解決策
「エリーにシギル?!無事だったのですね!」
それほど経ってはいないが、懐かしく思える面々が無事であったことと、再開にリディアは表情に笑みを浮かべる。だが、それはすぐに困惑顔へ変化した。
リディアからすれば、ギルが生身の身体で動いているだけでも諸手を挙げて喜びたいのだ。さらにそのギルの後から信頼する仲間たちが追ってきた。
それはつまり、魔法都市は王国軍に抗い、攻勢に転じることができたのだ。そう考えるのが自然だろう。
であるのに、その信頼する仲間たちから、親愛なるギルに近寄るなと言われれば意味がわからなくなるのも当然である。
故に、リディアは説明を求めた。
「近寄るなとはいったいどういうこと――」
だが、リディアの言葉は中断された。
隣りにいるエルに袖を引っ張られ、それと同時にギルが歩いたからだ。リディアとエルが全く見えていないかのように通り過ぎていく。
ズルリと足を引き摺り、ダラリと力なく垂れている手からはポタリと血が滴る。ギルが歩くと、そこには血の足跡が残る。
リディアでなくとも、ギルが既に限界だとわかる。であるのに、歩みを止めない。
いつ石化から解けたのかはわからないが、リディアとエルは久しぶりの再開なのに、笑顔を見せてくれない。ギルの目に自分たちが映っていない。
そんなことはありえない。
普段のギルならば、こんな状態で動くことはしない。普段のギルならば、仲間の声に振り返ってくれる。
普段通りではない。それがリディアとエルにはすぐ理解できた。そして心当たりもある。
「シギル、エリー、もしかしてこれは……」
「狂化スキルのせい……、だと思う」
ギルが自分を見失うのはそれ以外に考えられないけど、初めてのことだから断定はできないと言いたいのが、エリーの言葉に現れていた。
しかし、リディアは自分の考えと同じだと頷く。
「やはり……」
「でも、最悪の状況ではないっぽいッス」
「十分、最悪な状況だと思うのですが……」
「あたしたちを見ても攻撃して来ないんスよ」
この状況を初めて知った者に結論だけ伝えてもわかるはずもない。リディアとエルは首を傾げ、アーサーに至っては考えるのをやめて鼻をほじっている。それはギルが賢王と認めているシリウスも同様だった。
「ドワーフの娘、詳細を話せ」
「?………!」
シギルは、話に割り込まないでほしいッスと言わんばかりに発言者を軽く睨んでからリディアに視線を戻し、すぐ驚いた表情で二度見した。帝国皇帝がいることを今更ながら気がついたのだ。
当初の予定では、オーセブルクダンジョンを脱出したリディアとエルは、1階層のオーセブルクの街に潜んで法国に援軍を頼むはずだった。だからか、リディアとエルが1階層にいることは疑問にない。しかし、帝国への援軍要請は予定になかったし、ギルの最後の指示でもそうだった。
シギルの中では、シリウスはこの場に存在していないと思い込んでいたのだ。
もちろん、エリーも同じではあったが、無表情は変わりない。いつもより少しだけ目を大きく開いているな程度だ。
「ど、どうして、シリウス……皇帝が?」
「ドワーフの娘、優先順位を間違えるな。まずはギルだ。さあ、話せ。この我に説明することを許してやろう」
有無も言わさぬシリウスに、シギルは頬を引きつらせながら「はい……」と頷く。
足を負傷していて歩速の遅いギルを追いながら、シギルは魔法都市で起こったことを全て話した。
説明を聞き終えたリディアとエルの表情は暗い。
「おにいちゃん……」
エルは涙ぐみながら、ギルを目で追っている。
リディアはそんなエルの頭を優しく撫でて、気持ちを切り替えるように息を強く吐いた。
「ティリフスが無事で良かったです」
「そうッスね」
シギルは笑顔で頷くと、ティリフスをしまってあるポケットを軽く叩く。
「ですが、不幸中の幸いでした。皇帝シリウスの要請で、冒険者たちにはオーセブルクの街付近で野営している元王国兵を見張らせていますから、そこへギル様を近づかせなければ無駄な被害はでないでしょう」
「あたしとしては、そこを一番聞きたいんスけど……」
シギルは未だにどういった経緯でシリウスがいるのか説明されていない。エリーも無表情ながら困惑しているのか、「ん」と同意を示す。
だが、シリウスにその説明をする気はない。
「そんなことはどうでも良い。それに、真に幸いなのは、ギルがここにいる者を敵視していない点であろう?」
「たしかにそうですね。ギル様に正気を取り戻していただくことが最優先です。シギル、エリー、説明は後でしますから……」
「わかったッス」
「ん」
「ですが、どうしたらいいのか……。皇帝シリウスに良いお考えはありますか?」
「ギルが愛する貴様らの声で反応がないからな。力づくしかあるまい」
「愛しているなんてそんなっ、えへへ……、コホン、やはりそうなりますか。拘束して怒りが鎮まるのを待つのが現実的ですね」
