終戦
どうやら目の前に現れた身奇麗な男の正体はアレクサンドル王子らしい。とは言え、名を騙った偽物、もしくは影武者の可能性もあり、本物かどうかを質問して確かめるべきだ。しかし、アレクサンドル王子(仮)に「落ち着くことにしましょう」と会議室らしき場所に案内され、その場で確かめることはできなかった。
俺たちが謁見の間を占拠してカードゲームをしていた間に、外は様変わりしていた。謁見の間のすぐ近くに作戦司令部的なものが作られていて、そこに何人もの将校らしき兵士が詰めている。謁見の間を取り返すための作戦室のようなものが作られていたようだ。他にも氷を砕くためにいくつものつるはしが用意されていたから間違いないだろう。
兵士たちも大勢いた。その中を通って会議室に向かったことで、身奇麗な男の正体が本物のアレクサンドル王子かどうかを確かめる必要はなくなったわけだ。王殺しの立て籠もり犯を引き連れても襲われないように出来るのなんて、王子本人ぐらいだからな。
会議室に着き席を勧めたあと、アレクサンドル王子は座らずに会議室を出ていってしまう。
まさか罠か?俺たちを謁見の間から出し、攻めやすい場所に連れ出してから一斉攻撃を仕掛けるつもりか。などと考えが過ったが、すぐにアレクサンドル王子は戻ってきた。
俺たちを放っておいて何をしていたのかなんて聞く必要はなかった。
アレクサンドル王子の服装が変わっていたからだ。先程までは身奇麗な服程度だったが、今は一目で王族だとわかるような豪華で綺羅びやかな衣装に身を包んでいる。
プライドか、または俺たちへの気遣いか。どちらにしろ、ようやく話をするようだ。
アレクサンドル王子が席につくと、彼が自己紹介をした。
「自己紹介も禄にせず着替えで席を外したことをまずお詫びします、両陛下。僕は王国第二王子のアレクサンドルと申します」
アレクサンドル王子は右手を軽く胸に置きながら優しく微笑んだ。
その姿を見て俺は感心した。謁見の間にはクラノスの遺体があった。エドワルド王子は骨も残さず燃え尽きてしまったが、少なくともオーセリアン王を殺したことは伝わっているはずだ。であるのに、殺意や復讐心と言った感情がアレクサンドル王子の表情には全く見えないのだ。隠しているにせよ、割り切っているにせよ、さすがと言わざるを得ない。
それに……、魔法都市の虐殺王と、帝国の不遜王を前にして微笑む豪胆さも持ち合わせている。若くとも王族ということか。
「俺は魔法都市代表ギル」
さあ、シリウス君の番ですよと彼を見ると、今まで見たこともないぐらい不満そうな表情でぶすっとしている。
え、いったいどうしたんだぃ?!謁見の間から少しの距離を移動し、アレクサンドル王子を待った僅かな時間の間になんでそんな不機嫌になってんのよ?
いやいや、何にせよ帝国皇帝ともあろうお方が、挨拶も禄にできないようでは舐められてしまうだろう。ここは注意せねば。
「シリウス君、ご挨拶は?」
「む?ああ、帝国皇帝シリウスだ」
俺の注意で素直に挨拶をしたシリウスに、ヴァジが「ほお?」と感心したように顎を撫でる。それを見たシリウスが「チッ」と舌打ちをしてさらに機嫌を悪くした。
ん?なんだ?もしかして二人は顔見知り?まあ、ヴァジならあり得る話ではあるけれど……。
「早速ですが両陛下にお聞きしたいことがございます。兄につい――」
「待て。その前に何故其奴がこの場にいる?」
アレクサンドル王子はおそらく兄エドワルド王子のことを聞きたかったのだろうが、それをシリウスが遮る。ヴァジを指差しながら部外者は出て行けと言わんばかりに。
んー?アレクサンドル王子の手助けしていたんだから、ここに居てもおかしくないはずだが……。
「何故、関係のない自由都市の英雄が、『ヴァン・ジークフリート』がこの場にいるのだ」
え……。自由都市の英雄?以前、シリウスに自由都市の英雄はジークフリートって名前だと聞いたが……。それがヴァジだって?
