巡礼
深々と降り積もる雪と寒さは、生き物の動きを鈍らせる。
一年中の大半が雪で覆われていて、一年中の殆ど吐く息が白く、吸えば少し息苦しい。
それも当然で、その場所は大陸北部に位置する山であるからだ。
大凡、人が立ち入らないと予想されるその山は、意外にも毎日大勢の人が出入りする。
山の中腹辺りに、急に現れる大きな箱。
大きな箱というのは単純に表現しただけで、実際には、石を積み上げて作った超巨大な立方体の建造物である。
その立方体の中へ入ると、そこは春のような陽気と優しい光が降り注ぎ、大勢の人が行き交う。
その場所は、エステル法国。
俺は朱瓶 桐。地球から来た、ただの趣味人で、一般人である。
地球から来たと言っている通り、ここは地球ではなく異世界だ。流行りに便乗して俺も来たってわけだ、ふざけるなばかやろう。
そして、俺と仲間達はこのエステル法国へと来ている。
俺の目の前で、お淑やかに食事をする赤い髪の美少女はリディア。髪が料理に入らないように耳元で押さえる姿は、とても美しい。
亡国の元王女でもある彼女だが、今は冒険家であり俺の仲間だ。
そしてもうひとり。
ずーっと笑顔で、もちゃもちゃと小動物のように食べ物を頬張る金髪の美少女エルミリア。俺達はエルと愛称で呼んでいる。
エルの種族はエルフで、見た目14、5歳ほどだが、実際は70年を生きている。エルフは精神の成長が遅く、生きた年月よりも、見た目通りの成長だ。
この二人だけではなく、あともう二人仲間がいる。
このエステル法国へ連れてきていないが、現在俺達の本拠地にしているオーセブルクというダンジョンの中にある街に滞在している。
一人は紫色の髪をツインテールにしている、元気いっぱいのシギル。
見た目は幼女で中身は大人。そう言ってしまうと、日本の伝説的探偵漫画の主人公のようだが、別に毒や呪いや魔法でその姿なわけではなく、ただ種族がドワーフなだけだ。
制作という分野で非常に強く、力も強い便りになる仲間だ。
最後の一人は、銀髪で誰もが憧れる容姿の持ち主のエリー。
容姿だけではなく、スタイルも男女問わず目を奪われるが、その姿はほとんどが鎧で隠されている。
この世界では珍しい光魔法を使え、大きな盾で仲間達を守る。
この二人はオーセブルクで留守番をしている。
シギルはオーセブルクダンジョン内に新しく作る街の監督役として、エリーはその護衛として残ってもらっていた。
それにエリーは、このエステル法国の王である聖王に、嫁候補として無理矢理拐われそうになったことがあり、それも踏まえて連れてこなかった。
そして俺達は今日、その聖王に謁見しようとしていた。
「あれだ、エルお留守番な?」
「え?!お、おに、お兄ちゃん、エルのこと、嫌い、になったです?」
エルが驚くことを予測していた俺は、エルが食べ物を飲み込むまで待ってから伝えなければならないことを話す。
しかし、思いの外衝撃的な内容だったのか、持っていたフォークをカランと落とし、涙目になるエル。
あぁ、すぐに近寄りハグをして慰めたいが、これは考えがあってのことだ。
「エル、違うよ。少し思うところがあって、今回法国にいる間は、エルが俺達の仲間であることを隠しておきたいんだ」
「エル、ひみつへいき、です?」
地球の生活に興味があるエルに、色々話していたせいでこんな言葉すら覚えてしまった。ちょうど良い、今回はそれを利用させてもらおう。
「そうだ、秘密兵器。大事なところで活躍してもらうことになるから、それまでは我慢してくれ」
「んー~……、わかった、です」
少し迷った結果、それならいいかと言わんばかりに大きく頷き、もう聞くことはないと食事に集中し直す。
そんなエルを優しく微笑みながら見ていたリディアが、俺に理由を聞く。
「それはどうしてでしょう?」
周囲に聞こえないように小声で答える。
