英雄同士の戦い
間隙を突いてというわけではないが、シリウスと会話をした一言二言の時間で王国の英雄に距離を詰められてしまった。それも、既にあっちは攻撃態勢だ。避けなければ確実に俺かシリウスのどちらかが攻撃を受けてしまう。
ただ、大剣を振り上げる王国の英雄の攻撃態勢から、上段から真下に振り下ろす真っ向斬りであることは予測できた。あれだけの巨体と、その体と同じぐらい大きな剣から繰り出される攻撃の威力は容易に想像できるが、盾や武器で受けるような馬鹿なことをしなければ比較的安全に対処しやすい。
しっかりと見切れば身体をズラすだけで避けられる。だけど、相手は英雄と呼ばれる存在で、漫画やアニメぐらいでしか見たこともない大きさの剣で攻撃してきている。安全を取って、大きく回避した方がいいだろう。
そう考えて俺は早めに、そして大きく避けようと回避態勢をとる。
王国英雄の筋肉がより一層盛り上がり、直後に攻撃されると察知。しかし、彼の青い瞳は俺たち二人を見据えていて、どちらを狙っているかはわからない。
それでも余裕で避けられると確信していた。なんせこっちは安全を取ってるんだからな。
予想通りすぐに剣は振り下ろされた。だが、俺の予想が当たっていたのはここまでだった。
上段から真っ直ぐに振り下ろされた大剣は、俺のちょうど腰ぐらいで直角に曲がり、真っ向斬りと思っていた攻撃が横薙ぎに変化したのだ。
あり得ることではない。あの巨大な剣がダンボール製で、その上王国の英雄のようなボディビルダー的な筋肉があれば可能かもしれない。しかし、どう見ても金属製で高重量であることは一目瞭然だ。そんな物を思いっきり振り下ろし、途中で無理矢理軌道を変えることは、それも真横になんてのは不可能だ。
だが、可不可を考える間もなく、実際にその攻撃は繰り出されている。これを避けなければ、悪態をつくこともできなくなってしまう。
俺は慌てて態勢を低くし、地面スレスレに横っ飛びをする。その直後、頭上数センチを凄まじい速さの大剣が通り過ぎた。
その感覚にゾッとしながらズザーッとヘッドスライディングのように滑って距離を取り、慌てて立ち上がる。
石の上でヘッドスライディングしてしまい体中のあちこちが痛いが、それだけで済んだことに俺はホッと安堵の息を吐く。
危なかった。受けていたら死んでいたか重傷のはずだったから、この程度で済んでマシだろう。でも、気を抜くわけにはいかない。追撃も警戒しなければ。
だが、その警戒は無駄に終わった。追撃はなかったのだ。
王国の英雄は排熱をしているのではないかと思えるような息を吐きながら、ゆっくりと横薙ぎの態勢を直している最中だった。
俺はまたホッと息を吐き、そうしてようやくシリウスの安否を心配する。
シリウスの方を見ると彼は当然生きていた。俺のように無様な避け方もしなかったようで、慌てた様子もない。しかし、その顔から笑みは消えていた。
俺の視線に気がついたのか、シリウスは再びニッと口角を上げる。
「ギル、これは我が相手をする。手を出すな」
いやいや、なんか俺が戦いたがっていると彼は勘違いしているようだけど、ひとっつもそんなこと考えてないから。まあ、シリウスが戦ってくれるって言うなら、楽できていいか。
俺はとりあえず頷き、距離をとって戦いを見守ることにした。
そこでまた俺は驚くことになる。
なんとシリウスが構えをとったのだ。彼とはルール有りで戦ったことはあるが、その時もシリウスが構えを取ることはなかった。そして、おそらく殆どが構えることもなく戦いに勝利しているのだろう。それはつまり、俺と戦った時は構える必要性を感じていなかったということだ。それに少しだけ不満と悔しさを覚えるが、驚いたのはそこではない。シリウスの構え自体に驚いたのだ。
