魔法都市の復興1
デスクに向かい書類のページを捲って流し読み、ある程度の内容を把握すると数字の部分をもう一度確認する。
ただの数字であれば語呂合わせで遊んだり、それこそ読み流す程度で注目することや覚えることなどしない。しかし、この数字が金額とあらば話は別だ。小さいフォントサイズに軽く舌打ちながら目を凝らし、並べられた数字列の桁を真剣に数える。さらにこれが出費ともなれば溜息の一つも吐くだろう。
俺はその作業を一週間ぶっ続けでやっている。
王国との戦争で激戦の末に敵本拠地である王都の城に乗り込み、オーセリアン王と指揮官であったエドワルド王子を打倒し勝利した。……端折り過ぎて捏造っぽくなったけれど大筋はこれで合っている。
その後、第二王子アレクサンドルと負けた王国の戦争賠償について話し合う約束をした。だが、予定外の問題が起きた。この世界の豪商ヴァジが王国側の代理人として立ったのだ。
俺は時代的には数世代先の会社員。数世紀の発展で科学が別物になっているように、交渉術も時代によって進化しているから有利に交渉を進める自信はあった。が、相手がこの大陸で商人の中でも名を知らぬものはいないとまで言われる豪商ヴァジとなれば話が違ってくる。グレーゾーン擦れ擦れの交渉術は当然として、人脈、駆け引きは警戒すべきだろう。何より、この世界のルールを知り尽くしている。
俺は礎という魔石がなければ国を作ったことにならないというこの世界の常識すら知らなかったぐらいだからな。大国を圧倒できる知識がある俺が、絶対的にこの世界の常識を知らなさ過ぎるのだ。
そのまま交渉に入ることに危機感を覚えた俺は日時と場所の変更を申し出た。いつものように強引な方法だったがなんとか日と場所の変更を勝ち取り、さっさと飛空艇に乗って魔法都市へと帰って来たのだ。
魔法都市に帰ってきた俺は、とりあえず急ぎの仕事を片付けた。その後は破壊された街の復興に着手した。
それがこの会計報告書だ。PCソフトの収支決算報告書のようにテンプレなど定まっていないこの世界の会計報告書と言う名の請求書と一週間睨めっこしている。
この世界特有の法則であるステータスによって見た目は少年である俺でも規格外のパワー、頑丈さ、知能、素早さ、精神力を身に着けている。しかしそれでも、長時間の直視による眼精疲労と同姿勢による腰痛肩こりはあり、たとえ地球の生物よりも圧倒的な身体能力を身に着けていようともこの辛さは変わらないのだ。
たまらずペンをデスクの上に放り投げ、睛明(目頭のくぼみのツボ)を二本指で強く押さえながら天井を仰いで溜息を吐く。
「戦争している方が楽だ~」
「こわっ!!狂人や!」
ついつい戦争で魔法をぶっぱして惨殺していた方が簡単だったと猟奇的な言葉を漏らしてしまい、それに対してデスクの上のインク壺の隣に置いてあった宝石が輝いて反応する。
この宝石は、『じごくのきし』ことティリフスだ。元々は精霊で、とある事件が切っ掛けで精神だけを金属鎧に移された存在だった彼女は、王国との戦争で鎧が破損。死んだと思っていたが、実はこの宝石が本体で助かっていたのだ。地獄のような戦場で生存を果たした彼女は『じごくきし』の名に相応しい。さまようよろいからランクアップだ。いや、おどらない宝石の方が良いか?