「まぁ、保険だよ。俺は聖王だかなんだか知らんけど、信用なんて全くしていないからな」
どうせ俺達がこのエステル法国に入ったことは、既に知られているはずだ。そして、今俺達の周りにいる人々の中に、密偵がいるかもしれないと考えるのは当然だろう。俺だったら必ず配置する。
つまり、この会話を聞かれては困るのだ。
リディアも察して小声で会話する。
「何か起きるかも、と?」
「さて、どうだかな?わからないから、保険は残しておきたい。超遠距離攻撃可能なエルが無事ならなんとかなるだろう?」
「たしかにそうですね。近距離から遠距離なら私とギル様でどうとでもなりますから」
リディアの言う通りである。実際は俺一人でもオールレンジ対応可能だが、近距離のスペシャリストであるリディアがいることで、戦闘なら勝利する確率が格段に上がる。
「この法国へ来たギル一行は、俺とリディアだけということにしておきたい。エルはスパールの奴隷、もしくは弟子として連れてこられたということにするよ。本音はそんなことさせたくないけどな」
リディアは微笑みながら頷く。
「その通りです。エルは私達の大事な仲間で家族ですから」
ここで俺は小声で話すのをやめる。内緒話しなければならないことは終わったからだが、内緒話なら公共の場でなく、部屋で話せよ自分でも思う。一応、会話が聞こえる範囲に人がいないことは確認済みだし、逆に周りの人達の話し声でかき消してくれるから、意外と安全なのだ。
それに俺が小声で話している時に、こっちを見ている奴がいるか確かめておきたかった。結果、見ている奴はいなかったが。
考え過ぎか?
「賢者スパールには既に?」
「ああ、昨日の夜、打ち合わせしておいた。今日はこれからまた勧誘に行くみたいだが、昼までには帰ってくるって」
「でしたら、問題が起きなければ同じぐらいに合流できそうですね」
「そうだな。これで顔が見たかったとかだったら、キレそうだ」
リディアは困ったように笑うのだった。
食事が終わり、エルをスパールに預けた後、俺とリディアは宿を出た。
エステル法国の中心には、聖王がいる聖城がある。俺達が宿泊している宿や店、露店などはその聖城をぐるりと囲むようにあり、すぐに辿り着けるだろう。
声を張り上げて呼び込む露店を眺めながら、活気のある広場を突っ切るように中心地へと歩いていく。よそ見をしながらでも、迷わず無事到着するはずだ。
なぜなら既に目的地は見えているからだ。
聖王がいるという聖城は、昨日この広場に来た時から見えていた。外壁と同じように石を積み上げ、その上に城を建てているらしく非常に目立つのだ。
簡単に言えば、アステカ遺跡の上に城を建てた感じだ。ただ、それが規格外に大きいが。
聖城はバカでかい教会にも見え、その四方に外壁の天井に届く塔が4つある。地球のスペインにある未だ未完成の文化遺産に比べればさすがに見劣りするが、それでもこの世界で見た建造物の中では断トツに美しい。
思っていたより距離があるのか、聖城に辿り着くまで数分かかった。
目の前まで着いた俺達は見上げていた。
「これ登るのか……」
「……そうですね」
聖王がいるはずの聖城に入るには、何段にも積み上げた石を登らなければならない。もちろん、ここから登れと言わんばかりに、ご丁寧に階段を作ってあるが、何段あるか数えるのも馬鹿らしく思えるほどの段数だ。
「兵士はいないのですね?城なのに」
「あー、まあ、さすがに城の中にはいるんだろうな」
「とにかく登りますか?」
「そだねー」
感情を殺しながらリディアに返事をすると、長い長い道のりの一歩を踏み出した。
50段を越えた辺りで段数を数えるのは諦め、一段登るごとに恨み言を考え、口からは舌打ちや悪態が漏れる。
熱心な信者はこの階段を毎日上り、城の前で祈った後に教会へ行き、また祈るらしい。この法国の住人は、自分の家から出かけるのにも結構な数の段数を上り下りしなければならないのに、更にこの階段を登って祈るのか。