シリウスは剣を右手に持っているが、剣を持っていない左半身を王国の英雄の方へ出し、右半身を引いていた。剣の種類に関係なく、武器を体より前に出すことは基本だろう。武器は攻撃する手段ではあるが、相手の攻撃を防ぐ手段でもあるからだ。であるのに、シリウスの構えは武器を自身の体で隠すようにしている。
さらに軽く左手を上げて何かを掴もうとしているかのように軽く手を開いている。これがシリウスの構えなのだろうが、篭手と皮手袋をしているとは言え、盾などないのにこの構えは無謀過ぎる。ノーガードと言っても過言ではない。
そんな構えに対し、呆れに近い驚きをしていると、王国の英雄はあの巨体からは考えられない速度でシリウスとの距離を詰め、大剣を袈裟斬りに振った。
その攻撃を見た瞬間、ヤバいと思った。真っ向斬りよりは落ちるがそれなりに威力があり、横薙ぎほどではないが当てやすい攻撃だからだ。
シリウスは見えているはずなのに避ける素振りを見せない。今の段階で回避行動を取らなければ、もう間に合わない。間違いなく当たる、そう思った。
だが、俺の予想に反して、王国の英雄が繰り出した袈裟斬りは空振りに終わる。
その結果に、俺は狐につままれたような気分だった。いや、理解不能と言い換えよう。だって空振るはずがない剣筋だったのだ。シリウスの肩筋、僧帽筋辺りから入って下腹部辺りを抜けるよう太刀筋。そこで斬られて体が2つに分断するか、はたまた叩き潰されるような未来が待っていたはずだ。予知に近い予想が外れたのだからこういう感想にもなる。
王国の英雄はおそらく狂化状態だからか驚いた表情こそしてなかったが、シリウスから急いで距離を取っているところを見るに、本能的に警戒をしたのだろう。
いったい何が起こったんだ?……もう一回見せてほしいな。
俺の気持ちが伝わったのか、それとも願いが通じたのか、王国の英雄が再び攻撃を仕掛けた。
今度はシリウスの斬首を狙って、大剣を横に薙ぐ。
その狙いを見て、俺は少しだけがっかりしてしまった。狂化しているから仕方ないんだろうけど、あんな避けやすい攻撃は無意味だ。少し屈むだけで回避出来てしまう攻撃に、先程のような理解不能な現象は起きないだろう。
だがシリウスは、俺の期待に答えてくれた。シリウスはまたも王国の英雄の攻撃を避けようとしないのだ。
俺は見逃さないように目を凝らす。王国の英雄の攻撃はまたも空振りだった。
ようやくわかった。正確には空振りしたのではなく、させられたんだ。
シリウスは大剣が近づくと、軽く上げていた左手を使って大剣を下から叩いたのだ。首を狙った大剣は上へとずれて、シリウスの頭上を通り過ぎていた。
さっきは斬首を狙った横薙ぎにがっかりしていたが、結果的に良い攻撃だった。そのおかげで、シリウスの頭上を通り過ぎた太刀筋を見ることができたのだからな。
なるほどなー。リディアに教えた『無影剣』も理論的には可能な、でも限りなく不可能な技だったけど、これも同類だな。一歩間違えば死ぬかもしれない技を使おうとは思わない。シリウスだから出来る技術だ。
凄いなぁと感心し、個人的にはもう満足だがこれで終わりではない。ここからが本番だろう。
王国の英雄も本能で理解したのか、それとも空振りさせられることを前提としていたのか、今度は距離を取るようなことはせず、すぐに次の攻撃を仕掛けてきた。
一度目の攻撃と全く同じ軌道で大剣を袈裟斬りに振る。当然、リピート再生のように歪な太刀筋を描いて空振った。だが、ここからは先程と違う。
「ガァアアアアアアア!!」
王国の英雄は吠えながら、空振りさせられた勢いのままぐるりと独楽のように回り、シリウスの膝を目掛けて連続攻撃。
