エステル法国の使者
皆が寝静まった頃、俺は焚き火で見張りをしていた。ただ待っているのも暇だから、見張り時には必ず作業をすることにしている。
今夜は魔法の開発と、とある料理をすることにしていた。魔法の開発と言っても既に作成するものは決まっていたし、合成魔法でもなかったからすぐに完成することが出来た。
今はスキレットで料理をしている。市場である物を大人買いしたので、それの下準備をしていた。
ある物とは、コーヒー豆だ。いや、コーヒー豆かはわからないけれど、見た目はコーヒー豆だ。
この世界は限りなく地球の中世に近いが、物流や店の品揃え、質などを見てみると中世以前のレベルだった。
地球のコーヒーが歴史で初めて姿を現したのが9世紀のエチオピアだ。しかしコーヒーとして登場したのではなく、眠気覚ましとしてで、飲み物としては12世紀になってからだった。
この世界でこの豆を市場で見た時も、眠気覚ましになると説明されただけで、焙煎豆ではなく生豆を売り場に置いていた。もしかしたら、地球と同じで他の地域ではコーヒーの原型があるのかもしれないが、現在このオーセブルクでは発見に至っていない。
とまあ、小難しい事を考えているが、つまりはコーヒーっぽい豆を焙煎しているのだ。
「社会人の味方、コーヒー先輩にお会いしたかったんだよ」
パチパチと音がなり、煙が上がっている。
香りは間違いなくコーヒーだ。色も俺が買っていたコーヒー豆に近くなってきた。そろそろかな?
俺は豆を木皿に移すと風魔法で冷やす。試しに飲んでみようと思い、豆を砕き布で包んだものを水に入れ、それを沸かす。ドリップなんて気のきいたものはないから、煮出すことにしたのだ。
湯が沸いたので様子を見てみると、そこにはコーヒーが出来上がっていた。
よし、飲んでみよう。
「おお!コーヒーだ!」
コーヒー専門店のものと比べたら、断然味が落ちるが久しぶりのコーヒーだけにかなり美味く感じる。
植物のたんぽぽでもコーヒーに近いものが出来ると聞いたから、危うく作りそうになったが、ちゃんとしたコーヒーを作ることが出来て良かった。
「これで見張りも問題なくできそうだ」
コーヒーを飲みながらまったりとしていると、遠くからこちらに歩いてくる人影が見えた。
あの銀髪はエリーか?また来たのか。
エリーが俺のいる焚き火まで来るとおもむろに座る。一体何をしに来たんだ?
「良い香りがした」
今度は俺のコーヒー目当てで来たらしい。どれだけ食いしん坊なんだ。
「飲むか?」
「うん」
俺は余っていたコーヒーをエリーにごちそうすることにした。エリーは受け取るとすぐに口を付けた。だが、苦かったのか小さな声で「む」と言うとカップを地面に置いた。
仕方ないからマジックバッグから砂糖を取り出して入れてやると、今度は何も言わず飲んでくれた。
しばらく会話もせずに二人でまったりとコーヒーを飲んだ。そして飲み終わるとエリーが脈絡もなく話しだす。
「ダンジョンに潜ったのはお金がなかっただけじゃない」
一瞬何の話をしているのかわからなかったが、先程の話の続きだと理解した。別に詳しく話す必要はないはずだが、彼女の性格が許さなかったのだろう。
俺は何も言わずに頷くと、エリーは続きを話してくれた。
「会いたくない人達が街にいたから……」
なるほどね。エリーは有名な冒険者だ。Aランク冒険者というのもあるが、実力もあると聞いている。そこまでの有名人となれば、勧誘や依頼などを直接しに来る者も大勢いるだろう。
そいつらを街で見かけたから、会わないようにに急いで潜ったということか。
そして、エリーは続きを話さずに黙ったままだ。これで話は終わったということか?
と、そこで地下6階の入口に誰かが入ってきた。こんな夜更けにと思ったが不思議なことではない。混雑する日中を避け、混まない夜にダンジョンに入る冒険者もいるぐらいだ。
入ってきた人は二人組で、白いローブを着ていた。その二人組は辺りを見渡すとこちらを指差し、歩いてきた。
エリーも気付いたらしく、じっと彼らを見ている。まさか、会いたくない人達って奴らか?