どんだけ足腰鍛えるんだよ。
エレベータやエスカレータに慣れた地球出身の俺としては、20段あたりでうんざりしているのに……。
しかし、リディアは俺とは違って、悪態をつくどころか少し嬉しそうに登っている。
「リディアはどうして嬉しそうに登っていんだ?」
「あ、いえ、そ、そのぉ、ギル様とこうして二人で行動するのは、出会った時以来ですので。その時のことを思い出しながら登っていたら、少し嬉しくなってしまいました」
あー、そうだったなぁ。そんなに昔のことじゃないのに懐かしいな。しかし、そんなことで笑顔になってくれるリディアがかわいすぎる。
「そうだな。あの時は自分のことで精一杯で、リディアに冷たく接してしまったな」
「仕方ありませんよ。あの時ギル様は先行き不安でしたから。それも今なら理解しております」
「最初は余裕がなくてな、可愛い女の子がついて来ても、少し邪魔くさく思っていたんだよ。でも、結果リディアがいてくれて助かったな」
「か、可愛いだなんて、ご冗談を!それに、いてくれてよかったなんて、勿体無いです!」
リディアが両手で赤く染まるほっぺを抑えながら、首を左右に振る。
マジか、なんだこの可愛い生物は。地球では絶滅危惧種で、発見したことなかったな。
だが、まだ続きがあった。
「ずっと、一緒にいますよ」
優しく微笑み、俺に聞こえないように呟いた。
俺は悶えるのを我慢しながら、まだ続く階段を登るのだった。
心が平静を取り戻した頃、ようやく頂上へ辿り着いた。
頂上には何人かの信者が祈りを捧げていて、それを横目に城の門へと近づく。
門には兵士が二人立っていた。
あれが噂の聖騎士というやつか。
「止まれ、何用か?」
案の定、入城を止められる。
まあ、当然だな。
俺は召喚状を兵士に見せる。
兵士が召喚状を受け取り読むと、確認するためか城の中へ入っていった。
しばらくして戻ってくると、もうひとり案内役を連れて戻ってきた。
「どうぞこちらに」
その案内役はローブを着ていて、フードを被った女性だった。
その女性に案内され、城の中を歩く。
城の中というより、教会を歩いている気分だ。全部ではないがステンドグラスが所々にあり、美しく細工された燭台が何本も置いてある。
歩く道は真っ赤な絨毯が敷かれており、その道を燭台の蝋燭が優しく道を照らしている。
ここまで聞けば、教会そのままだろう。白い重鎧を着た兵士がそこら中にいるのを除けばだが。
案内された先は個室だった。
「ここで暫くお待ち下さい。聖王様に謁見される方は多く、順番にご案内しておりますので」
まるで役所仕事だな。
「わかった、案内ご苦労様」
俺がそう言うと、案内役は礼をした後出ていった。
「………当然ですが、やはりすぐには謁見できませんでしたね」
「ったく、これだから正確な時間がない時代は嫌なんだ」
地球では紀元前2000年には時計らしきものがあったと言われている。それから長い年月が経ち、15世紀でようやく個人用の時計が出回る。16世紀になっても一日で10分程のズレが生じていて、正確な狂うことのない時計が現れたのは1900年に入ってからだ。
それを考えるとこの世界の現在では、俺がいた日本のように、何時何分に予約をいれるなんてことはできないだろう。
それでも、何にもできない時間をつくらされてしまうのは、勿体無く思ってしまう。
この世界に来た時、時間で縛られないのんびりとした雰囲気を良く思っていたが、こういう場面では不便に感じるなぁ。
結局は、時間に縛られない時と、時間をきっちり決める時を分けるのが大事ということか。
「さて、いつになったら聖王に会えるんだかなぁ」
そして、俺とリディアは用意された椅子に座って、いつ呼ばれるかわからない時を待つことにしたのだった。