帰ってきたキオル
新魔法を開発するために魔法学院の研究室へ向かった。……はずだったのだが、俺は今、何故か城の会議室にいる。
廊下ですれ違ったタザールに「数日、城のことは任せる!」と言った途端、ガシッと肩を捕まれ連行されたのだ。
会議室の席には額に青筋を立てたタザールと、俺の二人だけが座っている状況で一言の会話もない。
聞くまでもなくタザールはご立腹の様子。何故だ?
彼はこの二週間、休みを与えていた。魔法都市内が混乱し、復興に忙しいこの時期にあえて休暇を取らせた。というのも、俺が石化している間、彼には途轍も無い苦労をかけた。攻め込む王国と戦ったらしいとも聞いた。その上、石化が解けた俺が王国へ飛び出していったあとも、過労死寸前の体に鞭打って後始末をしてくれていたのだ。
その感謝として、働く人間ならば飛び上がって喜ぶ長期休暇を言い渡し、今はその休み明け。気怠さは残っていようとも、心身ともにリフレッシュされ、やる気に満ちあふれているはず。しかし、どうだ。彼の表情からはそんな気配は微塵も感じ取れない。
「怒ってる?」
彼氏の機嫌を確認する彼女のように聞いてみると、タザールは腕を組んだままギロリと俺を睨んだ。
「……黙って待っていろ。もうすぐ集まる」
誰が?とは聞けなかった。追求するのが怖かったからではなく、その直後にタイミングよく会議室の扉が開かれたからだ。
言うまでもなく、タザールが待っていた人物だろう。
入室してきたのは二人。一人は学院を任せているスパール。そして、もう一人は。
「キオル?帰ってきたのか」
王国の貴族でありながら、魔法都市に協力してくれていたキオルだった。彼は様々な手助けをしてもらっている。魔法都市の運営やそれに関わる投資、プールストーンの販売、さらには貴族と商人両方の線から集めた情報の提供。
そんな一国に一人は欲しいキオルなのだが、彼はしばらくの間捕まっていた。王国貴族でありながら、他国である魔法都市に入り浸っていたから当然と言えば当然なのだが、裏切り疑惑で王国内のどこかの牢屋に入れられていたらしい。しかし、王国のアレクサンドル王子と自由都市の英雄ヴァジによって開放され、王都の城で再開したのだ。
「うん。ギル君に置いて行かれたから、馬で帰って来たよ」
終戦後、飛空艇に乗って皆で魔法都市に帰ってきたのだが、その中にキオルはいなかった。ほんの少しだけ存在を忘れていたのもあるけど、わざと置いていったわけではないぞ。
「いや、一応キオルは王国貴族だから、俺が勝手に連れ帰ったらまた捕まるんじゃないかと思ったんだよ」
敗戦した王国は戦勝国よりも大変だ。国を立て直すのは貴族で、キオルはその一員。キオルは領地持ちの貴族ではないけど、商人から成り上がるほどの財力とその手腕で復興にも期待されているはずだ。魔法都市に来れるわけがない。その期待を振り払って魔法都市の手助けをすれば、今度こそ裏切りで処刑されかねない。
「まあ、そうだね。僕が貴族の役目を放棄して魔法都市に向かえば、逆心、寝返り、内通の疑いを問われ、聴取もされずに投獄か処刑だろうね」
「そのキオルがここにいるってことは、王国は一段落したってことか?」
それはそれで悔しい。敗戦国のほうが、戦勝国である魔法都市よりも早く落ち着いたってことだからな。たしかに王国は兵以外の損害は殆どない。砦や街などを占領しつつ王都に攻め込んだわけでもないから、建物などの被害は皆無と言って良い。とは言え、それらを一気に飛び越して直接王を討ち取ったわけだから、別の意味で頭を抱えているだろうけど。王国がすべき立て直しとは、帝国から捕虜変換された兵士たちの再配置と、賠償の金策ぐらいか。兵数が膨大で、莫大な金策ではあるが。
「いいえ。まだまだ慌ただしくしてたよ」
「じゃあ、どうして?」
どうしてキオルは帰ってきた?もしかして、こっちの状況を探らせようとアレクサンドル王子が送り込んできたのか?
