好転する切っ掛け
「マーキス宰相閣下、この書類にサインをお願いします」
私は頷いて羊皮紙を受け取ると、念のために目を通してからサインをする。これが帝国宰相にまでなった私の今最も多い仕事だ。
羊皮紙を返しながら謁見の間を見渡す。
現在、謁見の間は平時と違って多くのヒトで溢れている。そのほとんどが慌ただしく動き、怒声にも聞こえる大声で指示を出したりしていて、いつもの謁見の間とは全く雰囲気が異なる。
仕方のないことだ。この帝国に作戦室や会議室などといった場所などないのだから。正確には作戦室はある。だがそれは軍の基地内だ。帝国では皇帝は軍の作戦に口出し出来ない法がある。皇帝ができることは決断のみ。兵を出すか出さないか、兵を出すとしてどこへ出すかだ。どのように戦うかは軍上層部が考える。それは作戦室で練ることだろう。
しかし、皇帝もその決断をするために必要な情報を精査する場所が必要だ。皇帝が彼方此方へ動かずに済み、作業をする方のは広大な謁見の間は効率がいい。昔ながらのやり方をしているわけだ。
……だが、見慣れないな。ここにはいつも私とシリウスさんの二人と、壁際と扉で黙って警護している兵士だけだから静かだったのだがな。改めて今が非常時であると思い知らされる。
ふぅと息を吐いたところで、サインを求めてきた若い男がまだ動き出していないことに気がつく。この男の表情は暗く、何かを言いたげだった。
「どうしましたか?」
「あ、いえ、……その、帝国はこの危機を乗り越えられるのでしょうか?」
男の声は小さかった。しかし、この広い謁見の間の隅々に届いた。煩いと言っても過言ではなかった室内が一斉に静かになる。私の答えが気になるのだ。
いや、ここにいる私以外がずっと不安に思っていた、か。
それも仕方のないことだ。現在、城内で働くほとんどが貴族ではなく平民だからだ。反乱に耐性がないのだろう。
まさか、こんなところに貴族を排除した弊害があったとはな。
貴族は平民を見下す。故に、平民が反乱してところで恐れることはない。
城で勤めていた貴族は、シリウスさんが貴族の称号を剥奪した上で辞めさせた。政策として間違っていないと私も思う。いや、少ない仕事量の割に多くの収入を求めるなど、国にとって害悪以外の何者でもない。ノブレス・オブリージュをどこかに捨ててきた貴族に血税という言葉と意味を教える手間を考えれば、排除は英断だっただろう。
なにも全ての貴族を排除したわけではない。優秀な者には領地を与えて統治させている。統治には貴族という称号は都合が良かった。財力も私兵もあるから抑え込むことも容易だ。
……であるのに、抑えられなかった。
始まりは帝国の食料庫と言われている東の領地だった。もちろん、その領地を統治していたのも貴族だった。その貴族がクズだったら反乱が起きたのも不思議ではない。が、その貴族は代々その領地を収め、領民からも信頼されていて我ら皇帝一派も一目置いていた人物だった。
その領地で反乱が起きた。反乱者は一揆と言っているらしいが、納得できない。納得できないがそれはいい。もうすでに起きてしまったのだからな。
問題は武力を持つ貴族があっという間に制圧されてしまったことだ。奇襲だったのか、迅速だったのか、抑え込む暇などなかったのだ。当然、帝都では援軍の命令を出すどころか、気がつけば終わっていた。知らぬ間に帝国は食料庫を失ったのだ。
さらにそれを切っ掛けに彼方此方で反乱が起き始めた。今度は反乱理由が皇帝への不満らしい。一揆から革命に変わったが、馬鹿なことだ。シリウスさんに動く理由を与えてしまったのだから、そういう感想にもなる。
故に私に不安などない。シリウスさんが出陣すれば、抑え込めない反乱などない。それどころか反乱軍に憐れみを覚えるぐらいだ。
けれど、城で働く者たちは違う。シリウスさんの強さも噂でしかないのだ。
やれやれ、落ち着かせるのは宰相の仕事ではないのだが?