「もちろん、僕に助力をしていただいたからです。僕は王国に攻め込まれる魔法都市におりまして、そこからの脱出を手助けして頂いたのです」
アレクサンドル王子が攻められる魔法都市にいた?!なぜそんな危険なことを……。いや、それも気にはなるが、ヴァジが自由都市の英雄であることを否定しなかったぞ。ってことは、本当にヴァジが?
今までヴァジは俺に嘘を吐いていたってことか。……いや、ヴァン・ジークフリート?ヴァン・ジークフリートの頭文字でヴァジか!嘘じゃなく、略してただけか!
「気取らない挨拶ができた時は、少しは成長したかと感心したが……、ガタガタを文句を垂れるところを見ると勘違いだったようだ」
ヴァジが額を親指で掻きながら溜息を吐く。
……シリウスを子供扱いかよ。伊達に強面のおっさんじゃないってことか。それに、面と向かって言えるってことは実力もだろうな。本当に英雄なんだな、ヴァジ。
でも、あまりシリウスを煽らないでほしいな。シリウスが不機嫌になって暴走されたら困る。
「ふん、コソコソと暗躍するしか能のない貴様には言われたくない」
ほら、シリウス君の機嫌が、斜めを通り越して垂直落下じゃないか。あまり出しゃばりたくないけど、この流れを切った方がいいな。……ヴァジに釘を差しておくか。
「なあ、ヴァジ」
「なんだ、ギル?」
「あんた、自由都市の英雄として席に着くのか?」
「いや、商人として商品を依頼された場所に届けただけだ。追加の依頼もされたが……、それは現段階では関係ない」
ヴァジはそう言ってアレクサンドル王子に視線を向ける。
なるほど、アレクサンドル王子を魔法都市から王都へ護衛するのが依頼か。あくまでも商人としてこの場にいると。
「世渡りを弁えている豪商ヴァジなら分かるよな?今、この場では国の代表にしか発言権がないことを」
ややこしくなるから少し黙っててと気持ちを込める。得体の知れない英雄相手にこんな口を聞きたくないけれど、話が進まない。
ヴァジは軽く顎を撫でてから口の端を上げて頷いた。
さすがは商人、分かってくれたか。それに自由都市は関わるつもりはないってことだな。しっかし、いつ見ても笑顔が怖い顔だな。そこも含めて、変わっていなくて安心した。
ヴァジ自身の事も気にはなるが後回しにして、今は戦争終結を優先しよう。
アレクサンドル王子が聞きたがっていたのは、エドワルド王子のことだったな。
「アレクサンドル王子、オーセリアン王とエドワルド王子は処刑した。もう一人の王子と王女はオーセブルクで戦死。今はあんたが王国の王だ」
聞きたいのは今誰が最も王に近いかだろ?
「そうですか。予想はしていました」
アレクサンドル王子は少し寂しそうに笑いながらゆっくりと頷いた。その表情には喜びを隠している感じはない。
あれ?誰が王位継承権を持つかに興味持っていたのではないのか。ってことは、純粋に家族の生存を確かめただけ?……まいったな、狂った王族を見すぎたせいで少しアレクサンドル王子も同類と決めつけていたみたいだ。でも自己嫌悪は後回しだ。今は戦争終結のために強気な姿勢を見せるべき。
「もうじき帝国軍がこの王都に到着する。王国の軍隊は壊滅し、王都はがら空き。あんたはどうする気だ?戦を続けると言うなら……、滅亡までとことんやっても良いが」
「その必要はありません。王国は敗北を認め、各国への賠償の準備を進めるつもりです」
おや?ずいぶんと物わかりが良い。自由都市は手を出さない。王国も敗北を宣言。丸く収まるってもんだ。だったら俺とシリウスの考えた予定通りに進められる。
「話が早い。ならその件について詰めよ――」
「お待ち下さい、ギル代表。ここからは、ヴァン・ジークフリート殿に私の代弁をしてもらうことになっております。彼に発言の許可を」
マジか。言葉巧みに俺たちの都合の言いよう運ぶつもりだったのだが、豪商が交渉相手?