そんな俺の警戒を読み取ったのか、キオルは軽く肩をすくめる。
「爵位を返上し、王国の市民権を放棄したよ。僕は今、無国籍だね」
「は?」
「いや、魔法都市には僕の邸宅と店があるから、一応は魔法都市国民ってことになるかな?」
「いやいや、そうじゃなくて。それじゃあ、亡命したってことじゃないか」
疑惑どころか、完全に裏切ったってことだ。二度と王国に戻れない。キオルは王国にいくつもの店を持っていて、それを手放すのは彼にとって大打撃のはず。
「そうでもないかな。円満に王国民を辞めてきたからね」
キオルはそう言いながら、人差し指と親指の先をくっつけて円を作る。つまり、多額の寄付を条件に辞めてきたってことか。
「僕はしてもいない裏切りの罪に問われ投獄され、王国に嫌気が差していた。王国は今、金策で手一杯だからね。僕が魔法都市に移る権利と王国民を辞めるのを金で買ったのさ。取引だから角は立っていないし、それを証拠に王国での出店は継続出来る。税は払うから、あっちは得をするしね」
なるほど、それならたしかに円満だ。だが、これほど有能な人物を手放さなければならなかったのだから、アレクサンドル王子は苦渋の決断だったはずだ。金に困っていなければ頷かなかっただろう。
「キオルは魔法都市を選んでくれたってことか?」
「ええ、これからは魔法都市の国民として手助けするよ」
「ああ、これからよろしく頼む。期待している」
これは非常に助かる。キオルが戻ってきたことは素直に嬉しいけれど、それ以上に今は手駒が必要なのだ。
それを察してか、キオルはいつもの商人スマイルで微笑むと会議の席につく。
「それで、これはなんの会議なんだぃ?僕は戻ってきた挨拶をするために顔を出しただけなんだけど、意味もわからず連れてこられたんだよ」
連れきたのはスパールなんだが、この爺さんも聞かされてないのか黙ったまま髭を撫でるだけだ。つまり、集めたのはタザール。
俺も今日に会議をするなんて予定は記憶にない。仲間たちも来ていないのだから、元々はスパールと二人で話し合うつもりだったんだろう。
そのタザールは時間が経ったことで少し溜飲が下がったようだ。先程のような額に青筋を立てていない。
タザールは席に座る全員を見渡したあと、溜息を吐いて俺を見た。
「今度は何をする気だ?」
本当に意味がわからず、俺は「ん?」と首を傾げる。すると、再びタザールの額に薄っすらと血管が浮かぶ。
「顔を見た直後、『数日、城のことは任せる』と言われたのだ。無理矢理休暇を取らされたのは良い。俺も限界を感じていたからな。だが、長い間仕事から離れていた者に、なんの説明もなく『任せる』とはどういうことだ?何をするか説明をしてから仕事の引き継ぎ、または指示を出せと言っている」
おおっ!そうだった!久々の魔法開発にテンションが上がって色々とすっ飛ばしてしまったようだ。たしかに、長期休暇明けの人に「後はよろしく」とだけ言って引き継いだらポカンとされる。会社でそんなことしたら間違いなく上司に叱責されるな。
ちなみにスパールには2日程度休んでもらって、すぐに働いてもらっている。タザールに比べて疲れていなかったのもあるが、二人同時に長期抜けられるのは流石に辛い。おそらく、タザールがスパールと二人で会議をしようとしたのは、どういった状況かを確認するためだったのだろう。
キオルも復帰したし丁度良い。きっちり説明して、内政は彼らに任せるとしよう。