「陛下が御出陣されました。すぐに鎮圧してお戻りになるはずです。そのような不安そうな顔をお見せしてはいけませんよ。その暇があったら仕事をしてください。やることは山のようにあるのですから」
「も、申し訳ありません、宰相閣下。その、宰相閣下も溜息を吐いておられたので……、私と同様に不安なのかと……」
……本当にやれやれだ。息をつくことが、溜息に聞こえるほど不安に思っていたのか。これでは一息つくこともできないではないか。
不安になる暇もないほど仕事をさせるのも上手く行かないようだし、やはり私に気遣いの才能はないらしい。
シリウスさんが玉座に座っていれば、こんな慣れないことをする必要はなかった。
けれど、今回ばかりはシリウスさんが向かうしかなかった。帝都のすぐ近くで反乱が起きた。反乱軍を帝都に入れることは許されない。僅かな近衛兵で迅速に鎮圧するにはシリウスさんが動くしかなかったのだ。圧倒的な暴力を見れば、二度と立ち向かおうなどとは考えないだろう。帝都付近で革命さえ起きなければどうとでもなる。
いや、そもそも革命が起きること自体おかしい。客観的に見てもシリウスさんが皇帝になってから民の生活は向上した。犯罪や疫病は減り、税も安くなった。プールストーンの仕入れにも力を入れ便利にもなった。今までの皇帝では出来なかったことだ。なのに、それ以上を求めるか。お国柄……、と言ったらそれまでだが、強欲過ぎる。
おっと、国民への不満は私が考えることではない。私の考えることは目の前にある仕事を片付けることだ。
今は、彼らに最低限の仕事をさせることが大事だ。……本当に溜息を吐きたくなる。
「仕事が遅れていれば、誰だって溜息ぐらい吐くでしょう。おや?そういえば君は最近子供が生まれたのでしたか?」
「え?あ、はい。娘が生まれました」
「それはおめでとうございます。では国がこの状況ではさぞ不安になるでしょう」
「……はい」
「ですが、仕事が出来ずに辞めさせられたら、生まれてきた子供は無事に成長することができるのでしょうか?色々とお金が掛かるのでしょう?子育ては」
私の言葉で男の顔が真っ青になる。
「陛下は平民でも雇います。ですが、それは有能だからです。不安という理由だけで仕事が出来なくなるならば必要ありません。さて、君は有能かな?それとも無能かな?」
「あ、いや、その……」
即答できないから無能、とは言わない。誰もが自分で自分のことを有能であると答えることには抵抗がある。というより、自信過剰っぷりは敵を生む。ある程度の謙遜はあった方がいい。自信過剰が許されるのは選ばれたヒトのみ。シリウスさんのようなヒトだけだ。その点で言えば彼は合格だ。
「私がシリウス皇帝でなくてよかったですね。私が無能と決めつけても、実際に辞めさせるか決めるのは陛下です。さあ、陛下が戻る前に表情を改めて仕事に戻りなさい」
「は、はい」
男は軽く頭を下げるとさっさと私から離れていく。ふむ、気合十分、とまでは行かなくても焦りは覚えたようだ。他の皆も同様に少し仕事の速度が上がっている。他人が叱られる姿を見てやる気を取り戻す。次は我が身と考えたか、今仕事が出来る姿を私に見せれば評価が上がると考えたか、どちらにしろ浅ましい考えだがこの状況では悪くない。私に出来るのはこれぐらいだな。
さて、私も仕事だ。仕事が終わっていなければ、シリウスさんに何を言われるか。あの人に無能だと思われるのだけは耐えられない。
「次はこの羊皮紙か」
私が次の仕事を終わらせようと羊皮紙を手に取ったところで、また「あの、宰相閣下」と呼ばれる。これも貴族を辞めさせた弊害だ。貴族は傲慢が故に自分の仕事に自信を持っている。私の顔色をうかがうことなどない。平民だからこそ私の確認と了承を得なければならないのだから仕方がないといえばそうなのだが、タイミングによっては仕事が進まない。
苛立ちを隠すためにニコリと笑ってから振り返る。
「何かな?」
ついさっきまで脅し……ではなく、発破をかけていたからかこの男は私に話しかけるのを躊躇っていたようだ。私の機嫌を伺っているのがチラチラと見る視線の動きでわかる。
私が微笑みを浮かべて「ん?」と促してようやく安心したのか、ほっと息を吐いたのがわかった。
「今、書簡が届きました」
「書簡?」
「はい、魔法都市からです」
魔法都市か。ここ最近は頻繁にやり取りし、互いの状況の共有を図っている。これも以前までの帝国ではあり得なかったことだ。シリウスさんと友誼を結んでくれたギル代表には感謝しかない。これは私には珍しく本音だ。プールストーンは当然として、何より飛空艇は帝国にとって重要だった。砂船では安全性が不十分だった。毎年、魔物に襲われたという報告が数十件は上がってくる。それが飛空艇の登場で一桁にまで下がった。魔物に襲われるという件数が無くならないのは、まだ飛空艇の料金が高いからだろう。それも飛空艇が増えれば解決する。もう痛ましい事故が起きなくなる。飛空艇を手に入れるのに安くない出費だったが、無駄ではない。