それはさておき、彼女が自費で購入した鎧に本体の宝石を再装着したところ、以前と同様に動けることがわかった。だが、ティリフスが購入した鎧は耐久性が脆弱ですぐにガタがくる可能性が高い。だから仲間のシギルが大急ぎでその鎧を補強、強化しているが、それまでは仲間たちで交代してティリフスを持ち歩くことになったのだ。
今日は俺の番だ。
「怖がる必要はない」
「それも狂人が言いそうな言葉やん」
……たしかに猟奇殺人犯とかが言いそう。気をつけよう。
日本にいた頃ならこうやって仕事中に何気ない会話をすることなんてしなかった。管理職としての責任もあったし、できる限り残業を減らして趣味に使いたかったからな。
そんな俺が仕事が遅くなると知りつつも会話をしているのはティリフスを暇にさせないようにだ。ティリフスはとても長い期間を暗く狭い牢で動くことも話すこともできずに過ごした。だからか、彼女は魔法都市に来てからは朝晩関係なく街に出かける。まるで今までの分を取り戻すかのように。それなのに今は動くための手足がないのだ。
それでは彼女も辛いだろうと、気を紛らわせられるようにいつでも会話出来るようにしている。
「敵を倒す苦労とこの腰痛肩こりのどっちが辛いかって話だよ。戦わずに済むならそっちの方が良いに決まってる」
「ウチも戦うのイヤや」
嫌いだとはっきり言っているティリフスでも、今回の戦争では戦ってくれたらしい。少しは魔法都市を大事に思ってくれているのかな。それなら嬉しい。
「そうか」
「うん。……で、魔法都市は元に戻せそう?」
冗談の言い合いが終わると、ティリフスの声からおちゃらけた雰囲気が消えた。
今やっている会計報告書の仕事は魔法都市の復興に掛かった、もしくはこれから掛かる費用だ。王国との戦争で犠牲者は兵士のみ。最低な物言いだけど最小限に抑えることができた。しかし、建物やその他の被害は甚大なのだ。王国が魔法都市とエルピスを一時占領した際、兵士たちが移動の間に合わなかった財産を略奪したり、家屋を破壊していた。まぁ、俺が狂化して暴れまわったのがトドメだが。でも、それも元はと言えば王国が原因だ。
ともかく、俺は街を元通りにするつもりなのだが、そのための費用は莫大。
こういう時のために税金は無駄遣いしていなかったが、魔法都市が出来たばかりの国だから全く足りない。もちろん、王国には賠償金で全額きっちり返してもらうつもりだが一括とはいかない。長期間の返済でなければ王国も払えない。
つまり、復興するにも順番や優先場所を選ばなければ、賠償金を貰う前に自滅しかねない。だからこそこうやって頭を悩ませているのだ。
ティリフスもそれぐらいは理解しているから真面目に聞いたのだろう。
「王国次第ではあるけど、時間は掛かるだろうな」
「……そっか」
ティリフスはそれだけしか言わなかった。
でも、本当は言いたいことが沢山あると俺はわかっている。ティリフスは朝晩関係なく散歩しているのもあって、街の人たちと仲が良い。だから本音は、できれば国民を優先してほしいと言いたいはずなのだ。でも俺が決めることだから我慢してそれだけしか言わない。
わかっているよ。だから城は後回しにしているんじゃないか。
そう心の中で呟いて、デスクの目の前の床に視線を向ける。部屋の床にはぽっかりと穴が開いている。
この執務室は城の入り口の真上に位置する。攻城戦の時にシギルとエリー、ティリフスが王国兵を押し返した場所の上階だ。その戦いで脆くなっていたようで、さらに俺の暴走がトドメとなって天井が崩れてしまったようだ。
俺はこんな穴の修理すらも後回しで、住民の家屋の修理を優先しているのだ。……自業自得とも言えなくはないが、やはり王国のせいだろう。
うんうんと戦争の恐ろしさを痛感していると、執務室のドアがノックされる。
ノックされたってことはシギルじゃねーな。誰だろ?
