇の階段を降りていくのだった。