それに飛空艇のおかげでシリウスさんも出撃しやすくなった。長期間玉座を離れられないシリウスさんにとって、飛空艇の移動速度は非常に助かっている。
さらにギル代表と友誼を結んだことで法国とも同盟を結ぶことができ、書簡を教会に持っていけば伝書竜を使わせてもらえるようになった。竜というだけあって、書簡を送るだけならば飛空艇よりも速い。これだけでも十分な利益だが、何よりギル代表とシリウスさんがご存命の間は法国を敵に回さなくて済む。何と言っても現帝国にとっての天敵は法国だからな。
さて、そのギル代表の魔法都市から書簡が来た。いったい何が書いてあるのか。
「助かりました。下がってください」
「は」
書簡を持ってきた男を下げさせると、早速書簡を開く。
いつものようにさっと流し読みをして内容を把握。……できなかった。途中から手が震えて同じ行を繰り返して読んでしまったからだ。もう一度、今度はじっくりと読み返すことにした。最後まで読んだあと、つい先程気をつけねばと考えていた溜息を思いっきり吐いてしまった。周りに気を遣うことなどできないほどの内容。
あの方は……。本当に素晴らしい。シリウスさんの次にですが尊敬しますよ。この情報は帝国の現状を好転させる切っ掛けになるものだ。
「何を笑っている?」
声をかけられてはっとする。どうやらいつの間にか私は笑っていたようだ。
しかし、いったい誰が気安く私に声をかけたのだ?
表情を引き締めて振り返ると、そこには我が王。シリウス皇帝陛下がいた。
「シリウスさん?!あ、いや、失礼しました、シリウス陛下。いつお戻りに?帰還の伝令は出さなかったのですか?」
「何を言っている?飛空艇から降下艇で直接城に降りたのだから伝令など出せぬであろう?」
……そうだった。どうやら私は自分でもわからないほど動揺、いや、興奮していたようだ。それにしても、シリウスさんが無事に帰還してよかった。……少し気になるものを持っているが。いや、あれ物か?
「ご無事に戻られて喜ばしいことです、陛下。ですが、いろいろと聞きたいことがあるのですが?」
「ほう?我の帰還を喜ぶよりも大事なことか?」
シリウスさんが無事なのは出陣する前からわかっていましたよ。何度も何度も見送ってきた経験から、心配は無意味だと理解しました。
シリウスさんの白い鎧には傷ひとつない。シリウスさんは怪物じみた攻撃力にばかり注目されがちだが、真価は生存率だと私は思う。自前の防御力に加え、積み重ねてきた知識。その上、豪運に野生の勘まで備わっている。たとえシリウスさんが敗北したとしても、絶対に死ぬことはないと断言できる。それは、シリウスさんがまだ弱かった幼少の頃を知っている私だからこそ言えることだ。まあ、あの頃でも力だけは十分怪物じみていたが……。
つまり、シリウスさんの負傷など確認するのは時間の無駄。話を飛ばしたほうが良い。
「その手に持っている……、いえ、引きずっておられるのは何でしょう?頭のない死体のように見えるのですが」
シリウスさんが持っているものは、手が二本、足が二本、それに胴体があるヒト。しかし、頭がない。普通ならば首を落とした死体と呼ぶ。が、血が出ていないし、首の切断されているところはどうみても金属だ。
「ふむ、哲学か?ギルから聞いた内容に照らし合わせればコレを生物と見ることはできぬが、ヒトと同様に行動するものが動かなくなった時、それを死体と呼ぶべきかどうか、か。面白い」
「違います。今は哲学はどうでもよろしいです。どうして動かなくなったソレを陛下が持っているのですか?反乱を鎮圧しに行ったのではないのですか?」
「理解しているではないか。その通りだ。コレはその反乱を起こした首謀者だ」
「……」
言葉が出なかった。
シリウスさんは飛空艇で反乱が起きた帝都付近の街に向かった。シリウスさんは武力で鎮圧しようとは考えていなかった。だからこそ、兵を引き連れずに単身で街に入った。
まあ、シリウスさんだからこそ出来ることだが。
街の中は粗末な武器を手にした町人たちが集まっていたそうだ。皇帝一人なら人数を集めればどうになると考えたらしい。
シリウスさんはまず、何が不満で武器を持ったのかを聞いたそうだ。
しかし、町人のほとんどが答えることができなかった。いや、税が少し高いだとか、プールストーンが高額過ぎるだとか、魔法士が優遇されているだとかは、もごもごと言っていたらしい。
何を馬鹿なことを。税率は自由都市や王国に比べれば安い。プールストーンだって帝国で買えることを考えれば十分に安い。そのプールストーンに魔力を補充できる魔法士を優遇し、帝国にいてもらわなければ困るのは自分たちだ。それすらもわからないのか?