危うく嫌な顔をしそうになった。隣のシリウス君は不満顔を隠しもしていない。
「何故、代弁をする権限が其奴にある?たかが商人に」
「シリウス皇帝、申し訳ない。偉大な王であるお二人相手では手玉に取られるのは目に見えていますから、彼に代理人の依頼をしたのです」
くそぅ、やるじゃないか。ヴァジが言っていた追加の依頼はこれか。王国は交渉の代理人としてヴァジを矢面に立たせるのは確定しているってことか。シリウスの嫌そうな表情からしてもこの決断は効果的だ。その上、凄腕商人として席に着くが、その正体は自由都市の英雄で脅しは効果がない。真っ当に交渉をすることになりそうだ。そこまで考えてのことだったら、アレクサンドル王子は中々の策士だぞ。オーセリアン王とはまた別の腹黒さだ。
しかし、本当はこれ以上戦争をしたくない俺たちとしては呑むほかない。
シリウスにどうするか確認の視線を送ると、彼も渋々ながら頷いて了承した。この条件で交渉に入って良いってことか。
さて、これで良いかどうか……。俺は軽く目を閉じて悩む振りをしながら、頭を高速回転させる。悩む振りとは言っても、ヴァジの参加が覆ることはない。考えることはこの交渉をどう有利に進めるかだ。まず交渉での勝利条件を設定する。当然、魔法都市だけではなく、法国と帝国にとってもプラスになるようにする必要がある。しかし、これに関しては両国と話し合わなければならないだろう。つまり、今交渉を開始することは出来ないということだ。とは言え、魔法都市として欲しいものは決めておく必要があるな。
賠償金は当然だが、アレは流石に無理か?んー、だったら自由都市も巻き込んじまうか。そのために一つ手を打っておいた方がいいかもな。
俺は決断したように頷いてから目を開く。
「それで良い」
「そうですか!では、早速!」
アレクサンドル王子にとって、ヴァジの参加は肝だったのだろう。表情から強張りがなくなり、僅かに笑みを見せる。
なるほど、たしかにアレクサンドル王子は交渉事が得意ではないらしい。喜んでいるのが丸わかりだ。申し訳ないけれど出鼻はくじかせてもらう。
「いや、考えてみればこちらは法国も戦に参加していて、この話し合いにも発言する権利がある。日と場所を改めて話し合おうじゃないか」
シリウスとヴァジが怪訝そうな顔をしている。そりゃそうだ。さっきはすぐにでも話を詰めようとしていたのに、わずか数分で日を置こうって言い出すんだからな。どんだけ優柔不断なんだって話だ。
「それは……、たしかにそうですが……」
アレクサンドル王子が助けを求めてヴァジへ視線を送る。
そちらの予定と違うのだろうが関係ないし、ヴァジとの相談もさせない。こちらは戦勝国で多少の無理は通させてもらう。
「アレクサンドル王子、王国は戦に敗れたのだと理解しているな?」
「それはもちろん!」
「ならば、こちらの予定に従うのが当然ではないかな?」
「し、しかし、ギル代表……」
はいはいと頷いてしまえば楽なものを。言いなりにはなるなとでも教えられたのかもな。なら、断れない条件を出してみるか。
「こういうのはどうだろうか、アレクサンドル王子。謁見の間を占拠する我々は撤収し、帝国軍は王都を占領せずに引き返すというのは」
詰まるところ、アレクサンドル王子の心配はここだろう?さっさと決着を付けたいのも、勢いで交渉を進めようとしたのも王都の開放が目的だ。長引いた分、王都の自由が遠ざかる。彼の第一目標は王国の存続で、怯える国民に大丈夫だと知らせたいのだ。だからこれは願ってもない条件じゃないか?