「どうぞ」
返事をすると無言でドアが開く。その時点で誰なのかはわかった。
開かれたドアの向こうには無表情の銀髪美女の姿。ティリフスと同じく、俺の大事な仲間の一人であるエリーだ。
「どうした?」
「ティリフスのお迎え」
ああ、もうそんな時間か。仕事は進まないのに時間が過ぎるのが早いなぁ。次のティリフス番はエリーだったか。
俺はティリフスを優しく掴むと椅子から立ち上がってドアへ向かう。穴に落ちないよう気をつけながらエリーに近づくと、ティリフスを差し出した。
「ご苦労さま。エルピスの状況はどうだ?」
「ん、王国兵の鎧はすべて回収した。道にゴミはない」
俺の質問に対してこの受け答えは全く噛み合ってないように聞こえるが、エリーは正しく俺の聞きたいことに答えている。
復興に最も邪魔だったものは、敵兵の死体だ。避難した住民を街に戻すのも、そのあとに破壊された家屋を修理するのにも、そこらに死体が転がっていたら出来るはずもない。それが約17万人ともなれば尚更だろう。
魔法都市に戻った俺は、まず魔法都市側からエルピスへ向けて水属性魔法で遺体を流した。
魔法都市は自然に出来た地下空間に作った街で、エルピスはダンジョンが作った空間だ。ダンジョンでは、生物の死体は放置していたらそのうち消える仕組みだ。それを利用して王国兵の遺体をエルピスに流したのだ。そのつもりで作ったのではないが、碁盤の目のように区画整理した魔法都市はこの方法に適していた。
結果、遺体は消えて残ったのは人工物である装備品。それを回収するようにエリーに指示を出したから、この答えは合っている。
「そうか。それは盗まれないように保管しておいてくれ」
「伝えた。でも、どうして?」
「遺体がないからな。装備品を王国へ返却するんだ」
遺品だとしても貰えるものは貰っておきたいのが本音だ。鉄製の装備品は溶かせば他のものにも再利用できるし、復興にも役立つ。だけど、王国兵の死体を返せない以上、その代わりとなる物を返すべきだ。こんなことをしても遺恨は残るだろうけど、知ったことではない。墓に入れるものはあった方が良いから返す。俺の自己満足だ。
「わかった」
エリーは無表情のままコクリと頷く。口元が少しだけ微笑んでいるところをみると、どうやら納得したようだ。
エリーは曽祖父の形見を俺から買い取ったのが出会いだったのを思い出した。その形見はマジックアイテムの宝杖なのだが、エリーはそれを戦闘で使わないからどうしてなのか聞いたことがある。エリーはいずれ曽祖父の墓に埋めるのだと言っていた。
だからエリーはすんなり納得したのかもしれない。愚かな行為を王国兵はしたが、その兵士たちの家族には関係ないから。
エリーは話が終わると、仕事もまだまだ残っているのもあってすぐに戻っていった。
エリーの仕事は俺より大変だ。戦後はどうしても治安が悪くなる。だから軍と警備隊の再編し、街を見回る必要がある。さらには壊れた家屋の撤去や立て直しの手伝いまでしているのだ。長話している暇なんてない。
よし、俺も仕事がんばろう。
エリーを見たらやる気が出てきたから仕事に戻ろうとすると、今度はエリーとは別の足音が近づいてくるのが聞こえた。
廊下へ視線を戻すと、赤い髪を揺らしながら小走りするリディアの姿が見えた。リディアも俺に気がついたようで、キリッとした表情が笑顔に変わる。
「あ、ギル様!お疲れ様です」
「リディアだって疲れているだろう」
「いえ、そんな」
リディアがぱたぱたと手を振り、疲れていないとアピールしている。
そんなはずはない。リディアの仕事は元王族というのもあって言葉遣いもしっかりしていて字も書くことが出来るから外国との連絡する仕事を任せた。
魔法都市はダンジョンの17階層にある。そこから外国へ連絡を取る場合は、ダンジョン1階層にあるオーセブルクまでいかなければならないのだ。
つまり、他国と連絡を取るのが仕事ということは、1階層から17階層を毎回往復することになる。並の冒険者なら数日掛けて来る道のりだ。それを彼女は一日で往復している。魔法都市に帰ってきてから毎日だ。疲れて当然だろう。
非常に面倒で大変な役割だが、リディアにこの仕事を任せたのにはもう一つ理由がある。
「シリウスの様子はどうだった?」
王国との戦争で援軍に来てくれた帝国皇帝シリウスがオーセブルクに滞在しているのだ。リディアは俺以外でシリウスと普通に話せる。それが重要だったのだ。
リディアは少し困ったように笑う。
「大変不機嫌でした」
「だろうなぁ」
