聖騎士エリー
薄暗い階段を下りきり、すぐ正面にある石の扉を押し開けると小さな部屋がある。
部屋と言っていいのかは分からないが、扉があれば部屋と表現するしかないだろう。
部屋の広さは30メートル×30メートル程で900平方メートルぐらいだろうか。天井は10メートル程あり、人工に作られた物はない。物だけではなく、部屋自体が天然に出来たものだった。
ここはオーセブルクダンジョン10階層、洞窟エリアのエリアボス部屋である。
全てがゴツゴツとした岩ではなく、中央部分には洞窟にふさわしくない花畑があった。花畑の中心部には小さな石の板が立てられている。そして、その場所を照らすように天井から光が差していた。
初めて見た者でもここは墓だと理解し、小さな石の板は墓石に違いないと思ってしてしまう程、神聖な雰囲気で満たされていた。
「いつ来てもここは趣味悪い」
口元に耳を近づけないと聞こえない程の小声で呟いたのは、美しい銀髪をセミロングにしていて、顔立ちもまた非常に美しい女性だ。全身を重鎧で固めていて、その体躯に似つかわしくない大きな盾を構えている。
『聖騎士』と呼ばれる女性、エリーだった。
エリーは扉を開けたまま動かずにいたが、盾とは逆の手に握るショートスピアを音が聞こえそうなほど握りしめると、中へと一歩足を進めた。
部屋に入っても何も起きないが、エリーはこのボス部屋を既に突破していて、部屋のギミックもボスがどういう魔物かも知っている。
エリーが深呼吸をしてから墓石がある花畑へと歩いていく。
近づいていくと墓石だけがあるわけではないことに気がつくだろう。花畑の中に無数の人骨が散乱していることに。
もちろん人間の骨ではない。魔物の骨で、ダンジョンが作り出した物だ。
「すぅ……はー……」
エリーにとって声に出し深呼吸するほど、心の準備が必要な強力な魔物なのかと言われれば、そうではないと熟練の冒険者なら答えるだろう。
エリーは冒険者達の中でも強い方だ。単独でダンジョンを攻略出来る力量もそうだが、光魔法も使うことが出来る重騎士は稀だろう。
更に光魔法は、この洞窟エリアに出没する魔物のアンデットに効果的だ。であるのにもかかわらず、心の準備が何故必要か。
それは無数の人骨で分かる通り、多数のアンデッドがボスだからだ。
「行く」
エリーが決心し、花畑へ足を踏み入れる。すると、今まで光が差していたのに、段々と太陽が雲に覆われるように薄暗くなっていく。
完全に光が遮られると散らばっていた骨がカチャカチャと音を立て始め、スケルトンが出来上がっていく。
エリーは何回も見た光景をただじっと眺めていた。この間に倒してしまえばいいではないかと思うだろうが、それは既に他の冒険者が試し、失敗していた。
ある冒険者は出来上がっていく段階でスケルトンを倒してしまおうと考え、花畑の中心まで進むと、スケルトンの弱点である頭蓋骨を探し始めた。だが頭蓋骨だけが見当たらなかったのだ。
その冒険者は出来上がったスケルトン達に囲まれて、死んでしまったという。
頭蓋骨だけが花畑の下にあり毎回ランダムらしく、完成するまでは手が出せないと結論づけたのだ。
それを知っているからこそ、エリーはただ待っていた。
30秒ほど待っていると、ようやくスケルトン達が出来上がった。
10階層のスケルトンは、6階層に出没したスケルトンとは違い、骨が赤く、装備もしっかりしていた。
このボスエリアのスケルトンの名は、レッドスケルトン。
レッドスケルトンは、弱点こそ普通のスケルトンと同じ、火と光魔法だが、力が段違いに強い。更に、盾や鎧、兜まで装備している。そして、何よりこのボスエリアのレッドスケルトンは5体出没する。
それだけではない。花畑の中心部、墓石の下からもう一体別の魔物が現れた。
墓石の下から手を突き出して這い出てきた魔物は、全身が包帯で巻かれていた。
包帯の魔物、マミーだ。
別名ミイラ男とも呼ばれるが、スケルトンよりも力が強く魔法まで使う、このエリアのボスだ。
力が強く、魔法を使うだけがマミーの恐ろしい所ではない。
マミーは財宝の守護者としてよく登場し、呪いや病気などの特別な能力を所持している。何より知性があることが一番厄介なのだ。
生前の能力によっては、ギルが倒したリッチと同格の強さにもなると言われている。
マミーが地面から完全に出ると、レッドスケルトン達に何かを囁く。
それを切っ掛けにレッドスケルトン達はエリーを囲むように広がっていった。マミーがレッドスケルトンに指示を出しているのだ。