シリウスと話し合った内容を彼らに教えると、三人は難しい顔をしていた。
「それは……、今戻って来たのは失敗だったかなと思えるほど、絶望的な状況だね」
「ああ。飛空艇の材料である『浮遊石』やジェットエンジンの設計図を売って国庫を潤すのは良い案だが、ポーションの高騰は非常に不味い状況だ」
「そうじゃなぁ。若いギルが死ぬまでに冒険者が戻ってこないこともあり得る。自由都市はそれほどのことなど容易く出来るからのぅ」
ポーションの高騰は魔法都市にとって大打撃だと元三賢人の意見は一致した。それだけ効果的な攻撃だということだろう。しかし、俺が死ぬまでポーションの値を上げたままでいられるってのは眉唾だが。それって数十年間ってことだろ?長期間の価格操作は仕掛けた側にも不利益を被る危険性がある。いくら高額だと言っても、金はあるところにはあるのだ。いつかは在庫が尽きるし、長い間売れ残った古いポーションに新品同様の効力があるとは思えない。その場合は廃棄するしかない。
何より、在庫がなくなれば材料か完成品を仕入れなければならないが、その値段は自分たちが上げた価格で購入しなければならないのだ。
商人の国とも言われる自由都市ならば品揃えにも気を使うだろう。売れにくい上に、商品として駄目になりやすい物を高額で仕入れることになる。それを数十年続けなければならないのだ。莫大な損だ。
だから流石に数十年は大袈裟だ。俺はそう思っているのだが、言ったスパールの表情は真剣そのものだった。……え、本当に?
「攻めてきた王国の兵数も頭が痛かったが、自由都市もまた頭痛の種だな」
タザールは本当に頭痛を覚えたのか、米上を親指でグリッと押している。
「自由都市が頭痛の種なのはわかるけど、どうして王国の名が出るんだ?」
頭が痛いのは同感だが、それは自由都市に対してだ。王国には既に勝利しているし、今の状況で再び攻めてくることはあり得ない。交渉の事ではヴァジの存在が悩みのタネではあるが、タザールが言っているのは兵数だ。
「俺が想定していたよりも、王国の所持していた軍は大規模だった。お前は数百万という兵数に疑問を覚えないのか?」
あ、それは俺も不思議に思っていた。この世界の文明レベルからして、地球よりも時代的には若いと推測できる。しかし、王国がナカンとの戦争に駆り出した兵数は正確には分からないが数百万人以上。地球の中世ですら、最大の国の総人口は5万から15万人程度であると言われている。数々の国を取り込んで、巨大国家になったとしても、数百万人の兵数は異常なのだ。とは言え、エルフのように長寿種族がいる世界だから、地球の常識は当てはまらないが。しかし、それを踏まえても異常だと言える。
いったい、王国の全人口の何割が兵士として徴用されていたのか……。
「でも、それでも勝ったからな。今は自由都市の方が問題だろ?」
そう答えると、タザールは大きな溜息を吐いた。
「魔法都市に攻め込んで来た兵士は80万程らしい。そのうち、ギルが蹂躙したのは70万と少し。お前が化物だという話は置いておくとして、今のところ、7万人の王国兵が生き残っていることを確認している。我らはそれを抱え込んでいるのだぞ?その治療は言うまでもなく、食料や住居の問題はどうする気だ?」
ぐうぅっ!今、頭痛を覚えた!会計報告書で食料の所がとんでもない数字になっていたからおかしいと思っていたんだが、そういうことだったのか。何となく戦後ってこんなもんなのかなぁって処理してたけど、抱え込んだ敵兵の分だったか!