王城から帰る途中、シリウスには帝国に送ると提案した。だが、シリウスは帝国に帰らず魔法都市に来ようとしたのだ。しかし、魔法都市は城もボロボロで他国の王を泊められるような状態ではないし、俺も大忙しになるから相手ができないと伝えると、オーセブルクに残るとシリウスは言ったのだ。
おそらく、ある程度日数をおいて魔法都市に来るつもりなのだろう。しかし一週間経っても魔法都市の復興は一向に進んでいない。それが不機嫌の原因だろう。
「帝国も大変でしょうに、皇帝が帰らずに大丈夫なのでしょうか?」
「大丈夫ではないだろうな」
「すぐ復興するわけではないと皇帝シリウスもご存知のはずなのに、なぜ待ち続けるのでしょう?やはり、魔法都市でのんびりするのが目的でしょうか」
「……それもだろうけど、目的は飛空艇の製造方法かな」
「あ……、私が取引の材料にしたばかりに……。申し訳ございません」
援軍の交渉材料にリディアは魔法都市の最高機密だった飛空艇を使ってしまった。とは言え、俺はそれを非難するつもりなんてない。俺と魔法都市を救うために必死だったとわかっているし、実際にそのおかげで救われた。
「いや、魔法都市が救われたのはリディアのおかげだから謝らないでくれ」
「……はい」
「それにシリウスが帰らないのは、帝国宰相がそう仕向けたからだと思うぞ」
「宰相マーキスが?」
「ああ。シリウスは性格的に催促なんてしない。シリウスを残すことで圧力をかけ、俺の察しの良さまで計算して聞き出そうとしているのだろう。帝国に被害はほぼ無く、皇帝がいなくとも処理できる程度だから使える手だな」
魔法都市に残って良いと言われれば、シリウスは喜んで残るだろうし都合が良かったのだろうな。こっちとしては非常に迷惑だが。
「宰相マーキスは怖いもの知らずですね」
「まあ、帝国としてはシリウスがオーセブルクに残っているのは、魔法都市と連絡を取るのに都合が良いというのもあるだろうしな。だから、リディアは気にしなくて良いよ」
「はい」
「でも、シリウスの限界も近いか。明日、オーセブルクに行ったら来ても良いと伝えてくれるか?」
「はい。でも、良いのですか?城は全く片付いておりませんが」
「無事な客室はいくつかあったし掃除したら問題ないだろ。エルピスでは再開した店も出てきたし拒む理由がない。なんなら、さっさと飛空艇の製造方法を教えて帰ってもらってもいいし」
どちらにしろシリウスを放置しておくことはできないのが大きい。……不満が爆発したら大陸が滅ぶ。
シリウスはそれで済ますとして、本題をリディアに聞かなくてはな。
「法国の方はなんだって?」
法国は帝国と同様に今回の戦争で援軍を送ってくれた国だ。リディアには法国に事の顛末を書簡で伝えてもらっていたのだ。
「ルカ……、聖王が来られると思います。それで会談を行う何日か前に、魔法都市へ来たいと連絡が来ていました」
俺は法国の王、聖王ルカとも繋がりがある。ルカを助けたのが切っ掛けで同盟関係になったが、今回は逆に援軍を送って助けてくれた。国の規模からギリギリの人数を援軍として送ってくれたようで有り難い限りだ。戦争に参加したのだから法国にも賠償金を得る権利があり、どうやらその相談をするために会談前に魔法都市へ来たいようだ。だけど、そうか。聖王本人が来るか。まあ、本音はルカの兄や姉に会うためだろうがな。
「こちらは問題ないと伝えてくれ。会談場所はオーセブルクに決まったからちょうど良いだろうし」
会談場所はオーセブルクで決まっていた。中立であるし、オーセブルクダンジョンの位置が各国からほぼ同じ距離だと言うのが決め手になった。
「わかりました。ルカも楽しみでしょうね。あとは、自由都市ですが連絡はまだ……」
残りは仲裁役の自由都市だが、まだ連絡はないようだ。まあ、自由都市は間違いなく来る。商人の町なら尚更だ。
「即快諾か焦らすかのどちらかだとは思ったけど、後者を選んだようだね」
「日程も決められていませんから、それも要因でしょうか」
魔法都市の損害やどれだけ費用が掛かるかわからなければ、賠償金の請求もできない。請求金額がはっきりしなければ、日程すら決めることが出来ないのだが、それは俺が今頑張っている最中だ。
「それは急ぎたくとも急げないからどうしようもない。……それより、ダンジョンの往復はもう少し続けることになると思うけど、リディアは大丈夫か?帰ってきてから毎日だし疲れているだろ?」
「いえ、その分夜は休ませて頂いてますから」
「……そうか、悪いな。じゃあ、俺は仕事に戻るからリディアは休んでくれ」
「はい。ギル様こそ無理はなさらずに」
「うん」
リディアは自室へ戻っていく姿を見送ると、俺は軽く首を回して深呼吸する。
俺は仕事に戻るかぁ。