コレは上手い。狂化しているとは思えない攻撃だ。下半身を狙えば、左腕で弾いて太刀筋をずらす防御方法は使えない。
シリウスはいったいどんな方法で回避するんだろうか?期待して見ていると、シリウスは単純に飛んで避けていた。
まあ、たしかにシリウスだからって奇抜な方法で回避する必要はないけど、ちょっとだけ拍子抜けだったな。うん、でもまあ、無事で良かった。
王国の英雄は無理な態勢で攻撃したからか、空振りした大剣の勢いを殺せず、体勢を崩して片膝をついている。
シリウスはと言うと、呆れたように溜息を吐いていた。
「やはり期待はずれか。膂力は大したものだが、それを扱う技術がないならまだしも、扱う知能がないのでは話にならん。もう良い」
シリウスの言葉が聞こえるはずはないのに、辺りは静まり返っていた。帝国の兵士たちは初めからこの未来を知っていたかのように静かに見ていたが、王国兵士たちは今まで自分たちの英雄に歓声を上げていたのだ。だが今は、「嘘だろ?」とか「我らの英雄が……」と嘆き、絶望感で打ちひしがれていた。
聞こえるのは、王国英雄のくぐもった唸り声だけ。彼の闘志は狂化スキルのおかげで消えてないようだ。
俺だったら既に絶望し、逃走するか降参するか考えているだろうな。シリウスが言うように、狂化していると勝てる見込みはない。けれど、狂化していなければシリウスを恐れずに戦えない。さて、どっちが良いのだろうな?
うーん、と悩んでいると、狂化して空気が読めない王国英雄が再び攻撃を仕掛けた。今度は大剣をめちゃくちゃに振り回すような乱撃だった。だが、シリウスには無意味でその全ての攻撃を避け、空振りさせる。もちろん、シリウスが「もう良い」と言っただけあって、この戦いを終わらせるために聖剣を振る。
俺がシリウスと戦って腕を切り飛ばされた時のような超速の剣撃が、王国英雄の腕を斬る。だが、丸太のようなぶっとい腕だったからか切断されなかった。
シリウスは僅かに眉をひそめた後、「ふん」と鼻で笑う。
「強靭でもあったか。良いだろう、許そう」
そう呟くシリウスの顔は嗤っていた。
なんの許可だろうかと疑問だったが、その答えはすぐにわかった。
シリウスの所々から火が吹き出したのだ。背中から紅蓮の翼が生え、踏み込むための蹴り足からは炎が溢れた。
シリウスはロケット噴射のようにして加速させたのか、王国英雄との距離を一瞬で詰めた。そして、気がついた時には、王国英雄の体中から血が吹き出していた。
シリウスは、この戦い方を見ることを許可したのだ。
王国の英雄は手足の健を全て斬られたようで、大剣を手から落とし、膝から崩れる。立ち膝のような格好になり、シリウスを睨みながら唸った。
だが、それだけだ。腕を振り回すこともできず、立ち上がることもできない。ただただ動物のように犬歯むき出しで唸るだけ。勝負は決したのだ。英雄同士の戦いは、帝国側が勝利なのは明らかだ。
しかし、勝負は決しても、終わりではない。これは戦争で、生殺与奪は勝者にある。シリウスは当然、手心を加えないだろう。
あぁ、やっぱりシリウスの強さは格が違う。戦場での殺し合いにおいて、彼こそは最強だ。
シリウスはゆっくりと剣を振り上げた。これからとどめを刺すのだ。全ての者が息を呑み、一人の英雄が終わるのを見守っている。
ところが、そんな張り詰めた空気を破るように女性の声が響く。
「お待ち下さい!!」
悲鳴に近い叫びだった。その声が王国軍の方からだというのは、王国兵たちの多くが振り返った反応でわかる。
しばらくすると、兵士たちを掻き分けるようにフードを目深に被った女性が出てきて、その足でシリウスと王国英雄の間に割り込んで跪いた。
「女、戦場で我の戦いを止めるほどの理由と覚悟があるのか?」
