水辺エリア
俺達は今、オーセブルクダンジョン地下11階にいる。
アーサーに酒場で情報を聞いてから4日が経っていた。あの日、酒場から宿へ帰ると泥のように眠った。
ダンジョンから帰ってきて、そのまま酒を飲みに行ったのだから当然だ。
探索を終えた次の日は、一日何もしない日にしてある。つまりは休暇だ。
毎回のことだがダンジョンから帰ったら、ストレス解消や体を休ませたり、個人的な用事を済ませる事が出来るように設定したのだ。
一度ダンジョンに潜ったら数日間は戦闘や、窮屈なテントで過ごし確実に負担がかかるのだから、必要な休みだろう。
一日の休みが終わり、次の日になると皆で買い物に出かけ、必要なものを揃える。ここで買う物は全て俺が払うことにしている。皆にもダンジョンに潜った報酬というわけではないが、一人一人にお小遣いを上げているが、それとは別にパーティで使う道具や食料は経費として俺がまとめて払っているのだ。
ダンジョンに潜って10階層までは楽に突破できるが、残念ながらそれまでに稼ぎがない。理由はもちろん稼ぎにならない魔物しかいないからだ。1から5階層は主に、俺達の食料として魔物を狩る。6から10階層はアンデッドばかりで全くと言っていいほど稼ぎがない。
だからか、そろそろ懐具合が厳しくなってきた。本格的に稼ぐため、ダンジョン攻略にも力が入るというもの。
そして俺達はダンジョンに潜ったのだった。
ダンジョンに潜って一日目は4階層で食料を手に入れるとそのまま10階層まで一気に潜った。5階層と10階層にボスがいて、5階層のは既に他の冒険者の手によって倒されていたが、10階層のボスは俺達が倒すことができた。
ちなみに10階層のボス部屋の報酬は、中級治癒ポーションだった。
11階層に降りるとそこでキャンプし、一日目を終了した。
そして、今はその11階層で魔物と戦っている。
11階層からは水辺エリアとでも言えばいいのだろうか。
まず、11階層の入り口は6階層の入り口と同じく、キャンプが出来るような場所になっていた。地球でいうところの河川・湖畔キャンプ場みたいな感じだ。
水辺エリアは水に関する内容になっているらしいのだが、11階層は一言で表すなら湖だ。大きな湖が中心にあり、それをぐるっと一周出来る構造になっていた。
もちろん出没する魔物も水に関係している。今、戦っているのは『蚊』だ。
蚊と聞くと、大した事のないように思える。いや、刺された時の痒みを思い出すと恐ろしくもあるが、本当に怖いのは、大きさが人の頭ほどあることだ。
もし近づかれ刺されると血を10分1も吸われてしまうのだ。そして、何より単体で出没せず、群れで現れるのだから、たまったものではない。
今も全員でその群れを倒している最中だった。
「『劫火焦熱』!」
透き通るような声が辺りに響き、彼女は流れるように動くと刀を振るう。
飛んでいる蚊をわずかに斬る。だが、それだけで十分だった。
蚊は内側から燃え上がり、跡形もなく燃え尽きる。
彼女は赤い髪のポニーテールを揺らしながら、息をゆっくりと吐くと次の敵を探す。
彼女の名はリディア。17歳のヒト種で美少女だ。今は冒険者をしているが、元王女という肩書を持つ。
俺のパーティでは、主にアタッカーの役割で、力は強くないが剣の技術で敵を倒すタイプだ。
「近づいたら駄目、です」
30メートル程離れていた蚊の魔物達が次々とはじけ飛ぶ。後に残るのは矢だけだった。
少し言葉につまりながら、可愛い声で弓を引いているエルフの少女が、矢で射抜いたのだ。
美しく長い金髪をサイドポニーにまとめたエルフの少女、エルミリアだ。
綺麗と可愛いを兼ね備えている美少女だが、これでも70年生きている。口調で少し幼く感じてしまうが、それはエルフの精神の成長が遅い為である。見た目と年齢は関係なく、彼女はまだ幼いのだ。