捕虜返還時に王国から回収出来るが、それまでは自分たちで立て替えなければならない。今でも復興で国庫が空になりかけているのに、敵兵の食料以外にも治療費と住居を用意しなければならないのは厳しい。あ、でも、今お前が俺のこと化物だって言ったのは聞き逃さなかったからな。覚えてろよ。
「捕虜だから雑な扱いは出来ないけど、厳しいよな?どうしよう……」
「故にシリウス陛下は急ぎ戻られたのだろう。急ぎ飛空艇の製造に着手したいのは本音だが、それ以外にも魔法都市に援助されるおつもりでだ。表向きの名目は『浮遊石』の購入だがな」
なんてこった!シリウスはそこまで考えていたのか!持つべきものは友だな!そういえば、魔法都市に来た初日は街を見回っていたな。シリウスほどの観察眼だ。俺たちの状況なんてすぐに見抜いたはずだ。シリウスが命令したかと言って、あの宰相がすぐに頷くとは思えないが、それでも短期間で納得させ金を用意して『浮遊石』を購入しに来てくれるつもりなのだ。
「なら、俺たちは復興と並行して『浮遊石』を用意しなければならないな」
そう言った途端、キオルがバッと手を挙げた。
「あ、だったらそれは僕が受け持つよ。回収代金は払ってもらうけどね」
さすがは大商人。利に聡いな。
魔法都市は多くの金を必要としているが、キオルも利益がなければ手伝う意味がないのだから仕方ないな。国家機密に近い『浮遊石』を別の業者には頼むことなど出来ない。キオルの弟子や部下に任せたほうが良い。それに、まだ『浮遊石』の価格だって決まっていないのだ。販売も含めて大商人であるキオルに丸投げした方が良いだろう。
俺は了承の意味を込めて頷く。
「じゃあ、あとは捕虜の治療と住居か」
「それはお前が帰って来る前に手配済みだ。重傷者には仕方なくポーションを使ったが、軽傷者には応急処置で済ませた」
「うむ。住居は避難時に使用したテントを魔法都市や学院の空き地で使用し住まわせておる。ギルが恐ろしいらしく、復興の手伝いも自発的しておるようじゃ。脱走する気は毛頭ないようじゃな」
やだっ!なに、この人たち優秀!
ここでもポーションの値上がりがネックになるけれど、それはシリウスから聞く前だから仕方ないよな。俺が大量に用意した治療ポーションを使ったようだから購入したわけでもないし。住居も『裏』ではなく、魔法都市内だから問題ない。その上、捕虜が復興の手伝いをしてくれているようだ。鎧を着てないからわからなかったよ。
「なんだ、問題なく処理できてるじゃないか」
「上手く事が運んだだけだ。シリウス陛下が来なければ、財政を圧迫してどうしようもならなかったところだ」
なるほどな。俺がシリウスとの会話を話したから問題が解決したとわかったってことか。
それにしても、問題なく処理できることは俺の話を聞いた時点でわかっていたことなのだから、わざわざ話題に出すなと言いたいところだが、タザールは視野を広げろと注意したかったのだろう。現に、俺は敵兵のことなんて頭になかったからな。
それを証拠に、タザールは切り替えろと言わんばかりにさっさと話を戻した。
「ふむ、話がそれたな。それで……、ギルは代用品ではなく、代用魔法の開発に着手するつもりだったのだな?」
「そう。素材も高くなるなら、素材を使わない魔法でどうにかしようと思ったんだ」
「それは実現可能なのかぃ?はっきり言って、それは飛空艇と同様の世界に変化をもたらすようなことだよ?」
「それはわからない。構想はあるけど、実現可能かどうかは実際に開発してみないとなぁ」
タザールは考えを巡らせるように米上をトントンと叩いている。
実現可能かどうかわからないことに、人員を一人割いていいものかと悩んでいるに違いない。しかし、すぐに考えがまとまったのか、タザールは小さく息を吐いてから頷いた。
「良いだろう。ポーションの値上げは魔法都市にとっても重要だ。ギルはそれに着手しろ。キオル、帰ってきて早々済まないが、ギルの代わりは任せるぞ」
キオルはガックリと項垂れて「やっぱり、少しだけ帰ってくるのが早かったかなぁ」とこぼしていた。
よし、これで心置きなく研究に打ち込めるな。
その後は細かいことを引き継いで会議は終わった。
元三賢人が席を立つが、その一人を呼び止める。
「スパール」
俺は辛そうに腰を叩くスパールだ。
「ん?なんじゃ?」
「これから学院に戻るだろ?少しだけ手伝ってくれるか?錬金術関連だ」
俺が作る新魔法は錬金術が深く関わっている。錬金術に詳しいのはこの爺さんしかない。
スパールの髭を撫でる手がピタリと止まる。そして、ニヤリと笑って「よかろう」と答えた。