「そ、それは王国民にとって安心できる条件ですが……」
まあ、当然好条件過ぎて訝しむよな。だから嫌な思いもしてもらう。じゃないと、俺が交渉に時間を起きたいのがバレバレだ。幸い、気がついているヴァジはまだ交渉前だから口出し出来ない。
「だが、我らが引くにも条件がある。引いた隙に再度攻められても困るから、この場で各国に向けて敗北宣言をしてもらう。もちろん、関係のない自由都市にもだ。元々負けを認めていたのだから当たり前のことではあるが」
「それは……、そうするつもりでしたから構いませんが……」
「そうすることで、我々も安全を買える。もし王国が約束を破るようなことをすれば、今度は自由都市まで乗り込んでくることになるからな。参加しなかったことで自由都市は無関係だが、次こそは明らかな勝ち馬に乗れ、その上利益まで手に入れることができる。参加しない手はない」
4カ国に攻められる想像したのか、アレクサンドル王子は少し顔色を悪くしながらゴクリと喉を鳴らした。
さて、少し脅したところで本題に持っていこう。
「では、王国の敗北宣言を確認し次第、我々は王国から撤収ということで」
「は、はい」
「良いか?」と聞かずに言い切る。王国に選択の権利はないのだと心に刻ませる。そして、これが俺の目的だと勘違いさせる。俺の狙いはここからだ。
「おや、アレクサンドル王子、顔色が悪いな。ふむ、こちらの言いなりでは不安にもなるか。ならばこの際、戦に参加していない自由都市に仲裁を頼むというのはどうか?」
意味不明な提案にアレクサンドル王子は眉根を寄せる。展開がわからないからではなく、俺たちにとって不利なることだからだ。
自由都市は戦争に参加していなかったとは言え、完全な中立ではない。さらに王国と自由都市はオーセブルクを共同管理するほど仲が良い。そんな自由都市が仲裁で交渉まで時間が空くということは、王国の有利に交渉を進めてほしいと裏取引を仕込む時間ができるということだ。
「それは、王国としても安心できる材料が増えますが、良いのですか?」
「もちろんだ。……ヴァジ、自由都市は出てくるかな?」
自由都市を引っ張り出したいが出てくるとは限らない。今回の戦争に一切関わり合いたくないってスタンスの可能性もある。
「さてな……、俺も魔法都市で暮らしていたからどういう立場でいたいのか把握しているわけじゃない。ただ、あそこは商いの国だ。良い条件を出せば出てくるとは思うぜ。金か情報か、当然それは提案した魔法都市が出すってことだよな?」
ヴァジの顔は笑顔だが目が笑っていない。ヴァジとはそれなりに縁があるけど、今は商人モードで俺に肩入れする気は全くないようだ。アレクサンドル王子の依頼を完璧にこなすつもりだろう。
そのヴァジが言うには、条件次第で自由都市は出てくるかもしれないってことだ。それも俺たち魔法都市がその支払いをするハメになるらしい。
だけど、やっぱりそれも関係ないんだよね。
「ヴァジが伝えてくれるだけでいい」
「おいおい、条件も提示せずにか?さすがにそれは甘く見すぎなんじゃないか?」
「問題ない。自由都市は断らないし、断れない。必ず来てくれるさ」
「……まあ、俺は別に構わんがね。もし断られたら、魔法都市から直接交渉するんだな」
「ああ」
俺が満足げに頷くと、ヴァジは「わかった」と了承してくれた。よしよし、仕込みは上々。