だが、弓の技術はさすがはエルフ。で尋常ではない腕を持っていて、今もまだ成長中なのだから恐れ入る。
パーティでは弓の技術を活かし、後方から援護する役割をこなしている。
エルが後方から狙い撃ちして、ある程度魔物の数を減らし、リディアは自由に動いて更に数を減らす。
そしてこの二人から漏れた魔物は、銀髪をセミロングにしている大きな盾を持った少女へと向かっていく。今は三匹ほどの魔物に囲まれているが、問題は無いだろう。
「……ふっ!」
銀髪の少女が息を吐くと同時に、近づいてきた蚊の魔物に盾を叩きつけ距離を離す。シールドバッシュだ。
シールドバッシュした蚊は放っておき、残り二匹の魔物にショートスピアで連続突きをすると、瞬く間に穴だらけになった。
彼女はエリー。最近仲間になってくれた彼女は、光魔法を使うことができる盾役だ。槍の腕も相当なもので彼女が槍を突く時は必中だ。
エリーは普段からあまり話さず、更に無表情ではあるが、かなりの美女だ。そして今は全身鎧を装備していてその姿は隠されているが、胸が大きくスタイルが良い。
そのせいもあってか、街を歩いていると彼女はかなり目立つ。
パーティではもちろん、壁役として魔物を惹きつけてもらう役割だ。
エリーのシールドバッシュで吹き飛ばされた蚊の魔物が、まだダメージから回復していないのか、動きが鈍い。
「トドメッスー!」
なんとも緊張感のない声を出しながら、蚊の魔物にウォーハンマーを叩きつける。
緊張感がなくともその威力は絶大だ。一撃で魔物をバラバラにし、更に勢い余って地面にめり込ませるほどの馬鹿力。
だが、その姿は幼女だった。彼女はシギル、ドワーフの鍛冶師だ。
幼い少女の姿だが、現在二十歳なんだとか。紫色の髪をツインテールにして、元気溌剌な彼女は、血まみれのウォーハンマーを肩に担ぐ。
見た目は非常に整った顔立ちをしていて、もしこのまま人間のように成長するのならば、確実に美女になるだろうと思わせるほど可愛い。
現在戦っている魔物は素早く、更に空を飛んでいるために、エリーとコンビを組んで戦っているが、普段はリディアと同じくアタッカーの役割をしている。
ふむ、やっぱりエリーがパーティに加わっただけで、安定度が増したな。
そんなことを考えていると、この四人と戦うのを避ける蚊の魔物が数匹いた。その魔物は俺に向かって一直線に飛んでくる。
どうやら俺は彼女達より弱いと判断されたらしい。
蚊の魔物達は、『吻』と呼ばれる部分、要は口から刺針を出し、俺へ突進してきた。地球とは違い、体がここまで大きいと攻撃的になるようだ。
刺針と俺の距離が、後30センチほどまで迫ってきた。が、俺は身動き一つしない。身が竦んだわけでも、考え事に熱中しているわけでもない。ただ、無意味だから動かないだけだ。
そしてそのまま10センチほどまで迫ってきた所で、蚊の魔物達は燃えた。
端から燃えていき、結局は全身が燃え上がると灰になって消えた。
よく見ると俺の前に薄っすらと炎のカーテンのようなものがが見えるだろう。これは火属性の中級魔法で『火の壁』という。
範囲攻撃ができ、防御にも攻撃にも使える優秀な魔法だ。
アーサーから教えてもらい、自分で適当に真似てみたのだが、上手くいったみたいだな。
今、倒したので全部だったみたいで、4人が俺に向かって歩いてきた。
「むぅ……、ギルは本当に賢者だった」
そう言えばエリーは、俺の戦いを見るのは初めてか。無表情でわからないが、驚いているようだ。
「旦那は手を出しちゃ駄目ッスよ」
シギルが溜息しながら、俺に言う。俺は別にサボっていたわけではなく、エル、リディア、シギルに手を出さないでくれと言われたから、何もせずに突っ立っていたのだ。
「お兄ちゃんが戦うと、パーティの練習にならない、です」