シリウスは剣を振り上げたままの格好で、不快感を隠しもせずに問う。納得出来なければフードの女性諸共、王国英雄にとどめを刺すと言いたげな口調だ。
フードの女性はブルブル震えながら、祈るように手を胸の前に組むと声を絞り出した。
「は、果たして、この者に死を与えることが、名高き帝国の英雄王の名誉になるでしょうか。尊厳に傷がつくのではございませんか?」
少々露骨な命乞いではあるが、上手い切り口だ。シリウスが名誉や尊厳という言葉に弱いことは、性格を知っている俺には分かる。会話を継続させるには十分な理由だ。
それを証拠にシリウスが剣を下ろしてニヤッと笑った。彼女にとっては首の皮一枚と言ったところか。
「戦場で我が倒した者をどうしようと勝手ではないか?いや、命を奪い、討ったと証明することこそが我の名誉になるであろう?」
シリウスの言う通りだ。敵を討つのが武勲だろう。これはフードの女性に言い返す事ができない正論だ。
命乞いは無駄に終わったかなと思っていると、フードの女性は首を横に振って食い下がる。
「この者は正気を失っており、抗うことが出来ない王命で戦っておりました」
フードの女性は、自分の首と王国英雄の首にある宝石がついた首輪に触れる。
その行為に何かしらの意味があると理解できたが、あれがどういう物かはわからない。シリウスは知っているようで「ほう?」と目を細めていた。
「命令のままに動く傀儡は物と同じです。物を壊しても、恐れ多い帝国の英雄様の誉れとなるとは思えません」
「ふん、教唆する者が真の敵だと言いたいのか?貴様は尊重し、敬うべき自国の王へ敵意を擦り付けるつもりか?」
「私やこの英雄様にも、魔法都市や帝国皇帝陛下と戦いたいという意志はありません。恨みもなければ敵意すらありません。擦り付けて身代わりにしたいのではなく、ただ事実を言っているだけなのです。それに元々、オーセリアン王を尊重する気も、敬うつもりもありません。私はあれを私の王と思ってはおりません」
はは、自分が敬愛する王ではないと言い切った。良い啖呵だ。
シリウスも面白そうに「ほーう?」と言いながら顎を撫でている。
「良いだろう。貴様の覚悟を認め、我の所有物に傷をつけたことを赦そう」
えっ?!聞いた話では、シリウスの配下に加わった王国兵を狂化した俺が手を出したら赦すことは出来ないと言い切ったそうだ。友人でもない他国の英雄や謎の女は赦すのか……。俺の扱い酷くない?いや、俺の仲間たちを成長させるためっていうのは何となくわかっているけど……、やっぱり酷いと思う。
フードの女性は赦しを得たことで気が抜けたのか、安堵した息を吐くと地べたにぺたんとへたり込んだ。
「あ、ありがとうございます。慈悲深き皇帝陛下」
「貴様は我の所有物に加わる。それでも慈悲があると言えるか?」
「シリウス陛下に、私の能力や彼の力が必要になることはないでしょう。その必要性がないのは、実力を拝見した今ではわかります。それだけでも初めから使い潰すつもりのオーセリアン王より慈悲深いと、私は感じています」
「ふん、覚悟は揺るがないか。良いだろう。それはさておくとして……、ある程度の察しはついているが、はっきりさせたいことがある。貴様は何者だ?」
シリウスはそう言いながら、フードの女ではなく俺に視線を向けた。
おお、そう言えばそうだ。男はわかっている。俺と同じく地球から召喚され、英雄に仕立てられたと。だが、その英雄をかばうこのフードの女は何者なんだ?仲間か恋人ってところか?
大体そんなところだろう。でも、それより謎なのは、どうしてシリウスは俺を見たんだ?
フードの女は恭しく胸に手をあて、「申し遅れました」と頭を下げる。
「私は、彼を異世界から呼び寄せた召喚士。名をモナと申します」