まあ、どの国でも不満は出てくる。しかし、その程度で反乱を起こすなら国に住めないだろう。
とにかく、積もりに積もって反乱を起こしたわけでもなかった。
おかしな話だ。限界ではないが、皇帝は打倒する?シリウスさんも同じように考えた。
それからは観察だった。町人の訴えを聞く振りをしながら一人ひとりを注意深く。
それで気がついたそうだ。一人の町人が誘導していることに。
そして、シリウスさんは徐ろに聖剣を鞘から抜くと、その町人の首をはね……?
「ちょっと待ってください。突然過ぎませんか?話省いてません?」
「起きたことそのままを言っているが?」
今まで子供のような我儘を言っている国民に対しての怒りが、ふしゅると消えていくのがわかった。自分がその場にいたらあまりの唐突さに粗相していたに違いない。
「元々、残虐性は見せるつもりだった。一人か二人、肉片も残らない程度に虐殺し、力の差を見せつける。それでも戦うのならば全員がこのように死ぬのを覚悟しろ、とな。引き下がるなら赦すと寛大さも見せるつもりだったのだ。だがな……」
シリウスさんが私の目の前に首なし死体を放り投げた。
「出来上がったのがこれだ。ターミネーターとかいう機械人形よ。唖然とするのを隠すのに苦労したぞ。だが苦労したかいはあった。平然とした顔で民たちに『貴様らはヒトに化ける魔物に騙されていたのだ』と言ってやったら、泣いて跪きおったわ。もうあの街で反乱は起きんだろう」
でしょうね。税率を上げても一切文句は言わないでしょうね、あの街の住人は。
しかし、なるほど。これで書簡の内容が正しいと証明された。後手に回っていた我々がようやく優位に立てた。
「面白くないな」
言葉通りにシリウスさんの顔は不満そうだった。
「何がですか?」
「マーキス、貴様がそれほど驚いてないことにだ」
「ああ、それですが……、これを」
私は手に持っていた書簡を、シリウスさんに恭しく手渡す。
シリウスさんは訝しげに受け取ると書簡に目を通し始めた。すると、不満顔があっという間にいつもの不敵な笑みへ変化する。
「ふはは!!やってくれたわ、ギルめ!マーキス、この内容を知っている者は?」
「私と陛下のみです」
「そうか!ならば、悪巧みせねばならんな!」
「はい。皆さん、私は皇帝陛下と重要な話があります!少し休憩にしましょう」
疲れ切った顔をした男たちがふらふらと謁見の間を出ていくのを見送ると、私もたまらず口角が上がるのがわかった。
「悪い顔をしているぞ、マーキス」
「仕方ありません。なんせ悪巧みをするのですから」
書簡の内容は驚くべきものだった。仮称ターミネーターの解剖、弱点探し、敵の情報。ギル代表がマキナとやらと話した内容。そして、ギル代表の策とこれからの予定。
この書簡だけでは帝国の現状はなにもかわらない。しかし、この書簡で敵が見えた。敵がいるならば倒せば良い。
マキナとやら、帝国を甘く見すぎた。たしかにシリウスさんは英雄だ。だが、王なのだ。高潔だけではないのだぞ。
それを見せつけてやる。
「どうする?マーキス」
「まずはそうですね。ギル代表の出発後でも魔法都市と安心してやり取り出来る人物を探すべきかと」
「ふはは!我にあてがあるぞ」
「おや?奇遇ですね。私にもです」
そう、まずはあの少々胃の弱い御方と連絡を取れるようにしましょうか。さて、楽しくなってきた。次はどの手を打つかな。
大変、大変お待たせしました。
もはや例のウィルスは脅威でなくなったことを痛感しております。忙しさが予想以上に長引きました。どのくらい忙しいかというと、片方の瞼が1ヶ月近くぴくぴくと痙攣しっぱなしなぐらいです。
まだ忙しさは続いてますが、少しずつ投稿ペースを元に戻していけるよう努力しますので、気長にまって頂ければ嬉しいです。