エルは使った矢を回収してきたらしく、矢筒にしまいながら話していた。こんな仲間外れみたいな事を言われたら、さすがの俺も拗ねるところだが、可愛いから許してやろう。
「まあまあ。ギルさまが手を出すということは、私達がまだ上手く立ち回れていないということですよ」
こんなところに天使が居たよ。リディアは本当に殊勝だよなぁ。
「いや、皆上手く立ち回れてると思うよ。今のは俺が新しい魔法を練習したくて手を出しただけだから、気にしないでくれ」
半分は嘘だ。練習したいわけではなくて、そのまま放置してたら顔が蜂の巣になっていたのだから、誰でも反撃するだろう。
「さて、この辺の敵には慣れたから、さっさと次の階層に進もう」
今回の目標は25階層突破だ。後14階層もあるのだから、ここでのんびりしているわけにはいかない。
だが、魔物との戦闘を避けて25階層に向かっても、強くなれないのだから意味はない。各階層で、ある程度戦闘をして、経験値を積むことも目標なのだ。
この階層の敵は一通り倒して、余裕だと判断したから次の階層に進むことにした。今日中には16階層に辿り着きたいところだな。
「あたし達にはエリーがいるから次の階層に行く道は大丈夫そうッスけどね」
その通りだ。エリーは22階層まで突破しているらしく、降りる道も覚えているから一日で16階層を目指そうなんて大きな事が言えるのだ。
「ん、こっち」
エリーについていくと、あっという間に次の階層へ続く階段に辿り着く。先の蚊の魔物と戦闘した場所も、エリーが気を使って次の階層にすぐ降りる事ができる階段の近くを選んでくれたみたいだ。
エリーに感謝しながらその階段を降り、12階層へと着いた。
「これは……、湿地帯ですか」
「11階のほうがよかった、です」
エルが言う通り11階層は、蚊が多いが中々過ごしやすかったと今は思う。12階層はジメジメしていて、雨まで降っている。
ここは湿地でもマングローブだな。熱帯から亜熱帯の汽水域に分布する森林というやつだ。足場の殆どが水場、遠浅で歩いて進むことが可能なのだが、波当たりが無いため泥がたまりやすく、足を取られ非常に歩きにくい。
地球のマングローブでもよく見る、マングローブ植物が密生しているのも進みにくい要因だ。
一言で言えば、不快である。
しかしダンジョンとは一体どういう構造になっているのだろうか。ただ階段を降りるだけで、世界一周している気分になれるのだから、不思議である。
(不快ではあるが、個人的には少しだけ特をした気分になるなぁ)
地球ではどこに行くのにも大金がかかるのだから、俺がこう考えてしまっても仕方ないだろう。4人に話すのは申し訳ないので黙っているが。
さて、立ち止まっていても意味がない。先へ進みたいが、その前にエリーに確認しておこう。
「エリー、この階層の魔物は?」
「ん、主にリザードマンと蛇」
また厄介な。リザードマンは湿地帯で活動している種族で、この動きにくい足場にも慣れているし、蛇は発見しにくい。
「蛇は嫌ですね」
「あたしも苦手ッス」
「エルはあまり見たことない、です」
「蛇肉、美味いらしいぞ」
俺の一言に皆が一斉に振り返る。エルとエリーは興味を持った顔つきで、リディアとシギルはあからさまに嫌がっている。
「エルが、がんばって見つける、です!」
「ん、エルに期待」
二人はやる気が出てきたみたいだ。実際は、噛み切りづらく、水っぽい肉だと話には聞く。だが、人によっては美味しいと言うし、好みは人それぞれだろうな。
リディアとシギルは、やはりやる気が沸かないみたいだ。
「そういえば、蛇は滋養強壮や、美容効果も見込めるらしいぞ」
「蛇はどこっスか?あたしが一撃で仕留めてやるッス」
「そうですね!モチモチ、いえ、油断せずに美肌に、いえいえ!」
よし、全員のやる気が上がったな。これで問題はないだろう。