それを見たエリーは、盾を地面に突き立てるように構えた。
構えた瞬間、一体のレッドスケルトンが盾に剣を叩きつける。
ギィンと辺り一帯に金属音が響くほどの強烈な一撃だ。だがレッドスケルトンの剣は盾に弾かれ、攻撃したレッドスケルトンは仰け反る形になった。
一方のエリーは、強烈な攻撃をしっかりと受け止めた上に、微動だにしていない。
そしてショートスピアを強く握ると、仰け反ったレッドスケルトンの顔面に向かって槍を突いた。
その一撃で顔面が吹き飛び、音を立てて崩れていった。
『おぉぉおおぉお』
倒れたレッドスケルトンを見たマミーが死者の言葉を紡ぐと、今度はレッドスケルトンの残り4体が一斉に斬りかかってきた。
エリーは一歩後ろに下がるとまた盾を構える。今度は地面の岩を砕くほど強く下ろし、更に強い衝撃に耐えるように前傾姿勢を取った。
そして盾を構えながらエリーは呟く。
「光の精霊よ……」
魔法の詠唱だった。それだけではなく、ショートスピアをくるりと回転させ、石突を敵に向ける。
石突でレッドスケルトンと戦うわけではない。石突に埋め込まれた赤い宝石のような物が光りだすと、エリーは円を空中に描き出した。
魔法陣を描いているのだ。エリーのショートスピアは特別に作ってもらった物で、魔法を使う際の杖にもなる物だったのだ。
レッドスケルトンは構わず斬りかかってくる。4体の一斉攻撃に先程より大きな音が連続で響くが、エリーは詠唱を止めず、なんとか防いでいた。
「……浄化する光を降り注げ!『浄化の精霊光』」
エリーが魔法陣を完成させると、魔法陣から眩い光が溢れ出る。
広範囲の光が、レッドスケルトン達やマミーを飲み込んだ。
あまりに光が強すぎて、魔物達が見えなくなるほどだ。照射時間が非常に長く、30秒ほど照らしているがまだ光は収まらない。
そしてカチャカチャと音がし始める。
一分が過ぎてようやく光が収まると、魔物の姿はマミーだけになっていた。
カチャカチャと鳴ったのは、レッドスケルトン達が倒れた音だったのだ。そして、マミーも無事ではなく、包帯の所々が焦げていた。
マミーがエリーに向かって進もうと一歩踏み出すが、ふらついて膝をついてしまう。
すかさずエリーが走り、またショートスピアをくるりと回転させると、穂先を頭に突き刺した。
マミーがビクンと跳ねると、マミーの包帯が段々と外れていく。包帯の中身は何もなく四肢から段々と頭に向かって取れていく。
全ての包帯が地面に落ちると燃え上がって、後には何も残らなかった。
エリーは10階層のエリアボスを無事倒したのだ。
「ふぅ」
エリーが息を吐くと、雲に遮られるように暗くなっていた場所に、また光が差す。
「少し魔力使いすぎた」
『浄化の精霊光』は中級光魔法だ。それだけではエリーの魔力が尽きることは無いが、9階を突破した足で10階層のボスに直接挑んでいたのだから、魔力も残り少ないのだろう。
この階層を抜け11階層に降りてしまえば、6階層の時と同じくキャンプをすることが可能だ。その為に下へと降りる場所へ向かおうとする。
だが、辺りに乾いた音が響く。
パチパチと誰かが拍手をしていた。
エリーが振り返ると、10階層の入り口に誰かが立っていたのだ。
「こんばんわ『聖騎士』殿。素晴らしい戦いぶりでしたね」
声の主は、街で会い、6階層まで追いかけてきたエステル法国の男、クレストだった。
(……ここはまずい)
エリーがまずいと思う理由は色々ある。
まず、彼は無理矢理エステル法国へエリーを連れて行こうとしている。それは彼らと戦闘が起こる可能性があるということだ。
その上エリーは、9階層の突破とボスを倒す為に魔力を使いすぎているし、なにより疲労している。
更にエリーはここの10階層に降りるまで、ギルと6階層で会ってから3日で来ていた。エステル法国の使者達に追いつかれないように、強行日程だった為に他の冒険者達がこの部屋へ来るにはまだ時間がかかる。
11階以降から戻ってくる冒険者がいるかもしれないが、期待は薄いだろう。つまりは助けも来ないし、来たとしても助けてくれるか分からない。
エステル法国に目を付けられでもしたら国を相手にしなければならないのだから、助けたいとは思わないだろう。
ならば、エリーが取るべき行動は逃げるしかない。11階層まで逃げることが出来れば、大勢の冒険者がキャンプをしている。体面を気にする宗教団体ならば手は出せないだろう。
エリーは下の階層に降りる為に墓石に向かおうとする。
だが、墓石の前にはフードの男、アーサーがいつの間にか立っていた。