二人組はエリーの元へ一直線に向かってきて、目の前まで来ると先頭を歩いていた男が話しだした。
「こんばんわ。良い夜ですね『聖騎士』殿」
その男は髪をオールバックにしていて、柔らかい笑みを浮かべたまま話しかけてきた。もうひとりの方は男と判断できるが、フードを目深にかぶっていてどのような人物かはわからない。
エリーは話しかけられても返事をせず、ただ黙って見ているだけだ。やはり会いたくない人達とは彼らのことだな。
「無口な方だとわかっていましたが、挨拶ぐらいはして頂いてもよろしいのでは?おや、そちらの方はお仲間でしょうか?」
「俺は世話になった者だ。たまたまこの階層で再会し話していただけだから気にしないでくれ」
俺がそう答えるとオールバックの男は、俺のドッグタグを見て「ふむ」と頷くと、興味を無くしたらしくまたエリーへと向き直し話しの続きをする。
「それでこの間お話した件ですが、今日が期日です。もちろん我が法国に来ていただけるのですよね?」
法国?こいつらエステル法国の使者か?
「それは断った話」
エリーは元々無表情なのに更に感情がなくなった話し方をしている。それだけ嫌な話なのだろうか?
「はっはっは。『聖騎士』殿、これは神の啓示により聖王様が私に命令したことです。断ることはできな……」
「それでも断る」
「む」
エリーがオールバックの男の言葉を遮って断ると、彼はあからさまに機嫌を悪くした表情をした。
オールバックがどうしたものかと考えていると、もうひとりのフードをかぶった男が話しだした。
「クレストさん、無理矢理ってのも悪くないんじゃね?」
「アーサー!」
どうやらオールバックはクレストという名前で、フードはアーサーという名前らしい。彼らは法国の使者だと言うから聖職者になるのだろうが、アーサーの言い草は誘拐犯そのものだった。
クレストはアーサーの発言を嗜めるが、その張本人であるアーサーは、何故か俺を見てくつくつと笑う。
何だ?何故俺を見ている?顔を隠しているが、声を聞く限り初めて会う男のはずだが。
俺は彼の全身を見てあることに気がついた。そういうことか。
「『聖騎士』殿、大変失礼した。アーサーはつい最近、法国の信徒になったものですから。ですがね、彼が言うことはあながち間違いではないのです。聖王様のご命令で私は動いていますから、私の話すことは神の啓示そのものと言っていいでしょう」
なんて理論なんだ。これだから狂信的信仰者は嫌なんだ。
「つまりは無理矢理でも許されるのですよ」
そんなわけねーだろ。ラリってんのか?アーサーもクレストもやべー奴だったわ。
「私は冒険者。従わない」
エリーの拒否にクレストは嫌悪の表情を隠しもせず、アーサーは肩を揺らすほど笑っている。
「なるほど、そうですか。ではこのダンジョンの探索中に不幸が起きないことを祈っておくとしましょう。私は聖職者ですから、祈ることは得意なのです。神もきっと聞き届けてくれるでしょう」
クレストは口の端を上げると振り返って離れていく。
アーサーは俺を見ているのだろう。俺も見つめ返すと、やはり肩を揺らすほど笑ってから帰っていった。それは失礼ですよ?
「ギル、ごめん」
「え?いや、何が?」
別に迷惑かかっていないのだけど。
「この話を知っているだけで危険」
まあそうだろうな。仮にも法国の聖職者が誘拐宣言したことを知っている時点で、口を封じられてもおかしくない。
「気にするなよ。それより今はエリーの方が危険だし、俺達と一緒に行動するか?」
仲間は多いほうが良いだろうと提案するが、エリーは首を横に振る。今までソロで戦ってきた矜持なのか、それとも彼女なりのやさしさか……。
「大丈夫。あの人達が来れないぐらい下へ潜る」
「……そうか」
「うん、またね」
そう言うと立ち上がり自分のテントへと歩いていく。そして俺はエリーを引き止めることが出来なかった。
エリーがテントに戻ってからも俺は焚き火から動かず先程の事を考えていた。
アーサーの事だ。
彼は俺を見て笑っていて、俺はなんで笑われていたのかわからなかったが、アーサーの姿を見て理解してしまったのだ。
確かに彼とは面識もないが、俺とは共通点がある。そう、彼は異世界人だ。それも俺と同じ地球のな。
アーサーは白いローブを着ていて、どんな格好をしていたのかもわからなかったし、フードをかぶっていたせいで顔もはっきりと見えなかった。だが、靴だけは見えていた。