リディアたちは、どのように拘束しようかを話し合うことにした。しかし、「それは厳しいと思うなぁ!」と声がして中断させられる。
声がした方向を見ると、アーサーがいた。アーサーは冒険者がいなくなったことによって増えた魔物を追い払っている。これはシリウスの指示だった。
「ほう?説明せよ、法国の」
「その……、狂化スキルは自分も持っておりまして、今の状態を見るとですね、ギルくんの強さは何倍にもなっていると思うんです、はい」
「ほほう?こんな珍しいスキルを、ギル以外に貴様もか……」
アーサーの不足だらけな説明で、シリウスが食いついたのは『狂化スキルをアーサーも持っている』という部分だった。シリウスは何かを考えるように顎を軽く擦ると、「ふん、そういうことか」と呟いてニヤリと嗤う。
「まあ、今は良い。貴様が言いたいのは、今の状態のままのギルを拘束できんということであろう?」
「へい。ギルくんは怪我をしていて弱っているように見えましょうが痛みは全くなく、いざとなれば普段以上のパワーとスピードを出せますぜ。その代わり、頭に血が上っているので何も考えられませんが。ドラゴンと戦った時の体験はこんな感じだったと」
緊張からか少々言葉がおかしいけれど奇跡的に解りやすいアーサーの説明だったが、最後の印象的な一言のせいで聞いていた殆どの人の頭から内容は吹き飛んでいた。
もちろん、ドラゴンの強さと同等、それ以上であるシリウスは別だ。自分なりに噛み砕き、整理し、分類して、正確に理解していた。
「知能ステータスを犠牲にし、それ以外を増幅させるスキル。引き金は……、怒りか。ふん、厄介な」
シリウスの呟きを聞き取ることでリディアたちもようやく理解でき、「なるほど」と頷く。というより、普段からギルに説明されていたことを思い出したと言っていい。リディアたちにとってわからないのは、シリウスの『厄介』という言葉だろう。
「厄介というのはどういう意味でしょうか?」
「リディア、考えればわかることだぞ。が、良い。時間の無駄を省こう。怒りによって自動的にスキルが発動したと仮定しよう。スキル停止もまた自動的であろう。スキル停止は、目標をギルの手で仕留めることだと推測できるが、誰が目標かはわからない。ギルが誰に恨みを持ったかなど、会話せずにはわからないからな。まあ、予想は愚王オーセリアンであろうが、距離的にも体力的にも無理がある」
シリウスの推測はほぼ正しかった。正確には王国の破壊で、その最終目標がオーセリアン王であることだ。魔法を使えないギルには非常に困難だろう。
さらに、目の前を歩くギルの速度では、オーセブルクから王都オーセリアンまで何ヶ月もかかるだろう。その間、飲まず食わずで睡眠もせずにというのは明らかに無理だ。
その上、ギル自身でそれを為さなければ、スキルが終了しないのだから厄介と言いたくなる。
シリウスの話はまだ終わっておらず、シギルの方を見て「それに」と続けた。
「問題は別にあるがな。ドワーフの娘。ダンジョンでギルは王国兵だけではなく、魔物を倒していたか?」
「はい、おそらくッスけど」
「最悪だな。つまり、ギルが阻止されると認識した時点で敵になるということだ。問題は手助けすることも、阻止と思われないかだ。ギルに治癒ポーションを浴びせただけで、敵と認識されかねんぞ?厄介極まりない」
たとえ治療ためだとしても、ポーションの液体が身体に掛かることを攻撃と認識されかねない。それを切っ掛けに仲間から敵へと変わるかも知れないのだから、無闇に手を出せないのだ。それが手助けであろうとなかろうと。
それはつまり――。
「八方塞がり、ですか」
リディアが思わず溢してしまったネガティブな言葉だが、誰もそれを咎めない。なぜなら、エルやシギル、エリーも同じように思っていたからだ。
「強力なスキルとはそういうものだ。しかし、それでも何かせねばならん」
「でも……」
「忘れてはいまいな?もうすぐオーセブルクの街の近くを通るのだぞ?我に隷従した王国兵どもがいる。騎士道どころか、信念すらない、地べたに這いつくばる虫のような存在であろうとも、我の所有物となったのだ。手を出すことが何を意味するか、リディアには理解できるな?」
「………はい」
気軽に話せるようになり、いや、気軽に話せるようになったからこそ、重要なことであるとリディアには理解できる。忘れていけないのは、オーセブルクの街付近で野営する元王国兵の所有者は、帝国皇帝で英雄である不遜王シリウス。ギルが仲間を傷つけれたことに我を忘れるように、シリウスも所有物に手を出されるというのは逆鱗に触れるのと同義なのだ。たとえそれが友であろうと、刃を交え認めた者であろうと赦せることではない。
不遜な英雄王の怒りに触れはいけないのだ。
だからこそリディアは素直に頷いたのだ。精神が幼いエルも、いつも強気なシギルも、怖いもの知らずなエリーも、何も考えていないアーサーでさえも何も言えなかった。