じゃあ、戦争終結と行こうか。
「では、アレクサンドル王子。各国へ戦の終結を知らせようじゃないか」
戦争の終結を大陸中に知らせるのは時間がかかる。連絡手段が限られているこの世界では玉音放送なんて手段はなく、書簡を各領地へ鳩を飛ばすしかないからだ。しかし、俺たちが見届けるのは、各国への宣言のみ。自由都市、帝国、法国に王国の敗北を知らせる書簡を書いてもらい、鳩を飛ばすところまでだ。もちろん、魔法都市にもだがオーセブルクまでしか鳩は届けてくれない。魔法都市の国民は少し遅れて知ることになる。
アレクサンドル王子は約束通り敗北宣言を書き、各国へと鳩を飛ばしてくれた。さらに、王国が戦争に負けて敗戦賠償をすると一筆も書いてもらった。アレクサンドル王子は『神秘の契約書』を使うべきではと提案したが、それは丁重に断って普通の紙で済ました。
自由都市が間に立つし、ヴァジがいるから逃げられる心配はしてない。
これで俺たちがオーセリアン王城を占拠する必要はなくなった。帰る時が来たのだ。
「では、我々はここから撤収することにしよう。いつまでも居座ってはアレクサンドル王子の大仕事に支障が出るしな」
アレクサンドル王子はこれから大忙しだ。各領地へ敗戦の報せを送り、国民の前で演説だ。もしかしたら王位継承まで急ぎ足ですることになるかもしれないのだ。
まあ、本気でアレクサンドル王子を気にかけて言ったわけではない。俺もシリウスも自国の方が心配だからだ。魔法都市は特にボロボロだしな。
アレクサンドル王子は俺の社交辞令に苦笑いする。
「ええ、これからが大変です。交渉日時のご連絡、お待ちしております」
いやぁ、アレクサンドル王子は真面目だ。早く帰れオーラなんて一切なく、本気で謝罪しようとしているもの。オーセリアン王とあの兄妹たちと血が繋がっているとは思えない。母親似かな?これが演技ならお手上げだが、今のところ信用しても良さそうだ。なんせ、信頼を大事にするヴァジが依頼を受けたぐらいだからな。
さて、とうとう王国を去る時が来たわけだが、俺の仕込みはまだ終わっていない。
「エル、合図を送ってくれるか?」
「あい」
エルは返事をすると、会議室の窓から上空に向けて発光するプールストーンを光らせる。
「あ、合図?」
アレクサンドル王子がまだ何かあるのかと俺に聞いてくる。
「まあ、見ていればわかるさ」
律儀に答える必要はない。というより、驚かせるのが目的だから教えられない。
間もなくして、ジェットエンジンの轟音が近づいてくる。
「な、何の音ですか?!」
アレクサンドル王子は不快感を表情に出しながらジェットエンジンに負けないよう大声で質問する。
もちろん俺はそれにも答えない。腕を組みながら、音の発生源が現れるのを黙って待つ。
そして、とうとうその音の発生源が窓の外に姿を見せた。アレクサンドル王子は口をだらしなく開けて呆然とし、ヴァジも目を見張って驚いている。
二人を横目に皆が飛空艇へ順々と乗り移り、残るは俺だけとなった。
「それじゃあアレクサンドル王子、会談の日時が決まり次第、王国へ書簡を出す。そして、ヴァジ。自由都市に伝えるのを忘れないでくれよ」
「………!」
「ああ」
アレクサンドル王子は声が出ないのか何度も頷いて返事をし、ヴァジは少し微笑みながら手を挙げて応えてくれた。
ふむ、計画通りだ。よし、魔法都市に帰るとするか!