「残念。ここは通行止めだぜ」
「……どうやって」
どうやって気づかれないで、エリーの目の前に現れたのか。今までどこで隠れていたのか。そして、どうやってここまで、エリーと同じ速度で来ることが出来たのか、エリーには分からない。
「さあ、『聖騎士』殿。諦めて我々に着いてきて下さい」
「いや」
「聖王様の命令には従って頂かないと困ります。でないと……」
「でないと、何?」
エリーはクレストに振り返らずに答える。エリーに気づかれないで目の前に現れたアーサーから目を離す方が危険だと感じたからだ。
「やれやれ、私共は犯罪者ではありません。ですが、神の声に従わないのであれば、無理矢理拐うのも致し方ないと思っております。そして、神の代行者である聖王様の命を受けている私が犯罪紛いの行為をしても、許されるのです」
クレストが演説じみた口調で大げさなジェスチャーを交え話すと、エリーは盾を構える。
「そうですか!では、力づくでと行きましょう!アーサー!」
「合点承知の助!」
クレストとアーサーが構えを取ると、エリーはショートスピアに魔力を込めた。
その瞬間、地面から眩い光が溢れた。
エリーはクレストが話してる間に魔法陣を地面に描いていたのだ。
この光魔法に攻撃力はなくただの目眩ましだった。
「何の光ィ?!」
「くっ!」
アーサーは目を閉じ、クレストが手で目を守る。その隙をついてクレストの方へとエリーは走り出す。
クレストの目の前まで来ると、石突でクレストの鳩尾を狙って突く。
だが、アーサーが石突を素手で止めていた。またエリーが気づかない内に目の前にいたのだ。
光が収まりクレストが状況を確認すると、危ういところだったとわかったのか手放しにアーサーを褒めた。
「さすがですよ、アーサー!」
「もちろんです。プロですから」
何のプロだとクレストは口から出そうになるが、ぐっと我慢した。エリーが逃げようとしたからだ。
だがアーサーはそれを許さない。
「目潰しとは草生えますねぇ!」
エリーが構える盾に向かって拳を突き出した。鈍い音がするとエリーは後ずさる。
盾を殴ったのに、エリーが力負けしたのだ。
だがアーサーの攻撃はそれで終わらなかった。両手でめちゃくちゃに盾を殴り始めた。
「wwwwwwwwww、wぁ!」
鈍い音が連続で響く度に、エリーの持つ盾がへこみ、左右へと振られてしまう。そして最後の右ストレートを受けると、エリーの手から盾が吹き飛ばされてしまった。
「くぅ!」
「ドゥフフ、ウケるぜ!」
エリーは盾が吹き飛ばれ、勝てないと悟ると下る階段がある墓石に走り出したが、アーサーが汚く笑いながらエリーの前に回り込む。
アーサーはエリーより速く、エリーより力が強いのだ。
エリーはアーサーからは逃げる事は不可能だと悟り、攻撃へ転じる。
「シッ!」
エリーの全身全霊をかけた突きだった。エリーも近距離を専門職として、今まで冒険者をしてきたのだ。槍の腕もかなりのもので、その突きは美しかった。踏み込みから、体を捻る動作、肩から肘、手首を回転させ流れるような突きだった。そして狙いまでも完璧だった。
槍は吸い込まれるように、アーサーの顔へと向かっていく。
「切り替えはえー!」
だが、アーサーは首だけを捻って避け、そのままエリーの心臓がある部分を鎧ごと殴った。
鎧が拳型にへこみ、エリーは吹き飛ばされてそのまま倒れた。
「魔物じゃねーんだから、顔面狙っちゃ駄目だろー」
対魔物に特化したエリーだからこそのミスだった。人間相手に、頭のような小さな目標への攻撃は避けやすいのだ。
「やはりあなたを勧誘して正解でした!素晴らしい強さですよ、アーサー!」
今まで戦闘を眺めていたクレストが決着を見るとエリーの元へと駆け寄っていく。
「あー、一応気絶してないんで気をつけてくださいよ?」
「分かっている!」
アーサーの言う通り、エリーは気絶してはいなかった。だが、もはや打つ手はない。
(……もう駄目かも……)
エリーは諦めかけていた。もうクレストが目の前まで来ていて、二人で取り押さえられ連れて行かれる未来が見えていた。
「さあ、観念してください!」
クレストがエリーを起き上がらせようとする。
だが、クレストがエリーに触れることはなかった。
突然飛んできた石礫が、クレストの後頭部に当たり気絶して倒れたのだ。
すぐ隣に倒れてきたクレストに驚き、エリーは首をあげて状況を確認する。
(そんな……、彼らが来られるわけない……)
10階層の入り口にはギル達が立っていた。