王国軍は排除し、ギルも復活した。あとは怒りに狂っているギルを止めるだけだというのに、ギルが石化した時以上の絶望感。
それでもリディアたちは思考し続けた。ギルがどんな状況でも考えることをやめないように教えたからだ。
今も身体のあちこちから血を流しながら進み続けるギルを追いながら、仲間である4人は考え続ける。
しらばくそうして、ついにリディアは一つの解決法を思いつく。
「ギル様を倒しましょう」
「な、何言ってんスか?!」
「おねえちゃん!」
「マジッスか」
リディアのとんでもない解決法に、三人は慌てて止めようとする。しかし――。
「ほう?続けよ」
シリウスは続けさせた。
「時間切れは迫っていて、ギル様はどうしても止めなければならない。けれどその場合、私たちは敵と認識される可能性が高い。だったらこの際、思いっきり戦ってギル様を止めるべきだと判断しました。気絶させることができれば、狂化スキルが停止するかもしれない。停止しなくとも、気絶している間に拘束できるかもしれない。ですので、目標はギル様の意識を刈り取ること……、なんですがどうでしょうか?」
「良いぞ、リディア。最善策と言えよう」
シリウスに褒められ、リディアの表情がぱあっと明るくなる。
「ありがとうございます。それに皇帝シリウスがいらっしゃいますから、気絶させるのは簡単ですよね」
「いや、手は貸せん」
「え、なぜ……」
「鋭い爪を持つ魔物に、柔らかいパンを傷つけずに持ち上げろと言っているようなものだ。気絶では済まんぞ?」
冗談のように聞こえるが、シリウスは至って真面目だ。シリウスは、寸止めや当てないように手加減することは出来ても、手加減した攻撃を当てることはできない。なぜなら、手加減してもその一撃は必殺だからだ。
シリウスが以前にギルと戦った時に顔面を殴った事はあるが、ギルが無事だったのは無属性魔法で強化していたからだ。しかし、今回はその無属性魔法を使っていない。顎が吹き飛ぶぐらいは可愛いもので、頭部がなくなることもあり得るのだ。殺さないのが絶対条件であるのに、その危険を犯すことはできない。
「わ、わかりました。私たちで何とかします」
「だが、貴様らも危険であることを忘れてはならんぞ。……ふむ、法国の」
リディアがシギルとエル、そしてエリーと相談しようとすると、シリウスは唐突にアーサーを呼ぶ。
「え、僕?!」
「そうだ。先の戦で貴様の実力は見た。その戦い方もな。貴様は格闘で王国兵を気絶させていたな?」
「……」
アーサーは目をそらして頷きもしなかったが、シリウスは構わず続けた。
「まずは、貴様がギルとやってみよ。なに、ドワーフの娘の話では、やられたとしても気絶で済むと言っていたから心配するな」
「心配しますよ!脳への影響とか!」
「それは相手への配慮か?ならば心配あるまい。ギルの意識を一撃で刈り取れば終わるのだ。まさかとは思うが、やる前から負けると感じての発言ではあるまいな?法国の英雄であろう者が」
「やる前に負けること考えるバカいます?」
やる前に負けること考えるバカはいないと、有名なプロレスラーの名言ではあるが、実際は負けるかもしれないと不安に思う人は少なくない。
しかし、全くの偶然ではあったがシリウスが言った言葉はその名言に似ていたこともあり、アーサーはつい下顎を少し前に出して即答していた。
それは当然、やらないのかという問いに対し、やりますよと答えたようなものだ。
「よし、期待しているぞ」
「え」
「二言はないな?」
「……はい」
アーサーは大きく息を吸うと、覚悟を決めて腰を落とす。
シリウスは、やる気になったアーサーから視線を外すと、リディアたちへと向ける。
「貴様ら4人もしっかり見ておけ。目を離すな」
「「「「はい」」」」
リディアたち4人は急展開に理解が追いついておらず動揺していたが、シリウスに声を掛けられて一先ず見守ることにした。
アーサーはゆっくりと息を吐いていき、止めた。その瞬間、動く。
まっすぐギルへ向かって行くと、目の前で急停止。回り込むようにギルの左後方の死角まで移動すると、殴るべく振りかぶる。
尋常ではない速さのストレートが、ギルの顎目掛けてキレイに伸びていく。
シリウスを含めた誰もが当たると思った。
しかし、攻撃を受けたのはアーサーだった。
アーサーの拳が当たるよりも速く、ギルの右カウンターがアーサーの顎を捉えていた。完璧なカウンターだった。
アーサーはドサリと倒れ、ピクリともしない。
ギルはアーサーに追撃はせず、何事もなかったように出口へと歩き出していた。
ギルとの距離が十分離れたことを確認すると、シギルはアーサーへ駆け寄って首筋に指を当てる。指に反応があり死んでいないことを確認すると、リディアたちに振り返って「大丈夫ッス」と頷いた。
「こういうことだ。一撃に頼らず、連携を大切にせよ」
アーサーが実験台だったことにようやく気づき、リディアたちは冷や汗を浮かべながら頷くのだった。