軽く手を振ったあと、俺も飛空艇へと飛び移る。そして、大空へと上っていくのだった。
――――――――――――――――――――――――
アレクサンドルは飛空艇の音が聞こえなくなるまで呆然とし、突然はっとして我に返る。
「あ、あ、アレは何なんですか?!」
「知らん。そんなことより大事な話がある」
「今の現象より大事なことなんてありますか?!」
「落ち着け。王国にとって厳しいことになったぞ」
「空を飛ぶ船を見ていなくとも、既にですよ」
ヴァジは親指で額を掻きながら「さらにだ」と溜息を吐く。
「今以上に悪くなることなんてありますか?」
「あの空を飛ぶ船を見たせいで、自由都市が確実に参加することになったことだ」
それがどう悪いことなのか理解できず、アレクサンドルは首を傾げた。アレクサンドルは露骨な裏取引をするつもりはないが、少しぐらい王国有利に進めてくれるように頼むつもりだったからだ。自由都市が確実に参加するのであれば喜ばしいことだろう。
「良いことでは?一応、自由都市とは友好的な関係ですよ、王国は」
「はぁ、何もわかっていないな、お前は。自由都市の参加が王国を助けるためにではなく、あの空飛ぶ船の情報を手に入れるのが目標に変わったんだ」
「な?!友好国を助けるべきでしょう!」
「助けても得がない国よりも、あの空を飛ぶ船が優先されるだろうな。つまり、自由都市が仲裁しても王国は有利にならないということだ。自由都市は心証を良くするために魔法都市有利の裁定を下す可能性も高くなった」
「……なぜ、何でそんなことに?」
ヴァジは大きく息を吐いてから、ギルが出ていった窓を見る。
「ギルだ。魔法都市代表が思惑通りに事を運んだ。やってくれたぜ、あの男。交渉の日時変更や自由都市の仲裁を提案した時は日和ったかと思ったんだが、そうじゃなかったようだ。ギルは優しくもなければ、遠慮もしていない。王国王家の財産を根こそぎ吐き出させるつもりだ。逃げ出した方が良いかもしれねーなぁ」
ヴァジのわりと本気の警告。だが、逆にアレクサンドルの表情から焦りが消える。それどころか笑い出した。
「はは、なんだそんなことですか。我々、王国が滅亡しないためにはそれぐらいのことはするつもりでしたよ」
アレクサンドルの覚悟を見せつけられたヴァジは「ほお?」と感心する。ヴァジは今の警告でどう反応するかで王になる資格があるかを確かめたのだ。だが、アレクサンドルの反応は予想以上だった。
期待以上だったのもあって、ヴァジも思わず頬が緩む。
「まあ、安心しろ。俺がいる限り、預かった領地以上を取られる心配はねぇよ」
「預けた領地もかなり大きい支払いですがね」
「それも計算の内だ。現状でナカンを占領し続けるのは不可能だ。押さえつける兵が足りんからな。どこからか引っ張ってくるしかないが、そうなると今度は国内が不安定になる。あのデカい領地を譲って、他国に面倒見てもらった方が民としては幸せだろうよ。シリウスの野郎は気に食わないが、国民は満足しているようだしな。ギルは言うまでもない。魔法都市に住んでいる俺が太鼓判を押すぜ。……話が逸れたが、王国の領土は戦争前と然程変わらない。むしろ、少し大きいぐらいか」
「歴史は失いますが……、仕方ないですね」
「歴史なんざ国が滅亡しない前提だろうが」
「………そう、ですね。自由都市の件は考えるのを止めて、各領地に説明する文面の心配をした方が良さそうですね。賠償金三カ国分なんて、王家だけでは足りませんから」
「ああ。だが、ゆっくりするなよ?奇抜な手を使うギルなら、明日交渉を始めるとか言い出すかもしれんからな」
「はは、それはあり得ません、……よね?」
「それぐらい何をするかわからないってことだ」
「わかりました。とりあえず、謁見の間の片付けから指示を出しますか」
アレクサンドルは乾いた笑いを漏らしながら会議室を出ていく。ヴァジはその後姿を見送ったあと、「一筋縄ではいかない交渉になりそうだ」と誰にも聞こえない呟きをこぼしてから自由都市へ連絡するために走り出した。