折角のダンジョンなんだから、嫌々戦わずに行きたいからね。それはそれとして、リディアは少しだけ落ち着いたほうが良いな。そのままでも十分に綺麗なんだからさ。
水が脛近くまであり、場所によっては膝まで浸かる湿地帯を全員で注意深く歩いていく。先頭にはエルが立ち、遠くまで見通す事ができるエルフの瞳で、どんな些細なことも見逃さない。
そのエルが、顔の近くに拳を作り立ち止まった。俺が教えた、『止まれ』というハンドサインだ。
それに全員が気がつくと、黙ったまま武器を構え、エルの前に出る。
「敵?」
盾役の為に一番先頭に出るエリーがエルに確認する。
「たぶん……、50メートル程先に、たぶんリザードマンがいる、です」
それを聞くとエリーは頷き進んでいく。その後を全員がついていきながら徐々に陣形を完成させる。
陣形といっても、大したものではなく、盾役のエリーが一番先頭で、そのすぐ後ろにリディアとシギルが二人で並ぶ。そして俺とエルが続くといった、パーティの役割をこなせる位置に移動するだけだが、これが意外に大事なのだ。
その陣形を崩さずに進んでいくと、3体のリザードマンがウロウロしているのが見えてきた。運がよくリザードマン達は気付いていない。
「誘い出す、です」
エルが弓を構えると、前衛の3人が少し身をかがめる。エルは3秒だけ狙いを定めると、矢を射る。
矢は真っ直ぐリザードマンの内の1体に飛んでいき、後頭部に突き刺さると倒れた。
エル以外の全員が舌を巻き、エルを称賛したかったがぐっとこらえてその場で動かない。敵はまだ2体いるのだ。
一瞬だけリザードマン達は何が起きたか分からずに呆然としていたが、すぐ俺達に気づくと凄い勢いで向かってきた。
「よし、エルよくやった!皆、いつもの通りにいくぞ」
結果、戦いはすぐに終わった。
1体のリザードマンがエリーに、持っていた石槍で突いてきた。それをエリーは盾で防ぐと、リザードマンの肩にショートスピアを突き刺した。
そしてその隙を逃さずシギルが頭にウォーハンマーを叩きつけて、一体を倒す。
残り1体は、リディアが受け持っていた。
リザードマンが石槍を薙ぎ払うと、リディアは後ろに下がって避けた。
薙ぎ払った後の隙を見逃すはずはなく、リディアは飛び出すと、心臓に向けて刀を突き刺した。
それでリザードマンとの戦闘が終了したのだ。
「まだです!水中に何かいる、です!」
エルが叫びながら、その場所を示すかのように弓を射る。
リディアに向かって何かが水中を移動していたのだ。
リディアは丁度リザードマンから刀を抜こうとしていて無防備だ。エリーとシギルは距離があって援護に間に合わないし、エルの矢は水に阻まれて命中しない。
狡猾にも戦闘が終わった直後、気が抜けたところに攻撃してきたのだ。俺がいなかったらリディアは危なかったな。
水中から魔物がリディアに向かって飛び出し、噛み付こうとしていた。
だがリディアが噛みつかれる寸前に、何本もの石の槍がその魔物に突き刺さり、リディアに噛み付くことなく水の中へ落ちていった。
俺が放った魔法で、何とかリディアへの攻撃を防ぐことが出来た。
水中から飛び出した魔物は蛇だった。いや蛇なんて生易しいものじゃない。超がつくほど大きい、大蛇だ。
運良く頭に刺さったらしく、その蛇はもう戦うことはできそうにないが、生命力が強いらしくまだ息絶えないで暴れている。
「うげ……やっぱり気持ち悪いッス」
「うん、気持ち悪い」
「ギルさま、ありがとうございます!」
シギルとエリーがリディアの元に駆けつけ、そのリディアも倒したリザードマンから刀を引き抜くと、まだ水中で暴れている蛇から距離を取った。
「危ないから死ぬまで待つぞ」
そうして5分ほど待つとようやく動かなくなった。
俺達は無事に湿地帯での初戦闘を終えることが出来たのだ。