彼が履いていたのはスニーカーだ。この世界では絶対に作ることが出来ない物だろう。
そして俺は未だにスーツのままだ。それで俺も地球から来た者だとわかったのだろう。
俺がエリーを引き止めなかったのは、もしアーサーが俺のことをクレストに話せば、彼らは俺の元に来る可能性が高いと思ったからだ。
なぜ彼らが、エリーを勧誘していたのか理由はわからないが、Aランク冒険者を勧誘しているぐらいだから、戦闘力を期待してのことだろう。それを考えると同じ異世界から召喚された俺の元へ来る可能性が高いと思ったのだ。
俺にかまっている間エリーは無事だろうし、俺もむざむざと連れ去られるわけじゃない。法国の使者達がどれほど強いかわからないが、この世界の常識を超えている魔法を使える俺のほうが逃げ延びやすい。
後は仲間にどうやって説明するかだが……、それが一番大変だな。
はぁ、面倒くせーことになりやがった。
っていうか、うちの子達は俺と見張り交代する気あるのかしら。
その後朝になるまで彼女達が目を覚ますことはなかった。
「お兄ちゃん、ごめんなさい、です」
「ギルさま、すみませんでした。起きようと思っていたのですが……」
「旦那……、その、一回も目が覚めなかったッス」
俺は腕を組んで三人を見下ろしていた。
俺は怒っていたり、考え事をしていると腕を組む癖がある。戦闘をしている時に腕を組むのは魔法陣を構成するために頭をフル回転しているのと、敵に対し殺意を込めているからだ。
それを知っている三人は俺が腕を組んでいると怒ってるのだと勘違いしてくれるから、彼女らを説教する時はこの姿勢をしている。そして彼女達は正座をしていた。
まあ実は、今日に関しては彼女達に迷惑をかける話をしなければならないのだから、怒ってはいないのだが。
「はあ、もういいよ」
俺は嘆息し腕を下ろすと、彼女達は目に見えて安堵した顔をする。
「……君達が寝ている間に厄介に巻き込まれた」
「厄介、です?」
俺は間をおいてから話し出すと、エルが心配顔をする。俺が危険な目にあったのかと思ったみたいだ。違うんだ。これから君達が危険な目にあうんだよ。
普段であれば彼女達の事を一番に考えるが、今日は徹夜をしているせいか全く気を使う気がない。もう26時間起きているからね、仕方ないね。
一応誰かが盗み聞きしていないか周りを見てみるが、既に他の冒険者達の殆どが狩りをしに行った後で、近くには俺達しかいなかった。もちろんエリーもいつの間にかテントを片付けて、この広間から姿を消していた。
「俺の秘密を教えようと思うが、かなり危険がつきまとう。聞く前に質問したいがいいか?」
俺が声のトーンを下げると真面目な話だと理解したのか、三人も真剣な顔つきで頷いた。
「……俺から離れた方がいいと思うが、お前たちはどう思う?」
俺が少し言いにくい事を勇気を持って話すと、彼女達は少しの間呆けた後、今度は怒った顔をした。普段から優しいエルでさえもむっとしているみたいだ。
「私は皆に迷惑をかけています。その私が危険だからと言われて皆から、ギルさまから離れると?」
リディアは亡国の王女で、色々と危険な事に巻き込まれている。そして、俺は彼女に「私といると危険な事に巻き込む」と言われたが、気にするなと伝えた。リディアなら俺から同じことを言われても着いてくるか……。
「エルは、お兄ちゃんや皆を、助ける、です」
エルは奴隷になりそうな所を俺に助けられた。その後自分を含め、皆を守る為には力が必要だと考えその強さを手に入れる為に、俺に着いてきた。誰よりも心が強い彼女には愚問だったかもしれんな。
「いやー、別にどうでもいいッス。どちらにしろ旦那に着いて行くのが一番目標に近いッス」
シギルは祖父の店を守るには、鍛冶の技術と名声を手に入れるのが近道だと考え、俺に着いて行くのが近道だと言う。そんな彼女が一番危険な目に会いたくないと思ったのだが、彼女の言葉通りどうでもいいという顔をしている。戦闘経験もない彼女が、ウォーハンマーを作り戦闘に参加しているぐらいだから、彼女の覚悟を見誤っていたのは俺だったのかもしれない。
そうか、本当に良い奴らだよ。
俺も覚悟しなければ行けないな。彼女達を命をかけて守ると。
「じゃあ話すが、俺は異世界人だ」